2015年10月26日月曜日

特別支援学校&学級の子ども達が行っているSSTを見て…

久しく知的障害を持った方からの新規依頼はなかったのですが、ある新規の子が始まってから、その親御さん伝えに知的障害を持った方たちの依頼が来るようになりました。
2年目以降、知的障害を持っていない方たちばかりだったのですが、久しぶりにいろいろな方と接するようになりますと、以前とは違った見え方がします。

知的障害を持っている子ども達ですので、特別支援学校&学級に通っています。
以前はあまり思わなかったのですが、「学校や家で高度なことをやっているな」と思うのです。
通常学級に在籍している子でも、「こんなレベルはやっていない」「理解できるかな」というものもあります。
教科学習の面では違いがありますが、特にソーシャルスキルに関することでは差がない、もしくは特別支援の子の方が高度なことをやっていると感じます。

こういった見え方をするようになったのは、先日行った発達援助イベントの影響が大きいのだと思います。
知的障害を持った子たちの新規が増えたタイミングで、この研修に参加できたのも、何かのメッセージがあるように自分では思っています。

正直なところ、知的障害を持った子ども達がこのような高度なSSTをやって身につくのだろうか、そもそも何を伝えられているのかわかっているのだろうか、と疑問に思うのです。
そもそも勉強していて楽しいのかな、とも。
知的障害のない子ども達でもSSTがうまくいかないことばかりです。
いくら知識として学んでも、場面が変われば応用できない、または理解しているようでも、根本の部分ではわかっていない、ということが多々あります。
どちらかというと、理解しているのではなく、形としてその場に適した言動を行っている人が多いのです。
こういったSSTは、脳の表面に働きかける学習なのだと思います。

先日の発達援助イベントでは、脳の深部に働きかけるSSTというお話がありました。
確かに、脳の発達過程から自閉症の人たちを見ると、仰っている理論がよくわかります。
脳の深部を刺激し、発達を促すことで、全体的な成長を目指していく。

「〇〇は×」の"×"は抽象的な表現です。
その子はどのくらい抽象的な概念が理解できるのでしょうか。
「こういった場合は〇〇します」の"こういった場合"を構成している情報をすべてキャッチできる力があるのでしょうか。
また、他の場合との比較するために、頭の中に複数の場面を置いておけるのでしょうか。
他人と交流する場合、他人と自分の境目がわかっているのでしょうか。
そもそも自分という存在がわかっているのでしょうか。
そして根本的な話として、知識として得たものを実際の行動として変換することができるのでしょうか。
知的障害を持っていない人たちでも、得た知識を実際の場面で行うことに困難さを持っています。
ですから、知識からのSSTではなく、実践を通して、もっと言えば、頭ではなく、身体を通して学んでいます。

知的障害を持っている自閉症の人たちこそ、情報を受け取りやすい部分から刺激すること。
そして、脳の深部に働きかける学びの方が適しているのだと思います。
「×」とか、「手伝って」とか、振る舞いとか、他の場面への般化とか、抽象的な概念を理解できる力が求められますので、かなり高度な脳力が必要となってきます。
もし般化ができない、できているように見えるがパターンとして覚えているだけ、という場合には、脳の表面からのみではなく、脳の深部から学びを始めた方が身につくかもしれません。
これからは知的障害の有無に関わらず、発達障害の人たちに対する発達援助支援はこのような流れが主流になってくると思います。
身体を使った学びは理解しやすく、子ども達にとっては「楽しい」と感じやすいですからね。

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