【No.1440】AIがチャッピーに変わった2025年

「AI」と聞けば、なんか遠くの、一部の技術者のものというイメージでしたが、今年はそのAIが「チャッピー」に変化しました。
つまり、私のような一般人までもが専門的な知識も必要なく、簡単に利用できるようになった。
テレビや車が一家に一台に、ケータイが一人一台に。
このようにある一部の人だけが持っていたものが大衆化したとき、それまでの価値観、生活スタイルは大きく変わるのです。
それが2025年を振り返ったときに思ったこと。


AI化が進めば、真っ先になくなるのはちAI」と聞けば、なんか遠くの、一部の技術者のものというイメージでしたが、今年はそのAIが「チャッピー」に変化しました。
つまり、私のような一般人までもが専門的な知識も必要なく、簡単に利用できるようになった。
テレビや車が一家に一台に、ケータイが一人一台に。
このようにある一部の人だけが持っていたものが大衆化したとき、それまでの価値観、生活スタイルは大きく変わるのです。
それが2025年を振り返ったときに思ったこと。


社会のAI化が進めば、真っ先になくなるのは「裁判官」と言われています。
裁判官といえば、かなり優秀な頭を持った人がなる仕事。
あの分厚い六法全集を学び、過去の判例の中から判決を導き出す。
でもAIなら一瞬で判決を出すことができます。
もう知識の量と質では、人間はAIに敵わないのです。


アメリカでは「ブルーカラービリオネア」という言葉が今年を象徴するものになっています。
以前は低賃金だった肉体労働者がいまは大金持ちになっていく。
水道管の漏れの修理だけで1,000ドル以上もしているところもあります。
まさにAIにできない仕事だからこそ、人間、しかも腕を持つ技術者にしかできない仕事だからこそ、このような金額になる。
「AIには難しい」と考えられていたクリエイティブな作業も、かなり質が良いものができるようになっているので、明治以降、追い求めていたエリート像が崩れ去ってしまいました。
「大学に行くと貧乏になる」
これもアメリカで言われていることです。


学校教育も変わっていくでしょう。
いや、変わらなければなりません。
生きていくうえで最低限必要な「読み書きそろばん」以上のことはほぼ必要なくなるはずです。
それよりも子ども時代にいろんな体験、世界を見ることで自分の資質を確認し、なにが社会のためにできるのか、自分の能力を他人のために使うことができるのか、知ることが必要になるのではないでしょうか。
どちらかといえば、自分の欲求を抑え込むことで「エリート」になれていた教育から、自分の内なる欲求、希望、意思に突き動かされて行動できる人がエリートになっていく教育への変化でしょう。


ハッタツの世界でいえば、「モノを知っている」「学歴がある」というのも、あまり意味がなくなると思います。
それよりも「職歴」や「技術」が問われる。
そのためにはやはり身体的な不調がないこと、動ける身体が育っていること、自分が「こうしたい」という内面の発達が大事になってくるはずです。
これは今まで行ってきた発達援助の基本的な考え方と一緒です。
「発達に遅れがあるから」と始められた発達援助は、すべての子ども達に必要な生き抜く力をつけるための指針となる。


ますます子ども時代に「発達の遅れがあった、ある」というのは気にならない、ハンディではなくなるでしょう。
知識を詰め込み、指示に従うことがうまいエリートはAIに取って代わられる存在に。
それよりも自分の意思で行動できる人間が、その人しかできない技術をもった人間が求められる社会。
コミュニケーションが苦手でも、できないことが多くても、ほかの人ができないことが“できる”ということに価値がある。
高学歴で知的活動が優秀な人よりも、米を作れる人、魚が採れる人、水道管が直せる人、道路を作れる人のほうが豊かに生きていける。


発達障害を診断していた医師、治そうとしない医師が必要なくなり、子どもの発達を後押しできる人のみが求められる。
AIの登場により、やっと本来目指すべき特別支援の姿になることができます。
誰でも使えるようになったAIがもたらす未来を想像すると、明るい希望が見えてくる。
2025年はこれから進むべき道が明らかになった一年になりました。
大きく変わる社会を自由に飛び回れる子ども達を一緒に育てていきましょう!
よいお年をお迎えください。


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