「徐々に支援を減らしていく」と相性の悪い子もいる

「徐々に支援を減らしていく」って、子どもによっては相性の悪い方法だと思う。
どういう子どもにとって良くないかと言ったら、ルーティン化で学んでいくタイプの子。
あとは、物事の概念や意味の理解が難しく、それよりも形で覚えちゃう子も。
ルーティンで学んでいく子なら、最初に受けた支援も活動の一部になってしまう。
また、物事の概念に気が付かないのなら、自分でやる部分と支援の区別がわからなくなってしまう。

こういった子どもにとっては、自分が受けた支援もひっくるめて1つの活動にパッケージングしてしまう。
そのため、支援の回数や方法が変わってしまうと、まるで別の活動になったかの如く混乱したり、できなくなったりしてしまう。
支援者がこういう子どもの特性や様子に気が付いていないと…
「支援を減らしたら、またできなくなった」=「まだ支援が必要だ」
なんていうズレが生じてしまい、導入段階の支援を続けてしまう。
そして、いくら経っても自立できず、支援もどんどん活動の一部として固まっていく。

この前、見せてもらった支援計画書に「徐々に支援を減らしていく」と書いてあったので、「今、どれくらい減ったのですか?」と尋ねると、最初のままだと言う。
徐々に支援を減らし、最終的には自分の力だけで、と考えていたのだろうけれど、半年間、取り組みをやって支援が減らせないのなら、上記のような要因が考えられる。
それか、そもそも支援のやり方自体が合っていなかったか、その目標をやること自体、まだ早かったのか。
とにかく半年も支援して自立しないのなら、見直すべきだろう。

ルーティン化で学ぶ子、物事の概念の理解が難しい子の場合は、指導の場面と実践の場面を明確に分ける必要がある。
そうすることで、本人に「今は教わっている」「今は自分でやる」という違いを意識してもらう。
また、実践しながら指導をしないようにするため、実践するために必要なスキルはすべて自立してできるようにしておく。
そうすることで実践の場面では、活動の順番を学ぶことだけに集中できるように導く。

1つの活動を行うためには、「知識」と「動作(身体の動かし方)」と「順番」の理解と獲得が必要である。
例えば、靴ひもの結び方だと、靴の結ぶ意味や完成形がわかり(知識)、紐を結ぶのに必要な指先の動きができ(動作)、靴を履いてから結ぶ、まず紐の両端を指で摘み・・・というような順番がわからなければならない。
このうち、どれかが欠けていても靴ひもを結ぶことはできない。
ですから、ルーティンで学ぶタイプの子、動作で学ぶタイプの子の場合、「順番」が強く入ってしまうので、実践の前にその他の「知識」と「動作」は完璧にしておくことが重要になる。

私は「徐々に支援を減らしていく」という方法を選択することがほとんどない。
まあ、指導と実践の区別がきちんとできている人の場合は行うけど。
でも、そのときでも、きちんと最終目標は具体的に本人に伝えるようにする。
「最初は支援に入るけど、だんだん回数を減らしていき、最終的には支援がない状態で、一人で活動できることがゴールだから」というように。
本人にゴールの姿をイメージしておいてもらうことは大事な支援。
それがなければ、支援が減るのも、別の形態になるのも、本人にとっては"変化"だから。
未来を適切に想像することが苦手な人たちに、いつ終わるか分からない変化を与え続けるのは適切な支援とは言えないですからね。

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