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【No.1439】「良い多動」「悪い多動」から「安心して多動」に

若いころの講座、研修への参加は「技・技術の獲得」だったと思います。 しかし私も40代に入り、この道のキャリアも20年以上になってくると、参加の目的が「言葉の獲得」に変わるのだといえます。 先日のブログでも紹介した 花風社さんの講座 です。 第二部の「社会で生きる神経を育もう」 講師は吉里恒昭さん(臨床心理士・公認心理士)。 書籍 「ポリヴェーガル理論」がやさしくわかる本 を視聴しました。 「ポリヴェーガル理論」の考え方をベースに自律神経の話、本人の意思とは異なる形で現れる行動に対する援助と子育てのアイディアなどを聴くことができました。 「ポリヴェーガル理論」自体は専門的な内容で理解するにはそれなりの知識が必要なのですが、まさに実践家で日々患者さんと接している吉里さんは「難しいことをわかりやすく」「専門的なことを自らで、家庭で取り組みやすいように」お話されていました。 我が子の行動の理解、よりよい子育てへのヒントが詰まった内容でしたので、視聴された親御さん達にとっても実りが多い講座だったと思います。 私にとっては冒頭でお話した通り、言語化を助けてもらう講座になりました。 一つ例を紹介させていただくと、「良い多動と悪い多動がある」ということ。 施設でも、いま、行っている家庭支援でも、これは「止める必要がない多動」「ポジティブな意味がある多動」と、これは「すぐに止める必要がある」「意識を別のものに移す必要がある多動」「ネガティブな意味を持つ多動」を瞬時に判断し、対応してきました。 基本的に親御さんは「多動=問題」「多動=障害」とネガティブなものとして捉えていると思います。 でも実際はネガティブなものばかりではなく、「自らの心身を整えるための多動」「自らの身体、神経を育むための多動」があります。 癒しと成長のための多動ですね。 そういった多動も、止められている場合、それができないような環境にされている場合が少なくないような気がします。 とくに療育や学校ではそっちが多いですよね。 あまりポジティブな意味で、自閉っ子、発達障害の子の行動は見られていない。 癒しと成長のために必要な多動(多動以外も)があります。 いま、このブログを読まれている方の中にも、「そうそう、発達相談のとき、そんなこと言ってた!」と思い出される親御さんもいると思います。 意味があって、必要があって、その行動...

【No.1438】「自閉症は変化が苦手」と「マスクをしないと感染する」

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私が学生の頃、自閉っ子のママたちは金曜日が大忙しでした。 なぜなら、週末の予定を決めないといけないから。 「自閉症の人には事前に予定を伝える」 という有名支援者の教えのもと、土曜日はこうして、日曜日はああして、という具合に事細かく予定をたて、それに伴う視覚的なスケジュールをせっせと作成していました。 時間がわかる子の場合は、何時何分になったら家を出る、みたいなことまで事前に知らせるのです。 ここまでだったら、定型の子ども達、ご家庭でもやるようなことなので、極端に大変だったといえないかもしれませんが、もう一つ、自閉っ子ママたちを苦しめていた自閉症支援の掟が「自閉症の人は変化(変更)が苦手」というもの。 「事前に予定を決めて伝える」+「変更はなし」となると、一気にハードになる。 私なんかは「どうせ予定を立てていても、急に雨が降ることだってあるだろうし、急用、急病になることだってあるんだから、最初から無理では」なんて思っていましたが、当時のママたちは出かける場所のトイレはどこにあって、遊ぶ場所、休憩場所、パニックになったらここ、みたいな感じで下調べもして、一日、なにがあっても最初に伝えた予定通りに進めようとしていたのでした。 そりゃあ、苦しくなりますよね、子育て、週末、我が子と過ごす時間が。 まあ、これは支援学校でもそうやっていましたけど。 そして有名支援者の研修でも、教育実習に来た私達にも、同様の指導が行われていました。 で社会人になり、アメリカに研修に行くと、これは間違いだった、ジャパンオリジナルだったことがわかったのです。 だってアメリカの研修で最初に教わったのが、「変更、変化に対応できるように子どものときから教えていく」ということ。 変更が苦手だから変更がないようにする日本人と、変更が苦手だから変更に対応できるように育てるアメリカ人。 どっちが自立度、将来の生活の幅を広げるかといえば、言うまでもありません。 島国で天変地異にビクビクしていた民族と、荒野を駆け巡っていたカウボーイとの違いでしょうか(笑) 自閉っ子がパニックになろうがお構いなし。 「だって、変更は起きるもんだし、コントロールできないでしょ」と言う。 日本でもそんな当たり前のことをちゃんと教えてあげればいいのに、有名支援者たちは「パニックは起こさせてはいけない」なんて不安商法をするもんだから、まじめな日...

【No.1437】感覚過敏と資質

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昨晩、10月に開催された 花風社さんの講座 のアーカイブを視聴しました。 まだ浅見さんのパートだけですけど。 浅見さんは「付録」と表現されていますが、ばばばっと連想が浮かんでくるような興味深い内容だったと思います。 だから、今日はそのことをお話ししますね。 「感覚過敏と資質」 私は子どもさんの相談、発達援助が中心ですので、【感覚過敏=未発達】と捉えることも、実際にそのような背景、関連性を持っている子が多いのが事実です。 あまり子どもさんの相談で、「ああ、この子は資質として過敏性をもっているな」と思うことは少ないですね。 まだ嗅覚が育っていないゆえに匂いに過敏だったり、反対に匂いを感じられなかったり。 耳全体が育っていないゆえにバランス感覚が悪かったり、聴こえる範囲が狭かったり、過剰に聴こえたり。 触覚過敏も、皮膚感覚が胎児や新生児状態で未発達ゆえに、という場合も珍しくありません。 ですから、アプローチとしては未発達である感覚をそこが育つ時期まで遡り、育て直しを行っていきます。 浅見さんが講座の中でおっしゃっていた通り、現場感覚としても子どもさんの感覚過敏は治りやすいし、治しやすい。 だって、神経発達が盛んな時期で、まさに感覚も育てている真っ最中だから。 一方で年齢が上がっていくうちに治りづらくなると言いますか、未発達である感覚を育てたとしても過敏さが残る人が増えてきます。 確かに耳を育てて聴覚の過敏さ、ご本人たちの言葉を借りれば、「音に振り回されない状態」にまで治ることができた。 耳栓やイヤーマフがなくても生活できるようになった。 人混みの中に入っても、集団内での活動も可能になった。 けれども、刺激に対する過敏さは残存している。 物音や他人の声に振り回されないけれども、ちょっとした刺激、変化に目が行く、気が付く。 視覚や聴覚過敏だった人がとくに人間関係において、相手のちょっとしたしぐさ、表情から深読みするのは、みなさんも感じることがあるのではないでしょうか。 そういった部分を適応という形で磨くことができれば、とても気が利く人、相手の気持ちの機微に寄り添える人、機械などのちょっとした不具合に気がつける人、多くの人が気が付かない次元の情報や刺激を捉え、それをクリエイティブな方向へと昇華できる人になっていく。 例を挙げるのなら過去の相談で役所で働いていた女性がいました。 ...

【No.1436】ADHDは”状態”であって”原因”ではない

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「ADHDです」と言われても、その実態、原因は直接、本人に会ってみないとわからない。 腸と皮膚が過敏で、「それだったら、脳も過敏になるよね」というADHDの子もいれば、覚醒状態が常時低いために自ら動いて意識レベルを上げている子もいる。 また排泄(泌尿器系)の未発達があり、常にそわそわしている子もいるし、背骨が育っていなくてそわそわしちゃう子もいる。 同じ背景が「不安」だとしても、愛着形成からくる不安なのか、感覚系の未発達からくる不安なのか、前頭葉の課題からくる情報処理の困難さからくる不安なのか、それぞれに違いがありますね。 あとは栄養の偏り、家庭環境の不安定さや大きな変化が一時的なADHD状態を生むこともある。 私が日々関わっている発達相談でメジャーなのは上記のような要因だけれども、その多くは重複&グラデーションがかかった複雑系です。 だから、診断名よりも、本人からその背景を読み解くことが重要なのです。 「ADHD」という診断名が薬をもらうチケットになっているような気がする相談が続いていました。 親御さんは抵抗したのですが、医師から「それしかない」と言われれば、「このまま辛い思いをさせるのですか」と言われれば、「わかりました」と返事するのも仕方がないですよ。 みんながみんな、情報を持っているわけじゃないですし、つっぱねるだけの胆力を持っているわけではないのですから。 だから問題は「〇〇しかない」と言ってしまう医師であり、専門家。 ADHDは”状態”であって”原因”ではありませんね。 状態を抑えよう、消そうとするのが薬。 状態が起きないように周りが配慮したり、手助けしたりするのが支援。 状態が起きないように学習させるのが教育。 じゃあ、発達援助は? 発達援助はその状態の背景にアプローチします。 その多くに神経発達の未発達やヌケを確認し、そこを育てることでよりよい発達を目指していきます。 発達援助を一言でいえば、子育て。 親御さんが最も多く感じる違和感は我が子をどうやって育てていけばいいか、その子育ての仕方を知りたいのに、専門家から返ってくるのは「対処の仕方」と「支援の仕方」という点。 発達援助の道に方向転換したご家族がどんどん元気になっていくのは、子どもさんがよりよく変わっていくからだけではなく、親として望んでいた子育てができるようになるから。 そんな風に思う先日の発...

【No.1435】育て『型』から『方』へ

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この前の相談でもそうだったんですが、多くの親御さんが私に発達障害の治し”かた”、育て”かた”を聞きたい、教えてほしいと思われています。 一般的な療育や支援から連想すると、視覚支援やABAなどと同じように決まった形や方法があるように捉えられているのでしょう。 だからみなさん、その型を知りたい、教えてほしいと。 治し方、育て方の”かた”は『型』に近いのかもしれませんね。 特別支援を含めて、我が国の教育は「型にはめる」ことを続けてきた弊害もあるでしょう。 「型にはまらない子を型にはめる教育、療育、支援」という言葉が浮かんできます。 改めて私が行っている発達相談、援助を考えてみます。 その中心は、発達障害を固定化されたものではなく、神経発達を促す、育てる方向へと導き、後押ししていくこと。 そういった意味で治し”型”ではなくて、治し”方”なんですね。 発達障害は治らない、自閉症は治らないと教わり、そう信じ込まされてきた親御さん達、もしかしたら本人たちも。 だけれども、神経発達を促すことによって、課題が克服できたり、自立や自由が手に入れられたり。 子どもさんだったら、友達ができた、勉強がわかるようになった、不安やイライラが減って穏やかになった。 そういった家族みんながよりよい方向へと進んでいくのが発達援助の考え方です。 決してハウトゥーを売っているわけじゃない。 発達相談を終えて、すぐにいただく感想は「とっても楽になった」というものです。 子どもさんよりも先に親御さんが楽になる。 最初、暗かった瞳に少し希望の光を感じることができた。 私が料金を受け取ることの次に喜びを感じる瞬間です(笑) 神経発達を促す、育てる方向性が決まれば、親御さんが腹落ちすれば、あとは子どもさんを観察すればいい。 私の発達援助の基本は、「育てたいところは子どもさん本人に訊く」です。 家の中には、その子が育てようとしていることの痕跡があるものです。 その子が好んで過ごす空間には、心地よい感覚、つまり育てようとしている感覚刺激が漂っている。 その子が生み出す遊びには、その子が必要としている身体への刺激がちりばめられている。 その子が家族に求めることは、その子の心が求めている安心と自立心を育てたいという意思が表現されている。 それが我が子だから、障害特性だから、という視点で見ていると、発達援助のメッセージを受け...

【No.1434】一般就労を阻むものは?

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働きたくても働けない、一般的な8時間労働ができない人もいる。 一方でバリバリ働きたくても働けない、働かせてくれなくて不満を持っている人もいる。 働けない人に合わせた社会が望ましいのか、それが健全な社会といえるのか。 仕事がやりがいになっている人もいるでしょうし、政治家、首相となれば24時間365日しっかり働き続けてもらわなければ困る。 災害や外交上の問題が起きたとき、「いま、勤務外なので」という首相をお望みなのだろうか。 それにしても、日本人はいつからこうも働きたくない国民になってしまったのだろう。 みんなが横並びで働かなくなったことが失われた30年を作ったのは明白なこと。 働きたい人は組織など属さず、起業したり、成果型の仕事に就いた方が良いと私は思っています。 「働きたいけど、働かせてくれない」という相談はここ函館だけではなく、全国各地からやってきます。 大卒、専門学校卒の人を相変わらず障害者枠で雇ったり、A型B型の福祉的な作業所に閉じ込めたりする事例が後を絶たない。 企業としては、そりゃあ、ある程度、学歴、つまり適応能力が合って、ちょっと変わった人くらいが良いに決まっています。 問題起こす人を雇うほど余裕がある企業は日本にありません。 また福祉事業所としても、暴れる人よりも、静かに黙々と働いてくれる人が良い。 ほぼ素人の職員、パートのおばちゃんで、この頃は外国出身の人で成り立っている福祉ですから。 同じ補助金がもらえるのなら、できるだけ軽度で問題がない人が良いと思うのは自然な流れでしょう。 どこに「障害を持った人のために!」と熱い思いで働いている職員がいるのでしょう。 そういった人もまたマイノリティ。 相談者の99%は当事者、本人で、訴えのほとんどは「もっと働きたい」「自立して生活がしたい」というものです。 じゃあ、彼らの訴え、希望を阻んでいるのは誰でしょうか。 もちろん、お客さんとして迎える企業や福祉事業者といえますが、多いのは親、家族なのです。 「今の福祉的な作業所をやめて、一般就労したい」 そういったとき、一番に止めるのは家族です。 「二次障害」という洗脳もあるでしょうが、実際にお会いして話を伺うと、親が何より不安なのです。 いまの安定した生活が崩れるかもしれない。 それは本人も、私たち家族も。 お給料は少なくても、なんとかやっていけてるからこのままでいい...

【No.1433】「耳は耳単独では耳にならない」

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20年以上前になりますが、高校時代の生物の先生がこんなことを言っていました。 「耳は耳単独では耳にならない」 学校の勉強はそのとき、あまり必要性を感じない。 だけど、大人になっていろんな経験を積んでいく中で、「ああ、そういうことか」とその意味に気が付くことがある。 冒頭の生物の先生はどんなことを言っているのでしょうか。 耳という構造は、内耳、中耳、外耳という3つの構造からできていて、それぞれ音に関する鼓膜や耳小骨、蝸牛、平衡感覚に関する前庭と三半規管などがあります。 外から見える耳の形も、音(振動)が通っていく耳の中の形も、そこに意味がある。 こういった1つの構造、器官を取り出しても、それ単独では音も聞けないし、身体の傾きも感じることができません。 それぞれの器官が連携することで初めて機能が発揮されますし、受け取った刺激を認知するためには脳と神経線維で繋がっている必要がありますね。 つまり、いろんな構造、器官、機能が合わさることで発揮される仕組みになっているのです。 これは20年の時を経て、発達援助に大きな意味と気づきを与えてくれています。 昨日のブログのテーマであった「耳の発達援助」 聴覚に課題があるからといって聞く機能にばかりに注目してはダメなのです。 一時期、ビジョントレーニングなどというものが流行りましたが、目だけを訓練しても根本解決には至らない事実がその例の一つ。 感の良い方ならパッとお分かりになるでしょうが、言葉に出ない子に言葉の訓練をしても会話できるようにならない、知的障害のある子に勉強だけを教えても理解に繋がらない、多動児に座る訓練をしても変化がない、といった理由も気付くことでしょう。 聴覚の課題は音だけではなく、平衡感覚方面からのアプローチも必要です。 両方が耳としての機能だから。 そしてその耳はどう育てていくのか。 ヒトはどのように耳を育てていくのか、耳という器官は進化の過程でいえば、どういったところから発生しているか。 哺乳類の始まりといわれるネズミのときの耳はどんな音を聞いていて、我々とはどのような違いがあるのか。 こういった視点と知識が発達援助の”治る”を支えています。 私の好きな言葉である「治しやすいところから治す」@花風社さん これはシンプルな方針に見えますが、とても深い意味を持っています。 たとえば「耳の課題」で説明すると、耳を治すに...