良い支援という理想郷を求めて

「良い児童デイ、知っていますか?」と尋ねられると、私は「知りません」と答えます。
何故なら、良い児童デイなどは存在しないからです。
これは当地の児童デイがろくでもないと言っているのではなく、また児童デイという存在意義が見当たらないと言っているのではありません。
児童デイを利用することで伸びていく子ども達はいますし、中には課題を的確に把握し、そこに対して適切なアプローチができる支援者もいます。
つまり、「良いか、悪いか」と見ることがおかしいのだと思います。
良い児童デイ、施設ではなく、子どもに合っているか、合っていないかであり、もっと言えば、その時々の子どもの課題、伸ばしたいところを親御さんが理解したうえで、それに適切なアプローチができる場所か、どうかなのだと考えています。


児童デイに限らず、「良い施設は?」「良い支援者は?」などと表現する方達がいます。
しかし、こういった発言が出ている段階では、子どもさんを治すことは難しいといえます。
実際、私が接してきた限りでは、まずうまくいっていない。
どうしてかと言いますと、良い支援を求めている時点で、他者に委ねようと身体が動き出しており、また支援、子育てに正解があるように錯覚してしまっているからです。
もちろん、自分ができない部分を施設、支援者に頼ろうと積極的に動かれている親御さんも中にはいますが、多くの方は理想を探しに行こうとする雰囲気が漂っています。


「自分はまだ知らないけれど、自分の地域にはないけれども、理想の支援があり、理想的な地域がある」
そんなまだ見ぬ理想郷を求めて、厳しいようですが、彷徨っている親御さんは少なくないように感じます。
これはギョーカイのセールストーク、理想の支援があれば、理想的な地域があれば、子ども達の生活、未来は輝けるものになる、というのを素直に字義通りに受け取ってしまっている影響もあるのでしょう。
でも、はっきり言って、そんな理想的な支援、地域などは存在しません。
もしそのようなものがあれば、全国から人が殺到するでしょうし、国を挙げて公的なプログラム、制度にするでしょう。
そんな現実がないのが、何よりの証拠です。
むしろ、ギョーカイの言う理想的な支援を受け続けた人ほど、人生の選択肢が狭まり、自由を謳歌できずにいます。
ギョーカイの言う理想郷は、ギョーカイにとっての理想郷であり、自分たちの鳥かごのことを指しているのです。


理想的な支援とは、作り上げていくものだと私は考えています。
理想的な支援がどこかにあるのではなく、自分たちで作っていく。
それが子育てであり、自立していくことだと思います。
万能な支援がないように、万能な支援者などいません。
一人ひとりの発達は異なりますし、その時々で必要な刺激、援助が異なるからです。
また発達、成長は多様であり、他人が関われるのは全体ではなく、部分です。
そして何よりも大事なことが、発達、成長する主体は本人ということ。
どんなに優れた支援者であっても、発達、成長する主体を代わってあげることはできないのです。


私はよく「支援者は使い捨てにするもの」と言います。
私の支援、援助が必要なくなれば、バサッと捨ててもらって結構です、と伝えます。
つまり、私が援助できることは、部分的で、一時的だということ。
ですから、私が真面目に仕事をすれば、必ず必要がなくなるときがきますし、それまでの間、私が持っているものの中から、自分に活かせるものを抜きとって、今後の人生に持っていってもらえれば良いのです。
そういった本人が主体的で、自分に合った支援を作り上げていこうとする姿勢があれば、自然と受ける支援は“良いとこ取り”になるのです。
「この部分は、この施設」「この時期は、この支援者」という選択の積み重ねが、その子にとって理想的な支援を作ることになり、また私達が生きる社会を理想郷にすることができるのだと思います。


「良い児童デイ、知っていますか?」と尋ねている時点では、治ることも、治すこともできません。
「我が子の〇〇という部分を育てたい」「〇〇という課題をクリアする後押しがしたい」
そういった考え、親御さん自体にも主体性があった上での「良い児童デイ、知っていますか?」なら、私は全力で協力しようと思います。
先進地域と呼ばれていた場所が、軒並み残念な場所になっています。
全国からくる相談を聞くたびに、驚くような支援、私が学生だった頃の支援が展開され、また有難がっているその地域の人達がいるという現実を知るのです。


今、地域の中で、自分の資質を活かして働いている人、自分の人生の自由を謳歌できている人、そして治り、普通の人として学生生活、社会人生活を送っている人は、みなさん、理想郷を求めて辿りついた人ではなく、自分で理想の支援を作り上げ、その場を理想郷にした人です。
ですから私は一人でも多くの方達に、まだ見ぬ理想郷がどこかにあるのではなく、自分たちで作り上げていくものだと知ってもらいたいと思うのです。
特別支援に関して遅れていると言われている地域にも、治っている人がいます。
治そうと思えば、どこに住んでいても治していけるのです。

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