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関東出張のご案内(11月27日~29日)

お陰様で予定がすべて決まりました(2020年10月11日8:00) 本日、正式なご依頼があり、11月27日~29日の間で関東に出張することになりました。 まだ航空券等に余裕がありますので、他のご家族でお申し込みがあれば、それをお受けしてから日程を決めたいと考えています。 【訪問可能な日時】 11月27日(金)午前「✖」 午後「△」*ご希望があれば調整します。 11月28日(土)午前「〇」 午後「〇」 *「午前午後可」という形で1家族決まりました。 11月29日(日)午前「埼玉」午後「〇」 たぶん、2020年は最後の関東出張になると思います。 お子さんの発達の確認、2021年に向けたより良い子育てなど、「この機会に」というご家族がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。 お問い合わせ先→ てらっこ塾HP どうぞよろしくお願い致します。

【No.1110】2030年以降、『予防』が中心になっていく

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近頃は、口に関する勉強をしています。 医学的な咀嚼や嚥下の話はもちろんのこと、機能改善のためのリハビリ、保育の方面からも離乳食、幼児の食事について改めて学び直しています。 それはコロナ後を見据えた準備です。 既にちらほら影響が聞かれてきていますが、来年以降はもっと口に関するトラブルを抱えている子ども達が表面化してくると思います。 咀嚼や嚥下は生きるための基本であり、そこに遅れが出るということは、多方面へ波及してしまいます。 酸素不足、口呼吸によるダメージ、歯茎からの情報探索、言葉の遅れ、手との協調運動、味覚、聴覚の育ち…。 それがさらに、対人面、認知面、運動面の発達に影響を及ぼしていきます。 乳幼児期の子どもにとって、モデルとなる大人の口元が見えないということは大問題です。 私は民間の経営者ですので、今のニーズだけを見て仕事をしていけば、すぐに倒産してしまいます。 生き残っている民間企業を見れば、どこも時代のニーズの半歩から一歩先を歩いているのがわかります。 私で言えば、今のニーズは家庭でのアセスメント、子育ての仕方ではありますが、近い未来はコロナ禍で作られた発達障害の子の遅れをフォローすることであり、その先は発達障害の予防になると考えています。 今までは発達に遅れが見られてからの相談であり、ニーズでしたが、今後も、少子化は歯止めが利かず、一方で診断を受ける子が増えるでしょうから、妊娠が分かった親御さん、出生後、さあ、子育てを始めていこうという親御さんからの相談、ニーズが出てくると予想しています。 2030年代には、「発達の遅れが出てから」から「発達の遅れが出る前に」になると思います。 以前からそのように考え、準備していましたが、ここ1、2年でさらに強く思うようになりました。 それは発達相談の低年齢化です。 もう今では2歳代の子のご家族からの依頼には驚かなくなりました。 1歳代の子も珍しくはなくなったのです。 1歳代で診断をつける意味がわかりませんが、実際、診断をつけられる子が増えているのも事実。 この先、0歳代の子のご家族から依頼があったらどうしようかと思う一方で、それが将来のニーズである「予防」を連想させるものでもあります。 同じように「先に先に」という流れを感じることがあります。 来年度に就学を迎えるお子さん達は、夏から秋にかけて就学相談や就学時健康診断が行わ...

【No.1109】口は愛着の入り口

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出張に行くと、普段よりもタンパク質を欲するのが分かります。 その土地のものを、地元の人が行くようなお店を目指していくのですが、どうしても身体が「タンパク質を!」と叫ぶのです。 出張は現代版の狩りですから、私の中に流れる狩猟民族の血が騒がしくなるのでしょう(笑) コロナの3ヶ月以外は、月に2回のペースであちこちに行っていましたが、体調を崩すことがありませんでした。 それは身体の声に従っていたことも大きな要因だったと思います。 急激に乾燥し始めた近頃は、温かい汁もの、ネギ類、柑橘系が美味しく感じますね。 私は今までずっと自分が食べたいものを食べて生きてきました。 なので、どの人も同じような感じだと思っていたのですが、そうではない人も少なくないようでビックリしたことがあります。 昨年からの相談で、子どもが「プロティンを飲んでくれない」「サプリを口から出す」という話を伺います。 体内に入れるのは、親御さんではなく、子どもさん自身です。 ですから、その子どもさんが飲みたくないということは、飲む必要がないものだと私は思います。 大人よりも、感覚が鋭く、本能に近い子ども達なのですから、何かを察したに違いありません。 以前、ある親御さんに注意したことがあります。 嫌がっているお子さんに飲ませようとしていたので。 有名な先生が一日の目標量を示したのかもしれません。 でも、それにとらわれてしまって、目の前の子どもが見えなくなってしまっているのは問題です。 食は、愛着形成にとって重要なポイントになるのです。 神経発達症の子ども達は、胎児期から出生後すぐの段階で感覚系に未発達があるために、親御さんからの愛情をそのまま受け取ることが難しい場合があります。 本来、心地良いはずの身体接触が、感覚器の未成熟によって受け取ることができなかったり、反対に不快な刺激として受け取ってしまったりすることがあります。 そのため、親御さんが愛情たっぷりに育てていたとしても、子ども側の感覚の状態によって、うまく愛着形成がなされていかないのです。 神経発達症の子ども達には、運動や感覚だけではなく、愛着形成の遅れも見られることが多々あります。 ですから、愛着形成も注意してみていく必要があるのです。 そういった子ども達にとって、愛着を育てていく関係性にある親御さんから、自分が本能的に察して食べないと判断したものを食べさ...

【No.1108】治療法がないのに診断する意味ってあるの?

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私がトレーニングを受けたときのドクターは、「今、アメリカでは、どんどん診断がつけられるようになっている。以前は自閉症に該当しなかった子ども達までも」と嘆いていました。 50年前は稀な障害だったのにもかかわらず、今ではすっかり珍しくない障害になり、発達障害のブームすら起きている状況です。 この調子で増え続ければ、2030年代には子どもの半数は発達障害ということになるかもしれません。 そうなれば、今以上に残酷な分断が生じるでしょう。 診断という枠が広がれば広がるほど、揺り戻しが起きるのも、今までと同じです。 今のHSPというのがそれでしょう。 なんとか症候群は出ては消えの繰り返しです。 結局、過敏さの根っこを辿っていけば、そういった人種が突然現れたのではなく、前庭覚や聴覚、皮膚の未発達だったり、愛着形成の不具合、つまり神経発達と繋がっていくと感じます。 10年後、20年後も、自閉症や発達障害のように、その症候群の名が残り続けるとは思えません。 現在の診断は行政サービスへの通行手形のようになっています。 支援者や先生が、あたかも住民票をとってくるかのように、「診断を受けて来てください」と言われるくらいです。 その重さ、ニュアンス、質感がだいぶかわったような印象を受けます。 でも、ここで浮かんでくるのが、「そもそも診断ってなんのためにあるのだろう?」という疑問です。 最初に自閉症に気づいた医師も、今のような診断基準を作った専門家たちも、行政サービスの通行手形をイメージしていたのではないと思います。 たぶん、症状でグループ化することは、治療に繋げるためのはずです。 虫の分類のように、当事者の人たちを「当たりはずれ」と表現する医師はもっと後になって生まれた人達だといえます。 そうやって共通する症状で、特定の診断名をつけたのは、診断名をつけることによって「この障害には、こういった治療が有効」というのを見出したかったからでしょう。 で、ここで新たな疑問が浮かび上がるのです。 「自閉症には構造化」「発達障害にはSST」「知的障害にはABA」といった具合に、診断名とここでいえば治療法ではなく対処法を結びつけようとする動きがありました(今も?)。 でも、あくまで対処法ですので、診断名とマッチするようなシロモノではありません。 そもそも治療ではありませんので、同じ自閉症という診断でも合う人...

【No.1107】入口と出口を押さえられた教育

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教育大に入学したのだから、子ども達への"教え方"について学べるものだと思っていました。 1年目は、「最初だから座学が多いのかな」「教養や知識の習得の講義が多いのかな」と思いきや、それが2年目、3年目となり、気が付けば4年目になり、卒業してしまいました。 実践的な教え方を学んだと言えば、教育実習の期間中でしょうか。 あとは、教育の歴史だとか、障害の種類だとか、パブロフの犬やアヴェロンの野生児、ボウルビィの愛着理論とか、そんな感じです。 教育大なのに、教えている教授の教え方が悪い。 何年も使い回しのレジュメを配って(コピーのし過ぎで端が切れてる…)、声も聞こえないような一方通行の講義。 地方の国立大ですから、これで許されているのでしょうが、それにしてもつまらない講義ばかりで、だからこそ、自分で地域活動やボランティア活動、社会人を対象にした講演会などに潜り込むような4年間を過ごしていたのだと思います。 私も教員免許を持っていますが、結局、これは自動車免許と同じなんだと思いました。 教員の資格を得るための4年間であり、大学は学科、実習が実地、自動車学校で基本的なことは学べるけれども、運転の上手い下手は個人のセンスによるし、何よりも実際に運転するようになってからの練習と経験がものをいう。 今こうして子ども達や育ちに関わる仕事をしていますが、ほぼ大学で学んだ知識は使われていない。 他の仕事と同じように、やはり社会人になってから学んだことが主になっています。 というか、大学で学んだことだけでできる仕事なんてありませんね。 教育大ですので、同期はほぼ教員です。 学生時代、生意気にも「あの先生の教え方が悪い」「あんな教師にだけはなりたくない」「俺だったら、こんな授業をする」なんて言っていた仲間たちですが、皆さん、見事に"あんな教師"になっています。 共に学び合った仲間なので、それぞれの学校で頑張り、中堅になった今頃は学校も、地域も少しは良くなっていると期待していたのですが、あいも変わらず、構造化、惰性でやっている朝の会&帰りの会、とにかく「仕事には体力!」で校庭をランニング、エスケープゾーンという名の出口のない部屋、問題行動は無視、令和にその仕事ある?というような木工・陶芸の職業訓練、自立を掲げながら進路は福祉ばかり…。 これって私が学生時代か...

【No.1106】自分で育てているときと、そうではないときの見分け方

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9月13日(日)のzoom講座のあとから、こういった質問を多く受けるようになっています。 「自分でなにか(発達)を育てているときと、そうではないときの見分け方は?」 確かにその見分け方までは説明しなかったと思います。 途中で質問タイムがあり、そういった行動についての相談がありましたが、答えることがメインで根拠までは説明しませんでした。 昨日で録画した動画を視聴できる期間が終わりましたので、この辺りのお話をしようと思います。 言ってしまえば、雰囲気です。 実際に見れば、良く分かりますが、何かを育てているときの姿は雰囲気がぜんぜん違います。 伸びやかで、自然で、明るく、内側から突き動かされている感じがします。 でも、これは私個人のイメージであり、現在まで多くの人たちと関わってきたからこそ、感じる部分だと言えます。 なので、答えているようで答えになっていませんし、これでは講座を視聴してくださった方達への後押しになりません。 ちなみに、メール相談でも、電話相談でも、親御さんの言葉を通してお子さんの雰囲気は伝わってくるものです。 そこで、どのようなところを具体的に見ているのか、どのような勉強を通して身に付けた技術なのかを紹介しようと思います。 まず大まかな枠組みとして、子ども達の行動には「育てる」「(純粋な)遊び」「防衛」が考えられます。 自分自身で発達を育てているときは、必要な刺激、足りていない刺激を求めていますので、型はどうでもいいわけです。 どんなやり方、どんな環境を使おうとも、同じ刺激が得られれば良いのです。 ですから、内耳を育てている子は、移動するときもピョンピョン跳ねているし、縁石をみればその上を歩こうとするし、ソファーに上がってはそこから跳び下りようとするし、おんぶされていても頭をたくさん動かすし、公園に言えば、とにかくブランコだし、自分も回るし、扇風機など回るモノも好きだし…という具合に、生活全般の中で「ああ、内耳を育てたいのね」というまとまりがあります。 一方で遊びは趣味嗜好なので、ある程度、決まった型があります。 いつも同じ場所で行う、いつも同じものを使う、遊びは変わっても遊ぶもの自体は、やり方自体は変わらない、ということがあります。 また育てる行動は、一種の退行ですので、その子の認知機能からいえば、行動レベルが幼いことをやります。 普通級で勉強しているよ...

【No.1105】因果関係ではなく、育つための糸口として捉える

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神経発達症の子ども達は、神経に「未成熟や未発達の部分がある」ということだといえます。 ですから、もし彼らに有効な薬があるとすれば、神経の発達を促す薬になるでしょう。 しかし残念ながら、そういった薬はありません。 今ある薬、処方されている薬は、彼らの症状を抑えるためのものになります。 表に出ている症状によって、生活に支障が出ている人もいるでしょう。 そういった人たちにとっては緊急事態ですから、一時的に症状を抑える必要があると思います。 でも、緊急事態は緊急事態であって、生涯、永遠に、ということはないはずです。 根本的な解決を目指すとすれば、彼らの神経をよりよく育てていく以外ないのです。 実生活で何らかの支障が出る。 そして受診し、薬が処方される。 ドーパミンやノルアドレナリンなど、神経伝達物質を調整することで症状の緩和や抑え込みを目指していく。 しかし、ここでしっかり考えなければならないのは、神経伝達物質の問題が症状と直接結びつているかどうかです。 たとえば、授業に集中できない子がいるとします。 そこで中枢刺激剤が処方され、服用するというのが一般的な流れですが、授業に集中できないのは、神経伝達物質の問題だけではないはずです。 そもそも中枢刺激剤は、神経発達症以外の人が服用しても集中力が上がるものでもあります。 本来、医学的な処方をするのでしたら、他人の身体の中に何かを入れるという判断をするのでしたら、それなりの根拠が必要になります。 しかし全国を探して、わざわざ学校まで子どもの様子を見に来てくれる医師はいるのでしょうか。 というか、ここに神経発達症における医療の限界があるのだといえます。 つまり、因果関係がはっきりしているものに対して強いのが医療。 だけれども、いろんな影響と可能性が考えられる複雑系のものに対しては限界がある。 (授業に集中できないのは、聴覚(≠前庭系)の未発達、身体の軸が育っていない、腰が育っていない、脳の未分化、栄養不足、睡眠の乱れ、汗がかけない、そもそも授業がつまらない、先生が嫌いなど無数&複数の重なり合い) 神経発達なんて、複雑系の最たるものです。 神経発達症の子ども達に多く見られる言葉の遅れ、不器用さ、こだわりなど、何か一つの原因で説明できるものなどありません。 遺伝というベースに、胎児期からの環境の影響を受け、複雑に絡み合い、現時点で表に出...