言語発達とリズム

「言葉の遅れ」と一言で言っても、その状態には幅があります。
まったく言葉を発しない、発声のみの状態から、言葉は話すけれども、単語レベルだったり、語彙が少なかったり、心情などの抽象的な概念の表現ができなかったり…。
当然、状態によって、背景や課題が異なりますから、ざっくり「言葉の遅れ」などとはいわず、詳しく確認する必要があります。


同時に、言葉に関して、どのような流れ、変化があったかを確認することも必要になります。
例えば、ずっと言葉を発しない状態が続いているのか、それとも、同世代の子ども達と比べて、1,2年の遅れはあるものの、ゆっくり発達、変化が見れれているのか。
ある程度の段階まで順調に発達が見られていても、ある段階にきたら、そこで急に止まった、なんてこともあります。


でも、大事なのは、変化があるか、あったのか、です。
変化が見られたなら、そこに発達の芽があるということ。
ゆっくり発達しているのなら、方向性は間違っていないので、あとは加速させる後押しを考えれば良いだけです。


以前、関わったご家族から「言葉が出るようになりました!」というお話を聞くことができました。
まだ幼い子どもさんだったのにもかかわらず、専門家からは「言葉の遅れがあるのが自閉症だから」ということで、言葉が出るのを望むよりも、代替手段を使ってコミュニケーションすることを勧められたとのことでした。
で、ご縁があって、相談に乗らせていただいたのです。


その子とお会いしたとき、確かに言葉は発していませんでした。
でも、多分、この子は言葉が出るんじゃないか、と思ったのです。
「もう少ししたら、しゃべると思いますよ」とも言いました。
その理由は、私が話している言葉の理解があったこと。
そして何よりも、「あー」とか、「うー」といった発声の段階ではありましたが、節が見られたことが大きな理由です。
節、つまり、リズムですね。
ただ「あー」とか、「うー」とか伸ばすだけだったり、空気を吐くに近いような短い音だけだったりすると、まだ言葉が出るのは先かな、と思いますが、そこに長短や強弱、リズムが出だしたら、そろそろ言葉が出るな、言葉の準備を頑張っているな、と思います。


どうして「節」「リズム」が言葉が出る予兆になるのか、と言われたら、経験則に基づくというのが正直なところ。
「言葉が出る前には、節の段階があったな」
「単調な発声だったはずだけど、なんか節が見られるようになったな」
そういった経験の積み重ねが、いつしか発達の予測に繋がりましたし、言葉を促す発達援助の方法として『リズム』をキーワードにするようになりました。
「言葉が出るようになりました!」と教えていただいたご家族にも、『リズム』から連想した遊び、運動を提案したのでした。


後付けの理由としましては、「音楽、メロディーに合わせて身体を動かす乳幼児は、言葉の発達が早い、豊かになる」という話と、まだ言語を持たなかった私達のご先祖様も、踊りやダンスはしていたそうですし、ヒト以外の動物でもリズムのある動きをするという話。
つまり、言葉、音声言語の前段階として、リズムがあると考えられます。


『リズムに合わせて身体を動かす』から…
「動きに強弱をつけられる身体」
「一定のリズムから変更ができる身体」
「リズムがわかる耳」
「空気振動がわかる耳、感覚、身体」
「重力と付き合える身体」
「刺激過多ではなく、刺激にも強弱、リズムを」
「生体のリズム、リズムのある生活」
なんていうような連想が生まれます。


施設で働いていたとき、利用者のほとんどの方は、明確な音声言語を持っていませんでした。
ですから、みなさん、「言葉の遅れ」があった。
でも、一人ひとりをみれば、「言葉の遅れ」にも段階、違いがあったのです。
ということは、ざっくり言えば、「言葉の遅れ」は診断基準にもなっている障害特性ではありますが、段階があるということは、発達してきた過去があり、発達する芽があるということだと、当時、私は思いました。
発達した過去があるのなら、可能性のある未来だってあるはずです。


言葉の遅れは、選択肢を狭めるのが現状です。
就学時、言葉の遅れがあれば、十中八九、支援級、支援学校を勧められます、というか、ほぼ決定されてしまいます。
そうして特別支援の世界に入っていくと、ざっくり「言葉の遅れ」になって、代替手段の使用、獲得、訓練へと進んでしまうのが大部分の子ども達。
ですから、「障害特性」などと言わず、できるだけ早い時期から取り組み、発達を促しておく必要があると思います。


極論ではありますが、意味が伴わなくても、意味理解まで育っていなかったとしても、ベラベラしゃべっていれば、ある程度、明確な言葉でしゃべっていれば、普通級にいけます、いける可能性が高いのです。
現実の話として、診断を受けていないアスペルガー、高機能の子ども達は、普通に教室の中にいますので。
また小学校低学年、中学年くらいまでは、どの子も、結構、意味不明なことを言っています。
まあ、そうやって定型発達と呼ばれる子ども達も、経験し、学び、言葉、言語の面でも発達していくということ。
つまり、話すのも、理解するのも、「完璧!」だから普通級に入るのではないということです。


定型発達の子ども達には、言語の面に関しても発達の猶予が小学校時代にあるのに、診断を受けた子ども達、特に言葉の遅れがある子ども達には、その猶予が与えられない場合もあります。
私は、学力の面で普通級で学んだ方が伸びるか、支援級、支援学校で学んだ方が伸びるか、だと思っています。
トラブルを起こさず、席に座ることができて、授業がわかったら、普通級で学べばいいと思います。
でも、現実は「言葉」の部分のウエイトが大きい。


いつになったら、真の特別支援教育、一人ひとりに合わせた学びができるのかはわかりませんので、言語発達の後押しを頑張ることですね。
まずは、言葉の遅れは障害特性という頭を切り替えることから。
重度、最重度で、行動障害も激しかった方達も、言葉の発達には違い、グラデーションがありました。
ですから、諦める必要はなく、子どもの内側にある発達の芽を見つめることが大事だと思います。

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