アセスメントシートは支援道具ではなく、商売道具

組織を作ると、ウデが悪くなるのか?
ウデが悪くなると、組織を作るのか?
どちらが正解かは分かりませんが、どうも組織を作ると、利用している人は自立できなくなるし、治らなくなる。


それは、ウデの良いトップの元には、愛着障害バリバリの支援者や出世欲に満ちた支援者、ウデの悪い支援者などが集まりやすいからかもしれないし、自分以外の支援者を養うため、余計にお金を集めないといけなくなるからかもしれない。
一人でやる場合や組織の中の一人としてやっているうちは、純粋に子どものため、親御さんのために支援していればよかったけれど、組織を維持するには利用者の固定資産化を目指さなければいけなくなる。


不良債権を抱えるために、利用者の固定資産化を図る。
固定資産化されるから、利用者はどんどん治らなくなる。
結果、「一人でやっていたときはウデの良い支援者だったのに…」と言われるようになる。


組織を維持するために、良く使われる手段が「アセスメント」ってやつですね。
どっかの誰かが作ったシートを使い、いろんなのを寄せ集めただけの“オリジナルシート(キラッ)”を使い、何時間も、何日もかけてアセスメントを行う。
「私の子をこんなにも多くの専門家の人が、こんなにも多くの時間をかけて評価してくれている(感動)」みたいな勘違いをされる親御さんもいますが、時間をかけるのは料金を上げるためですよ。
アセスメントに、何万円もお金を出すなんて、また要求するなんてボッタクリもいいとこです。
だって、そのアセスメントしたときのその人を切り取り、それを書き示しているだけだから。
流れのない、それこそ、ストーリーのないアセスメントなんて、評価してもらったという自己満足が残るだけです。


「支援はアセスメントから始める」
「継続的なアセスメントがより良い支援につながる」
というのも、セールストーク。
こういえば、こう洗脳しておけば、定期的に利用者が得られるのです。
アセスメントは、いくら行っても、その子が伸びるわけではありません。
第一、「まずアセスメント」「次は支援」というようなものではなく、どちらもくっついているものです。
私も、関わる際は、アセスメントと支援が混合している状態で、はっきりと分けてはいません。
支援しつつ、アセスメントをし、アセスメントをしつつ、支援をしています。
その瞬間瞬間で、変わるものだという感覚です。
例えるのなら呼吸みたいなもので、吸って、吐いてを繰り返すようなもの。
その深さ、長さは変わりますが、無意識に繰り返されるのが、支援とアセスメントです。


アセスメントシートとは、ウデの悪い支援者のためにあるようなものです。
ウデの良い支援者は、いちいちシートなんか見て、アセスメントしませんね。
あれは、下手くそでも、ある一定の評価表が作れるように、体裁を整えられるようにするためのグッズです。
アセスメントの結果を受け取ったとき、「なんか良いものをもらった」という感覚がありますよね。
でも、それ以上にはならない。


実際、使えないでしょ、具体的な支援につながらないでしょ。
だって、自閉症の人がアセスメントを受ければ、だいたいみんな同じことが書いてある。
「視覚的に示されると、理解できることが増える」
「刺激が多いと、それに集中が奪われることがあるから、情報を整理して」
「手順が決まった作業は、集中して長い時間できます」
「言葉よりも、絵や文字など、視覚情報で伝えるように」


まあ、ネタバレしちゃうと、下手くそでもできるようにシートがなっているから、自閉症なら自閉症の人が共通しやすいところをピックアップして構成されている。
それこそ、100人いたら100通りの評価ができる、なんていうシートを作っちゃったら、多くの人が使いこなせないし、そもそもシートを使う意味がなくなってしまいます。
シートを作る方は、多くの利用者に使ってもらう必要があるし、その前に、多くの支援者が「使いやすい」と思ってもらわなくてはなりません。


ウデの良い、100人いれば、100通りのアセスメントを、呼吸のように瞬時に、無意識にできる支援者は、もともとシートを使わない。
ですから、アセスメントシートを作った支援者は、ウデの良くない、シートがないとアセスメントできない大部分の支援者をターゲットにする。
そんなターゲットにされるような支援者が使うシートで、いくらアセスメントされても、似たり寄ったりの回答しか出てこない。
ゆえに、アセスメントに、何万円も、何時間も、何度も、かけても、成長していくのは、その支援者の組織だけです。


「そんなことを言うけど、定期的にアセスメントを受けることで、子どもの成長がわかるんですぅー」と言われる方に、もう一つネタバレ。
学校の通知表と一緒で、前回よりも、ちょっと成長したように書くのがミソってこと。
つまり、なんも成長がなければ、「意味ないし」「もうやらない」になっちゃうし、あまり伸びすぎても、「もう必要ない」「もうやらない」になるし、本当に伸びまくりなら、アセスメントを受けなくても、一緒に生活していればわかる。
だから、ちょっと成長した風に書いて、「次もどうぞ」にしておくのがテッパンなのです。
それが自由記述で評価できるメリットなのです(支援者にとって)。


ディスりついでに、あの就労に向けたアセスメントシートってやつは、無理くりすぎますよね。
働くっていうのは、主体性がないとダメだし、選択肢のないものから自ら選びとる段階まで発達しておかなければならないもの。
それをどっかのだれかが検査して、「あなたは、これが向いていますよ」「このスキルを活かした仕事が良いですよ」なんて言われる。
それを信じちゃう人は、「そうか、自分には、こんな仕事が向いているんだ」「この条件にあった仕事に就こう」としてしまう。


当然、就職には面接もあるし、それぞれの職場環境だってある。
そもそも全員が希望した、自分の理想とする職場に入れるわけがない。
自分の住んでいるところに、そういった仕事がないかもしれないし、募集していないかもしれない。
で、「僕に合った仕事がないんですぅ~」と支援機関に行き、「そうか、じゃあ、福祉的就労だね」となる。
「あなたに合った仕事」なんて言いながら、勧めるのは福祉枠でしょ、作業所ばかりでしょ。
じゃあ、意味ないじゃん、勧める先が決まっているのなら。


それに自閉症、発達障害の人のための就労版アセスメントって、これまた、みんな同じような職種しか出てこない。
就労版アセスメントの結果が、「接客業に向いてます」とかならないし、「週40時間、いや、残業もできるくらいバリバリ働けます」なんてならない。
あれだけ著名人を例に出すのに、「パソコンの創業者」「企業の社長」「発明家」「芸術家」「モデル」なんてのも出てこない。
だいたいみなさん、静かな環境で、決められた手順があって、適度に休みが取れる職場が「あなたに合った職場」になるんですね。


2017年も真ん中まできたのに、いまだにアセスメントで儲けよう、またそれに引っかかる人、それを有難がる人がいるのに驚きです。
そろそろ、そのカラクリに気が付いた方が良いですね。
ウデの良い支援者って、アセスメントで儲けないでしょ、アセスメントは当たり前だから同時進行で治していくでしょ。


子どもの成長、発達というのは、何も変化がないような日々が続く中で、突然、グッと変化が訪れるものです。
お腹の中から、ずっと一緒にいた親御さんですから、赤の他人から「ここが成長してますよ」と言われないと成長に気がつかないわけがありません。
周りが見ていて、「あっ、変わった」というのが成長ですし、そもそも本人が一番先に気がつくものです。


アセスメントシートにしか表れない成長、発達って…。
まあ、私は自由記述ほど、話半分で聞かないといけない評価というものはないと思っています。

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