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【No.1423】呼吸から始まる発達援助

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昨日、紹介した『脳の中身を見てみよう~AI時代の発達セラピー』は花風社さんから出版された新刊。 同じように新刊が出るたびに購入しているのが、神田橋條治先生の本で、この夏に読んだ本の一つになります。 タイトルは『80歳からの養生と援助の工夫』 まだ自分には早いかなと思うし、実際のお客さんでもさすがに80代の人はいません(笑) でも、神田橋先生の本は可能な限り、買って勉強する。 今回も神田橋先生ワールド満載の内容でしたね。 本の中で、「rTMS療法」について記されていた項目がありました。 厳密に言えば、rTMS療法の”真似事”というお話ですが。 ターゲットとなる脳の部位に磁気を使って誘導電流を生じさせる。 そして神経細胞の活動電位を活発化させる治療法が「rTMS療法」の簡単な説明。 当然、専門的な機器と治療者が必要なんだけど、神田橋先生は自前でやっちゃう。 脳の「邪気」を察知し、そこを「気の針」を使って刺激して「快」の状態にもっていく。 最後には「(rTMS療法と)雰囲気が似ているだけで、何の関連もない」と記してあるけれども、神田橋先生なら自分でやっちゃうんだと思います。 『脳の中身を見てみよう~AI時代の発達セラピー』の著者である中川先生と、医療監修で携わった田中先生は、どちらも治療法の一つとして磁場や電流を使って脳を刺激する方法を紹介、実践されています。 最先端の技術と治療法じゃないですかね。 一方で気候や独自の養生法を使って治療する神田橋先生がいる。 同じ日本の同じ時代で正反対のアプローチをしている。 そしてどちらも”治しちゃう” 治っちゃうなら、どちらの方法だって、どんな方法だってか構わないというのが私の考え。 栄養で治る人もいれば、療育整体で治る人もいる。 身体アプローチだって、感覚統合だって、良くなればなんでもOKでしょ。 ひとは複雑系だし、子どもの場合は神経発達が盛んだから、その時期その時期で必要なアプローチ、刺激が変わっていく。 だから、いろんな方法を知っていて、もっとも育つ場である家庭をコーディネートできることが重要になる。 それがてらっこ塾の一つの役割じゃないかなと思う。 専門的な機関、最先端の科学的な治療が受けられるご家族はどんどん受けたほうが良いと思います。 治療で治せるのなら早く治したほうがいい。 お金はあとからでも稼げばいいけれど、子ども時代...

【No.1422】『脳の中身を見てみよう~AI時代の発達セラピー』を読んで

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「自閉症だと診断されました」 「脳の機能障害だと言われました」 「じゃあ、息子さんは脳を調べられたのですね」 「いや、病院では脳の検査をしませんでした」 「問診と視診だけで、どうして脳の機能障害とわかったのでしょうかね」 こういったやりとりを数えきれないくらい行ってきました。 でも、これからの発達相談では 「側頭葉の島皮質に機能低下が出てたんです」 「脳神経の刈り込みがうまくいってなくて、部位同士の繋がりが強すぎるのが問題の根っこだとわかりました」 などと言われる親御さんも出てくると思いますね。 神経発達症は科学技術の発展により、治療対象になったのです。 脳波測定用のキャップを被り、脳波を定量的に見ることができる。 しかも数分間という短い時間で。 さらに定型発達とのずれをAIが分析してくれ、そこを刺激するアプローチもある。 以前の療育、支援とは別次元に入ったと言えます。 でも、日本全国津々浦々まで行きわたるには相当時間がかかると思います。 というか、日本の特徴として児童発達専門の医療機関、療育機関に行って、「じゃあ、脳機能をスクリーニングして、トレーニングにつなげましょう」と言ってくれる可能性は、宝くじに当たるくらいの確率でしょう。 簡単に言えば、発達障害の分野は科学と距離を置くことで発展、維持してきた分野です。 診断は成育歴と問診。 アプローチが先にあって、そこに子どもを合わせる療育。 本当に意味があるのか、効果があるのか。 たまたまその子の成長と重なったのか、評価するものはないし、その評価すら作ろうとしてこなかった。 「みんな発達障害で、みんなが理解し、支援を受ければ、それでよし」 誰のせいでもなくて、誰かが頑張る必要はない。 だって、生まれつきの障害で受容しなきゃならないから。 「多様性万歳!」を叫んでいれば、誤診だって、過剰診断だって、向精神薬だって、アンパンマン療育だって問題なし。 医療も、福祉も、支援者も、みんな、生きていける。 口を開けて待っていても、この書籍で紹介されている検査、治療アプローチは降ってきません。 長い間で構築された発達ギョーカイに自浄努力、自ら当事者ファーストに変わることを期待しても難しいでしょう。 だから、こういった方法があることを知ることが大事。 海外ではすでに実践され、米国小児科学会では薬物よりも優先順位が高い位置づけになってい...

【No.1421】土を食べたい子ども達

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この頃、異食の相談がありました。 異食というのは通常、食べないものを口に入れたり、食べちゃったりすること。 赤ちゃんが唇や舌を使って、そのものを調べよう、感じようとするのとは違うものです。 「食べれないものを口に入れて困ってます」という相談はよくあるけど、その子が探索のため、(感覚)遊びのため、発達のためかは確認する必要がありますね。 もちろん、人間は複雑系で、いろんな理由が重なり合っているけれども、先日の相談は”あえて”異物を食べている可能性が高いと感じました。 異食として思い出すのは、強度行動障害の施設で働いていたとき。 異食は行動障害を診断する項目の一つで(ほかには他害や自傷、奇声や睡眠の乱れなど)、多くの入所者の人が抱えていた問題です。 部屋に落ちているゴミを口に入れたり、壁を指で削ってその材木を食べていたりする人もいました。 そして外出すると決まって、土を食べる人が多い。 20代でペーペーだった私は、「みんな、土食べるな」「土はおいしいのかな」「やっぱり北海道の土は栄養満点なのかな(笑)」なんてくらいにしか思っていませんでした。 止めても、止めても、みんなで食べるもんだから、半ばあきらめて、「どうぞご自由に」という感じに。 で、それから20年くらい経ち、今ではそれは腸内細菌との関係でやっていたことだったんだとわかるのです。 ごはんのおかずくらい向精神薬を飲んでいたので、ほぼみなさん、整腸剤も一緒に服用していました。 これまた当時は「向精神薬の副作用でおなかの調子が悪くなるから」と思っていましたし、医師もそうやって処方していたので疑うことなんてなかった。 でも、彼らは向精神薬の副作用でおなかの調子が悪かったんじゃなくて、そもそも腸内細菌、環境が悪かった。 それがわかったのは、てらっこ塾を起ち上げて、いろんなご家庭の相談を受けるようになってから。 向精神薬を飲んでいない人、飲むような年代ではない子も、おなかの調子が悪い子が多い。 ということは、発達の遅れや神経発達の違い、自律神経や精神的な不調と関係があるのではないか。 こうやって書くと「エビデンスがないじゃないか」と言われそうです。 たしかに腸内細菌を調べたわけでも、それについて研究したわけでもない。 しかし、それに関連する論文や書物はたくさん出ています。 発達障害の原因を「細菌」、もっといえば「腸内細菌の問...

【No.1420】親としての「愛着形成のヌケ」

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親御さんと手をつなぎ、玄関から入ってくる。 次の瞬間からその子の探索が始まる。 見て、触って、嗅いで、この場所は安全なのか、安心できる場所はあるのか、を確かめる。 親御さんは持ってきた荷物を下ろし、衣類や洗面道具、日用品を職員と確認しながら、今日の体調や様子、注意事項などの引継ぎを行う。 そして別室に移動し、契約の書類にサインする。 いざ親御さんが帰る時間になっても、探索を行っている子もいれば、自分の空間を見つけ、自分の世界に没頭している子もいる。 「じゃあね、また迎えに来るね」と涙を流す親御さんをちらっと見るだけで、特段変わった様子は見せない子どもの姿。 4月は新入所の子ども達がやってくる時期です。 施設で働いていた当時の私は独身で子どももいませんでした。 だから、親御さんの涙は幼い我が子を施設に入所させる罪悪感と寂しさだと思っていました。 でも、自分も親になり、家族支援という仕事を続けていく中で、もっと深くて複雑な想いがあったのでは、と思うようになりました。 幼い子が親御さんと離れることになれば、激しく抵抗し、涙を流すことでしょう。 しがみついて離れない子だっているはずです。 でも入所してくる子の多くは、そういった感情表現をしません。 むしろ、家庭で暴れてどうしようもなかった子が入所初日から落ち着き、夜もぐっすり眠ることもあるのです。 こういった我が子の姿、様子を聞き、親御さんはどう思うか。 当時の私は「〇〇君は元気にやってます」「他害や自傷も出ていません」と電話口で”安心”を伝えているつもりだった。 でも、それを聞いた親御さんは大いに傷ついたと今は思う。 入所し、親御さんが帰るときになっても感情表現しなかった子どもさんですから、赤ちゃんの時から愛着形成を築くのが難しかったのでしょう。 子どもを授かり、「あんなことをしたい」「こんなことをしてみたい」と想像していたのが一転、自分になつかない、愛情をかけてもそれが返ってこない、同年代の子とは違った発達をしている。 今の仕事をしていても、「ずっと自分はダメな母親だと思っていた」「ずっと自分が否定されている感じがする子育ての日々だった」と話される親御さんが多くいます。 発達相談で1,000家族以上の相談にのってきましたが、生んだだけで愛情が溢れてくる、我が子を愛おしく思える、無償の愛、なんていうのは違うと思うのです。 ...

【No.1419】「集団が苦手」は「集団が必要ない」ではない

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「まずは20かける20でいくべ」 「もうちょっと上げてくれや」 「今日もゆるくねえなぁ~ガッハッハ」 数日前から家の前のマンションの改修工事が始まり、元気なおじさん達の声が聞こえてきます。 朝の7時半過ぎから作業員さん達が集まってきて、『あんぱん』が始まるころには重機のゴゴゴーンという音が鳴り響きます。 ピタッと静かになるのがお昼の合図。 夕方の作業が終わるまで、とても賑やかな一日。 いくつになっても、「働くって楽しい」と教えてくれているような気がします。 「人と関わるのが苦手」 「一人が楽で良い」 という人達がいます。 どちらかといえば、そう思っている大人のほうが多いかもしれません。 そこに「ASDの特性」という大義名分が加われば、おのずとそちらの方向へと子ども達を誘っていく。 確かに子ども達も「集団がきつい」という。 でも、「集団がきつい」と「集団生活が必要ない」はイコールなのでしょうか。 園生活や学校生活など、集団の中で生活、学習することが辛いと感じる子ども達はいます。 だから個別対応があって、特別支援教育がある。 まず大事なのは安心できる環境で、学びや成長を積み上げていくことだから。 しかし、それは「集団生活が辛い」という根本原因を解決するまでの一時的な避難でしかないと思うのです。 よっぽど才能があって、一人で芸術的な絵や曲を捜索することができる。 よっぽど資産があって、一人で何不自由することなく生きていくことができる。 そんな人は一握りの中の一握りであって、発達障害があろうとも、自閉症で特性が強かろうとも、人と関わり、集団の中で生きていかなければなりません。 そんなことは支援者だって、医師だって、先生だって、親だって、知っている。 もっといえば、当事者の人たちだって知っている。 だってみなさん、私にそういうから。 「いつかは集団の中で生活したり、働いたりしなきゃならない」 「いつかはみんなと一緒に勉強したり、遊んだり、働いたりしてみたい」 一人が楽だけれども、できるなら誰とも関わらず生きていきたいけど、それじゃあいけないのは百も承知。 支援者は「苦手」を「不可能」と変換する。 「できないこと」は「できるようになりたい」ということに気づけないでいる。 「辛い」は「楽になりたい」という希望の言葉、未来に向けた前向きな言葉であることがわからないことがある。 感覚...

【No.1418】開業13年目を迎えて

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「事業とは社会の一歩先を歩くもの」 そんな想いで起ち上げた事業も、今日から13年目に入ります。 当時は家庭で行うとすれば、絵カードか、衝立&構造化でした。 あとはでき始めた児童デイ、療育に一生懸命通うだけ。 「これでよくなるのだろうか」という想いと、「これしか選択肢はない」という想いのはざまで揺れ動いていたお母さんたちの姿が印象的でした。 ただただ支援を受けるだけの日々ではもったいない。 発達や知的に遅れがあろうとも、学び、成長することはできる。 家庭でできること、発達を後押しすることができるのではないか。 きっと既存の支援、療育に疑問を持ち、我が子のためにできることを求める親御さんが増えていくはずだ。 そうやって社会の一歩先を見据えた発達相談、援助サービスを始めたのです。 その一歩先の現在はどうなったのでしょうか。 変わらず発達の遅れに悩む家庭は多くあります。 しかし、支援や療育に依存するだけではなく、様々な取り組みを家庭で行う人達が増えました。 診断が外れ、支援が必要ないくらまで育った子も珍しくなく、元発達障害児は一般社会の中で自立して生きていく。 主観メインの診断から脳波測定による客観的な問題、課題、特性の把握へと変わり、直接的なアプローチも可能になったのです。 「治るか、治らないか」ではなく、「知っているか、知らないか」「行動するか、しないか」の時代。 てらっこ塾という事業も、次の一歩先を考えないといけません。 相変わらず1歳代、2歳代、3歳代のお子さんを持つご家庭からの相談が中心になっています。 そしてこの年代から発達援助を始めた家庭は、本来の発達の流れに戻るのも早いですし、同世代のお子さん達よりも優秀なくらいまで心身が豊かに育つ場合も多くみられるのです。 自閉症の特性も、知的障害の状態もとても重い方たちの支援から始まった私のハッタツの世界。 そこから家庭支援を始め、多くの子ども達、ご家庭と関わり、その子たちも成人していきました。 良くなった家庭だけではなく、そうならなかった家庭も多く見てきた私だからこそ、小さい子ども達と親になったばかりの親御さん達のためにできるアドバイスがあるのではないかと思っています。 さらに将来的にはまだ子を持つ前の若者たち、若い世代のご夫婦への予防の仕事がしたい。 発達障害を治すのではなく、なる前に治す。 そんな思いを胸に本日、2...

【No.1417】「自閉症の人の精神年齢はマイナス7歳で考えたらいい」

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「自閉症の人の精神年齢はマイナス7歳で考えたらいい」なんてことを教わったのは、もう20年ほど前。 ほかにも「実年齢×0.7」という話もありました。 たしかに知的障害を持っていないASDの人も、実年齢よりも幼い、遅れている印象があります。 でも、数学の公式のように「-7」「×0.7」というのは乱暴すぎると思いますね。 個別性を訴える一方で、一律の計算式。 発達が多様というのなら、精神の発達だって多様なはずです。 成人のASDの人たちとお話しすると、「いま、中学生くらいかな」「この頃、小学校4年生くらいから5年生くらいになったかな」と感じることがあります。 こないだお会いした50代のお姉さんは20代中頃といった感じ。 今週お会いした20代の女性は、中学1年生の生徒さんと話している感じ。 親御さんからは「成人しているけれど、まだ幼い」という相談。 「身の回りのことでできることは増えているし、仕事でも任されることが増えている」 でも、内面が幼いのは「発達障害ゆえですかね」と。 私は「発達のヌケは埋まるし、知的にも発達していく。同じように精神年齢も発達していきます」と回答しました。 発達のヌケや感覚の未発達は、身体アプローチを中心としたトレーニングによって育っていく。 幼い子どもさんなら3か月もあれば、1つの発達課題はクリアできる。 中学、高校年代なら半年から1年。 成人した人でも、年単位で続けていけば変化がみられるものです。 これらが育つと、脳みその振り分けができるようになり、情報の出し入れがスムーズになり、知的・認知の面でググっと育つ。 知的・認知の面で大きな変化があると、社会での体験が豊かになっていく。 ”社会での体験”をもっと具体的に言えば、人との交流。 やはりヒトの内面は、人と人の間で育っていくもの。 これも700万年の進化の過程が証明してくれる。 未発達の部分が育ち、発達のヌケが埋まる。 発達のヌケが埋まれば、知的に伸びる。 知的に伸びれば、精神が育つ。 だから成人した子の親御さんがおっしゃっていた「身の回りのことでできることは増えているし、仕事でも任されることが増えている」というのは、内面の発達が進んでいく合図。 発達障害のある人も発達する、それは認知の面でも、精神年齢の面でも。 ▶発達相談の内容・お問い合わせはこちら http://terakkojyuku.c...