不満を持たれるような事業所を遺しているのは誰か?
サービスに不満があっても
子どもがイヤイヤ通っていても
全然支援してくれなくても
ただ部屋に鍵をかけて、見ているだけでも
ただ時間つぶしをしているだけでも
成長どころか、むしろ問題が増えても
スタッフが素人でも
通ってくれれば、1万円が入る仕組みになっているのです、児童デイは。
もちろん、より良い支援を、より良い時間を、と考え、技術とサービスの向上に努める児童デイはたくさんあります。
でも、それは個人という“人”がそうしているのであって、仕組みがそうなっているわけではありません。
お子さんが通っている児童デイの不満を言う人がいます。
「でしたら、通わなければいいじゃないですか?」というのが、私の意見です。
だって、お子さんの大事な時期、大事な時間なのですよ。
いくら放課後の数時間だったとしても、その子にとっては学びと成長の時間です。
私がこのようなことを言うと、「そもそも児童デイに期待していない」「怪我さえしなかったら、それで良い」「子どもが楽しんでいるようだから」などと返ってくることが多いですね。
児童デイは自腹で1万円を払っているわけではないので、「まずいけれど、使えるもんは使っとこ」という感じでしょう。
「放課後も、将来に向けてより良い時間を過ごしてほしい」と仕組みができ、予算がつき、広がってきた児童デイも、結局、誰の時間を良くしたのか、って感じです。
あと多いのが、「家で過ごせないから」という意見。
だから、不満があっても児童デイに通いますっていうのです。
でも、だったら、家で過ごせるようにするのが優先事項じゃないですかね。
家で過ごせない子が、児童デイに通ったからって家で落ち着いて過ごせるようになるわけではありません。
家で過ごせない子が、年齢を重ねていったら、どうなるでしょうか?
いつかは家で過ごせない“子ども”が、家で過ごせない“大人”になるのですよ。
卒業後、みんながみんな、グループホームや入所施設に入れたらよいけれど、もし通所施設しか利用できなければ、どうしますか、家での時間を。
休みの日だってありますよね。
ですから、児童デイの不満を言っている場合ではありません。
子どもの大事な時期、時間を不満があるような場所に通わせないでほしい、というのが私の願いです。
それは我が子にとっても、後輩たちにとっても良くないことなのですから。
冒頭で述べたように通い続けることで、事業所には1回1万円が入ります。
この1万円が入り続ける限り、事業所は続いていきます。
どんなサービスをしようとも、ただ見ているだけでも、事業所はやっていけるのです。
つまり、不満を持たれるような事業所を生き延ばしているのも、サービスが向上していかないのも、実は不満を持ちながらも利用している人がそうさせているともいえるのです。
いくら利用者の内側に不満があろうとも、事業者にとっては通う=支持されている、ということになってしまうのです。
後輩たちに、不満を持たれるような児童デイ、福祉資源を遺しているのは誰なのでしょうか?
児童デイだけではなく、就労支援、相談支援の事業所など、「無料だから」と言って、不満があるのに通い続けている人がいるから、どんどん質の低下を招いているのだと思います。
不満があるのなら、私にではなく、直接、言葉に出して、態度に出して、行動に出して表現しなければいけません。
一人ひとりがはっきり「支持しない」と表明する必要があるのです。
それが特別支援の質の向上へとつながり、未来の子ども達へのより良い支援へとつながっていくのです。
あなた達が嫌うギョーカイを生き延びさせているのは、不満を持ちながらも利用し続ける人達です。
ですから、もともとギョーカイを嫌い、ギョーカイと距離を取り、ギョーカイを潰そうとしている私に不満を言っても、何も変わらないのです。
不満があるということなので、利用していても、当然、お子さんの成長は期待できないでしょう。
それに親御さんが裏腹な態度をしているのでは、お子さんはまっすぐ育ちません。
そういうのが、分かりづらいのが、自閉っ子の脳みそでしょ。
混乱しちゃうのが、自閉っ子の脳みそでしょ。
誤って理解し、記憶し、実践しちゃうのが、自閉っ子の脳みそでしょ。
親御さんが内なる基準に沿って選択ができない、行動に移せない、いくら嫌な相手でも、いくらダメだと分かっていても「NO」が言えない、態度に出せないというのは、自閉っ子にとっては困るのです。
税金を使うことがダメだと言っているわけではありません。
でも、使うからには、良いものを遺してほしいと思うのです。
それは我が子の成長のための時間を、将来のための時間を。
そして、これから生まれてくる後輩の自閉っ子達のために、地域に良い資源を。
大人が「ダメなものはダメ」とはっきり伝え、行動することが、自閉っ子を育て、事業所を育てるのです。
一人ひとりにできることはあります、社会を良くするためにできることが。
子どもがイヤイヤ通っていても
全然支援してくれなくても
ただ部屋に鍵をかけて、見ているだけでも
ただ時間つぶしをしているだけでも
成長どころか、むしろ問題が増えても
スタッフが素人でも
通ってくれれば、1万円が入る仕組みになっているのです、児童デイは。
もちろん、より良い支援を、より良い時間を、と考え、技術とサービスの向上に努める児童デイはたくさんあります。
でも、それは個人という“人”がそうしているのであって、仕組みがそうなっているわけではありません。
お子さんが通っている児童デイの不満を言う人がいます。
「でしたら、通わなければいいじゃないですか?」というのが、私の意見です。
だって、お子さんの大事な時期、大事な時間なのですよ。
いくら放課後の数時間だったとしても、その子にとっては学びと成長の時間です。
私がこのようなことを言うと、「そもそも児童デイに期待していない」「怪我さえしなかったら、それで良い」「子どもが楽しんでいるようだから」などと返ってくることが多いですね。
児童デイは自腹で1万円を払っているわけではないので、「まずいけれど、使えるもんは使っとこ」という感じでしょう。
「放課後も、将来に向けてより良い時間を過ごしてほしい」と仕組みができ、予算がつき、広がってきた児童デイも、結局、誰の時間を良くしたのか、って感じです。
あと多いのが、「家で過ごせないから」という意見。
だから、不満があっても児童デイに通いますっていうのです。
でも、だったら、家で過ごせるようにするのが優先事項じゃないですかね。
家で過ごせない子が、児童デイに通ったからって家で落ち着いて過ごせるようになるわけではありません。
家で過ごせない子が、年齢を重ねていったら、どうなるでしょうか?
いつかは家で過ごせない“子ども”が、家で過ごせない“大人”になるのですよ。
卒業後、みんながみんな、グループホームや入所施設に入れたらよいけれど、もし通所施設しか利用できなければ、どうしますか、家での時間を。
休みの日だってありますよね。
ですから、児童デイの不満を言っている場合ではありません。
子どもの大事な時期、時間を不満があるような場所に通わせないでほしい、というのが私の願いです。
それは我が子にとっても、後輩たちにとっても良くないことなのですから。
冒頭で述べたように通い続けることで、事業所には1回1万円が入ります。
この1万円が入り続ける限り、事業所は続いていきます。
どんなサービスをしようとも、ただ見ているだけでも、事業所はやっていけるのです。
つまり、不満を持たれるような事業所を生き延ばしているのも、サービスが向上していかないのも、実は不満を持ちながらも利用している人がそうさせているともいえるのです。
いくら利用者の内側に不満があろうとも、事業者にとっては通う=支持されている、ということになってしまうのです。
後輩たちに、不満を持たれるような児童デイ、福祉資源を遺しているのは誰なのでしょうか?
児童デイだけではなく、就労支援、相談支援の事業所など、「無料だから」と言って、不満があるのに通い続けている人がいるから、どんどん質の低下を招いているのだと思います。
不満があるのなら、私にではなく、直接、言葉に出して、態度に出して、行動に出して表現しなければいけません。
一人ひとりがはっきり「支持しない」と表明する必要があるのです。
それが特別支援の質の向上へとつながり、未来の子ども達へのより良い支援へとつながっていくのです。
あなた達が嫌うギョーカイを生き延びさせているのは、不満を持ちながらも利用し続ける人達です。
ですから、もともとギョーカイを嫌い、ギョーカイと距離を取り、ギョーカイを潰そうとしている私に不満を言っても、何も変わらないのです。
不満があるということなので、利用していても、当然、お子さんの成長は期待できないでしょう。
それに親御さんが裏腹な態度をしているのでは、お子さんはまっすぐ育ちません。
そういうのが、分かりづらいのが、自閉っ子の脳みそでしょ。
混乱しちゃうのが、自閉っ子の脳みそでしょ。
誤って理解し、記憶し、実践しちゃうのが、自閉っ子の脳みそでしょ。
親御さんが内なる基準に沿って選択ができない、行動に移せない、いくら嫌な相手でも、いくらダメだと分かっていても「NO」が言えない、態度に出せないというのは、自閉っ子にとっては困るのです。
税金を使うことがダメだと言っているわけではありません。
でも、使うからには、良いものを遺してほしいと思うのです。
それは我が子の成長のための時間を、将来のための時間を。
そして、これから生まれてくる後輩の自閉っ子達のために、地域に良い資源を。
大人が「ダメなものはダメ」とはっきり伝え、行動することが、自閉っ子を育て、事業所を育てるのです。
一人ひとりにできることはあります、社会を良くするためにできることが。
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