【No.1433】「耳は耳単独では耳にならない」
20年以上前になりますが、高校時代の生物の先生がこんなことを言っていました。
「耳は耳単独では耳にならない」
学校の勉強はそのとき、あまり必要性を感じない。
だけど、大人になっていろんな経験を積んでいく中で、「ああ、そういうことか」とその意味に気が付くことがある。
冒頭の生物の先生はどんなことを言っているのでしょうか。
耳という構造は、内耳、中耳、外耳という3つの構造からできていて、それぞれ音に関する鼓膜や耳小骨、蝸牛、平衡感覚に関する前庭と三半規管などがあります。
外から見える耳の形も、音(振動)が通っていく耳の中の形も、そこに意味がある。
こういった1つの構造、器官を取り出しても、それ単独では音も聞けないし、身体の傾きも感じることができません。
それぞれの器官が連携することで初めて機能が発揮されますし、受け取った刺激を認知するためには脳と神経線維で繋がっている必要がありますね。
つまり、いろんな構造、器官、機能が合わさることで発揮される仕組みになっているのです。
これは20年の時を経て、発達援助に大きな意味と気づきを与えてくれています。
昨日のブログのテーマであった「耳の発達援助」
聴覚に課題があるからといって聞く機能にばかりに注目してはダメなのです。
一時期、ビジョントレーニングなどというものが流行りましたが、目だけを訓練しても根本解決には至らない事実がその例の一つ。
感の良い方ならパッとお分かりになるでしょうが、言葉に出ない子に言葉の訓練をしても会話できるようにならない、知的障害のある子に勉強だけを教えても理解に繋がらない、多動児に座る訓練をしても変化がない、といった理由も気付くことでしょう。
聴覚の課題は音だけではなく、平衡感覚方面からのアプローチも必要です。
両方が耳としての機能だから。
そしてその耳はどう育てていくのか。
ヒトはどのように耳を育てていくのか、耳という器官は進化の過程でいえば、どういったところから発生しているか。
哺乳類の始まりといわれるネズミのときの耳はどんな音を聞いていて、我々とはどのような違いがあるのか。
こういった視点と知識が発達援助の”治る”を支えています。
私の好きな言葉である「治しやすいところから治す」@花風社さん
これはシンプルな方針に見えますが、とても深い意味を持っています。
たとえば「耳の課題」で説明すると、耳を治すには耳全体にアプローチする必要がある。
そして耳に出た課題は身体や脳の課題の一部が表面化したものと言えます。
さらに耳という部分は身体、脳と繋がっていますので、耳の課題が治れば、身体や脳の課題も治っていく。
「発達援助」「治る」と聞くと、「非科学的」と捉えてしまう人もいますが、20年以上、税金を注ぎ込んで行ってきた支援、療育よりもよっぽど科学的だといえるのです。
「治る」のは奇跡でもなんでもなく、ヒトの発達、生命に沿ったアプローチの自然な結果でしょ。
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