投稿

5月, 2014の投稿を表示しています

不登校支援と自閉症支援の融合

イメージ
昨年から不登校関係の支援を行っている支援者の方たちと交流があります。 交流していて感じるのですが、不登校の子ども達の中に、発達障害の特性を持つ子どもが多くいる、ということです。 「発達障害だから不登校になる」とは思いません。 「現在の学校のシステムに合わない子どもが不登校になっている」のだと思います。 画一的な教育。 柔軟性が乏しい教育。 同一性を求められる教育。 学び方がユニークな発達障害の子ども達には、多様な学びに応えられるような教育が必要だと考えています。 相談を受ける子ども達の学校の様子をお聞きすると、 ①嫌な出来事があった(ex.いじめ、先生からの言動) ②環境側の問題(ex.本人の持つ感覚の違いに配慮されていない教室) ③スキル不足(ex.社会性、コミュニケーション面の未学習) というような要因が考えられます。 ①に関しては、記憶力の特性から出来事自体を忘れることは難しいため、原因の排除・回避か、子どもさん自身の認知の仕方を少しずつ変えていくような支援の方向性になります。 ②に関しては、環境の調整を直接行うことはできないため、アイディアを保護者の方にお伝えするくらいしかできません。 ③に関しては、1対1の個別指導でスキルの向上を目指したり、メンタルフレンドなどを通して、モデリング(観察学習)によるスキルの獲得を目指したりします。 4月からフリースクールのお手伝いをさせていただくようになってから、今まで以上に相談を受けることが増えました。 不登校支援と自閉症支援の融合。 今後ますます必要になってくる新しい支援の形ではないか、と考えています。 あと少しで見ごろの藤の花

発達障害を乗り越えた!?

「発達障害を乗り越えたスタッフ」というナレーションを聞いて、残念に思いました。 私は、発達障害は"乗り越える"ものではなく、"活かす"ものである、と考えています。 発達障害は治癒するというものではありません。 生涯付き合っていく脳の使い方です。 脳の使い方に良し悪しはない、と思っています。 多数派、少数派にどちらにも優劣はありません。 また感覚の過敏性なども和らいでも、無くなることはありません。 乗り越える壁があるとするならば、それは発達障害の人たちの能力を活かせない社会との間に存在しているのだと思います。 発達障害=壁ではありません。 発達障害の人と社会との間に立つ壁。 発達障害の人が壁を乗り越えるような力をつけるだけではなく、壁を小さくして乗り越えやすくすることも大切だと思います。 「発達"障害"」という表現が誤解を生んでいるのかもしれません。 「ASD」という表現で、"脳の使い方が異なる"という点も、"感覚の違い"と合わせて伝えていくことが大切だと、先日の放送を見て思いました。

「発達障がいについては、まずこちらにご連絡を」

「発達障がいについて相談」といったら、どんな機関を想像しますか? 私が住む地域では、 発達障がい者支援センター 医療機関 保健センター 児童相談所 学校 などが挙げられます。 相談できる機関が多ければ多いほど、相談できる機会は増えますし、多様なニーズにも応えてもらいやすくなります。 でも、その弊害もあると思います。 相談できる機関が多いほど、まずどこに相談したらよいのか、現在の悩みに一番適切に応じてもらえる機関はどこか、など分かりづらいというものがあります。 また機関の方の弊害として、それぞれの機関での連携が難しかったり、機関ごとに異なった助言や支援を展開し、結果的に親御さんの負担を増やしてしまうこともあります。 私は相談の窓口を一本化したら良いのでは、と考えています。 発達障がいについて悩みがあったら、まず〇〇という機関に連絡する。 そして〇〇という機関が、相談を受けた内容や本人の特性から考えて一番適切と思われる機関につなぐ、または必要な支援者を選定し、チームを編成する。 このような窓口の一本化を実現したら、親御さんを本人のこと以外で疲れさせたり、混乱させたりすることが減る、と思います。 「発達障がいについてお悩みの方、サポートを受けたいことは、まずこちらにご連絡ください」というようになれば、効率的かつ地域の資源を最大限に活かして支援を展開することができるようになる、と思っています。

「子どもの未来を支援する道南ネットワークの集い」のご報告

本日、『登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会』主催のイベントに参加してきました。 そこで私は次のような発表をしました。 昨年の4月2日より函館市で、この事業を起ち上げました。 この1年間で、とても多くの方から「ありがとう」という感謝の言葉や「こんなサービスを待っていました」「とても嬉しい」というような有難い言葉を頂戴しました。 しかし、私はどちらかというと、自分のためにこの事業を起ち上げたというような気持ちです。 私は自閉症の人たちと関わることが単純に好きであり、部分的な関わりではなく、24時間トータルでの関わり方をしたかった。 でも、このような仕事はありません。 ですから、自分でやりたい仕事を作った、というのが現実に近いと思います。 事業開始当初は、以前知的障害を持つ自閉症の方たちの施設で働いていたことと、学生時代に養護学校の子ども達の支援を行っていたことから、知的障害を持った自閉症の方の利用だけでした。 しかし、現在では知的障害を持っていない普通の学校などに通われている、または通っていた自閉症の方が主な利用者になっています。 この事実を分析すると、世の中にある一般的なサービスは利用しにくいけれど、福祉サービスの対象にはならないエアーポケットにいる人たちともいえるのではないか、と思っています。 一般的なサービスと福祉サービスの狭間にいて、適当なサービスが今までなかった人たちが利用につながっていると考えられます。 2040年には、函館市の総人口が現在より約10万人減ると予想されています。 このままでは函館市で商売をやっている人たちは成り立たなくなることは目に見えています。 また若い働き手がいない地域になってしまいます。 そうなったとき、私は自閉症の人たちの力が必要になってくると思います。 自閉症の人たちの一点集中型の特徴や正確性、真面目さなど大いに活躍できると思いますし、現在そのような力を活かしきれていないことがもったいないと思います。 ある職場で支援させて頂いたとき、「自閉症の人のための支援は、私たちにとってもわかりやすい」と感想を述べられた方がいました。 「自閉症の人が働きやすい職場にしたら、他の人たちも働きやすくなった」というようなことを言った方もいます。 これからは「自活」の時代だと思います。 自閉症の人たちの

10年前と比べて減った2つのこと

私が学生だった10年前と比べて、2つのことが減ったと感じています。 それは「子どもの世代が異なる親御さん同士の交流」と「子どもと親御さんの接する時間」です。 以前ですと、例えば就学前のお子さんを持つ親御さんと成人したお子さんを持つ親御さんといった異なる世代同士での交流がありました。 しかし、今はそのような機会がほとんどない、と言います。 縦のつながりはもとより、同世代の横のつながりすらほとんどないそうです。 子どもの世代が異なる親御さん同士の交流は大変意義のあることだと思います。 年齢の低い子どもの親御さんは年齢の高い親御さんの経験や話を聞くことで、将来我が子がどのように成長していくか、またどのようなことに気を付けて育てていけばよいか、のヒントを得ることができます。 よく親御さんの口から出ていた言葉で、「うちの子は、〇〇さんにタイプが近いと思う。だから、〇〇さんの成長の様子を聞いて、我が子の子育てや進路に活かしたい」というものがありました。 しかし、現在の親御さんたちから多く聞く言葉は、「我が子が将来どうなるかわからない。想像すらできない」というものです。 これでは将来に向けた準備もできませんし、不安ばかりが募っていきます。 10年前と比べて、放課後利用で来る場所が地域に格段に増えました。 障がいを持った子どもも受け入れてくれる学童クラブ等も増えましたし、デイサービスも増えました。 しかし、その結果として親御さんが我が子と接する時間が減りました。 今はどこの養護学校でも学校が終わる頃になると、デイサービスの車が並んで待っており、子ども達をそれぞれのデイサービスの場所まで連れていきます。 「学校から帰ってきてからが長くて長くて」と悩んでいた以前の親御さんたちと比べて、家族の負担という面では大変軽減されたと思います。 でも、その分子どもと接する時間が減り、平日は起きてから登校までと、夕方帰ってきてからご飯食べて寝るまでの時間のみしか接していないことになります。 夏休みや休日なども「朝から夕方までデイサービス等に行っている」という家庭が増えました。 端的に言って我が子のことを知らない親御さんが増えました。 「お子さんの好きなことは何ですか?」「得意なことは何ですか?」「将来、どうなってほしいと考えていますか?」という問いかけに

「子どもの未来を支援​する道南ネットワーク​の集い」のお知らせ

来週の日曜日、函館市にあります総合福祉センターで、『登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会』主催のイベントが行われます。 【子どもの未来を支援する道南ネットワークの集い】   □日時:2014年5月18日(日)13時30~   □会場:函館市総合福祉センターあいよる21   □第1部:関係団体の活動紹介(13時30分~15時) 4階会議室   ・函館圏フリースクールすまいる     ・はこだて若者サポートステーション   ・発達障害者支援センターあおいそら  ・昴の会~不登校をともに考える会   ・道南ひきこもり家族交流会「あさがお」、当事者の会「 樹陽のたより」   ・てらっこ塾(自閉症のままで生きられる地域・ 社会を目指し、家庭訪問支援を実施)   ・ふぉろ~ず( 思春期以降に自閉症スペクトラムの診断を受けたか、その可能性の           ある方のご家族の勉強会)   ・登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会   □第2部:各団体を囲んでの懇談会(15時10分~17時) 4階会議室   ・不登校関係グループ(すまいる、昴の会、アカシヤ会)   ・ひきこもり関係グループ(サポステ、あさがお、樹陽のたより)   ・発達障害関係グループ(あおいそら、てらっこ塾、ふぉろ~ず)   □個別相談(15時10分~17時)1階研修室、要予約   □主催:登校拒否と教育を考える函館アカシヤ会    (連絡先)野村 090-6261-6984   □後援:函館市 函館市教育委員会 北海道教育庁渡島教育局・檜山教育局      北海道渡島保健所 北海道発達障害支援センターあおいそら      一般財団法人北海道国際交流センター      函館弁護士会子どもの権利と法教育委員会     函館市で 、さまざまな"生きづらさ"を感じている人たちの支援を行っている組織が、一堂に集まるユニークな取り組みになっています。 事前の予約はいりませんし、入場は無料ですので、もしお時間がございましたらいらしてください♪ お待ちしております!  

「もう1回、実習に来てください」の意味は?

養護学校で行われる現場実習。 実習先から「もう1回、実習にきてください」と言われたら、どのような意味で受け取りますか? 実習先が作業所だったり、福祉施設だったりすると、 「もう1回、実習して良いということは、相手が好意的に受け止めてくれているんだ」 「これはほぼ決まりということだから、卒業までに本人のことを詳しく知っておきたいのだろう」 など、前向きに捉えられることが多いです。 しかし、この実習先が民間の企業だったりすると、意味合いが異なってきます。 民間企業の側からすると、何度も実習を受け入れることのメリットはあまりありません。 実習に来れば、少なからず気を使わなければなりませんし、仕事の能率は低下することもあります。 障害を持った人を積極的に雇おう、と考えている民間企業でなければ、「もう1回、実習に来てください」という意味は好意的なものではなく、雇うのには不安がある、という意味の方が強いと考えられます。 第一、「是非我が社に来てほしい」と思うような人材でしたら、1度の実習で内定、採用となります。 実習先が民間企業なのに、「もう1回、実習に来てください」という意味を反対の意味で捉えてしまうと大変です。 「もう就職は大丈夫だ」というように安心していると、大どんでん返しということもあります。 一般就労、民間企業を目指す養護学校の生徒と言いますか、進路指導をする立場の支援者は特に上記のことを心する必要があると思います。 「障害を持った子ども達に理解がある、好意的である、受け入れてくれる」といった福祉的な尺度で、現場実習、一般就労を考えていると危険だ、ということを改めて考えさせられるエピソードを聞き、このような文章を書きました。

泥だらけの靴

イメージ
4月から保育園に通い始めた息子。 毎日、「よくこんなに汚してこれるね」というぐらい服や靴を泥だらけにして帰ってきます。 泥だらけの衣類の洗濯は大変ですが、五感を使っていろいろな感覚を養っている貴重な時間だと思っています。 「そっと持って」とか、「ザラザラしているね」とか、具体的に表現出来ない言葉。 このような言葉を理解したり、想像できたりするには、やはり五感を通して経験することが大切だと言われています。 タンポポの綿毛が飛ばないように"そっと"持ったという経験。 タンポポの茎を触ったときの"ザラザラ"という触り心地。 将来、傷ついた友だちがいたとき、「そっとしてあげてね」と言われたら、子どものときに経験した"タンポポの綿毛"と結びつき、感覚として理解することができる。 子どものときの五感を使った経験は、感情や表現の幅を広げることにつながっていきます。 自閉症の人たちは、定型発達の人たちとは異なる"感覚の違い"を持っています。 同じようにタンポポを持ったとしても、茎のザラザラしている触覚の刺激を過度に受け取ってしまったり、反対に指の感覚がまったく無かったり。 これでは持っていることに注目がいっていない場合があり、そのため記憶に残っていないこともあります。 また何事も見たままで具体的に捉える傾向がありますので、"そっと"持とうが、"強く"持とうが、持っていることには変わりないので、「持っている」という認識しかない場合もあります。 1対1対応で捉える傾向もありますので、タンポポを持っているときに「そっと持ってね」と言われると、「そっと持つ」=「タンポポを持つこと」というように結びつけることもあります。 こうなると、傷ついた友だちがいたときの「そっとしてあげてね」の意味がちんぷんかんぷんになってしまいます。 定型発達の子ども達ですと様々な経験を通して"感覚"を学んでいきますが、自閉症の子ども達は、同じような経験をしたとしても、感覚の幅を広げることがうまくできないこともあります。 こうなると、結果的に感情や表現の幅が狭かったり、それらの違いを理解することが苦手だったりすることにつながっていきます。