「すべてお任せしま~す」ってイイの!?
「私がさせてあげられないから、ここで経験させてください」と言って利用する親御さんがいるという話を児童デイのスタッフさんから聞きました。
もちろん、おっきな遊具や集団遊びなど、家庭でできない経験、児童デイなどの機関でしかできない経験ってあると思いますよ。
でもね、この親御さんの発言は、「自分じゃできないから、お願いね」っていう責任の放棄の匂いがするんです。
このような親御さんが多いと嘆いていましたね。
私のところにも、このような親御さんからの依頼がきます。
でも、私は断るようにしています。
だって、障害があろうがなかろうが、子どもを育てるのは親の務めなのですから。
「すべてお任せしま~す」という言葉は、支援する側からしたら楽なのですが、それじゃあ、子どもは変わらないし、成長しません。
親御さんが主体性を持って、しかも本気で育てようとするときに、子どもも真剣に伸びていくのだと思います。
親が主体性も、本気度も、責任感もないのに、子どもがちゃんと主体性を持って、自分の人生を歩むことができるようになると思いますか??
昔の冷蔵庫マザーの寄り戻しで、「親のせいではありません」という言葉が大きな顔をしていますが、「それって親のせいじゃん」ってこと多々ありますよ。
当たり前ですよね、親が大きな影響を与えるのって。
親のお腹の中から生まれてくるんだし、土台作りの時期に親がメインで関わるのだから。
一番近くにいるモデルでもあるんだし。
支援者だって「親のせいではありません」なんて表では言っていますが、裏では「あの親がー」ってみんな言ってますよ。
どの口が、親御さんにエラソーに講演しているのかなんて思うこともあります。
「私のやり方で、ダメなこと、足りないこと、気がついたことがあれば、何でも言ってください」と言われる親御さんは好きですね。
もちろん、親御さんの本能でやっていることにダメなことはあるとは思いません。
でも、こういった発言からは、親としての自覚、主体性、積極性、本気度が伝わってくるんですね。
こういったご家庭の場合、どんな状況であろうとも、子どもはしっかり伸びていきますし、変わっていきます。
「親御さんの主体性を奪わないように気を付けなきゃな」と思える関係性がいいですね。
「親御さんが主体性を預けてきちゃったよ、参ったな」という関係性よりも。
それにしても、児童デイが家庭、学校との相乗効果よりも、親の主体性を奪うリスクになっていることに不安を感じますね。
もちろん、おっきな遊具や集団遊びなど、家庭でできない経験、児童デイなどの機関でしかできない経験ってあると思いますよ。
でもね、この親御さんの発言は、「自分じゃできないから、お願いね」っていう責任の放棄の匂いがするんです。
このような親御さんが多いと嘆いていましたね。
私のところにも、このような親御さんからの依頼がきます。
でも、私は断るようにしています。
だって、障害があろうがなかろうが、子どもを育てるのは親の務めなのですから。
「すべてお任せしま~す」という言葉は、支援する側からしたら楽なのですが、それじゃあ、子どもは変わらないし、成長しません。
親御さんが主体性を持って、しかも本気で育てようとするときに、子どもも真剣に伸びていくのだと思います。
親が主体性も、本気度も、責任感もないのに、子どもがちゃんと主体性を持って、自分の人生を歩むことができるようになると思いますか??
昔の冷蔵庫マザーの寄り戻しで、「親のせいではありません」という言葉が大きな顔をしていますが、「それって親のせいじゃん」ってこと多々ありますよ。
当たり前ですよね、親が大きな影響を与えるのって。
親のお腹の中から生まれてくるんだし、土台作りの時期に親がメインで関わるのだから。
一番近くにいるモデルでもあるんだし。
支援者だって「親のせいではありません」なんて表では言っていますが、裏では「あの親がー」ってみんな言ってますよ。
どの口が、親御さんにエラソーに講演しているのかなんて思うこともあります。
「私のやり方で、ダメなこと、足りないこと、気がついたことがあれば、何でも言ってください」と言われる親御さんは好きですね。
もちろん、親御さんの本能でやっていることにダメなことはあるとは思いません。
でも、こういった発言からは、親としての自覚、主体性、積極性、本気度が伝わってくるんですね。
こういったご家庭の場合、どんな状況であろうとも、子どもはしっかり伸びていきますし、変わっていきます。
「親御さんの主体性を奪わないように気を付けなきゃな」と思える関係性がいいですね。
「親御さんが主体性を預けてきちゃったよ、参ったな」という関係性よりも。
それにしても、児童デイが家庭、学校との相乗効果よりも、親の主体性を奪うリスクになっていることに不安を感じますね。
先日ある会議があって
返信削除児童デイサービスの話になりました。
私は保護者として
「子育てが大変なのは私も経験しているので理解はできるけれど、あまりにも丸投げな状態に危機感を持っている」と発言しました。
児童デイサービスが無い時代に子育てをしたので日々大変でしたが
家での過ごし方や公共のマナーなど
親だからできる支援を工夫してきました。
今のご時世親も働いているので
私のような専業主婦と比べられたら嫌な方もいるかと思いますが
デイサービスの利用は色々な体験ができる土台ができてからで良いのではと思っています。
小さい時だから親子で出来ることもあると思うので。
後、学校へのお迎えがほぼデイサービスの職員で保護者が来なくなり
保護者間の交流が激減しました。
井戸端会議のようなたわいもない話から
子育てのヒントをもらったり励まし合ったりしたものです。
もちろん児童デイサービスを否定しません。
高校生の時にはお世話になりましたし
本人も行くのを楽しみにしていましたから。
ななつぼしさんへ
削除禿同です!
児童デイは家庭の役割を担うために存在しているわけではありませんね。
身辺処理や基本的な生活習慣などは、家庭で教えること。
でも、家では全然教えず、「お願いします」と児童デイに言う親御さんが多いそうです。
これでは、土台ができていないうえに、せっせと「いろんな経験」を載せているようなもの。
結局、何を載せようとも崩れていくのは目に見えています。
障害があるとは言っても、子育ては子育てです。
朝学校に送って、夕方児童デイの車が家につくまで、子どもとまったく顔を合わせない日々。
結局、夜ご飯食べて、お風呂入って、寝て、起きて、朝ご飯食べて、学校…。
これくらいでは、何も教えられないし、子どものことも知れないのだと思います。
ですから、支援ミーティングで我が子のことを訊かれた時に、「わかりません」と答えるのが増えたのでしょう。
以前の親御さんだったら、あり得なかった話です。
親御さんは児童デイのおかげで、仕事ができるようになったかもしれませんが、この子たちは将来、ちゃんと仕事できるかな、と思います。
あまりにも土台ができてなさすぎる。
支援者が子育てを療育にし、その療育の言葉が親の子育ての力を削いでいるような感じです。
医師や支援機関は、とにかく児童デイを勧めますが、この人達は本当の子育てを知らないし、親には療育ができないと思っている人達です。
第一、親と違って、将来の責任は取りません。
我が子の将来に責任が持てるのは親だけです。
医師も、支援機関も、児童デイも、成人した後は知りません。
そんな人達に任せてはいけませんし、利用しなければなりません。
利用するには、親が主体性を持っていること。
丸投げしたら、その分だけ、将来苦労するのは親であり、子どもたちなのです。
本当に、今の現状に将来を危惧しています。