ヒトという土台を養う機会

近所の公園で、工事が行われていた。
そこにあった大きなジャングルジムは、丸太と木の板の山になっていた。


昨年も、近所の別の公園で工事が行われた。
子ども達の遊んだ記憶がたくさん刻まれた遊具たちは、色鮮やかな遊具へと変わっていた。


新しい遊具を見ると、そこには子どもの発達を意識した仕掛けが施されていた。
現在を生きる子ども達に必要な栄養素が計算されている。


役目を終えた遊具たちのように、新しい遊具も“今”の子ども達の発達に寄り添っていくだろう。
しかし、子ども達の本能を満たすことができないと思う。
何故なら、とにかく安全なのだ。


どんどん高い場所へ登っていく。
高いところから飛び降りる。
不安定な場所を駆け上る。
こういった子どもの衝動を満たすための遊具は、どんどん消えていく。


安全な遊具で遊ぶ子は、遊具での動きを身に付ける。
正しい遊具での遊び方、身体の動かし方を学んでいるように感じる。


子ども時代に発達させたいのは、ヒトとしての身のこなし方。
そのために、子どもの内側から溢れ出る欲求を満たす動きが求められる。


子ども達の周りから、ヒトに還る機会、ヒトとして育つ機会が失われていく。
幼いときから、人でいるように求められる子ども達は、どのように発達、成長していくのだろう。


ヒトとしての土台を養う機会をどう作っていくか?
大人が真剣に考えていく必要がある。

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