「今は、エネルギーを溜めているとき」っていう言葉は支援じゃない

社会参加できていない状態の当事者に対して、「今は、エネルギーを溜めているときだよ」っていうのは、どうなんだろうかといつも思いますね。
不登校の子とか、ひきこもりや休職&求職中の若者とか、結構言われたことがあるって聞きます。
でも、私には職場放棄しているだけじゃんって思っちゃいます。

そもそもエネルギーって、何のエネルギーなんでしょうかね。
身体的なこと?
怪我をしているんだったら、それが治癒するまでってわかるけれど、不登校やひきこもりの人って怪我をしているわけじゃないですし。
それに若い人だったら、一晩寝れば疲れも回復するでしょう。
むしろ子どもや若者が休み続ける方が、身体的にはマイナス。
身体はなまるし、頭はボーとする。
脳みそも、筋力も、持久力も、休んでいると発達ってしていかない。
使うから発達するし、使って放出するから、その空いたところに元気なエネルギーが入ってくる。
身体的なエネルギーって消費→回復→消費…の循環でしょ。

じゃあ、医師や支援者が言う「今は、エネルギーを溜めているとき」って、心のエネルギーを指しているのでしょう。
でも、心のエネルギーって何?
気力とか、やる気、意欲のことでしょうか。
それとも、うまくいかないことで負った心の傷が癒えるまでってことでしょうか。

私も、不登校やひきこもり、仕事ができずにいる発達障害の子どもや若者と接しています。
その人達の中には、学校に行くようになったり、就職したりして、そういった状況を抜け出した人が何名もいます。
でも、その人達って「十分に休んだから」「心の傷が癒えたから」っていうのではなく、動くようになったから脱したといえます。
だって、私に依頼が来る前まで、何年間も休んでいた人ばかりだから。
つまり、休むのを止めたから本人が変わっていったんです。

人間には、そもそも自然治癒力っていうのが備わっています。
身体を動かし、エネルギーを使うから、自然治癒力が発揮され、新たな活力が湧いてくるのです。
社会の中、人間の中で傷ついた心は、社会の中、人間の中で癒えていくのだと思います。
仕事で失敗し負った心の傷は、仕事をして癒すしかありません。
対人関係で失敗し負った心の傷は、人と接して癒すしかありません。
そのために準備する、つまり休むのではなく、動くのです。

私の基本的な考え方は、「心のエネルギーなんて曖昧なものを支援に入れない」です。
心の傷なんていう曖昧で、誰にも見えないものを支援に入れてしまったら、詐欺でも、教祖様にでもなれちゃうからです。
テキトーに支援して、「今は心のエネルギーを溜めているときです」なんて言って、支援しているフリをすれば儲けることができます。
結果が出ていなくても、「支援を止めちゃったら、心のエネルギーが溜まらず…」とやれば、教祖様になれます。
つまり、「心のエネルギー」は当事者のための言葉ではなく、支援者側の都合の良い言葉なのです。

「今は、エネルギーを溜めているときだよ」と言われたら、「いつになったら、溜まりますか?」「どうなったら溜まりますか?」と尋ねましょう。
きっと明確な答えは返ってこないはずです。
だって、普通の人にはエネルギーが見えないから。
だって、そもそも支援としてではなく、ただ慰めているだけだから。

その場で立ち止まり、休んでいても、溜まっていくのは心のエネルギーではなく、焦燥感だけです。
だから、一歩踏み出しましょう。
だから、一歩踏み出すための準備をしましょう。
社会の中で傷ついた心は、社会が癒してくれます。

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