不適応行動の意味

今も使われているかはわかりませんが、『不適応行動』という言葉があります。
いわゆる問題行動の言い換えです。
「問題」という言葉が「本人の問題」「本人が問題」という雰囲気をもろに出しますので、本人と家族への忖度であり、環境調整を支援の中心に据える集団の中で用いられていた言葉ですから、「あなた(支援する側)の支援が悪い」と言いたいがために、そういった言い換えがあったのだと考えられます。


こういったギョーカイ内の論理はどーでも良い話なのですが、「適応」という視点を持つことは大事だといえます。


ヒトは環境に適応することで進化し、生き延びてきました。
未熟な脳、身体で生まれてくることが、その人類の歩みを表しているといえます。
もし、まったく環境に変化がない世界だとしたら、柔軟に適応するための余地など残さない身体で生まれてくるはずです。
環境に適応できなければ、生きることも、自分たちの種を残すこともできません。
つまり、ヒトは環境適応を念頭に形作られており、柔軟に適応できるために繁栄してきた生き物だと考えられます。


このように考えると、子どもの発達は「環境への適応」と見ることもできます。
身体の形や機能など、基礎的な部分は受け継ぎ決められたものといえますが、どのように感覚を発達させ、どのように動きを発達させ、どのように知能を発達させるかは、環境によるところが大きいと思います。
環境が、その人のある部分の発達を促したり、抑制したりすることで、変化をもたらす。
ですから、より良く生きるとは、より多く、より高度に発達、成長することではなく、より環境に適した形で発達、成長することだといえます。


発達障害を持つ子ども達は、感覚や動き、認知に不具合があります。
感覚面に辛さがある子は、感覚面で環境との不適応を起こしているといえます。
その辛さを無くす方法には、二通りあります。
環境を変えるか、その環境に適応できるように育てるかです。
多くの特別支援は、本人に合わせて環境を変えます。
辛くなる刺激を統制することで、その場に適応できるように支援します。


もちろん、辛い刺激を制限し、心身を安定させることは大事であり、必要なことです。
しかし、環境を変え続けていると、その人工的な環境への適応が始まります。
その環境が居心地よくなりますし、目や耳がその環境に適した形で発達します。
それが進んでいくと、特別な環境ではうまく生活できるけれども、いったん外に出ると不適応を起こすようになります。
それを見て支援者が「ほら、環境調整が大事だ」と言いますが、自然な環境ではなく、特別な環境へと適応させてしまったともいえるのです。


子どもの育ちに関わる人間は、子ども達の生きる環境、将来、生きていく環境を念頭に置かなければなりません。
何故なら、ヒトは環境に合わせて発達する特徴を持っているからです。
特別支援、特に環境調整型の支援の弊害は、人工的な環境が、人工的な発達をもたらすところにあります。
本来、特別支援とは、将来、子ども達が生きていく環境に適応できるように育て、支援することが役割です。
しかし、一般的な環境に適応できない、不適応を起こしている子ども達、発達段階の子ども達に対して、適応できる環境を用意することは、根本的な問題の解決にはなりません。
そればかりか、ますます特別な環境でしか生きられなくなる人を作ることになるのです。


特別支援が、より専門的で、マニアックになっていくほど、ますます一般的な環境、将来、生きていく環境に適応できなくなる。
特別支援に熱心になればなるほど、一般的な環境で生きづらくなり、自立が遠のいていくのは皮肉なことです。
ヒトの歩みを考えれば、生きていく環境で不適応を起こしているのなら、そこで適応していけるような発達を援助していくのが自然な流れだと私は思います。


環境調整した中で、不適応行動を起こす子どもがいます。
支援者から見れば、環境調整の仕方が悪いということになりますが、子どもの視点に立てば、この環境が合わないという訴えです。
家庭や地域、社会の中で不適応行動を減らしていく、適応できるように成長していくのが望ましいことであり、目指すべき姿なのです。
特別な環境の中のみで安定しているのを喜ぶのは支援者だけ。
特別な環境が居心地悪くなり、不適応を起こすのは、ある意味健全なことであり、自立へ向かって歩みだした表れです。


目の前にいる子は、どこで適応し、どこで不適応を起こしているでしょうか?
その場所によって、適応の意味、不適応の意味が違ってきます。
将来、子どもに生きていってほしい場所、環境に合わせて、子ども自身も、子どもの脳も、身体も、感覚も育てていくことが大事だと考えています。

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