「褒められても、あまり嬉しく思いません」

自分が発達障害であることを伏せながら、一般企業で働く男性のお話。
彼は、とても真面目に仕事を行っており、上司や同僚、お客さんから評判が良い。
直接、仕事ぶりを褒められることも多いんだって。
でも、いろいろな人から褒められるんだけど、当の本人は何故、褒められるのかピンと来ていないし、嬉しいといった感情がほとんど出てこないと言っていました。
「じゃあ、どんなときが嬉しいのか」と尋ねたら、正社員に昇給したとき、自分が苦手だった仕事ができたとき、時間内に仕事がすべて終わったときとのこと。

こういった話を聞くと、やっぱりなと思うことがあります。
褒めるというのは、褒める側の価値観によって判断されること。
その価値観が共有できていない場合、褒められても「?」という感じになる。
褒める内容も、人によって違うし、その行動がいつも褒められるわけではない。
褒めるということの主導権は、あくまで褒める側にあり、状況や人、価値観によって褒められるかどうかは変わってくる(同じ行為をしても「当たり前だ」という人もいるし)。
この彼のように想像することが苦手な人の場合、ピンと来ないのも仕方がないのかもしれない。

だから、私は褒めることって、あまり強力なパワーを持っていないと思っています。
私はあまり褒めないし、褒める場合も具体的に表現します。
そして、目的は褒めることでやる気を出させることではなく、他人の価値観にはこういったものがあると伝えることです。
本人はイヤイヤお手伝いをしているかもしれないが、それによって助けられる人がいる、あなたの労力のおかげで、家族が別のことに時間が使えるようになるなどです。

よく"自己肯定感"などと言われますが、そのようなものは他人から与えられるのではなく、自分の身体を通して得られないと養われないものだ、と私は考えています。
彼は、仕事で失敗することもありますが、自分自身で"成長"を感じることで、自己肯定感を高め、明日の仕事へのエネルギーを蓄えているように感じました。

コメント

  1. 白崎やよい2015年6月22日 18:27

    私も褒められてもピンとこなくて、「何がそんなにすごいのだろう」と疑問に思っていたことが多かったです。自分でも頑張ったと思うことを褒められれば嬉しいですが、自然にできていることを褒められても戸惑ってしまいます。
    褒める目的が「他人の価値観にはこういったものがあると伝えること」というのはすごくわかりやすいです。大久保さん以外の人は別の目的で褒めるのかもしれませんが、「謎の褒め言葉」を受け取るときに「この人はこういうことをすごいと思うんだな」というように考えると、納得しやすいように思います。ありがとうございます。

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    1. 白崎やよいさんへ

      定型発達の文化ですと、褒めるということは「あなたと仲良くなりたい」「私はあなたの敵ではありませんよ」という意味を含む場合があります。
      また、褒められた方も極端なことを言えば、嘘でも褒めてもらうと嬉しく感じます。
      それが自分の自信のあること、努力したことであるかどうかは関係なく、褒められるという行為自体を嬉しく思う人も少なくありません。

      その道のプロの方に褒められると、自分のレベルの高さを感じ、技能や作品自体が褒められたという意味合いが強いと認識します。
      でも、その道のプロ以外の普通の人が褒める行為には、技能や作品のレベルの高さを褒めるというよりも、褒めることを通して好意的な気持ちを伝えているという意味合いが強いと言えます。
      ただ中には、あまりうまくないレベルのものに対して、もしくは褒めた人のレベルの方が明らかに高い場合に、わざと褒めることによって相手にネガティブな気持ちを伝えようとする場合もあります。
      これは"嫌味"というやつですね。

      このように"褒める"をまとめてみると、定型発達の文化では、技能や作品の評価を伝えるという意味合いよりも、好意的な"自分の気持ち"(時には悪意も)を伝えるという意味合いの方が強いのだと言えます。
      この辺が、自閉症の文化の人たちに「どうしてこんなことを褒めるの?」というような疑問につながるのかもしれませんね。
      言葉通りに受け取ると、褒めるは"評価"なんですけれど、意味合いは"気持ちを伝える"こと。
      ここにも文化の違いがありますね!

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