自分の力でネガティブな記憶を塗り替えた!
昨日は嬉しいことがありました。
自分の足で大きな山を越える姿が見れたのです。
偶然にもちょうど一年前、彼はプレゼンの発表の際、パニックを起こしました。
前日の夜遅くまで準備をしたこと。
発表に対する不安と緊張。
それに想定外の質問がきたのをきっかけとし、感情を爆発させてしまいました。
そのため、プレゼンの発表はネガティブな出来事として彼の頭の中に強く記録されました。
昨日、彼と会うと、表情がこわばっており、全身にも力が入っていることがわかりました。
翌日に大事な予定が入っているときは、体調を整えることを優先し、ベストコンディションを目指すこと。
それは「やりました」と。
プレゼンの英語のスピーチも、スライドも、準備は「大丈夫」
そして、私のサポートは「いりません。自分で頑張ります」とはっきり言ってくれました。
彼は自分一人の力で乗り越える決心をしたのです。
彼とは一年以上の付き合いです。
それまでの成育歴を考えると、糸が絡まり、課題も山積みというのが当初の印象です。
でも、彼は良く学び、一年前とはまったく違った姿を見せてくれました。
堂々とした発表。
そして、聴衆からの質問に対して的確に答えることができたそうです。
「彼が今日のベストプレゼンターであり、素晴らしい準備ができていたことがわかった」という評価を発表会後、担当教官から聞くことができました。
彼は自分自身の力でネガティブな記憶からポジティブな記憶へと上書きすることができたのです。
彼が「自分で頑張ります」と言ったとき、一瞬迷いました。
もし昨年同様なことになってしまったら、ネガティブな記憶がさらに強化されるからです。
でも、私は彼の言葉を信じようと思いました。
彼は一年前とは大きく変わりました。
自分でコンディションを整えること、感情をコントロールすることを学びました。
そして何よりも、私が部分的にでも手を出してしまったら、それはサポート付きの"できた"になってしまいます。
それでは、サポートがあったから"できた"であり、サポートがなかったら"できなかった"になります。
結果として、一年前のネガティブな記憶が塗り替えられることにならないのです。
担当教官からの評価は、彼には伝えませんでした。
というか、伝える必要がないと思いました。
だって、発表を終え、会場から出てきた彼の顔が達成感で溢れていたから。
ここで二流、三流の支援者なら「素晴らしい発表だったよ」とか、「担当教官が〇〇と言ってたよ」なんて言うのでしょうが、私は言いません。
自己肯定感は、誰かに与えられるものではなく、自分の身体を通して自分自身で得るものだから。
昨日の出来事は、彼にとって大きな経験であり、さらに良い方向へと変わっていくきっかけになる、と直感しました。
これからは、私の支援が「いらない」と言えるかどうかが、大事なポイントになります。
私も含め支援者が教えられることなんか、本当にちっちゃなものです。
それよりも社会の中の方が、より多くの学び、生きた学びをさせてくれます。
人を一番成長させるのは、社会です。
知的な面での課題がないのなら、障害者として生きる必要はないのです。
世の中には、変わった人はたくさんいます。
その変わった人の一人として人生を歩んでいけば良いのです。
そのためには、自分で稼ぎ、生活ができること。
他人の迷惑になるような行いはしないこと、しないように自分でコントロールできること。
これができるようになればいい。
彼への支援は、次の段階へと進んでいきます。
これからは、「障害者として生きない人生」を彼と一緒に考えていきたいと思います。
自分の足で大きな山を越える姿が見れたのです。
偶然にもちょうど一年前、彼はプレゼンの発表の際、パニックを起こしました。
前日の夜遅くまで準備をしたこと。
発表に対する不安と緊張。
それに想定外の質問がきたのをきっかけとし、感情を爆発させてしまいました。
そのため、プレゼンの発表はネガティブな出来事として彼の頭の中に強く記録されました。
昨日、彼と会うと、表情がこわばっており、全身にも力が入っていることがわかりました。
翌日に大事な予定が入っているときは、体調を整えることを優先し、ベストコンディションを目指すこと。
それは「やりました」と。
プレゼンの英語のスピーチも、スライドも、準備は「大丈夫」
そして、私のサポートは「いりません。自分で頑張ります」とはっきり言ってくれました。
彼は自分一人の力で乗り越える決心をしたのです。
彼とは一年以上の付き合いです。
それまでの成育歴を考えると、糸が絡まり、課題も山積みというのが当初の印象です。
でも、彼は良く学び、一年前とはまったく違った姿を見せてくれました。
堂々とした発表。
そして、聴衆からの質問に対して的確に答えることができたそうです。
「彼が今日のベストプレゼンターであり、素晴らしい準備ができていたことがわかった」という評価を発表会後、担当教官から聞くことができました。
彼は自分自身の力でネガティブな記憶からポジティブな記憶へと上書きすることができたのです。
彼が「自分で頑張ります」と言ったとき、一瞬迷いました。
もし昨年同様なことになってしまったら、ネガティブな記憶がさらに強化されるからです。
でも、私は彼の言葉を信じようと思いました。
彼は一年前とは大きく変わりました。
自分でコンディションを整えること、感情をコントロールすることを学びました。
そして何よりも、私が部分的にでも手を出してしまったら、それはサポート付きの"できた"になってしまいます。
それでは、サポートがあったから"できた"であり、サポートがなかったら"できなかった"になります。
結果として、一年前のネガティブな記憶が塗り替えられることにならないのです。
担当教官からの評価は、彼には伝えませんでした。
というか、伝える必要がないと思いました。
だって、発表を終え、会場から出てきた彼の顔が達成感で溢れていたから。
ここで二流、三流の支援者なら「素晴らしい発表だったよ」とか、「担当教官が〇〇と言ってたよ」なんて言うのでしょうが、私は言いません。
自己肯定感は、誰かに与えられるものではなく、自分の身体を通して自分自身で得るものだから。
昨日の出来事は、彼にとって大きな経験であり、さらに良い方向へと変わっていくきっかけになる、と直感しました。
これからは、私の支援が「いらない」と言えるかどうかが、大事なポイントになります。
私も含め支援者が教えられることなんか、本当にちっちゃなものです。
それよりも社会の中の方が、より多くの学び、生きた学びをさせてくれます。
人を一番成長させるのは、社会です。
知的な面での課題がないのなら、障害者として生きる必要はないのです。
世の中には、変わった人はたくさんいます。
その変わった人の一人として人生を歩んでいけば良いのです。
そのためには、自分で稼ぎ、生活ができること。
他人の迷惑になるような行いはしないこと、しないように自分でコントロールできること。
これができるようになればいい。
彼への支援は、次の段階へと進んでいきます。
これからは、「障害者として生きない人生」を彼と一緒に考えていきたいと思います。
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