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公教育も投資

それが公的な教育であったとしても、子どもの未来への投資だと思う。 みんなから集めた税金で賄われているのだから、掛けた時間とお金に見合う結果が求められる。 小学生の我が子が、学校で読み書きなど基礎的な学力を身につけてこなければ、学校へ改善を求めるだろう。 では、特別支援学校の高等部を卒業した我が子が、生活する上で必要なスキルやコミュニケーションのスキルを身につけていなかったとしたら・・・。 普通学校と比べて、手厚い教員配置とスペースの確保。 小学部に入学してから高等部卒業までの12年間、時間と人数とお金をかけて教育が行われている状況。 高等部を卒業したとき、身の回りのことに関するスキルを身につけていないのは親の責任になるのだろうか? 高等部を卒業したとき、自傷や不適応行動が改善されていないのは障害だからしょうがないのだろうか? 入学した姿と卒業した姿が大きさ以外変わらないというのはあまりにも悲しすぎる。 「卒業後は、はいっ、福祉へ」というのでは、やむを終えない理由がない場合、12年間の教育は何だったんだろうかと思ってしまう。 障害のあるなしに関わらず、学校に対しては同じ見方をしても良いと思う。 学校は決して子どもを預かってくれる場所ではない。 子どもたちの未来を作るための教育が行われる場所である、と。 保護者の方たちは我慢する必要がないと思う。 親として子どもに期待することは当然の感情であり、適切な教育が受けられていないときには改善を求めても良いと思う。 アメリカのように保護者の方たちが、訴訟を起こすまでは必要がないと思うが。 卒業後、我が子のすべての生活を一人で抱え込んでしまっている保護者の方たちと接するたびに、私が思ってしまうことでした。

自閉症の人たちにとって大変な大学生活

大学に入る能力があったとしても、学生生活に適応することが難しい。 このような自閉症の人たちは多くいます。 大学の講義は変化が多くあります。 講義によって教室を移動しなければなりません。 教室に移動したあとも、座る席は決まっていません。 教室の数も多い分、環境の違いがあります。 教授の人数も多く、それぞれ教え方やレポートの提出の仕方の違いがあります。 その変化の多い講義も半年で終了し、また新たな講義が始まります。 このように自閉症の人たちの苦手な変化が、大学生活の中には多くあります。 また自分で計画を立てて行動しなければならないことも、自閉症の人たちが大学生活に適応することを妨げます。 大学の講義は自分で何を受講するか決めなければなりません。 講義ごとにレポート提出があり、それぞれまとまりがなく提出期限が伝えられます。 卒業論文は何をテーマにするかからすべて自分で決めて研究を進めていかなければなりません。 そして一人暮らしを始めた学生は、プライベートの生活全般に関わることも計画を立てて行動していく必要があります。 小学校から高校までの学校教育では、自分が決めることよりも学校側の決めたカリキュラムに沿って行動すれば良い環境だったと言えます。 また知識の習得に重点が置かれており、社会性のスキルの部分はおきざりにされていると言えます。 せっかく大学に入るだけの高い学力を持っている自閉症の人たちが、大学生活に適応できずにいる状況はもったいないことだと思います。 先を見通して高校を卒業するまでの間に、独りで生活できる力を身につけることや社会性のスキルについて学習しておくことが大切です。 また大学側も自閉症の人たちが学生生活に適応できるように、レポートの提出期限や試験時間の延長、代筆、カリキュラム作成の手助け、講義や研究に打ち込める環境の調整など柔軟な対応が必要だと言えます。 私は極端な意見かもしれませんが、大学4年間、自分の興味関心がある分野について研究するだけで良いのではないかと考えています。 それこそ大学4年間、卒業論文の研究のみ。 自閉症の人たちが持っている狭い興味関心は、専門的な研究に生かされる素晴らしい特性だと思います。 一般教養や基礎的、総合的な講義のために大学生活自体に負荷がかかるなら、それらの単位を取らなくても...

自閉症の人たちにとって『生活の質の向上』とは

自閉症の人たちの支援を行っている者同士で話していると、『生活の質の向上』に対する考え方に違いがあると感じることがあります。 「本人ができないことは支援者が手伝って、生活に不自由を感じないようにしてあげよう」というようにして、「生活の質の向上」を目指す人がいます。 このような考え方を持っている人は、福祉関係の支援者に多いと感じています。 支援者が積極的に出かけることや楽しめるイベントを実施することなどを大切にし、本人が楽しいと感じてもらい、その結果、充実した毎日の生活へとつながっていくと考えている傾向にあります。 一方、教育関係の支援者は、本人が生活に必要なスキルを身につけることによって、『生活の質の向上』を目指す人が多いように感じます。 支援者の手助けを借りずに、自分の力で生活できることが、充実した毎日へとつながっていくと考えている傾向にあります。 簡単にまとめると、福祉関係の支援者が「サポートの質、回数の増加=生活の質の向上」であり、教育関係の支援者が「独りでできることが増える=生活の質の向上」であるというような違いが両者にあると感じています。 福祉関係の支援者からすれば、「何もそこまで厳しく教えなくても、手伝ってあげればいいじゃない」「もっと一緒に楽しい活動をすればいいじゃない」と思われる教育関係の支援者。 教育関係の支援者からすれば、「そんなことまで手伝う必要があるの」「手伝ってもらうことが本人にプラスになるの」と思われる福祉関係の支援者。 私が経験した福祉と教育の現場で、それぞれこのような意見を持つ支援者は多くいました。 てらっこ塾でも、利用してくれた自閉症の人たちの『生活の質の向上」を目指しています。 私は本人が生活に必要なスキルを身につけ、独りでできることが増えることが『生活の質の向上』につながると考えています。 自閉症の人たちは、見通しを持って自分一人の力で活動を行うことにモチベーションが高く、喜びを感じる人たちであるからです。 では、支援者の手助けが『生活の質の向上』につながらないのかと言われれば、そうではないと思います。 知的障害があるなしに関わらず、自閉症の特性からも情報が複雑で、変化の多い世界で完全に独りで生活することは難しいからです。 私は自閉症の人たちが1つでも多くのことが独りでできるようになること...

精神科の薬を飲ませることに悩んだら

精神面で落ち着かず、精神科の薬を服用される自閉症の人も少なくないと思います。 自閉症の人たちは、私たちと感覚の違いがあるため、音や匂い、視覚的な情報に対し、私たち以上に大きなストレスを感じやすいと言えます。 また、周囲からの誤解や人間関係でうまくいかないこともありますので、その点でも私たちよりも多くストレスを感じていると思います。 保護者の方の中には、特に年齢が低い子の場合、我が子に精神科の薬を飲ませることに悩まれる人もいらっしゃると思います。 成長過程での服用の影響は・・・。 一度飲み始めたら、ずっと薬を飲み続けるようになるのでは・・・。 精神科の薬と聞くと、他の薬を飲むよりも躊躇してしまうのはもっともなことだと思います。 しかし、私は精神科の薬を飲むことは悪いことではないと考えています。 理由としては、この文章の初めに書いたような自閉症の人たちの特性から来るストレスが多いことが挙げられます。 自閉症の特性なので、自然に良くなるということはありません。 ですから、精神科の薬を飲むことによって少しでも気分が落ち着くなら、本人にとっては良いことではないかと考えます。 このように私は精神科の薬を飲むことは悪くないと考えていますが、一つ注意しなければならないと思っていることがあります。 それは精神科の薬を飲んだからといって、ストレスの根源はなくならないということです。 精神科の薬によって気分は落ち着くかもしれませんが、ストレスを生み出している点を改善しなければ、『薬に慣れる→再び気分が落ちる→薬の増加』の繰り返しになってしまう危険性があるからです(精神科の薬の増加は、素人目にも心身への負担が大きいと感じることが今までに多々ありました)。 精神科の薬は、自閉症の人たちの特性や考え方、認知の仕方自体を変えるものではありません。 支援している自閉症の人が精神科の服用を始めたり、飲んでいた薬が増量になったりしたときには、「猶予が与えられた」と私は思うようにしていました。 薬の力を借りて気分が落ち着いているうちに、環境の調整によってストレスの元を改善したり、必要なスキルを教えたりすることが重要だと考えています。 時に精神科の薬の力を借り、医療とも協力しながら、教育や支援を組み立てていくことも良い方法の一つだと私は考えています。

所属なし!しがらみなし!!

私の強みはどこにも所属していないことだと考えています。 どこかに所属していると守ってもらえたり、助けてもらえたりします。 しかし、その一方でその所属する組織の意向が自分の行動に影響しますし、大なり小なりの制限も出てきます。 所属がないということは、すべて自己責任という部分もありますが、それよりもしがらみがなく、誰とでもつながっていける、協力していけることが強みだと感じています。 これからの仕事は『つながり』がキーワードになると思います。 今までのように、同じ業種や組織の同じような考えを持っている者同士では、新しいものが生まれていかないと思います。 一人ひとりが持っている特徴や長所を結び付け、新しいものを生み出していく。 必要な部分、お互いがプラスになる部分、興味や考え方が同じ部分など、部分的なつながりによって柔軟に動くことができると考えています。 大きな組織や団体、行政が中心に行ってきた障害者支援の行き詰まりも、このような考え方が打破していくのではないでしょうか。 お年寄りと障害を持った人たちが結びつくと何か新しいものが生まれるかもしれません。 家を貸したい大家さんとつながり、障害を持った人専用のアパートだったり。 新聞やテレビ、ラジオとつながり、障害を持った人自身が記事を書いたり、番組に出演したり。 企業、農業、観光、行政、職人、留学生と障害を持った人たちがつながり・・・。 今まで一般的ではなかったつながりが、新しい価値観を生み出し、障害を持った人たちの就労や支援サービス、地域資源を作っていく可能性があると思います。 地域のいろいろな人たちつながり、お互いがプラスになる活動を通して、障害を持った人たちの生活の質の向上を目指していきたいと考えています。

"違い"が身近になる時代

息子が大人になったとき、外国の人と同じように、障害を持った人とも当たり前のように一緒に働くことになると思う。 子どもの数自体は減っているが、障害を持った子どもの割合は増えている。 この傾向は今後も続いていくだろう。 働く若い人たちが減るのだから、障害を持った人たちの働く力が今よりも必要になっていくからだ。 もうすでに障害を持った人たちが利用できる施設はほとんどなくなっている。 今後も施設自体がどんどん増えるということは考えにくく、障害を持った人たちは地域のグループホームやケアホーム、また自分でアパートを借りてサービスを受けながら生活する人が主流になっていくと予想できる。 そうなれば、現在の私たちよりも障害を持った人たちが身近な存在になり、一緒に地域のコミュニティーを築いていくパートナーとなるだろう。 息子には成長していく中で、障害を持った人と関わる機会を多くもたせたいと思っている。 そして経験と同時に、障害について"教える"ということも大事にしていきたい。 幼い頃は何も気にすることなく、障害を持った人と関わる息子も、いつか自分との違いに気が付くときが来るだろう。 そんなとき、その違いを遠ざけるか、知ろうとするかでそのあとが違ってくると思う。 違いに気が付いたとき、何故その違いがあるのかを知ることができれば、自分にとって相手は特別で遠い存在にはならないだろう。 息子たちの時代は、多種多様な価値観、文化を持つ人たちと一緒に社会を作っていくことになると思う。 今よりも"違い"が身近な時代になる。 障害も外国との文化の違いくらいの認識に変わっていくだろう。 自分との違いを理解し、違いがある人たちとうまく協同していく力が求められる時代は、もうそこまで来ている。 これから健常児と呼ばれる子どもたちに、障害について正しい知識を教えられる人材が求められてくると思う。 健常児も、障害を持った子も、共に学びあえ、プラスの経験ができる機会が提供できるようなサービスも行っていきたいと考えている。

10年先、20年先の函館を見る

現在、私は30歳。 まだまだ勉強が足りません。 コネも、お金もありません。 そんな私が起業を急ぐのには理由がありました。 それは10年後、20年後先を見たとき、今始めるべきだと考えたからです。 私は学校を卒業してからが人生の本番だと考えています。 例えば、3歳で自閉症の診断を受けたお子さんの支援に私が関わったとします。 その子が高等部を卒業し、社会に出るのは15年後。 15年後の私は45歳です。 45歳という年齢は、まだ現場の支援者としていられる年齢です。 それが起業が5年遅くなると私は50歳。 50歳という年齢は、後進の支援者を育て、徐々に道を譲り始める年齢だと思います。 (支援者は経験や知識も大切ですが、それよりもフットワークの軽さが重要だと考えています) 起業することが後になるほど、私も年を取ることになります。 ということは、関わったお子さんが学校を卒業し、社会に出て人生の本番を迎えるときの支援に責任が持てないということになります。 子どもが成人したとき、自分の持っている力を最大限発揮し、自分らしく充実した生活へ歩みだした時点で支援者としての責任を果たしたことになると私は考えています。 成人になったときの生活に責任を持てない状況で、あれこれ支援に口や手を出すことはいけないと自分自身で思っています。 そのように逆算して考えると、30歳の自分は早すぎず、遅すぎずの時期だと考えました。 10年前、私が学生だったとき、障害を持った子どもが学校以外で過ごせる地域の資源は限られていました。 それが今、選ぶことができる数だけ地域資源は増えています。 ある程度増えた地域資源は、今後10年で"数"から"質"へと求められるものが変わっていくと思います。 てらっこ塾は自閉症の人たちの学びをサポートします。 10年後、障害を持った子どもたちも、学校以外の場所で教育を受けることが、当たり前のようになると思います。 そして20年後には、そんな教育の場の"質"が求められる時代が来ると思います。 10年後、20年後、障害を持って生まれた子どもも、家族ももっと住みやすく、子育てしやすい地域、社会にするために今、一歩を踏み出すことが大切だと思い、てらっこ塾を始めるに至りました。