自閉症支援に対する立ち位置

近頃、気になることがあります。
それは、自閉症支援に対する立ち位置です。

「自閉症について理解がないことが問題だ!もっと自閉症のことを社会に知ってもらって、自閉症の人たちが生きやすくなるようにする」
という考え方と、
「自閉症者自身、生きやすくなるために、努力してスキルアップしなければならない」
という考え方の2つのベクトルがあり、それぞれ個人(本人・家族・支援者)によって、どちらを重視するか、またどちらとも同じくらい重視しているか、などの立ち位置が決まってくるのかなと思います。
それぞれの考え方の根底には「障害観」があるように感じます。

どちらの考え方も「自閉症の人たちが生きやすくなる」ことがゴールですが、そのアプローチの仕方に違いがあります。
私自身を考えると、後者の自閉症者自身のスキルアップを、という方に重きがありますし、てらっこ塾自体も、自閉症者自身のスキルアップを手助けする機関となっています。

私も社会全体に広く自閉症について知ってもらい、理解してもらうことが大切だと考えています。
しかし、自閉症に対する社会の認知の高まるスピードと、自閉症者の成長のスピードにはギャップがあると感じています。
過去を振り返ってみても、個人が年齢を重ねていくよりも、社会での自閉症に対する理解のスピードはゆっくりです。
自閉症に対する理解の高まりを待っていては、すぐに今の子ども達も大人になってしまうと思います。

また現実的に考えると、どうしても自閉症と関わりのない一般の人に、自閉症について理解してもらうことには限界があると思います。
自閉症者の家族や支援者と同じように、とはなりません。

ですから、私は今、目の前にいる本人が生きやすくなるような支援を行っていきます。
そして、それぞれの人が力をつけ、地域に出ていけるようにする。
地域に出て、活躍する自閉症者が増えれば、それだけ一般的な人にも知ってもらう機会が増えますし、そのこと自体が自閉症啓発へとつながると考えています。
これが私なりの社会への啓発の仕方であります。

ときどき、障害を盾にしたり、何でもやってあげようとする人を見かけます。
しかし、これ自体、自閉症者に対して失礼なことだと思います。
障害を持っているからと言って、「努力しなくては良い」ということにはならないと思います。
もちろん、障害ゆえにできないことを無理にやらせようとすることはしませんが。

障害があるなしに関わらず、人が成長するには努力が必要です。
私は自閉症の方たちに正しい努力をして、たくさん成長してもらえるような手助けをしています!
*てらっこ塾はこの辺かな




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