2020年12月31日木曜日

【No.1131】2020年も大変お世話になりました!

まずは業務連絡からです。
12月26・27日にお会いした皆さま、昨日の午前中、報告書を郵送いたしました。
早ければ本日、遅くてもお正月明けにはお手元に届くと思います。
2021年の更なる成長を願い、ご本人、ご家族を後押しする気持ちを込めました。
報告書を読んでわからないことや新たなご質問等が出てきましたら、メールくださいませ。
お返事いたします。


ということで、昨日は本局に封筒を出し、その後、神社にお礼参りを。
午後からは経理の仕事を行い、2020年の帳簿を完成させました。
今朝はジム納めをして、駐車場の雪かき、注文していたオードブルとお正月料理を受け取りに行き、お昼に年越しそばを食べ、メール相談の返信をし、今、豆を挽き、珈琲を入れ、飲みながらブログを綴っております。


大人になると、一年が早く感じていましたが、今年に限って言えば、長い一年でした。
途中、動きたくても動けない時期がありましたが、緊急事態宣言が明けたその日から関東出張。
結局、出張も本州だけで11回、北海道内もあちこち行っていましたので、今年の目標であった毎月1回以上の出張を達成することができました。
私に発達相談の機会を与えてくださった皆様、どうもありがとうございました。


一応、個人事業とはいえ、経営者ですので、「どうして依頼が増えたのか?」を分析する必要があります。
一番の理由は、花風社の浅見さんをはじめ、著書の方々、花風社さんの本を愛読する方達が私という存在をお引き立ていただき、広めてくださったからだと考えています。
個人事業主として生き残るかどうかは、腕の良しあしではなく、その前に何よりも「知ってもらう」ことだと思います。
私のように何かモノを売るのではない個人事業主のほとんどは、サービスの質で勝負する前に「知らない」ということで消えていく存在です。
ですから、私一人では難しかった「知ってもらう」ということを後押ししてくださった皆様、どうもありがとうございました。


この一年、発達相談でお会いした皆さまの顔を思い浮かべると、コロナ騒動があろうがなかろうが、たぶん、依頼してくださったと思います。
どういうことかと申しますと、みなさん、自分の頭で考えられる方達だと感じるからです。
いま、全国どこでも公的な支援サービスを受けることができます。
しかも、ほとんど自己負担がなく。
何も疑問を持つことなく、多数派に合わせて、専門家の言う通りに「脳の機能障害で治らない」という言葉を信じ、支援サービスを我が子に受けさせれば受けさせるほど、熱心な親、(特別支援から見た)良い親という評価を受け、典型的な「発達障害児を育てる親」として生活することができます。
その意味や意義、科学的な根拠を調べることなく、「みんながつけているから」「外していて、自分が責められるのが嫌だから」というマスク姿の人達のように。


「みんなが受けているから療育を」
「支援を受けずに子育てしていたら、ダメな親と責められるのが嫌だから」
別に療育の効果があろうがなかろうが、支援サービスの大部分が利用していない国民の税金、支えによって成り立っていようがいまいがお構いなし。
そういった人達、ある意味、不安が強く流されやすい国民性がある日本という国に住んでいても、自らで考え、主体的な子育てをしようと行動されている。
そのような親御さん達にとっては、コロナが子育ての手を緩める理由にはならないわけです。


春には「42万人が死ぬ」という専門家がいました。
12月31日現在、お亡くなりになったのは3,500人弱。
WHOの指示により、ほかのどんな病気を患っていようとも、PCRで陽性が出れば、コロナ死と書け、という状態でも、あと41万6500人もの差がある。
あの発言があったからこそ、多くの人々は自粛し、社会は大きな混乱をし、新年を迎える前に倒産や失業、自ら命を絶った方も大勢いたのです。
これって、そのまま、特別支援の世界と重なりませんかね。
「42万人死ぬ」は、「支援がなければ、二次障害」
何々が"なければ"、ひどいことが起きる、というのは脅しの文法です。
専門家の脅しによって、どれほどの親御さん達が、というか子ども達が必要のない支援を受けたのでしょうか。
特別支援を選択することによって、失った親子の時間、自然な子育て、同年齢の子ども達が得る体験、学び、自らを育てる機会を失ってきたのでしょうか。


療育を辞めようとすると、「我慢の3週間」のように「(辞めるのを)我慢の小学校6年間」「思春期を迎えるまでは支援と繋がっていた方が…」という。
みんながワクチンを接種するまでは、コロナ騒動を終わらせないぞと「変異ガー」とやるのは、服薬ありきで成人の人たちに診断をつけようとするのと似ています。
「三密禁止」は、「治す」「特別支援の外」「親次第」という特別支援の世界における三大タブー。
「Go to トラベル」にブーブー言うのは、自分たちが治せないのに治っているなんて、というただの僻み。
僻みにエビデンスはありません。
ブルーインパルスを見るように、青く光った建物をみて、「自分たちは一人じゃない」と思う、ただそれだけ。
都知事のフリップ芸は、視覚支援?
同じ経済圏、通勤圏同士なのに「来るな」というのは、かつてのTEACCHとABAのいがみ合いを思いだされます。
PCR陽性者≠発症者は、診断基準を満たす≠自閉症。
加算を得るための無症状者狩りは、現時点で未発達がある子を支援の世界に送り込むのと一緒。
医療崩壊は制度や仕組み、いうならば医療の世界の問題なのに、「気の弛みだ」と社会のせいにするのも、発達障害の啓発活動と被ります。
2類から5類に変えよう、脳の機能障害から神経発達症のように。


自粛自粛の一年でしたが、結局、自粛の根拠となる法律も、エビデンスもなし。
診断→療育→特別支援教育→児童デイ…と、それが発達障害児を育てる親の務めのように感じるかもしれませんが、すべてお願いベース。
お願いベースの象徴は、就学相談。
その子にとって最適な教育環境を用意するのが特別支援なのに、次年度の教室の具合、教員の配置の具合が優先される地域も。
児童数と教室、教員の配置の問題だったら、最初から教育相談で親の希望など訊く必要がないのに。
まさにアリバイ作りのための「自粛」と「就学相談」です。


私はこの一年を過ごし、今の、そして未来の子ども達のために頑張ろうと強く思いました。
マスク一つ外せない、外さない大人はもう無理です。
「専門家が言ったから」「みんながそうだから」
自分の頭で考えられない大人の姿は、今までの日本の教育、家庭教育も含めての失敗そのものだと思います。
太平洋戦争のときとなにも変わっていない。
特別支援の世界でいえば、これ以上、子ども達、若者たちの未来を奪うわけにはいきません。
「行けと言われたから行く」のではなく、自分の頭で考え、自分の行き先を選択、行動できる人を育てなければなりません。
そのためには、ヒトである土台を育てなければ、その土台のヌケを育て直さなければ。
土台が育っていないから、頭ばっかりで判断してしまう。
頭を洗脳するには、言葉と情報。
でも、ヒトとしての土台が育っていれば、一方的な言葉と情報に感覚と身体で抗うことができるのです。


まあ、そんなわけで、コロナ騒動を経験したからこそ、私の進むべき道が定まったといえます。
自らの頭で考え、身体で選択し、行動できる人を育てる。
そのための発達相談であり、発達援助。
来年も、志を共にする方達と共に頑張ります。
皆様、良いお年をお迎えください!




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2021年1月23日(土)『医者の教えてくれない子どものステキなところ』zoom講座の参加募集中です。
ご案内のブログはこちら
ご参加をお待ちしております!


2020年12月25日金曜日

【No.1130】『発達障害・脱支援道』(花風社)を読んで

福祉、特に障害者福祉の世界は不思議である。
施設職員による暴力や人権侵害など後を絶たないが、いつもそれは"内部"告発によって世の中に出る。
自ら訴えることが難しい当事者にとって、本来、一番の代弁者は親であるはずなのに、親からの告発はめったにない。
あったとしても、それは我が子と親の闘いに終わることばかりで、同じ施設を利用している他の親たちに波及することがなく、ネットニュースの一つとして埋もれ、消え去っていく。
そうして、いつまで経っても、福祉の闇は闇のままである。


今回、皆様にご紹介、お勧めする本は、自閉症・発達障害を持つお子さんを育てられた親御さんであり、また自ら様々な福祉の現場で働かれた経験を持つ廣木道心さんが執筆されたものです。
廣木さんほどの経歴・職歴を持っている親御さんは少ないと思いますが、親から支援者の立場になられた人は少なくないでしょう。
しかし、そういった親御さんと廣木さんの違いは、我が子のパニックを治し、働く大人として社会に送りだした点です。
そこがまず大きな違いです。


大部分の支援者に転身した親御さんというのは、我が子に叶わなかった願い、子育てを他人の子を使って気をそらしているだけ。
これまた障害者福祉の不思議なところで、我が子をより良く育て、社会に送りだした親御さんほど、福祉の世界に入ろうとはしないのです。
反対に、「まず我が子をどうにかしろよ」という親御さんほど、ひと様の子の支援や相談、挙句の果てに講演会の講師まで引き受ける始末。
療育手帳では重度という判定を受けながらも、同年齢の子ども達と同じ学校、教育を選択し、社会人になった今では子ども時代から磨いてきた資質を使い、社会の中で一人の大人として生きている息子さんを育てられた先輩として語られる言葉に耳を傾け、学ぶことは大きな意義のあることだと思います。


また冒頭で記した通り、福祉の問題は内部告発でしか表に出ない中、この本で語られている現実は、外から福祉を覗く者にとって貴重な証言になるはずです。
特に、まだ幼いお子さんを育てている親御さんたちにとって。
もちろん、小学校、中学校というように、特別支援の世界が長くなれば、福祉の闇は見聞きするものですし、何となく皆さん、気がついています。
でも、人というのは見たくない現実を頭の中で変換する能力を持っています。
「私が見た児童デイの職員の対応は、あの職員個人に問題があったからだ」
「施設内虐待のニュースが出ていたが、あれはあの施設に問題があるんだ」
「私が出くわしたあの場面は、たまたま手が出て、たまたま声を荒げてしまっていただけだ」


このように現実を見ようとしない人が少なくないのは、いずれ我が子が利用しないといけない世界だと思っているから。
必ず行きつく道だとわかっているのなら、自分の身と心を守るために、自分自身に騙されたフリをする。
私が見てきた親御さん達もそうでした。
障害者福祉の世界は、構造上、内部から変えるのは難しいといえます。
だからこそ、内部告発によって表になったとき、利用している親御さん達が協調し、皆で訴え変えていく方向へと進まなくてはならないのに。
だけれども、「じゃあ、おうちでみてください」と言われるのが怖くて、というか自分自身でも負い目があり、だんまりを続け、自分たちの日常生活に戻っていく。


何故、廣木さんの見てきた世界の証言が、貴重な証言になるかと言えば、揺るがない現実を見せてくれるからです。
子どもから成人まで、児童デイ、生活から移動支援、介護士から施設長。
これだけの世界を実際に働き見てきた廣木さんが語っていることに対し、私達はいくら頭で「特殊な例」と変換しようとしても、それは不可能です。
障害者福祉の問題は、その地域とか、その福祉法人とかの問題ではなく、障害者福祉の歴史の中で脈々と続き、絡み合って作られた深い闇です。
たとえ1つの法人、一人の職員が会心し変わったとしても、障害者福祉全体の課題は変わらないのです。
その事実を私達に突き付けてくれるには、十分すぎる程の職歴と体験と本の内容だといえます。


たぶん、10年後、この本を読んでも、内容は色あせないと思います。
今の私達と同じように、「やっぱりそうだったのか」と手にとった未来の親御さん達も思うでしょう。
障害者福祉と特別支援教育は離れているように見えて、既に教育の中でも福祉の侵食が進んで根付いているといえます。
「どんなに頑張っても、結局、卒業後は福祉だろ」
どれほど「社会の中で自立を」と真剣に子ども達と向き合い教育に携わっている先生であったとしても、上記のような言葉が思い浮かんだことが一度もない、という人はほとんどいないと思います。
それくらい特別支援教育から「社会の中で自立」は難しいのです。
一応、卒業時、一般就労ができたとしても、一年以内に8割が退職、数年後にはほぼゼロ。
そして、福祉の世界に入っていく若者達の姿を、現実を、多くの先生方は知っているはずです。


私はこの本を読んで、「覚悟」という文字が浮かんできました。
廣木さんとご夫婦の"覚悟"が、今のお子さん達の姿に繋がっている。
読む私たちにとっても、見ようとしなかった現実と向き合う"覚悟"がいる。
そしてこの本を読み、"覚悟"が決まった親御さんは主体的で、独創的な子育てへと力強い一歩を踏みだすことができる。
「このまま、福祉に向かう道で良いのだろうか」と疑問を持つ親御さんにお勧め、プレゼントできる本ができて、私個人としても大変うれしく思います。




2020年12月23日水曜日

1月23日(土)『医者が教えてくれない子どものステキなところ』zoom講座のご案内

出張から帰ってきてバタバタしていたら、ちょうど1ヶ月後になりました。
皆さまへのご案内が遅くなってしまい、申し訳ございません。
既に今回も企画・主催して頂く花風社さんのほうで募集が始まっております。
講座の詳細、お申し込みはこちらです!


前回、9月の講座『医者が教えてくれない育ちのアセスメント』では、皆さまご存じの『からだ指導室 あんじん』主宰である栗本啓司さんと対談させていただきました。
このときの対談の中心は、医療とは異なる視点で行っているアセスメントについてでした。
今回は花風社の浅見淳子さんから『子どものステキなところ』というテーマを頂戴しましたので、私が行っているてらっこ塾での実践の中から、どのような言動・姿から子どもさん達の「育てたい」「育ちたい」というメッセージを受け取っているのか、をできる限り具体的にお話しさせて頂こうと考えています。
自分で言うのも何なんですが、たぶん、全国探しても私のようにあちこちのご家庭に訪問し、その子とそのご家族だけのためのアセスメントとより良い子育てに向けた話し合いをしている人間はいないはずですので、一般的な支援者とは異なる視点でお話しできると思います。


対談のお相手は、花風社の浅見淳子さんです。
浅見さんは、特別支援の支援者ではなく、編集者さんです。
長年、出版やお仕事を通して、自閉っ子の皆さん、ご家族の皆さんと関わり、また外から特別支援を見てきた方です。
一方で私も20代はどっぷり特別支援の中にいた人間ではありますが、今はこうしてどこの組織にも属さず、家庭支援という仕事を中心に外から特別支援を見ている状態です。
当然、社会人として、起業者としてのキャリアは比べるのもおこがましいぐらい違いはありますが、浅見さんと私は外から特別支援を見ている、そして当事者ではなく、外から見ているからこそ、気づけたこと、見えてきたことがあると思います。
対談の中ではそういった部分も、浅見さんとお話しさせていただき、私個人としても浅見さんの視点をお聞きしたいと考えています。


講座の形式はzoomを使用したものになっておりますので、パソコンやスマホ、タブレットから視聴することができます。
当日、リアルタイムで視聴できない方、何度も観返したい方には、後日録画視聴ができるプランもあります。


【ご視聴金額】
当日のみ:3,000円
当日+後日動画視聴込:4,000円


*次の日(24日)には、心理士であり、言語聴覚士でもある愛甲修子さんのzoom講座『愛甲修子さんに質問する会』があり、こちらにお申し込みの方は上記の料金から1,000円引きになります。
私も視聴の申し込みをしました♪


【お申し込み方法】
zoom☆kafusha.com(☆をアットマークに変えてください)に
・お名前
・メールアドレス
・ご視聴希望講座(大久保対談)
をお知らせください。
そして料金をお振込みください(口座はお問い合わせください)


皆さまのお申し込みをお待ちしております。
どうぞよろしくお願い致します。


2020年12月17日木曜日

【No.1129】コピペで体裁が整えられた世界

今年は年末に帰省をしない若者たちがいるそうで、そういえば、大学4年の年末は帰省しない同期たちが多かったのを思い出します。
みんな、1月提出の卒論を必死に執筆していました。
私はというと、いつも通り帰省。
卒論は5月くらいに書き上げ、卒論指導はできた論文から小出しに提出し、「今、執筆頑張っています」風にして、あとはボランティアとか、地域活動とか、自分のやりたいことをしていました(笑)


今もかもしれませんが、ある時期、学生のレポートや卒論にネットから引っ張ってきたコピペが使用されていることが問題になっていましたね。
そのコピペを見抜く教授陣も大変で、そういったコピペを検索してくれるソフトまで開発されたとか。
学生が何でコピペをするかといえば、ラクをするためでしょう。
よさそうな文章を見つけコピペすれば、その分、体裁は整います。
でも、そのとき、学生の頭の中では考える機会が失われているのです。


「自己肯定感を大切にしよう」というのは、私が学生だった20年前から言われていました。
他にも「失敗経験はさせてはならない」「できることをスモールステップで」
そして「できたことは、どんな小さなことでも褒めるように」と。
あれから20年が経ち、自己肯定感という見えないものを崇め、失敗経験をすることなく、小刻みなステップを踏みながら褒めたたえられ育った子ども達は、見事に特別支援教育の世界から福祉の世界へスムーズな移行ができたのでした。


上記の言葉たちもそうですが、学生時代に教わった言葉が今もなお、そのままの形で残り続けていることに私は違和感と特別支援の限界を感じるのです。
そりゃあ、今親になり、子育てをされている方たちにとっては、専門家から聞く真新しい言葉たちなのかもしれませんが、少なくとも支援する側、教育する側に携わってきた人間なら、その言葉たちがコピペ以外の何ものでもないことがわかると思うのです。


「障害児教育の世界は、とにかく人材がいない」
「まずは人を増やさなければならない」
そんな風にも、よく言われていました。
確かに当時、支援らしい支援なんてなく、その地域にある1つか、2つの機関で専門的な"何か"を受けられることが貴重で、親御さんにとってはステータスにもなっていたように感じます。
今のように「どれを選んだらよいか分からない」なんていうのは、ぜいたくな悩みだったかもしれません。
そのように支援も、人も、サービスも、増えることは増えました。
でも、そのときに用いられたのが、さきのコピペなんです。


支援者も、支援も、サービスも足りない時代は、とにかく大量生産です。
有名支援者とやらが全国に行き、ときに欧米人とライセンスビジネスを引き下げ、とにかく自分たちの考え、その当時、良いこととされていたことを布教し続けました。
その結果、有名支援者のコピペが各地に広がりました。
均一の支援者、均一の支援、均一のサービス。
当時の有名支援者たちが目指していた世界ができあがった瞬間だといえます。


今年も出張先で、「おらが村に、てぃーちがやってきたぞ!」みたいな話を伺いました。
その地域に、そういった療育を謳うところができ、親御さん達が殺到しているとのことでした。
そんなの、先進地域から言わせてもらえば、もう30年以上前の話です。
しかも、そういった療育を幼少期から受けてきた子ども達は、みなさん、大人になり、既に結果として表れているのです。
日本は縦長の島国ですから、隅々まで行きわたるには20年くらいかかるのかもしれませんね。


大量に生まれたコピペ支援者がコピペされた言葉を使い、コピペされた支援とサービスを行っているのが現在だといえるでしょう。
支援者だって、そのコピペがなんのコピーなのかわかっていない状態だと言えます。
そりゃそうです。
20代の支援者、教員からすれば、生まれる前のコピーなんですから。
ただただその狭い世界の中で信じられていることを、ひたすら忠実に再現しとうとしているし、それが子のため、親のため、そしてそれこそが"特別な"支援なんだと信じているような気がします。
「福祉を利用しながらの自立」をみなが達成できるように。


私から見れば、20年前と同じことを言い、同じことを続け、しかも社会の中で自立できないという結果が出ているものを続けようなどとは思いません。
当時とは異なり、これだけ重い知的障害を持っていない人たちが支援対象となり、さらに脳の機能障害から神経発達症へと概念が大きく転換したのにも関わらず、コピペの元は重度の知的障害を持ち、教育不能と言われていた子ども達をどうにか教育し、育てよう、という時代のものなのです。


不毛の地なら、新たな考えをもとに一気に変化できることもあるかと思いますが、既に古き世のコピペで津々浦々の体制ができてしまっています。
ですから一旦コピペで広まったものを、しかも今もなおコピペが続いている中を、すべて回収し、既存のものをぶっ壊し、新たな体制を築くのは難しいし、とても時間がかかることです。
なので、社会的な自立を目指すのなら、できるだけ近寄らないように、そして利用しても期間限定で終わるようにしなければなりません。
支援を受けながらの人生を目指すのなら、特別支援を。
社会の中で自立した人生を目指すのなら、社会資源を。


「将来の自立のために、特別支援を利用する」という夢は幻想に終わったのです。
何故なら、「一生涯の支援を」という思想がコピペの大元だから。
当時の有名支援者たちの多くは、障害を持った子の親でもあったのです。
何もない時代に、「我が子を守ろう」、そして「生涯、安心して生きていけるように」と。
そういった願いが今もなお、特別支援の世界に漂っています。
支援からの自立を顔では笑い、心では泣き、手は繋ぎ止めようと動くのは、こういった背景があるからだと思います。
そもそもが自立を願っていないのです。




2020年12月13日日曜日

【No.1128】因果関係のその先へ

私の気持ちが「ラジオ」へ向かっている中でも、「ブログを見ました」と相談や依頼をくださる方達がいらっしゃいました。
こちらの文字のブログはほとんど開くことなく過ごしていたのですが、以前と変わらず、見てくださる方が大勢いたのがわかり、「そういえば、いきなりラジオのほうにはこないよな」と思ったのでした。
ラジオを始めて1ヶ月ほど経ちましたが、ラジオへ完全移行というよりも、内容を分けて文字のブログも並行して続けていきます。
お便りやご相談など、ライブ感を大切にする内容はラジオへ。
じっくり考え、まとめ上げていくような内容はこちらのブログへ。
入り口としてのブログ、ツウのためのラジオ(笑)というようにしたいと思います。


久しぶりに文章に書きたいなと思ったのは、因果関係についてです。
「Go to トラベルを実施したから、感染が広がった」
まさに因(Go to トラベル)があっての結果(感染拡大)の図式になっています。
この図式を見て、私達は気持ちよく感じるものです。
ヒトは複雑なものをシンプルにすることで、理解や納得"感"を得るからです。


しかし、世の中、こんなに単純明快なことはありません。
因があって結果というのは、実験室の世界の話であり、レベルは小学生の理科であります。
いろんな条件は排除し、ただ日光を虫眼鏡で集めると、黒い紙に火が付く、みたいな。
でも、小学生はこれで良いのです。
分からないことが分からない、何が分からないかも分からないときを生きる子ども達にとって、因果という窓は「分かった!」という充実感を味わわせてくれるから。


今となっては誰が言い出しっぺか分からないマスクも、かたくなに外そうとしないのが多くの日本人です。
なので、これまた誰が言い出しっぺか分からない「自閉症(発達障害)は治らない」という言葉も、かたくなに信じようとする人たちが大勢いるのです。
自閉症、発達障害は、まさに複雑系です。
同じ自閉症という診断でも、一人ひとりがまったく違います。
ある意味、よくもまあ、共通点を見つけたな、というくらいです。
「自閉症」という診断名は、なにも実態を表してはいないのです。
ただ確実に言えるのは、本人が「困っている」という現状のみ。


本人が「困っている」のは分かるけれども、なにが困っているのか、どう困っているのか、その困っている状態はどうすれば解決できるのか。
特に親御さんは、そんな「わからない」と直面することになります。
そんなとき、たとえそれが浮き輪であり、ただその苦しいときに呼吸を確保してくれるだけのものでしかなかったとしても、飛びついてしまう。
少しでも「分からない中のわかる」を感じさせてくれる窓が因果関係といえ、「自閉症は治らないということが"分かった"」という理解や納得"感"を持つことができる。
溺れているときは、浮き輪の絵柄、形態、質を気にしている余裕はないのと一緒です。


浮き輪から顔を出した先には、「早期療育は良い」「自閉症は支援が必要」「特別支援は手厚い支援」「支援がないと二次障害」「必要なのは理解」「変わるのは社会」というように、因果関係の波が押し寄せてきている。
特別支援の世界に溢れるこのような言葉たちには、根拠もなければ、どのような効果があるのか、そもそも効果があるのかすらわからない。
あるのは混とんとした世界、複雑に影響し合う発達障害という状態に対する分かった"感"。
「自閉症とは〇〇なんです」と力説する人に限って、まったく理解していないのは、感のみで生きているからだといえます。
啓発活動で登壇している人達が誰よりも先に障害の理解が必要だと感じるのは、私だけではないでしょう。


支援者のほうへ目を移すと、支援者の中にも因果関係で自閉症、発達障害を捉えている人たちが大勢います。
そのほとんどは実験室、つまり、療育機関や学校など、ある特殊な環境のみしか知らない人達です。
なので、彼らにとっては療育も、支援も、全部、実験なのです。
「〇〇をしたから、こんな反応があった。〇〇をしなかったから、こんな反応があった」
「自閉症には〇〇療法。その療法がうまくいかないのは、本人の症状が重いから。家できちんと〇〇療法をやっていないから」
支援者の見立て、アセスメントの文面が眠気を誘うのは、こういった小学生の理科の実験を長々と見せられるからなんだと思います。


子どものことを知りたい、担当している人のことを知りたい。
これは人間特有の本能的な欲求だといえます。
そしてたとえ一時的であったとしても、「わかった」という味わいに飢えを感じる。
しかし、親も、支援者も、このレベルで終わってはいけません。
その次に、「分からないことが分かる」段階に進む必要があります。
「分からないことが分かる」段階に行けば、「自閉症は治らない」ということは分からないという認識が生まれます。
「発達障害の子は早期診断、療育が必要だ」ということは分からない。
「支援を受けなければ、二次障害になる」ということは分からない。
「特別支援だけが子どもを伸ばす」ということは分からない。
複雑系である自閉症、発達障害という状態をなにか因果関係があるかのように錯覚している段階から脱したときが、支援から子育て、発達援助へ脱皮できた瞬間となるでしょう。
分からないことに分かった瞬間、子育ては自由になり、発達の可能性は無限に広がっていく。


この仕事を続けていくと、「1つわかると、10わからないことが生じる」という感覚があります。
理解すればするほど、わからない世界が広がっていくイメージです。
なので、若手の頃より、自信を失い、替わりに諦めを得た感じがします。
「自分は援助者なんて言っているけれども、援助できているのはごく限られた部分だな」と。
でも、だからこそ、若手のときには感じられなかったモノを感じられるようになったのだと思うのです。
治るかどうか、育つかどうか、その生きづらさを脱することができるかどうか、は本人の自然治癒力と発達する力による。
頼るべきは本人の内側に存在する力であり、私達援助者にできることは、その力が発動しやすいように、伸びやかになるように後押しすること。
私は心からそのように考えるようになっています。