【No.1126】名も無い遊びが連なっていくイメージで

「子どもは自分に必要な発達刺激が分かり、自らで育てようとしている」というのは、日々の発達相談で感じることです。
この視点を1つもつことができれば、子にとっても、親にとっても、気持ちが前向きになり、どれほどラクになるのかと思います。
ですから、私はせっせとその話を方々でしています。


その一方で気を付けなければいけないな、私の説明に足りないところがあったな、と思うことがあります。
「子どもが主体的に育てようとしている」がひっくり返って、「主体的に行おうとしないことには育ちがない」という解釈です。
確かに今、お子さんが主体的に、それこそ時間を忘れるくらい没頭しているような名も無き遊びがあるのなら、それをやりきれる環境を作ることが発達の後押しになります。
しかし、じゃあ、見向きもしない遊びは全部必要ないかと言ったら、そうではないと思うのです。


あるお子さんは、内耳(前庭感覚)に発達の遅れがありました。
シーツブランコをキャッキャキャッキャと楽しむお子さんでしたが、身体が大きくなりましたので、公園のブランコで揺れる感覚を味わってみたら、と試みました。
そうすると、ブランコに乗って揺らした瞬間、嫌だと降りました。
その姿を見て、親御さんは「やっぱり早かったかも」と止めようとされていましたが、その子は揺れる前までは座っていたのです。
ということは、「揺れの大きさを変えてみたら…」と思いました。
実際に、揺れの幅を小さく、ゆっくりにすると、その子はその揺れを感じるように座っていました(その後も10分ほど)。
たぶん、この子にとっては、ブランコに座り、ちょっとだけ揺れるも、名も無い遊びだったのです。


子どもさんの場合、「知らない」「わからない」がたくさんあります。
ですから、自ら進んで育てようとする名も無い遊びは、どうしても体験したことや見聞きしたことの範囲で選択されることが多くなるのです。
もしかしたら、その子がもっともっと熱中するような名も無い遊びは、ほかにもあるかもしれません。
よって、子どもの世界を広げるためにも、いろんなチャレンジ、体験をすることが重要になります。
そういったときに、一見見向きもしないような遊び、活動の中にも、やり方を変えれば、発達につながるような遊びに変わることもあるのです。


もちろん、そういったことができる前提には、「今、我が子がどこを育てたがっているか」「どこが発達のヌケか」を捉えている必要があります。
ですから、ここからは発展形になるのですが、たとえば、先ほどのお子さんのようにシーツブランコを楽しんでいるというのなら、同じような揺れに対しても、発達刺激になる可能性があると考えます。
ブランコも同じ前庭感覚を刺激する揺れがあります。
でも、それを嫌がるということは、私達が捉えている「揺れ」はざっくりし過ぎで、もっとこの子が何を欲しているか、どういった揺れ、刺激に発達刺激を見出しているかを掘り下げていく必要があります。
「仰向け、つまり、重力と平行になっているのが良いのだろうか」
「強い揺れが良いのだろうか、小さな揺れが良いのだろうか」
「横揺れ?縦揺れ?リズムが一定が良い?変化がるほうが良い?」
など、同じ揺れにしても、連想は広がります。


そういった連想を元に、別の遊びへ誘うことも重要です。
何故なら、同じ刺激は確かに心地良いですが、それが慣れまでになってしまうと、発達刺激になる変化が生じなくなってしまうから。
神経発達というよりも、どちらかといえば、癒しになってしまいますね。
発達援助の基本は、発達刺激にバリエーションを付けること、いろんな発達刺激を味わってもらうことです。
発達刺激と癒しの境目は慣れになります。


子どもさんが主体的に行っている名も無い遊びには、発達の機会があるといえます。
一方で、ある程度、年齢が上がっていけばいいのですが、まだ知らないこと、体験していないことが多いお子さんの場合には、主体的な名も無い遊びの幅、バリエーションが限られていることもあります。
「もしかしたら、彼がまだ知らない世界に、もっと豊かにしてくれる名も無い遊びがあるかもしれない」
そういった視点を持つことが大事です。
最初は見向きもしなかったことでも、やり方を変えれば、一気に熱中する遊びに変わることもあります。
同じシーツブランコでも、揺らし方を変えてみる。
同じような揺れを味わえるブランコや吊り橋、スキンシップ遊びなど、バリエーションの広がりを目指してみる。
そういった工夫が、発達のヌケを育てきるまで必要です。


案外、最初の名も無い遊びのまま、年齢を重ねていき、いつの間にか、それが慣れであり、癒しになり、結局、そこのヌケが埋まっていっていない人も少なくないように感じます。
「子どもが主体的に育てるから、親は見守っているだけでいい」というのは、半分合っていて、半分間違っていますね。
子どもの主体性は邪魔してはなりません、特に時間を忘れて没頭しているような名も無い遊びの場合は。
でも、「もっと心が躍るような名も無い遊びがあるかもよ」と誘っていくのも、親、大人の役目です。
「我が子がどんな刺激を今、欲しているか?」
そういったことを日々考え、連想できるのは一緒に生活している家族だからできること。
是非、お子さんがいろんな名も無い遊びを見つけられるような、それがどんどん連なっていけるような後押しをしていただければ、と思います。




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