【No.1129】コピペで体裁が整えられた世界

今年は年末に帰省をしない若者たちがいるそうで、そういえば、大学4年の年末は帰省しない同期たちが多かったのを思い出します。
みんな、1月提出の卒論を必死に執筆していました。
私はというと、いつも通り帰省。
卒論は5月くらいに書き上げ、卒論指導はできた論文から小出しに提出し、「今、執筆頑張っています」風にして、あとはボランティアとか、地域活動とか、自分のやりたいことをしていました(笑)


今もかもしれませんが、ある時期、学生のレポートや卒論にネットから引っ張ってきたコピペが使用されていることが問題になっていましたね。
そのコピペを見抜く教授陣も大変で、そういったコピペを検索してくれるソフトまで開発されたとか。
学生が何でコピペをするかといえば、ラクをするためでしょう。
よさそうな文章を見つけコピペすれば、その分、体裁は整います。
でも、そのとき、学生の頭の中では考える機会が失われているのです。


「自己肯定感を大切にしよう」というのは、私が学生だった20年前から言われていました。
他にも「失敗経験はさせてはならない」「できることをスモールステップで」
そして「できたことは、どんな小さなことでも褒めるように」と。
あれから20年が経ち、自己肯定感という見えないものを崇め、失敗経験をすることなく、小刻みなステップを踏みながら褒めたたえられ育った子ども達は、見事に特別支援教育の世界から福祉の世界へスムーズな移行ができたのでした。


上記の言葉たちもそうですが、学生時代に教わった言葉が今もなお、そのままの形で残り続けていることに私は違和感と特別支援の限界を感じるのです。
そりゃあ、今親になり、子育てをされている方たちにとっては、専門家から聞く真新しい言葉たちなのかもしれませんが、少なくとも支援する側、教育する側に携わってきた人間なら、その言葉たちがコピペ以外の何ものでもないことがわかると思うのです。


「障害児教育の世界は、とにかく人材がいない」
「まずは人を増やさなければならない」
そんな風にも、よく言われていました。
確かに当時、支援らしい支援なんてなく、その地域にある1つか、2つの機関で専門的な"何か"を受けられることが貴重で、親御さんにとってはステータスにもなっていたように感じます。
今のように「どれを選んだらよいか分からない」なんていうのは、ぜいたくな悩みだったかもしれません。
そのように支援も、人も、サービスも、増えることは増えました。
でも、そのときに用いられたのが、さきのコピペなんです。


支援者も、支援も、サービスも足りない時代は、とにかく大量生産です。
有名支援者とやらが全国に行き、ときに欧米人とライセンスビジネスを引き下げ、とにかく自分たちの考え、その当時、良いこととされていたことを布教し続けました。
その結果、有名支援者のコピペが各地に広がりました。
均一の支援者、均一の支援、均一のサービス。
当時の有名支援者たちが目指していた世界ができあがった瞬間だといえます。


今年も出張先で、「おらが村に、てぃーちがやってきたぞ!」みたいな話を伺いました。
その地域に、そういった療育を謳うところができ、親御さん達が殺到しているとのことでした。
そんなの、先進地域から言わせてもらえば、もう30年以上前の話です。
しかも、そういった療育を幼少期から受けてきた子ども達は、みなさん、大人になり、既に結果として表れているのです。
日本は縦長の島国ですから、隅々まで行きわたるには20年くらいかかるのかもしれませんね。


大量に生まれたコピペ支援者がコピペされた言葉を使い、コピペされた支援とサービスを行っているのが現在だといえるでしょう。
支援者だって、そのコピペがなんのコピーなのかわかっていない状態だと言えます。
そりゃそうです。
20代の支援者、教員からすれば、生まれる前のコピーなんですから。
ただただその狭い世界の中で信じられていることを、ひたすら忠実に再現しとうとしているし、それが子のため、親のため、そしてそれこそが"特別な"支援なんだと信じているような気がします。
「福祉を利用しながらの自立」をみなが達成できるように。


私から見れば、20年前と同じことを言い、同じことを続け、しかも社会の中で自立できないという結果が出ているものを続けようなどとは思いません。
当時とは異なり、これだけ重い知的障害を持っていない人たちが支援対象となり、さらに脳の機能障害から神経発達症へと概念が大きく転換したのにも関わらず、コピペの元は重度の知的障害を持ち、教育不能と言われていた子ども達をどうにか教育し、育てよう、という時代のものなのです。


不毛の地なら、新たな考えをもとに一気に変化できることもあるかと思いますが、既に古き世のコピペで津々浦々の体制ができてしまっています。
ですから一旦コピペで広まったものを、しかも今もなおコピペが続いている中を、すべて回収し、既存のものをぶっ壊し、新たな体制を築くのは難しいし、とても時間がかかることです。
なので、社会的な自立を目指すのなら、できるだけ近寄らないように、そして利用しても期間限定で終わるようにしなければなりません。
支援を受けながらの人生を目指すのなら、特別支援を。
社会の中で自立した人生を目指すのなら、社会資源を。


「将来の自立のために、特別支援を利用する」という夢は幻想に終わったのです。
何故なら、「一生涯の支援を」という思想がコピペの大元だから。
当時の有名支援者たちの多くは、障害を持った子の親でもあったのです。
何もない時代に、「我が子を守ろう」、そして「生涯、安心して生きていけるように」と。
そういった願いが今もなお、特別支援の世界に漂っています。
支援からの自立を顔では笑い、心では泣き、手は繋ぎ止めようと動くのは、こういった背景があるからだと思います。
そもそもが自立を願っていないのです。




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