支援グッズ<活動のおもしろさ

週末、支援グッズをたくさん持った親子を見かけました。
イヤーマフをしていましたし、雰囲気からも自閉っ子かな。
グッズを見せながら話をしていたので、スケジュールの説明をしていたのでしょう。
男の子は落ち着かないようで、身体も、視線も、あっちこっちでしたが、お母さんが一生懸命コミュニケーションを取ろうとしているのがわかりました。

この親子の姿を目にし、学生時代のサマースクールのことがふと思い出されました。
私が学生だったのは、2000年代前半。
ちょうど高機能ブームのとき。
自閉症支援に注目が集まっていた時期で、サマースクールも「構造化しなきゃならない!」と社会人ボランティアの人たちからプレッシャーを掛けられた時期でもあります。
ほとんど勉強していない学生主体のサマースクールですから、当然のごとく自閉症支援の波にのまれていき、年々、教室の構造化、一人ひとりのスケジュール、手順書・・・と、その準備にウエイトが大きくなっていきました。
そして、その分、活動の内容がやせ細っていきました。
そりゃそうですね。
参加人数もピークのときで、100人を超えていましたから。
100人分の支援グッズ×5日分ですからね。

私はこの様子を見ていて、ずっと違和感を感じていました。
メインは支援グッズではなく、活動の充実ではないか、と。
せっかく学生ボランティアもたくさんいるんだから、一緒に目一杯遊べばいいんじゃないか、と。
そこで自分が実行委員の中心になったとき、サマースクールが始まった当初のように、活動の充実にウエイトを置くよう方向転換しました。
支援グッズは、活動をより良く楽しむための補助ですから。
そのとき、参加してくれていた子ども達は、今でも「そのときのサマスクが一番楽しかった」と言ってくれます。

休日に視覚的な手立てをたくさん持って出掛けている親子の姿はよく見かけます。
より良く楽しめるように、と思ってのことでしょう。
でも、もう少し肩の力を抜いて、せっかくの休日ですから一緒に活動を楽しむことを重視しても良いと思います。
大事なことは、支援グッズを使って余暇を楽しむことではなく、余暇を楽しむためのアイディアの1つとして支援グッズがある、ということです。
あくまで支援グッズは補助ですし、本人が自分自身で容易に利用できることがポイントです。
支援グッズを使うのに支援者の労力がたくさんいるということは、その支援グッズ自体に?がつきますし、一人で使えるように教えたいのなら実践の場面以外で身につけ、それからでしょう。
せっかくボーリングに来た、カラオケに来た、というのに、そこで「将来のために勉強しなさい」と言われたら、どんな気持ちがするでしょうか。
手帳をささっと見るくらいならいいですが(でも、手帳を自分で持ってなくて他人から見せられるならイヤ)、私なら勉強は嫌ですね。
余暇と勉強は分けた方が、脳みその負担は少ないですから。
外出から家に帰ってきたとき、疲労感よりも、充実感の方が大きい方が良いですね。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1369】心から治ってほしいと思っている人はほとんどいない