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100号記念③「函館で私が売っているものは『自閉症療育』です」

<函館の地域性> 函館市、北斗市、七飯町のいろいろな公共施設に、『てらっこ塾』のポスター、パンフレットを置かせていただいています。 いずれの場所でも、短い期間でパンフレットがなくなるため、補充に回っています。 置かせていただいたパンフレットの枚数と無くなるスピードを考えると、『てらっこ塾』を利用する人数の伸びに比例していないように感じます。 8月に載った北海道新聞の記事を見た、という反響も多くいただきました。 『てらっこ塾』のホームページも、多くの人に訪れていただいています。 半年間、営業活動をしていて、それぞれの地域には、それぞれの地域性があることを感じます。 私の出身地である福岡県では、新しいお店やサービスが始まると、すぐに利用者が増えます。 福岡県の人は、好奇心が強い人が多く、自分の意思をはっきり持っている人が多いです。 そのため、新しいお店やサービスが始まると、すぐに飛びつき、自分で確かめようとします。 お店の方としたら、すぐにお客さんが集まるので良いように思えますが、福岡の人は"飽きっぽい"ところもあります。 ですから、開店早々お客さんが集まるものの、すぐに閑古鳥が鳴く、ということも珍しくありません。 私が子どものころ、住んでいた東京ではまた別の地域性があります。 東京には、お店や物が溢れています。 たくさんお店や物があるので、ほとんど差がない状況です。 では、どんなお店が流行るかというと、"行列"ができている店です。 お店や物が溢れた東京では、個人でものの良しあしを判断することが困難です。 ですから、"行列"のできているという事実が個人の判断に影響を及ぼします。 「味は変えていないが、テレビに出たら行列ができた」なんて話もよく聞きます。 東京でよく目にする近くに空いているお店があるのに、わざわざ行列のできているお店に並ぶ人たちの姿は、こういった地域性があります。 地方から東京に出てきた人が、行列に敢えて並ぼうとする東京の人たちの行動に驚くのも無理がありません。 話が逸れてしまいましたが、函館の地域性です。 上に書いたように、『てらっこ塾』に興味はあるのですが、なかなか利用するところまでいきません。 興味はあっても、利用するには誰か背中を押してく...

100号記念②「成人期は独りぼっち」

<成人期の苦労> 成人期のお子さんを持つ保護者の方たちに共通しているのは、みなさん"孤独感"をお持ちだということです。 「学校を卒業したら、相談する人がいない」 「相談する人がいても、実際に支援してくれる人はいなくて、困ったことがあっても、すべて家族が対応しなければならない」 「学校を卒業したら、保護者同士の付き合いも減った」 「私の身体に何かあったら・・・」 など、保護者の方たちの話から私は"孤独感"を感じます。 中には、「早く学校を卒業したいと思っていましたが、実際に学校を卒業してしまうと、まだ学校に通っていたときの方が幸せだった」とおっしゃっていた方もいました。 成人になったからと言って、支援が必要なくなるわけではありません。 自閉症支援は、一生涯必要な物であり、続いていくものです。 学校の方でも、「卒業後でも相談してください。サポートします」という姿勢を見せてくれるところが増えましたが、保護者の方からすると、「実際は頼みづらい」と言います。 卒業後、福祉施設を利用できている方でも、「利用させてもらっているだけでありがたいのに、施設以外のことは相談しづらい・・・」と言います。 また「支援者同士の意思の疎通がうまくいかない」という話もよく聞きます。 学校と福祉施設。 福祉施設と保護者。 成人期では、支援の中心が「教育」から「福祉」へと変わりますが、その「福祉」の方の現状は、学校のように物質的にも、心理的にも、余裕がない状態ですので、なかなかコミュニケーションがうまくとれません。 「支援者同士の意思の疎通がうまくいかない」という点は、教育と福祉のさまざまなギャップに原因があるのだと思います。 最近、30歳を過ぎた息子の不祥事を有名人の父親が謝罪している様子が報道されていました。 海外ではあり得ない光景だということです。 成人期のお子さんを持つ保護者の方たちの"孤独感"は、「子どものことは親が責任を持つ」といった日本独特の文化に起因しているのでは、と感じます。 成人期の支援については、本人たちへのサポートはもちろんのこと、保護者の方たちに対してのサポートについても早急に構築していく必要があると感じています。

100号記念①「先輩ママと若いママ」

『てらっこ塾』を立ち上げて、半年。 なかなかうまくいかないことが多く、試行錯誤の毎日でした。 どちらかというと、大変なことが多かった日々でしたが、濃密な時間であり、多くのことを学ばせてもらったと感じています。 「地域に新しい自閉症の人たちのためのサービスを作り上げていく」という今までとは別の角度から、自閉症支援を見ることができたと思います。 そこで、半年が経って、私が感じたこと、気が付いたことを今回、紹介させていただきたいと思います。 <子どもの年齢による違い> 一言で言うと、子どもの年齢や学年が上がることと比例して、保護者の方たちの危機感が高くなっていると感じます。 小学生くらいの子どもを持つ保護者の方は、本人が学校に通えていることや学校で楽しそうに過ごしていることに満足している場合が多いと感じます。 卒業までまだ年数がありますので、卒業後の子どもの姿を想像することが難しく、また次々新しいことを覚え、成長している過程ですので、そこまで将来のことを考えたり、危機感を持たれていなかったりするのも当然だと思います。 しかし、子どもが中学生くらいになると、急に将来の不安や危機感を持たれる保護者の方が増えます。 それは「学校生活も残り半分を過ぎた」という事実に直面するからだと思います。 思春期になり、子どもが心身ともに落ち着かなくなり、身体が小さかったときは、親がコントロールできた行動も、それが難しくなること。 そして、小学生くらいまではあまり言われてこなかった子どものマイナスな面を耳にするようになることも影響していると思います。 やはり将来の進路が近くなってくると、学校の方でも現実的な話をしなくてはならなくなります。 ですから、積極的には触れてこなかった部分についても、目や耳にする機会が増えてきます。 これが高校生くらいになると、さらに危機感が増してきます。 一日、一日、卒業が近づいてきます。 学校でも現実的な話ばかりになります。 卒業後は今までのように学校が何でもやってくれて、守ってくれるわけではありません。 この事実に直面したとき、保護者の方は二手に分かれます。 「残り少ないから、今のうちに1つでもできることを増やそう」と思う人と、諦めてしまう人です。 (また意外にも、「卒業後は福祉施設に入れる」と思っている人も少なから...

手が抜けないことが悩みです

"手を抜けないこと"が悩み、とお話をいただくことがあります。 何事も真面目に捉えてしまうため、何気ない会話にも全力で応え、勉強や仕事などすべてに全力投球してしまう。 「悩みというより、良いことじゃない!」「うちの子と比べてうらやましい」などと感じてしまいそうですが、実際は困ったことがあります。 想像してみてください。 もし、朝起きてから夜寝るまでのすべての出来事に全力を使っていたら、頭も体も疲れてしまって仕方がありません。 朝起きて、歯を磨くのも全力。 ご飯を食べるのも全力。 ご飯中の何気ない会話にも全力。 登校、出勤の道のりも全力・・・。 このような力の使い方をしていると、学校や職場に着いた頃には、もうヘトヘトです。 自閉症の人たちは、やらなくてはいけないことは真面目に取り組みますので、学校や職場でも一生懸命勉強をしたり、働いたりします。 そして、一日が終わって帰宅すると、とてつもない心身の疲労が・・・。 「何事にも一生懸命全力で取り組むことは良いことだ」という意見もあります。 しかし、それでは学校も仕事も日々の生活自体も続けていくことができません。 また、当面何とか日々の生活を続けることができても、いつかその"無理"が形を変えて表れてきます。 私たちは力の加減ができるから、日々の生活を安定して送ることができます。 仕事や家事も、集中してやるところと手を抜くところがあるから、続けていくことができるのです。 自閉症の人たちの目から見ると、「定型発達の人たちは"手を抜く能力"を持っている」と言えると思います。 では、上手に"手が抜けない"自閉症の人たちはどうすれば良いのでしょうか? それは、意図的に「休息」を日課の中に入れることだと思います。 日々の生活の中に、学校や仕事で過ごす時間に「休息」を入れます。 「休息」は、個人に合った内容と環境の上に成り立ちます。 自分で日課の管理ができない自閉症の人に対しても、支援者が「休息」を意識して日課の中に入れることが大切だと思います。 自閉症の人たちが何事にも"手を抜かないこと"は、私たちが見習うべき素晴らしい能力だと思います。 "手を抜けないこと"自体...

「問題行動は、事前に対応」って知ってますけど・・・

「問題行動は、起こる前に対応することが大切」とよく言われますし、私もそのように教わりました。 実際、いろいろな自閉症の人たちの支援に携わってみて感じることは、「問題行動が起きてから、その行動を減らすことは難しい」ということです。 やはり問題行動は、事前に手を打っておくことが一番だと私も実感しています。 しかし、その一方で「問題行動につながる行動を予想し、未然に対応することも難しい」ということも感じます。 "問題につながる行動"を完全に防ごうと思ったら、あれもこれも行動の制限を加えることになります。 「将来、少しでも問題行動につながる可能性があるものの芽を摘んでおこう」と思ったら、極端なことを言えば、「何もさせない」という結論に近づいていきます。 でも、本人の生活の質や将来を考えたら、いろいろな経験や学びをさせたいし、可能性を信じ、挑戦もさせてあげたいと思うことは、自然なことだと思います。 また、いくら気をつけていたとしても、成長の過程の中で、いろいろな人と関わることになるし、それぞれの環境の中で刺激を受けることになります。 そして、どうしてかはわかりませんが、覚えてほしくない行動に限って、よく覚えてしまいます(笑) このように、問題行動につながる行動を完全に防ぐことは難しいと思います。 理想は置いといて、現実としてはみなさん"起きてしまった問題行動"に対して、「どのように対応していったら良いか」について一番知りたいのではないでしょうか?? 成長する過程の中で、「まったく問題がありません」「心配なこともありません」と言える家族や支援者はほとんどいないと思います。 自閉症の人たちは、定型発達の人とは脳の違いがありますので、刺激の受け取り方も、物事の捉え方も、感覚や運動機能にも、定型発達の人とは異なる困難さがあります。 ですから、成長の過程で、定型発達の人が多数派なこの世界の中で、自閉症の人に問題となる行動が表れることは自然なことだと思います。 だったら「問題行動が出たときに、どのように解決、改善を目指していくか」について答えられたり、一緒に対応できる専門家が必要なのではないでしょうか? 現代の自閉症の子どもを持つ保護者の人たちは、そこら辺の支援者より、専門的な知識と情熱を持っていると感じるこ...

どうして片づけられないのだろう?

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自閉症の人たちのイメージだと、「物の位置や向き、置く場所にこだわりがあり、きちっと整理、整頓している」姿を思い浮かべる人も多いと思います。 でも、そのような自閉症の人たちがたくさんいる一方で、「片づけることが苦手」という人たちも多くいます。 そのような"片づけられない"ことの背景には、どのようなことが考えられるのでしょうか? ①「何から片づけるの?」  自閉症の特性として、複数ある情報を捉えたあと、その複数の情報を頭の中でうまく整理して、処理することが苦手です。もっと具体的に言うと、優先順位をつけたり、「まずこれから片づけて、次にこれを片づける」というように計画を立て、実行したりすることが苦手です。ですから、片づけるものが複数あると、情報の多さの方に圧倒されてしまい、どこから手を付けていいか、どうやって進めていくか、分からなくなってしまいます。このような人の場合、一気に片づけるのではなく、片づける場所や物を限定したりすると、片づけられることがあります。 ②「どこを片づけたらいいの?」  扉などがあり、部屋と部屋の境界線が完全に分かれていると、片づける範囲がわかるのですが、境界線のない空間では、「どこを片づけるのか」「どこまで片づけたらいいのか」がわからないことがあります。片づける範囲がわからないと、動くことができません。また、①の理由のように、範囲が決まっていないと、複数の情報に圧倒されてしまいます。片づける空間を本人が見てわかるような方法で伝えると、情報が限定され、片づけられるかもしれません。 ③「どこに片づけたらいいの?」  片づける場所が明確に決まっていますか?②の理由のように、「だいたいこの辺」では自閉症の人たちは理解できません。片づける場所の自由があるよりも、「これは、この場所に置く」というように限定した方が、自閉症の人たちの好みに合っていると思います。「本はこの本棚に」で片づけられる人もいますし、中には「この本は本棚の2段目に置く」というようにより限定された方が良い人もいます。また、片づける場所に「本」や「ミニカー」、「お絵かきセット」などを文字や絵で示し、具体的に伝える方法がわかりやすい、という人もいます。ちなみに玩具などを1つの箱の中にぐちゃっと入っているような無秩序な状態を気持ち悪く感じる自閉症の人もいます...

カリキュラムも、時間割も、教室も、すべて取っ払って!

カリキュラムが先に決まっているのではなく、すべては個人から始まる学びの場が作れないだろうか? 何を学ぶかは、本人が決める。 もし、本人が決められないのなら、保護者の希望から始めればいい。 学ぶ時間だって、本人が決める。 みんなが一斉に朝から学ばなくても良い。 朝から学んだ方が身につきやすいなら、そうすればいいし、午後から学んだ方がよく覚えられるなら午後からでも良い。 集中力だって一人ひとり違うはず。 5分しか集中力が持たないなら、5分単位での学びを繰り返せばいい。 2時間でも、3時間でも学び続けられるなら、とことん学ばせてあげたい。 5分しか集中できない人を45分学び続けさせることも、何時間でも学びたい人を45分で切り上げさせることも、本人にとっては同じくらい辛いことだと思う。 だったら、みんな同じな時間割を無くせないだろうか? 本人たちが自分だけの時間割を作っていけばいい。 教える人間も決まっていなくてもいい。 地域を見渡せば、その道に通じた人がいるだろう。 本人が学びたいことは、その道の専門家から教わればいい。 ただ、自閉症の人とその専門家が直接つながるには難しい部分もあるため、その間に立つ"自閉症"に関する専門家は必要。 カリキュラムも、時間割も、教室も、すべて取っ払って、本人が『今』、そして『未来』に必要なことをとことん学べる場を作っていきたい! これが私の目標だし、自閉症の人たちの学び方に合っていると思っている。 「てらっこ塾」はそのための1歩だぁ~!!