構造化して「何を教えるのか?」

小学生の子に算数の勉強を教えたと思えば、成人の人と進路を考える。
大学生と一緒に社会性の勉強を学んだと思えば、高校生と就職に向けたトレーニングを行う。
ADHDやLDを併せ持つ人もいれば、精神疾患を持っている人もいる。

他人から仕事の内容を尋ねられると、説明は難しいが、やっている私はおもしろい。
働けば、働くほど、お金が入り、働けば、働くほど、幅広い内容の仕事ができるので、支援者としてのレベルアップにもなる。
幅広い支援を行う→お金が貰える→支援者としてレベルアップ→依頼が増える→幅広い支援を行う・・・という構想段階の理想的なサイクルに近づきつつある。

構想を考えていた10年間は、バリバリ構造化して療育する姿を思い描いていた。
20代の頃は、寝ても覚めてもTEACCHだった。
でも、ふっと最近思ったのが、「この頃、構造化してないな」ということ。
ちなみにここで言う構造化は、THE自閉症支援みたいなスケジュールとか、COMカードとかのこと。
いつでも構造化グッズが作れるように、ラミネートも、マジックテープも、色紙も、変わらず用意してある。
でも、久しく触っていない。

何故、この頃、THE自閉症支援みたいなことをしなくなったのかと言えば、依頼してくる方の多くが知的障害を持っていないからかもしれない。
これは「知的障害のない自閉症の人たちには、構造化が必要ない」と言っているわけではない。
私は、知的障害のない自閉症の人たちに対しても構造化している。
しかし、その構造化の形態が"より自然な形"ということ。
構造化の辿り着く先は、「自然な形でコンパクトなもの」なのだから、理想的な形態で支援ができているのだろう。

今にして思えば、本場の地で行われている構造化が「テキトー」に見えた理由は良く分かる。
スケジュールの表示レベルや数はバラバラだったし、紙の切れ端にちょちょっと書いて「はい、ワークシステム」なんていうのもあった。
別に、提示の仕方がどうだとか、レベルがどうだとか、きれいに作ってあるとか、どーでも良い。
大事なことは「わかること」であり、もっと言えば、構造化ではなく、「何を学ぶか」ということ。
それはTEACCHのスタッフが再三強調していたこと。
その意味が今なら良く分かる。

独立してから思うのが、「構造化は自閉症の人の脳をラクにする方法の一つ」ということ。
脳をラクにする方法は、できるだけ手がかからず、大がかりでもなく、ナチュラルなものの方が良いに決まっている。
そして、自閉症の人の脳をラクにする方法は、構造化以外にもたくさんある。

脳がラクになり、余裕を作るのは目的ではなく、目的の前段階の話。
目的は、より良く学び、より自立的な姿になっていくこと。
いくら構造化しても、成長しないし、自立はしない。
そこに"学び"がなければ、成長も、自立もない。

「あなたは何を教え、その子は何を学ぶのか?」というあのときの言葉が蘇る。
近頃、ずっとTHE自閉症支援はやっていなかったが、きちんと私の中に根付いているのだと感じる。
若い頃に、本場に触れたのは良かったと思う。
彼らの問いに答えながら支援できているから。

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