「場所は提供するから、あとはご自由に」って時間を消費する

毎年、この時期は、いろいろな物を貰えます。
みかんに、ジュース、お菓子など。
この前は、今、流行のジブエ、シカ肉を頂戴しました。
みなさん、訪問すると、「この道の中、よく来てくださいました」と言って、帰り際には「持ってって」とプレゼントを渡してくれるんです。
移動に、神経も、時間も、かかるので、「その分かな」と思い、ありがたく頂戴しています。

私は、発達援助の技術を売って商売をしているのですが、合わせて時間も売っているのだと思います。
実際に本人とトレーニングをしている時間はもちろんのこと、移動の時間、事前の準備と事後のフィードバックの時間、そして技術向上のための自身の勉強の時間なども必要であり、それも売っているのだと言えます。
本人と対面する時間以外も大事な商品ですので、大切にしなければならないと意識しています。

こういった「時間とお金」ということを意識してみると、新たな視点で物事が見えるようになりました。
例えば、ミーティング。
よく遅刻してきたり、本筋と違う話をしたりする人がいますねー。
その影響で進行が止まったりする。
ミーティングの場に10名の人が参加していたとしたら、1分誰かの影響で関係のないことに時間を消費しちゃうと、10人分の1分を消費したことにもなりますね。
合計10分無駄にしたとも言えます。
その一人の無駄遣いが2分になったら2倍の20分…。
その人以外の人も、時間を無駄遣いしちゃうことがあれば…。
すぐに60分くらいになってしまいます。
自分にとっては、ほんの少しの時間でも、こういった視点で見れば、他人の時間をたくさん使ってることってあるんですよね。
時間だけ長くて、中身のないミーティングだった、と感じるのは、こういったことがあるかもしれませんね。
会議に出れば、その組織の未来が見えちゃいます。

講演会だって、知ってることや自分で調べられることだったら、その話の間は無駄な時間になっちゃうわけです。
時間をかけて講演会場に行き、2時間、3時間、話を聞く。
そして、その中で得られたのが、5分間くらいの内容だったら、残りの時間は無駄になってしまう。
この頃、モッタイナイと思う講演会ばかりだから、ぜんぜん行かなくなっちゃいました。
その時間があるんだったら、仕事をして直接的な発達援助に使いたいですし、自分で勉強だってできますからね。

特別支援の業界って、「この人のために時間を使ってます」みたいな時間をかけていることに重きが置かれているように感じるんですよね。
休日にプライベートな時間を使って講演会に行きましたとか。
一人の子どものために、いろいろな職種の人が集まりミーティングしましたとか。
これだけ多くの支援グッズを作りましたとか。
仕事の時間を使って相談に乗りましたとか。
でも、本当は「時間をどう有効に使えたか」が大事だと思うんです。
プライベートの時間をいくら研修に使おうとも、いくら長い時間相談に乗ってもらったとしても、当事者の人たちにプラスにならなければ…以下略。

相談に行っても、教科書通りのアドバイスしかもらえない。
(本人を連れての移動って労力も、時間もかかるのにー)
待合室で待たされて、結局、「様子を見ましょう」で、いつもの薬を処方。
(だったら、投薬のみで良いんじゃない)
児童デイに通って、DVDを観て過ごす。
(1日1万円の税金の使い方としてどうなのさー)
もう少し支援する側の意識として、相手の時間を想像する必要があるんじゃないかな、と思いますね。
時間とお金を使って利用してくれているという意識があれば、もっと結果にこだわった支援やアドバイスをしなくてはならないってなると思うんですよ。
っていうか、本来そうでなければならないんですけど。

直接、利用料を貰って仕事をしているので、このように感じるのかもしれませんね。
でもね、大事な他人の時間を使っているからこそ、有意義な時間になるよう最大限の努力をする必要があるんと思うんですよ。
学校も、福祉も、医療も、預かりメインの場所ではないはずですから。
「場所は提供するから、あとはご自由に」っていう看板が見えたらダメですね。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題