相談は大脳皮質から発せられるけれども…

「季節の変わり目に翻弄されて…」と、「新年度が始まったから、これを機に」ということから、この時期は相談が多くなります。
で、その相談のほとんどは、大脳皮質からの相談ですね。


人間関係の悩み、仕事の悩み、不登校やひきこもり状態の悩み、自分の思考の悩み。
「〇〇ができるようになりたい」「通常学級で学び続けたい」「問題行動を無くしたい」という願い。
いずれもヒトらしい、ヒト特有の、ヒトの悩みであり、願いです。


こういったヒトの悩みに対し、人は人として悩みを解決し、人として願いを叶えようとします。
しかし、大脳皮質から発せられた相談に、大脳皮質で応えようとしても、答えは出ないことがあります。
そうです、相談の根本は、もっと奥深くに存在しているのです。
社会を切り取り、問題を切り取り、捉えるのは大脳皮質で、表現されるのも、大脳皮質を通して。
ですから、大脳皮質の問題であり、大脳皮質にアプローチすることが解決につながると自動的に思ってしまうのです。


私のところに来る相談は、そのほとんどが直接的なものではなく、紆余曲折を経てのものです。
医師や保健師、相談機関、学校に相談し、それでも結果として表れてこない、違和感を感じる。
そういった場合、いわゆるセカンドオピニオンのように、私のところにいらっしゃいます。
大脳皮質で切り取り、処理し、表現した相談に対し、大脳皮質に対するアプローチを受けてきた。
しかし、問題の根っこは、そこじゃないんですよね。


習慣を変えるのは、難しいことです。
考え方を変えることは、とても難しいことです。
他人を、社会を変えることは、限りなく難しいことです。
でも、身体を動かすことは難しくない。
今日から、この瞬間からやろうと思えば、やれます。


身体からのアプローチの素晴らしいところは、すぐに、自分一人でできること。
しかも、大脳皮質同士のやりとりでは、お互いの概念の差によって、すれ違いが起きやすいけれど、「肩甲骨を動かしましょう」「呼吸が深くできるようにしよう」「このような動きをしてみて」など、とっても具体的で、「これならできるかも」という意欲につながりやすい。


「自分のありのままを受け止めましょう」と言われても、「はぁ~、具体的にどうしたらいいのさ。いつまでやればいいのさ」ってなりませんか?
そういったアドバイスって、どんな支援者でも、機関でも、書籍や講演会でも、繰り返されてきたことですね。
自分たちで「自閉症の人は、具体的に捉える人達なんです」と言いながら、抽象的なアドバイスを繰り返す支援者たち…。
身体アプローチの方が、よっぽど具体的で、自閉っ子に分かりやすい。
ですから、私は相談の際、その根っこを掴むことに力を注ぎますし、考え方、習慣、社会を変えるよりも、本人が容易にできることを勧めています。


それにしても、「社会を変える」っていうのは、悩んでいる本人の切り取り方、認知に合わせて、他人や地域、社会を変える、ということですので、つくづくおかしな、現実離れした方法だと思いますね。

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