今さら言われても…

発達障害は治る時代になったのだから、私は「治る」という言葉を使います。
「治る」という言葉は、親御さんにとって希望を感じられる言葉ではありますが、使うのに躊躇する言葉でもあります。
何故なら、入り口で突き付けられた「治りません」という言葉が、魚の小骨のように喉元に引っかかっているから。
声に出して叫びたいけれど、違和感がある、取れない。
そんな印象を受けます。


私は、親御さんの喉元に刺さっている骨を取るようなことはしません。
だって、そんな骨なんか、初めからないのですから。
「喉に骨が刺さっているに違いない」
そのように頭が思うから、違和感を感じるのです。
同じように「治らない」と思うから、「治る」という言葉に違和感を感じる。


この違和感をとる方法は、とても簡単です。
発達のヌケを見抜き、そこから育て直せばよい。
たったこれだけです。
子どもが良い方向へと変わっていき、長年、悩んでいた症状が収まる。
そして、自らの足で学び、成長していく姿が見られたとき、いつの間にか喉にあった違和感がなくなり、自然に「治る」という言葉が出てくるようになる。
子どもの治る姿が、違和感に実態がないという事実を証明します。
親御さんとの会話の中、「治る」という言葉が流れるように行き来しだすと、「このご家庭は、治るが自然な言葉になったな」と嬉しく思い、また安心します。


一方で、どうしても「治る」という言葉を使わない人達がいます。
その人達を見ていると、ずっと喉に違和感があったために、その違和感が当たり前になった人のようです。
ハナから「自閉症は治るわけないでしょ」「治らないから、障害でしょ」という感じの人です。
何を言っても、何を見せられても、「治らない」という視点から世の中を解釈します。
その人達から言わせると、治った人は、もともと自閉症、発達障害ではなかった人になります。


しかし、このように「治る」という言葉を使わない人達の中に、「治る」を懸命に否定する人達の中に、本当は「治る」という言葉を使いたい人がいることがわかりました。
ずっと「治りません」という言葉を必死に飲みこんできた人です。
苦しいけど、それしか方法はないと思って生きてきた人。
治らないんだから、必死に支援、必死に制度、必死に啓発というように、ギョーカイが示してきた理想の親御さん像を目指してきた人。


こういった人は、「治る」という言葉を流れるように使う私を見て、否定的な言動と表情をします。
でも、その目だけは悲しそうな目をするのです。
その目は、私にこのように語るのです。
「もうやめて。今さら言われても…」と。


学生時代、20代の頃、応援してくれた方達、そして事業立ち上げを心から応援してくれた方達。
そんな人達の中からも、私が「治る」という言葉を使い始めてから、すうっと離れていく人が出てきました。
言葉では「治るんだ」「すごいね」「これからの子たちは、どんどん治っていくと良いね」と言われますが、目が笑っていないのです。
そうです、目が「今さら言われても…」と語り掛けてくるのです。


治らない時代を必死に駆け抜けてきた親御さんにとって、「治る」という言葉は、治さなかった自分の子育ての否定というよりは、抑えていた感情の蓋を取られるようなものなのでしょう。
喉に手を突っ込まれて、「ほら、喉の中に骨なんか刺さっていない。違和感の正体は、「治らない」と思い続けていたあなたの頭が作りだしたものだ」と言われる。
それに対し、「私だって「治らない」という言葉を必死に飲みこんできた。本当は治したかったし、治ってほしかった」という感情のやりとりが伝わってくるのです。
そして、目は「今さら言われても…」と最後に告げる。


成人した方の親御さんの中にも、「治る」という言葉を信じ、今から治すために動き出す人もいます。
しかし、どうしても今日、今から動けない人がいる。
「治りません」という言葉を必死に飲みこんできた人であり、治らない時代に理想とされていた姿を追い求めてきた人。
こういった人達から聴こえてくる「今さら言われても…」という言葉に、私はこう返そうと思います。
「発達のヌケを育て直すには、“遅すぎる”というのがないのです。今日、今から治すためにできることがある。それが治すための発達援助の魅力です」
というように。

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