福祉の世界で感じた体育会系のノリ(ブ)
小学生のとき、地域のサッカークラブに入っていました。
中学校にはサッカー部があったのですが、一度見学したら入部したい気持ちがなくなったのです。
雰囲気が合わないと感じたから。
どうも私は体育会系の雰囲気が合わないというか、嫌いなようです。
身体を動かすことは好きだったので、体育会系の匂いが少ない陸上部に入り、高校は憧れの高校球児に。
高校野球といえばバリバリの体育会系ですが、私が入学した高校は同好会の雰囲気があったので、入部を決意しました。
で、3年間、野球部で目一杯スポーツを楽しみ、大学では体育会系の匂いを嗅ぐことなく、4年間を過ごしたのです。
長く避けてきた体育会系の匂いを再び嗅ぐことになったのが、社会人になってからです。
配属された施設の扉を開けた瞬間、そこはまさに体育会系の匂い。
部室のような淀んだ空気に、職員から漂う体育会系の雰囲気。
心身共にタフさが求められる施設だからこそ、こういった人員が求められるのだ、と解釈していました。
私も働き出して数年が経つと、後輩たちも大勢入ってきます。
すると、体育会系の雰囲気を持った人が多い多い。
どうして体育会系ばかり?と思っていたら、その答えを教えてくれた後輩がいました。
「専門学校でも、福祉系の大学でも、就職先が決まらない学生の中で、「とにかく体力だけあります!」みたいな学生がいたら、福祉施設を勧めるんです、担当教官も、就職担当の職員も」
これを聞いて、なるほどと思いました。
私は教育大だったので、福祉の世界はぜんぜん知りませんでした。
でも、気が付けば、福祉施設には保健体育の免許を持つ人が少なくない。
私のような特別支援の教員免許と同じくらいいる。
つまり、保健体育の教員は、小学校や特別支援学校、中学高校の主要五教科の採用と比べて、かなり採用枠が少なく、免許を持っていても、よっぽど優秀な人でない限り教員として働くのは難しい。
そうなると、福祉が就職候補に上がってくる。
だって、教員免許ほど、潰しが利かない免許はないから(ブ)
ほとんどの教員は、教員以外で働くのは難しい人ばかり(ブ)(ブ)
だから、体育会系の人が福祉の世界に集まりやすいのだと思いました。
上を見ても、体育会系ばかり。
下を見ても、体育会系ばかり。
そりゃあ、いくら療育の考えが入ろうとも、ノリは体育会系から変わらない。
自分たちが知っているのは、先輩からのしごき、監督からの理不尽な懲罰、とにかく耐えれば&鍛えれば身につく、という受けてきた指導。
よく福祉事業所で、職員からの虐待の話が出てきますが、あれは本人からしたら指導しているつもりでいるのが多いと思います。
だって、きちんとした指導方法なんて知らないし、モデルになるのは部活の先輩と監督くらいだから。
「遊びのつもりで」とか、「スキンシップで」とか、「利用者さんには愛情を持って接してきました」なんてコメントする職員もいますが、あれは全部体育会系のノリで利用者さんと関わっているだけ。
それが社会一般では認められない行動だし、外から見れば虐待、イジメにあたることに気が付いていない。
だって、体育会系のノリでは許されてきたことだから。
こういう社会一般の常識は上司が指導するはずなんだけど、上司も体育会系だったりすると、一緒に楽しんじゃうバカもいるのです。
障害者福祉の世界にいましたが、そこにいたのは兄弟に障害を持った子がいた人、自分がしてほしかった支援をすることで、過去の自分を癒そうとする人、弱い立場の人と関わることで、自分の存在意義を確かめようとする人、そして体育会系の人ばかり。
志をもって福祉の世界に進んできた人も少なからずいますが、そういった人は長く施設にはいないのです。
大学時代、飲み会でバカ騒ぎしている学生を横目で見て、「私は、こんなつもりで大学に入ったんじゃない」と嫌悪感を懐きませんでしたか?
あのときと同じ気持ちになるのです、福祉の世界にいると(ブ)
ですから、志ある者は福祉の世界に入ると、すぐに出たくなるのです。
中学校にはサッカー部があったのですが、一度見学したら入部したい気持ちがなくなったのです。
雰囲気が合わないと感じたから。
どうも私は体育会系の雰囲気が合わないというか、嫌いなようです。
身体を動かすことは好きだったので、体育会系の匂いが少ない陸上部に入り、高校は憧れの高校球児に。
高校野球といえばバリバリの体育会系ですが、私が入学した高校は同好会の雰囲気があったので、入部を決意しました。
で、3年間、野球部で目一杯スポーツを楽しみ、大学では体育会系の匂いを嗅ぐことなく、4年間を過ごしたのです。
長く避けてきた体育会系の匂いを再び嗅ぐことになったのが、社会人になってからです。
配属された施設の扉を開けた瞬間、そこはまさに体育会系の匂い。
部室のような淀んだ空気に、職員から漂う体育会系の雰囲気。
心身共にタフさが求められる施設だからこそ、こういった人員が求められるのだ、と解釈していました。
私も働き出して数年が経つと、後輩たちも大勢入ってきます。
すると、体育会系の雰囲気を持った人が多い多い。
どうして体育会系ばかり?と思っていたら、その答えを教えてくれた後輩がいました。
「専門学校でも、福祉系の大学でも、就職先が決まらない学生の中で、「とにかく体力だけあります!」みたいな学生がいたら、福祉施設を勧めるんです、担当教官も、就職担当の職員も」
これを聞いて、なるほどと思いました。
私は教育大だったので、福祉の世界はぜんぜん知りませんでした。
でも、気が付けば、福祉施設には保健体育の免許を持つ人が少なくない。
私のような特別支援の教員免許と同じくらいいる。
つまり、保健体育の教員は、小学校や特別支援学校、中学高校の主要五教科の採用と比べて、かなり採用枠が少なく、免許を持っていても、よっぽど優秀な人でない限り教員として働くのは難しい。
そうなると、福祉が就職候補に上がってくる。
だって、教員免許ほど、潰しが利かない免許はないから(ブ)
ほとんどの教員は、教員以外で働くのは難しい人ばかり(ブ)(ブ)
だから、体育会系の人が福祉の世界に集まりやすいのだと思いました。
上を見ても、体育会系ばかり。
下を見ても、体育会系ばかり。
そりゃあ、いくら療育の考えが入ろうとも、ノリは体育会系から変わらない。
自分たちが知っているのは、先輩からのしごき、監督からの理不尽な懲罰、とにかく耐えれば&鍛えれば身につく、という受けてきた指導。
よく福祉事業所で、職員からの虐待の話が出てきますが、あれは本人からしたら指導しているつもりでいるのが多いと思います。
だって、きちんとした指導方法なんて知らないし、モデルになるのは部活の先輩と監督くらいだから。
「遊びのつもりで」とか、「スキンシップで」とか、「利用者さんには愛情を持って接してきました」なんてコメントする職員もいますが、あれは全部体育会系のノリで利用者さんと関わっているだけ。
それが社会一般では認められない行動だし、外から見れば虐待、イジメにあたることに気が付いていない。
だって、体育会系のノリでは許されてきたことだから。
こういう社会一般の常識は上司が指導するはずなんだけど、上司も体育会系だったりすると、一緒に楽しんじゃうバカもいるのです。
障害者福祉の世界にいましたが、そこにいたのは兄弟に障害を持った子がいた人、自分がしてほしかった支援をすることで、過去の自分を癒そうとする人、弱い立場の人と関わることで、自分の存在意義を確かめようとする人、そして体育会系の人ばかり。
志をもって福祉の世界に進んできた人も少なからずいますが、そういった人は長く施設にはいないのです。
大学時代、飲み会でバカ騒ぎしている学生を横目で見て、「私は、こんなつもりで大学に入ったんじゃない」と嫌悪感を懐きませんでしたか?
あのときと同じ気持ちになるのです、福祉の世界にいると(ブ)
ですから、志ある者は福祉の世界に入ると、すぐに出たくなるのです。
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