「僕の将来の夢は、総理大臣になることです」という発言に、どんな言葉をかけるか

先日、ある会に呼ばれたとき、参加していた中学生の男の子が次のように発言しました。
「僕の将来の夢は、総理大臣になることです」と。
総理大臣になって住みやすい社会に変えるのが、目標だそうです。

周囲には、支援者と呼ばれる人達がいました。
彼の発言を聞いて、ある人は「総理大臣になるためには、話す練習をしなきゃね」と言い、別の人は「それじゃあ、中学校の勉強を頑張らなくちゃね。宿題もちゃんと一人でできるようにね」と言いました。
どこでも聞くような定型の発言だったので、そこまで驚きませんでしたが、次の発言には絶句しました。
「総理大臣になったら、一緒に写真を撮ってね」と、また別の人が言うのです。

私は夢を語ることも、夢を見ることも、否定しません。
でも、現実を教えることも重要だと思います。
ですから、私ははっきり彼に伝えました。
総理大臣になるには、選挙に出て当選し、国会議員になる必要があること。
総理大臣、国会議員に選ばれるためには、交渉する力、高度なコミュニケーション力、社会性、さらに目に見える形での実績が求められるし、それがあったとしても、選ぶのは他人であるということを。
その場にいた私以外の人間が絶句したのは、言うまでもありません(笑)

無責任な発言をした人達も、心の中では無理だと思っているのでしょう。
どうせ時間が経てば、「別の夢に」とか、「私は彼の進路のときには関わらないし」とか、思っているのでしょう。
でも、その人達にとって“軽い発言”だったかもしれませんが、彼はそのように受け取っていないのです。
言葉通り受け取る子です。
言葉の裏が読めないのです。
彼の視点に立つと、こう思ったでしょう。
「僕の夢は支持された、応援されている」
「総理大臣になるために、中学校の勉強を頑張ろう」
「中学校の勉強を頑張ったら、総理大臣になれる」

これって私のオーバーな想像ではないんですよ。
自閉症の人達の誤学習の中には、こんな何気ない他者の言動が多いんです。
定型と非定型のコミュニケーションのギャップから、相手が自分に好意があると勘違いしてストーカーしたり、「自閉症には才能がある」という言葉を信じ、でも、社会でうまくいかず、世の中を恨んだり…。
社会の中で起きるトラブルの多くは、その背景に誤学習があるんです。
どうしますか、彼が総理大臣になれると信じて、これからの人生を歩んだら。
それが不可能だという事実をつきつけられたとき、誰が彼をフォローするんでしょうか。
誰が彼のショックと向き合うのでしょうか。
私たちと同じように、年齢を重ねていく中で、「プロ野球選手は無理か」「総理大臣になるには、足りないものばかりだな」と、全員が自ら気づけるわけではないのですから。

その場にいた人達は、「そんなにムキにならなくても」「優しさのないヤツだ」と、私のことを思ったでしょう。
それは、まったく違います。
ムキになる必要がある人達なんです。
明確に事実を伝えることが優しさなんです。
脳のタイプが、我々と違う人達なのですから。

最後に彼に言いました。
「総理大臣になっても、〇〇君が住みやすい社会に変えることはできない。世の中の人達が住みやすい社会に変えるのが、総理大臣だし、国会議員なんだ」と。
そうしたら、彼は「自分の好きなように日本を変えれないのなら、やめよっかな」と。
端から、彼が見ているところは違っていました。
それなのに、支援者としてお金を貰っているような大人たちが、総理大臣発言に乗って、誤学習させるなんて*×@?!m◎

似たような場面は、日常的にあるのでしょう。
そんなとき、誤った優しさが、誤った認識、学習へとしてしまうのです。
真の優しさとは、きちんと情報提供すること。
それができないのなら、彼らと関わってほしくないと思うのが、正直なところです。
本当に多いんです、定型文化の優しさが、結果的に彼らの人生を暗闇へと導いてしまうことが。
本当に多い…。

コメント

  1. こういったお話を聞くと発達障害をもった息子と どう接したらいいのか わからなくなってしまいます。
    私も今まで 息子に散々誤学習させて来たんでしょうね…

    私に出来ることは 大久保さんに頼ることだけでした。

    でも そのおかげで 先日「産んでくれてありがとう‼」とLINEで言われました。
    その息子からは聞けると思っていなかった言葉だったので 号泣しました。

    他の子たちは口にだして言わなくても 気遣ってくれたり さりげない優しさだったり…とありますが その息子は逆のことしか言わなかったので 本当にそんな言葉が聞けるとは思ってもいませんでした。

    まだまだ 先は長いかもしれませんが 地に足をつけた生活を送れるよう これからも宜しくお願いします。

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    1. toscoさんへ

      それは嬉しい出来事でしたね。
      「産んでくれてありがとう」というメッセージから、彼の成長を私は感じました。

      定型と非定型の人との間には、ギャップがあります。
      今までの彼は、自分の尺度(非定型)で物事を捉えていましたが、定型の尺度があることを少しずつ学び、理解してきたのだと思います。
      自分の尺度を変えるのではなく、相手の尺度に合わせるのではなく、相手の尺度を知り、理解することが生きづらさから解放してくれると考えています。
      彼は生活が整い始め、脳に余裕が生まれてきたことから、そこに新たな学びが入るようになったのでしょう。

      彼は新しい生活、成長への道を歩み始めていますので、もう過去のことを悔やまない方が良いと思います。
      「接し方が悪かった」「たくさん誤学習をさせてしまった」と悔やんでも、子どもの頃に戻って、もう一度、子育てができるわけではありません。
      そして、過去の自分を悔いる親の姿を見て、彼はどう思うでしょうか。
      もし、彼のこれからの人生を応援しようと思っているのでしたら、後悔している姿ではなく、一人の大人として、若者の成長を温かく見守る姿を見せて欲しい、と私は思います。

      彼はもう成人しています。
      そして、新しい生活を歩み始めています。
      ですから、距離を離していくことも大事です。
      私だって、他の支援者だって、彼の人生に介入することはできません。
      彼自身が、自分の人生をどう歩みたいのか、どう歩むのかにかかっているのです。
      自分の未来を変えられるのは、彼自身です。

      親としての後悔から、何かをしてあげたいと思うのは、自然な感情ではありますが、それが却って、プレッシャーになったり、過去にとらわれてしまうことになったりし、歩みを妨げることもあります。
      接し方は変える必要はありませんが、非定型の人には「嘘をついてはいけないこと」というポイントだけ押さえて頂き、あとは彼の自立のため、少しずつ距離を離していってもらえれば、と思っています。

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