他者のために行動できる姿勢を育てる

録画していた10月29日のNHKスペシャルを観ていたら
「長寿の人は“慢性炎症”が極めて低い」
「“慢性炎症”は、食事や運動だけではなく、心の満足感とも関係がみられる」
「快楽型の満足感では炎症を抑えることはできないが、生きがい型の満足感だと抑えることができる」
という話が出てきました。
いつまでも現役で働いていたり、ボランティア活動をやられていたりするお年寄りを見かけると、年齢よりも若々しく見えるのは、このような医学的な理由もあったのですね。


「人類は社会的な集団生活を行い生き延びてきた。つまり、人間の脳や神経は社会とつながり、お互い助けあうように、生物学的にプログラミングされている、と考えられる」
という話にはゾクゾクっとしました。
これって祖先からのメッセージだと思いましたね、遺伝子に乗せられた。
「ヒトはヒトのために生きて、ヒトになる」という言葉が思い浮かびました。
世のため、人のために行動することが、もちろん社会、人類の繁栄へとつながり、そして自分の健康、長寿にもつながっていく…。


相談を受けていると、「自分には居場所がない」「自分は必要とされていない」などの言葉がよく聞かれます。
そんなとき、私はこう思うのです。
「“居”場所ではなく、“誰かのために動ける”場所が欲しい、と言っているのではないだろうか?」
「必要とされないのは、周囲に問題があるのではなく、必要とされるようなことをしていない、行動できないことに問題があるのではないだろうか?」
と。


話を聞いていると、みんながみんな、日々の生活が満たされて“いない”わけではありません。
衣食住はあるし、好きなことだってできている。
自分のことを大切に想ってくれる家族もいる。
中には仕事をしている人だっています。
でも、“生きる”だけが満たされても、満足しないんですね、ヒトは。
ヒトは社会的な動物ですので、人間脳が喜ぶには人との交流、相互作用が必要なんだと思います。


ですから、私はどんなことでも良いので、「誰かのためになっている」という実感が持てる活動が生活の中に組み込まれるような援助もしています。
家のお手伝いでも良いし、地域活動、ボランティア活動でも良いですね。
支援者からは「彼は傷ついているので、好きなことをやって心の回復を~」とか、「今は休む時期だと思いますよ。だから、ゆっくり休ませて~」とかいうアドバイス(?)を受けていた人でも、他者貢献ができていると感じられるようになると、心身ともに元気になっていき、自ら前進していけることも少なくありません。


私が施設で働いていたときも、どんどんお手伝いをしてもらっていました。
それは衣食住を満たすのは福祉であって、教育ではないからです。
人を育てるっていうのは、人の間が必要だと考えていました。
重い障害を持っていた人も、行動障害を持っていた人も、お手伝いとなると、一生懸命やっていた印象が強いです。
「はい、食事」「はい、お風呂」「はい、あとは好きなことを」では、彼らの成長も、満足感も得られていないように私は感じていました。


我欲で生きる人は老化が進み、他者のために生きる人は老化が抑えられる。
まるで「他者のために生きよ」と、祖先たちから言われているようですね。
そう考えると、ヒトを育てるということは、他者のために行動できる姿勢を育てることなのかもしれません。

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1369】心から治ってほしいと思っている人はほとんどいない