なぜ、ギョーカイは身体アプローチを好まないのか
聴覚過敏の子に対して、いまだにイヤーマフと視覚支援、精神安定剤って・・・。
これは私が学生時代から行われていた3つ。
もう15年くらい経つのに、そこから抜け出せないのはどうしてでしょうかね?
イヤーマフや耳栓って言うのは、刺激を遮断しようというもの。
視覚支援と精神科薬は、不安になると、より刺激に過敏になるから、少しでも気持ちを穏やかにしようとするもの。
いずれも対処療法であり、本人の外側に存在するものですよね。
でも、聴覚過敏は、その子の身体、内側で起きている。
だったら、治療の対象は、その子の身体に決まっています。
とってもシンプルなことであり、どうして本人の外側でごちゃごちゃしているのかって感じです。
ギョーカイ人って、外でごちゃごちゃするのは好きだけれど、「身体を育てる」みたいなアプローチを好まない傾向があるように感じます。
私が見てきたギョーカイの世界では、こんな理由が考えられますね。
◎身体へのアプローチは、本人が主体であり、自分でも、家族でも、できちゃうから。つまり、ずっと支援できないのが嫌、「僕が支援したから、あなたは成長したんだよ、キリッ」ができないのが嫌。
◎カッコいい視覚支援やグッズは作っただけで(結果が伴わなくとも)、「すごい」と思われやすい支援者にとってインスタントな自己肯定感を高める方法だが、身体アプローチは本物の“うで”がいるし、時間がかかることもあるので嫌。
◎自分の持っている免許や資格に縋っている支援者は、それがなくてもできちゃう方法が嫌。
◎そもそも自分の身体、健康に無頓着な支援者が多い。ジャンクフードが好きな支援者、偏食、運動をしない、嫌いな支援者が多い(当社調べ)。
◎逆にゴリゴリ体育会系の支援者は、トレーニングをしても同じようにできるようにならないだろうと思って諦めているから、やること自体が嫌。自分の身体とこの子の身体はまったく別もの。身体同士の認識の開きが大きい。
◎自分が専門とする療法以外の方法はやりたくない。
◎人の支援ではなく、“発達障害の人”を支援したいから、THE療育みたいな方法以外、興味ない。
まあ、まとめると、愛着障害を持っている支援者という人達にとって、外でごちゃごちゃする方が、支援をやっている感もあるし、ある意味、やっているだけで「ちゃんと支援している」と見られやすいから、他人から見える支援の方が好みなんだと思いますね(視覚支援がウケたのは、愛着障害を持つ人が多いから←暴論)。
それに身体って、みんな持っているし、一見すると、発達障害の人達も自分と同じように動かせている。
だから、敢えてそこを取り上げて、アプローチしようとは思わない、またその重要さに気づきさえしない人が多いんだと思います。
もういい加減、対処療法でどうにかしようとする時代は止めにした方が良いと思うんです。
治らない時代は、対処療法で有難がられたかもしれませんが、今は身体を育てる素晴らしい知見、実践を行っているプロフェッショナルがいて、どんどん治っていく人がいるのですから。
もういい加減、自分の専門、枠組みの中で、どうにかしようとするのは止めた方が良いと思うんです。
こういった「治す実践」が行われているのに気が付いているはずなのに、「いや、あれは違う」「もともと発達障害じゃないしー」「エビデンスがー」などと、クダラナイことを言っていないで、本人のためにより良い方法をどんどん取り入れ、実践していけば良いと思うんです。
どうもギョーカイ人というのは、障害者萌えをしている輩が多い。
「障害者しか愛せません」「THE自閉症支援がやりたいんですぅ~」みたいなのが少なくないですね。
人を支援するのが支援者のはずなのに、障害を持っている人を支援するのが支援者だと勘違いしている人が、本人が歩む“人として”の発達、成長を阻害しちゃうんですね。
目の前に聴覚障害の子がいたら、その子の身体から、内側から発せられる苦しさに目を向け、それを治してあげたいと思うのが、人を支援する支援者ではないでしょうか。
「聴覚過敏か。よしよしイヤーマフをつけさせて、スケジュールを詳しくして、はっきり見通しを持ってもらおう」と思うこと。
この違和感、ズレに気づける人は、自分の身体がしっかりしている人だと思いますね。
そーいえば、昔、某有名支援者が当地に来て講演会した次の日から、(当時)養護学校の子ども達のほとんどがイヤーマフをつけるようになったという事件(?)出来事がありましたね。
アセスメントよりも、本人のニーズよりも、某有名支援者の「欧米ではイヤーマフを・・・」の方が強かった時代。
当然、いきなり耳につけるようになった物体を子ども達は外すし、投げるし、振り回すし・・・で、学校の先生たちが困っていましたが。
でも、何よりも困ったのは、「某有名支援者が言ったんですよー」と言って、先生たちの話を聞こうとしなかった親御さんだったと教えてくれた先生がいました。
身体が賢い人は気が付いてたはず。
対処療法&某有名支援者に熱狂していた時代がまだ続いているとは思いたくないですね。
これは私が学生時代から行われていた3つ。
もう15年くらい経つのに、そこから抜け出せないのはどうしてでしょうかね?
イヤーマフや耳栓って言うのは、刺激を遮断しようというもの。
視覚支援と精神科薬は、不安になると、より刺激に過敏になるから、少しでも気持ちを穏やかにしようとするもの。
いずれも対処療法であり、本人の外側に存在するものですよね。
でも、聴覚過敏は、その子の身体、内側で起きている。
だったら、治療の対象は、その子の身体に決まっています。
とってもシンプルなことであり、どうして本人の外側でごちゃごちゃしているのかって感じです。
ギョーカイ人って、外でごちゃごちゃするのは好きだけれど、「身体を育てる」みたいなアプローチを好まない傾向があるように感じます。
私が見てきたギョーカイの世界では、こんな理由が考えられますね。
◎身体へのアプローチは、本人が主体であり、自分でも、家族でも、できちゃうから。つまり、ずっと支援できないのが嫌、「僕が支援したから、あなたは成長したんだよ、キリッ」ができないのが嫌。
◎カッコいい視覚支援やグッズは作っただけで(結果が伴わなくとも)、「すごい」と思われやすい支援者にとってインスタントな自己肯定感を高める方法だが、身体アプローチは本物の“うで”がいるし、時間がかかることもあるので嫌。
◎自分の持っている免許や資格に縋っている支援者は、それがなくてもできちゃう方法が嫌。
◎そもそも自分の身体、健康に無頓着な支援者が多い。ジャンクフードが好きな支援者、偏食、運動をしない、嫌いな支援者が多い(当社調べ)。
◎逆にゴリゴリ体育会系の支援者は、トレーニングをしても同じようにできるようにならないだろうと思って諦めているから、やること自体が嫌。自分の身体とこの子の身体はまったく別もの。身体同士の認識の開きが大きい。
◎自分が専門とする療法以外の方法はやりたくない。
◎人の支援ではなく、“発達障害の人”を支援したいから、THE療育みたいな方法以外、興味ない。
まあ、まとめると、愛着障害を持っている支援者という人達にとって、外でごちゃごちゃする方が、支援をやっている感もあるし、ある意味、やっているだけで「ちゃんと支援している」と見られやすいから、他人から見える支援の方が好みなんだと思いますね(視覚支援がウケたのは、愛着障害を持つ人が多いから←暴論)。
それに身体って、みんな持っているし、一見すると、発達障害の人達も自分と同じように動かせている。
だから、敢えてそこを取り上げて、アプローチしようとは思わない、またその重要さに気づきさえしない人が多いんだと思います。
もういい加減、対処療法でどうにかしようとする時代は止めにした方が良いと思うんです。
治らない時代は、対処療法で有難がられたかもしれませんが、今は身体を育てる素晴らしい知見、実践を行っているプロフェッショナルがいて、どんどん治っていく人がいるのですから。
もういい加減、自分の専門、枠組みの中で、どうにかしようとするのは止めた方が良いと思うんです。
こういった「治す実践」が行われているのに気が付いているはずなのに、「いや、あれは違う」「もともと発達障害じゃないしー」「エビデンスがー」などと、クダラナイことを言っていないで、本人のためにより良い方法をどんどん取り入れ、実践していけば良いと思うんです。
どうもギョーカイ人というのは、障害者萌えをしている輩が多い。
「障害者しか愛せません」「THE自閉症支援がやりたいんですぅ~」みたいなのが少なくないですね。
人を支援するのが支援者のはずなのに、障害を持っている人を支援するのが支援者だと勘違いしている人が、本人が歩む“人として”の発達、成長を阻害しちゃうんですね。
目の前に聴覚障害の子がいたら、その子の身体から、内側から発せられる苦しさに目を向け、それを治してあげたいと思うのが、人を支援する支援者ではないでしょうか。
「聴覚過敏か。よしよしイヤーマフをつけさせて、スケジュールを詳しくして、はっきり見通しを持ってもらおう」と思うこと。
この違和感、ズレに気づける人は、自分の身体がしっかりしている人だと思いますね。
そーいえば、昔、某有名支援者が当地に来て講演会した次の日から、(当時)養護学校の子ども達のほとんどがイヤーマフをつけるようになったという事件(?)出来事がありましたね。
アセスメントよりも、本人のニーズよりも、某有名支援者の「欧米ではイヤーマフを・・・」の方が強かった時代。
当然、いきなり耳につけるようになった物体を子ども達は外すし、投げるし、振り回すし・・・で、学校の先生たちが困っていましたが。
でも、何よりも困ったのは、「某有名支援者が言ったんですよー」と言って、先生たちの話を聞こうとしなかった親御さんだったと教えてくれた先生がいました。
身体が賢い人は気が付いてたはず。
対処療法&某有名支援者に熱狂していた時代がまだ続いているとは思いたくないですね。
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