長い支援ミーティングはお断り
企業の側からすると、正直、支援機関がウザいらしい。
営業時間に1時間。
長い人だと2時間くらい支援ミーティングが続き、時間がとられていく。
通常の仕事がある一方、関係がある職員はミーティングに参加しなければならない。
「時代の流れとして、障害を持った人たちにも働いてもらう意義はわかるけど、企業側のことも考えて欲しい」というのが本音。
「時間を使うということは、他人の時間を使うということがわかっていない」というご意見も、私はごもっともだと思う。
だいたい私も呼ばれる支援ミーティングは長い。
「この人達は長い時間をかけることが良い話し合いだと思っているの!?」
「他人の時間を消費しているというのが、わかっていないの!?」
と感じるようなことは多々ある。
最初の支援機関のアプローチで、「ウザい」「面倒くさい」と思われたら、かなりの躓きだと思う。
「作ったサポートブックに意見が欲しい」という依頼も結構ある。
私はビジネスとしてやっているから全部見ますが、正直、しんどいと思うことがある。
将来を見据えて、一生懸命作られているのはよくわかるが、だいたい熱心な方ほど、分量が多い。
文字だけではなく、絵や写真もふんだんに使い・・・。
企業に置いてあるようなでっかいファイルをどんと置かれたときには、ビックリした。
サポートブックは、家族が見るものではなく、支援する人が見るもの。
だから、他人が見てくれるものであるのが大前提。
何十ページもある膨大な資料を端から端まで読んでくれる人はどれくらいいるだろうか。
施設で働いていたときも、同様にサポートブックを渡されることがあったが、だいたい見ない。
すべて読んでいる時間があったら、実際に子どもを見た方が早いから。
見ることがあっても、わからないことをポイントで見るだけ。
支援者がしんどいなと思うものは、一般の人はかなりしんどい。
ときどき、一般の就職先に渡そうとする方もいますが、渡された方が困ってしまう。
一般の人はサポートブックを見ただけでプレッシャーになるし、「読んでる暇がないよ」という気持ちが先行するのが当然。
障害を持った人と働くことは選択したかもしれないが、「障害を持った人の支援者になろう」とは多くの人は思っていない。
サポートブック自体は否定しないし、自分で伝えられない人は双方をつなぐ重要なものだと思う。
でも、自分で説明できる可能性がある人は、それを目指した方が良いと思う。
私が支援に携わっている大学生たちは、みんな「どういった配慮が必要なのか」が説明でき、交渉できることを目指している。
教授に対して、「こういった配慮をお願いしたい」「こういった配慮があれば、よりよく活動ができる」と説明し、交渉してもらうトレーニングをしている。
大学の先生に対してうまく説明できなければ、一般企業で配慮を得ることは難しいといえる。
企業に就職し、「サポートブックに僕の苦手なこと、配慮してほしいことが書いてあるから見てください」と言っても相手にされないだろう。
それよりは、「自分にはこういった配慮があれば、これだけパフォーマンスが上がります」と自分で説明できる方がうまくいく可能性が高いと考える。
支援機関は支援している時間がお金になる。
しかし、その他大勢の人たちは支援以外のことでお金を得ている。
「自分のために割いてくれた時間は、相手の時間を消費したこと」という原理原則もきちんと教えていくためにも、支援者の方も相手の立場に立って支援ができるようになる必要があると思います。
営業時間に1時間。
長い人だと2時間くらい支援ミーティングが続き、時間がとられていく。
通常の仕事がある一方、関係がある職員はミーティングに参加しなければならない。
「時代の流れとして、障害を持った人たちにも働いてもらう意義はわかるけど、企業側のことも考えて欲しい」というのが本音。
「時間を使うということは、他人の時間を使うということがわかっていない」というご意見も、私はごもっともだと思う。
だいたい私も呼ばれる支援ミーティングは長い。
「この人達は長い時間をかけることが良い話し合いだと思っているの!?」
「他人の時間を消費しているというのが、わかっていないの!?」
と感じるようなことは多々ある。
最初の支援機関のアプローチで、「ウザい」「面倒くさい」と思われたら、かなりの躓きだと思う。
「作ったサポートブックに意見が欲しい」という依頼も結構ある。
私はビジネスとしてやっているから全部見ますが、正直、しんどいと思うことがある。
将来を見据えて、一生懸命作られているのはよくわかるが、だいたい熱心な方ほど、分量が多い。
文字だけではなく、絵や写真もふんだんに使い・・・。
企業に置いてあるようなでっかいファイルをどんと置かれたときには、ビックリした。
サポートブックは、家族が見るものではなく、支援する人が見るもの。
だから、他人が見てくれるものであるのが大前提。
何十ページもある膨大な資料を端から端まで読んでくれる人はどれくらいいるだろうか。
施設で働いていたときも、同様にサポートブックを渡されることがあったが、だいたい見ない。
すべて読んでいる時間があったら、実際に子どもを見た方が早いから。
見ることがあっても、わからないことをポイントで見るだけ。
支援者がしんどいなと思うものは、一般の人はかなりしんどい。
ときどき、一般の就職先に渡そうとする方もいますが、渡された方が困ってしまう。
一般の人はサポートブックを見ただけでプレッシャーになるし、「読んでる暇がないよ」という気持ちが先行するのが当然。
障害を持った人と働くことは選択したかもしれないが、「障害を持った人の支援者になろう」とは多くの人は思っていない。
サポートブック自体は否定しないし、自分で伝えられない人は双方をつなぐ重要なものだと思う。
でも、自分で説明できる可能性がある人は、それを目指した方が良いと思う。
私が支援に携わっている大学生たちは、みんな「どういった配慮が必要なのか」が説明でき、交渉できることを目指している。
教授に対して、「こういった配慮をお願いしたい」「こういった配慮があれば、よりよく活動ができる」と説明し、交渉してもらうトレーニングをしている。
大学の先生に対してうまく説明できなければ、一般企業で配慮を得ることは難しいといえる。
企業に就職し、「サポートブックに僕の苦手なこと、配慮してほしいことが書いてあるから見てください」と言っても相手にされないだろう。
それよりは、「自分にはこういった配慮があれば、これだけパフォーマンスが上がります」と自分で説明できる方がうまくいく可能性が高いと考える。
支援機関は支援している時間がお金になる。
しかし、その他大勢の人たちは支援以外のことでお金を得ている。
「自分のために割いてくれた時間は、相手の時間を消費したこと」という原理原則もきちんと教えていくためにも、支援者の方も相手の立場に立って支援ができるようになる必要があると思います。
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