アセスメントだけしても、実生活は変わらない

学生時代、「良いものを見せてやる」と、エラソーな学校のエラソーな先生が、エラソーに子どもの発達検査をしているところを見せてくれたことがありました。
検査は、午前中いっぱいかかりましたね。
そして出た結果が、視覚優位で、細かい作業が苦手。
指示は1つずつで、視覚的な手立てが必要、特にスケジュール。
マッチングは得意だが、集中力が短い…まあ、こんな感じでした。
「これって授業を潰してまでやることか?というか、毎日、授業やってたら、わかることでしょ」というのが、そのときの感想です。

エラソーな先生は私に対して満足気に説明し、保護者に資料として渡すと言ってました。
でも、この検査、アセスメントって、教師の自己満足以外の何物でもないと思いますね。
「検査できる俺ってかっこいい」
「どうだ、この資料、すごいだろ」
まあ、こんな感じですね。
支援者特有の自分で頑張って、自分で気持ちよくなってるやつです。
ちなみに、私はこういった姿を“支援者のマスターベーション”と呼んでいます。
自分だけ気持ちよくなってて、周りから見たらただキモチワルイだけだから(ブ)

私も、仕事でアセスメントすることがあります。
でも、アセスメントだけでお金を取ろうとは思いませんね。
あくまで成長や発達を援助することが仕事であって、それを本人も望んでいるので。
「あなたは、こんな特徴がありますよ」と言われるだけでは、実際の変化は起きません。
アセスメントってより良い変化をもたらすための準備、確認作業でしょ。
実生活が変わらないのに、金を取るなんてぼったくりです(*個人的な見解)。

まあ、アセスメントだけで何十万もとるようなところは、まだ存在しているようですが。
アセスメント資料を見せてもらったことがありますが、「こんな情報量で、〇十万!?」とびっくりぽんでしたね。
親御さんの方も、金額が見える分、「こんだけのことを我が子にやった」という満足感が得られるから商売が成り立っているのでしょう。
満足感なんて見えないし、満たされていない人ほど「金額はいかほどでも~」となりますからね。

時間とお金を使い、高額なアセスメント資料は手元にあるけれど、実生活は生きづらいまま…なんてことはよくある話です。
学習塾に行ってテストしかしなかったら、文句言うでしょ。
「点数は分かったから、勉強教えて」って。
プール教室に行って「あなたの子は、まだ泳げませんね」と言われて帰って来たら、「わかってます。泳げないからプール教室に通わせてるんでしょ」ってなりますよね。
親御さんも勉強しなければならないと思います。
専門家という名に踊らされて、言われるがまま有難がってはいけません。
親御さんも、日々、一緒に生活しながらアセスメントしているのですよ。
親御さんが子どものためにできることって、お金とか、環境とかに左右されず、たくさんあると思います。

そして、アセスメントにしろ、支援にしろ、療育にしろ、誰の満足感になっているかを意識しなければいけないと思いますね。
「我が子の今の、未来の満足感へとつながっているだろうか?」
「親である自分の心を満たすための支援になっていないだろうか?」
こういった視点も大事ではないでしょうか。
アセスメントは活かしてナンボです。

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