【No.1177】丸腰で就学相談に行ってはならない
予想はついていたんですけど、やっぱりな、という感じです。
オリンピックの無観客の話ではないですよ。
支援級、就学相談の話です。
昨年とは異なり、例年通りこの時期から活発に就学相談が行われています。
で、なにが"やっぱりな"かと申しますと、支援級の普通学級化です。
以前ですと、当然、支援級になるよな、という子ども達が、「支援級は難しい」「支援学校が妥当だ」と就学相談で言われることが増加しています。
で、支援級が妥当と言われる子ども達は、どう考えても普通級で学べるでしょ、という子ばかり。
様々な方面から話を聞く限り、どうしたら普通級に在籍になるのか、よっぽど従順な子ども以外は普通級にならないでしょ、という感じです。
数年前からこの流れはありました。
どんどん支援級に入るのが難しくなっている。
で、支援学校ばかり勧められる。
もっといえば、実力から上、同等ではなく、一つ下の学校が勧められる。
頑張れば普通級で学べる子が支援級へ行き、支援級で学べる子が支援学校に行く。
それがコロナ騒動で、加速した印象を受けます。
ここからは公務員ディスりなのですが(笑)、同じ給料ならできるだけラクな方向へ流れるのが大部分の公務員の特性だと思います。
特に学校の先生は、売り上げなどの成果が目に見える形にはなりません。
しかも、コロナ騒動で、いろいろとめんどくさいことになっている。
だったら、平時でもラクしてお金を得たいな~と思いがちの人達なのですから、少しでも楽になりたい、じゃあ、クラスの人数は減らしたい、と思うのは自然な感情でしょう。
普通級の担任は、できれば一人でも児童が減ってほしい。
で、ちょっと従順ではない子がいれば、「支援級へ」となる。
常套手段は、「苦手な算数だけ個別指導を受けてみては」と、表面的には子どものことを想っての提案を行い、慣れてきたところで、「やっぱり個別指導だと、よく理解できますよ。だから、支援級へ転籍しては」ともっていく。
このパターンは、全国共通で、古典的な方法です。
支援級もそうですし、支援学校もですが、児童に対して先生の数が決められています。
財源に余裕がある市町村は別ですが、だいたい3対1で、肢体不自由の学校などは2対1、または1対1の配置になる。
ということは、普通級とは異なり、児童が一人増える、減るは大きな意味を持ちます。
普通級はよっぽど児童が増えない限り、ふたクラスに分かれることなく、大きな増減はありません。
でも、支援級&支援学校は1人増えると、先生を1人増やすことができる可能性がある。
とすれば、先生が増えれば、それだけ学校内の分掌、仕事が分担できるわけです。
全体から見れば、仕事がラクになる。
北海道なんかは組合が強いから、先生を増やして組合員を増やそうという流れもあるのです。
そこんとこでいえば、支援級、支援学校は、普通学級よりも先生が増やしやすいわけです。
就学相談で、頑張るよりも、頑張らない選択を迫られることは日常茶飯事です。
「あなたの子は、支援学校に行った方がいい」
なんていうのを、なぜ、年長の夏、秋に言い切ることができるのでしょうか。
「この2週間を頑張れば、元の生活に戻る」くらい、根拠のない言葉です。
発達途中の6歳の子どもを目の前にして、どうして小学校6年間がわかるのか。
そんなことを言うと、「今までの経験から、そういえるのです」と就学相談の先生や医師は言うけれども、それが当たらないから、みんな自立しなくて困っているんだろ、ってツッコミを入れたくなります。
こういう自分の経験、つまり、専門家というのを盾にしてモノを言う奴らは、どうせ、子どものことなんか見ていなくて、診断名くらい、検査の数値くらいしか見ていないものです。
だから、キーボードを叩いて「42万人で出マチター♪」とそのまま、〇〇丸出しで公言してしまう。
「もし感染対策を何もしなかったら、〇〇になる」で良いなら、なんとでもいえる。
「もし支援をまったく受けなければ、二次障害になる」
バカやろう、ギョーカイの支援を受けないからと言って、親が何もしないわけじゃないだろ。
感染症の専門家が個人の免疫を無視したように、子ども達の発達する力、成長する力、そして親御さんの子育ての力を無視するな、バカにするなよ。
ということで、やっぱりコロナ騒動を絡めてしまいましたが、今日言いたかったことは、全国的に実力以下の選択を迫られるケースが増えているということです。
知的に問題なく、とくに問題行動もないけれども、就学前に診断を受けていたから、療育・支援を受けていたから、というそれだけで、普通級ではなく、支援学級が勧められることもありました。
そうなると、支援学級が勉強ができて、席に座って授業が受けられて、でも、幼少期診断や支援を受けた子になる。
つまり、普通級で学び成長していた子ども達が、支援級の多数派になっていくのです。
そうなると、教科学習をする力はあるけれども、コミュニケーションの部分で、社会性の部分で、ちょっとこだわりなどの特性があって、という子ども達がどんどん支援学校へ送られていく。
これって、本当に子ども達のためになるのでしょうか。
年長の夏に、小学校6年間が決められてしまうのです。
しかも、頑張るではなく、頑張らない方に。
その根拠は、某会長が「人流」「飲食店」とオウム返ししているように、専門家としての勘です。
直感と当てずっぽは違います。
特に、そんなちょっと会ったばかりの就学相談の人たちに、子どもの6年間が見えるわけないのです。
彼らは教育"行政"を担う人なので、どのような配置をしたら人事がうまくいくか、いや、よく言い過ぎましたね、ただ来年度の児童数、生徒数を見て、振り分けているだけ。
この振り分けは早くしないと、夏は教員採用試験がありますし、秋ぐらいから異動の調整が始まりますから。
単に一年間のスケジュール通り、右から左に流しているだけ。
だって、これが滞ると、教育行政としての仕事が増えるでしょ。
どうせ、同じ給料ならラクがしたいのは、現場だけではないでしょう。
テレビばかり観て、流れてくる情報をただ受け取っている人達は、このクソ暑い日にもマスクを付け、衝立の中で飯を喰い、言われた通りに行動している。
まるで畜牛のようです。
政府や行政、会社の経営者などは、管理しやすい方向へと持っていきたいものです。
何も言わず、従順に指示に従ってくれさえすれば良い。
それが大人の社会から大学生へ、大学生から高校生、中学生、小学生、そして幼児教育に間で侵食しています。
それがコロナ騒動から見えることですし、現場の学校の先生も「できるだけ従順な子」を育てたいし、求めたくなっている。
ですから、情報を自らとりに行かない人間は家畜のように、他人に支配された人生を送るのです。
丸腰で、就学相談に行ってはいけません。
就学相談員、医師、専門家がそういったから、そうしますは最悪です。
すると、どんどん管理がしやすい方向へ持っていかれていまいます。
特別支援の世界における「管理がしやすい」は、支援者に従順な人間、つまり、福祉適応する人間になるということです。
コロナ騒動で、この流れは強くなった気がします。
皆様、情報は受け取るものではなく、取りに行くものです!
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