直言することの大切さ

「人間、3人の友を持て」という名言があります。
その3人とは、"原理原則を教えてくれる人"、"師と仰ぐ人"、"直言してくれる人"。
「今の私にとって、この3人は誰なのかな」と、時折、3名の顔を思い浮かべています。
どの人も大切な人には違いがありませんが、やっぱり耳の痛いことでも直言してくれる人の存在が最も貴重だと感じています。

日々、自閉症の人たちと接していますが、その人たちにとっても"直言してくれる人"の存在が重要なのだと感じています。
何故なら、自閉症の人たちは白黒はっきりさせることを好む脳を持っていますし、事柄が明確であればあるほど、的確に捉えることができ、成長につながっていくからです。
反対に言うと、曖昧さは彼らの混乱を招き、また誤学習を生むことにもつながります。

日本には、"曖昧さの文化"があります。
明確な表現よりも、曖昧な表現が多く、それを察することが求められます。
感情にしても、意見にしても、あまりはっきり表現することはありません。
でも、それは想像することが苦手な自閉症の人たちにとって、わかりにくい表現方法になります。

私は、自閉症の人たちと接するときには、直言するようにしています。
良いものは良いと言い、悪いものは悪いとはっきり言います。
周囲から見たら厳しいようにも、冷たいようにも映るかもしれませんが、明確に伝える方が誤解を招きませんし、彼ら自身も「大久保さんの言うことは、わかりやすいからいい!」と言ってくれます。

自閉症の人が悪いこと、望ましくないことをしたとき、「はっきり言うと傷つけてしまうのではないか」という思いから、曖昧な表現を選択することがあると思います。
しかし、その気遣いは、却って彼らを傷つける結果になることがあります。
何故なら、自分の言動が悪い影響を与えた事実に気づけないからです。
そのため、再び似たような過ちを犯してしまい、周囲からネガティブな反応を繰り返し受けることになります。

彼らは良く言います。
「良いことも、悪いこともはっきり教えて欲しい。それじゃないと、望ましい行動をしっかり身に付けることができないから」と。

問題を起こす人、自分の迷惑さに気が付かない人、誤った自己流の解釈をしてしまう人の陰には、曖昧な表現があったのではないかと思います。
誤学習を生むのは曖昧さであり、誤学習を修正するのは直言だと考えています。
昔、ある会議で私ははっきりと言いました。
「中途半端な愛情は、本人たちを苦しめる」

曖昧な表現でも相手の意図を自然に汲み取ることができる定型発達の人とは違いますので、はっきり言って伝えることが大事だと思います。
私は彼らにとって"直言してくれる人"の一人になれることを目指しています。

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