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【No.1240】メディアリテラシーと自閉症

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メディアリテラシーとして、「フェイクニュースを見分ける」が挙げられることが多いですね。 しかし、この「フェイクニュースを見分ける」自体が、フェイクだと思うのです。 「フェイクニュース」というのは、ある意味、レッテル貼りであり、そうやって切り捨てた先には思考停止があります。 当初「フェイクだ」なんて言っていましたが、接種後のmRNAはすぐに分解されることなく、数か月間、体内の臓器に残り続けていたことが明らかになりました。 人間には未来を視る能力はありませんので、物事がはっきりと白か黒かなどと言い切ることはできません。 人間も、科学も、失敗をしながら、過去に学び、過去を反省しながら少しずつ改善していくしかないのだと思います。 私が考えるメディアリテラシーとは、フェイクかどうかを見分けるのではなく、報道されていない情報から真実を推察することだと考えています。 コロナで散々学んだはずなのに、同じような出来事でいえば、20年前のイラク戦争を思い出せばわかりますが、一方的な報道には危険性が伴っているといえます。 当時を振り返れば、政治も、メディアも、世の中の空気も、悪いのはフセイン大統領で軍事的にたたくこともやむなしという雰囲気でしたね。 しかし大量破壊兵器は見つかりませんでした。 今回も、プーチンが極悪人のように語られていますが、どうしてNATOがドイツのラインから出て東側に勢力を伸ばしてきたのか、そしてそのNATOを使ってロシアにプレッシャーをかけている背後にいるのはなんなのか、プーチンを政権の座から落とすことでロシアの何が狙われているのか。 歴史の流れから見れば、プーチン大統領もやむにやまれぬ状況になったため、ウクライナに侵攻したのだと考えられます。 そうやって多面的に白黒つけずに見る視点が必要であり、そのための情報源がメディアなはずですが、日本の空気は「ウクライナがかわいそう」。 プーチンはウクライナにロシアに向いたミサイルが配備されると、国が外国勢力、外国企業に乗っ取られるから侵攻した。 いやいや、既に日本はその状態で、北朝鮮はミサイルを日本の方角に発射しているし、中国のミサイルは東京や大阪など、日本の都市に向いていますよ。 ウクライナの罪なき市民が傷つくのは許せないことです。 しかし、風邪ウィルスでどんだけの若者、女性が自らの命を絶ったのでしょうか。 同じ日本人とし

【No.1239】感染予防を推奨してきた発達障害専門家の今後

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あのアメリカでも子どものワクチン接種率は2割程度で、イギリスは心臓疾患などリスクの高い特別な事情がある子のみの接種=ほとんどの子どもは非接種です。 そもそも欧米以外は、大人の接種率も低いところが多く、世界で見れば子どもに打たせようとするところはごく僅か。 その僅かに当たる日本では、ちょろっと臨床試験期間が伸ばされ、「11歳以下は2026年5月」はその名の通り。 「抗体価が上がった」と報道はするけれども、肝心な「オミクロン株が出現する前のデータ」という説明書きはスルー。 ファイザー→ファイザー→モデルナのチャンポンは動物実験で安全性が確かめられたの? 厚労省はちゃくちゃくと抜け道、逃げ道を作っているので、もし薬害訴訟となれば、長い月日がかかるでしょう。 しかし日本人の8割、9割が接種したといわれるワクチンですが、こと子どもに関しては世の中の空気が変わって慎重な意見、否定的な意見が公然と述べられるようになりました。 知事会の2歳以上にマスクの件から流れが変わったと思います。 子ども達を守る、危険を回避するというのは、動物の本能に近いといえます。 本能と言えば、幼い子が何でも口の中に入れるのもそうといえるでしょう。 産道を通る際に母親から細菌を貰い、出生後はいろんなものを口に入れることで菌やウィルスを体内に取りこむ。 「ばい菌」などという言葉が当てられていますが、幼い子ども達にとっては動物として生き抜くためには必要な物質だと思います。 子どもは低い位置で生活することで、様々な菌やウィルスに触れやすい状態です。 そのときに、なんども暴露しながら体内環境を整え、強くしていく。 1年間に何度も風邪をひき、いろんな病気に罹りながら、菌やウィルスとバランスがとれる身体が作られていくのですから、抗菌などは却って子どもを弱くするものです。 まさにこの2年間は、長期的に観れば、子ども達を弱らせ、健康を奪っていくことといえるでしょう。 CMなどでは細菌をおどろおどろしく映像化しているものがあります。 しかし、ウィルスもそうですが、それ自体は良いも悪いもないのだと思います。 この空気中にだって、様々なウィルスは飛んでいますし、体内にも無数の細菌、ウィルスが存在し、私達は共生しています。 ですから、ウィルスが悪さをするというよりも、そのひと本人の健康状態が主で、ウィルスはそれに合わせて増殖、反

【No.1238】個人個人の物語

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昨日より『ポストコロナの発達援助論』が書店に並び始めました。 ◎MARUZEN 丸の内本店 ◎MARUZEN 日本橋店 ◎ジュンク堂書店 池袋本店 池袋は高校の通学の乗換駅でしたので、部活動の唯一の休みの日の水曜日、ジュンク堂書店に立ち寄ってから家に帰ることが多かったです。 高校野球の東東京大会の3回戦で敗れたあと、大学の進路をどうしようかと考えていたとき、人文科学に興味があり、そんな本を手にすることが多かった私ですので、秋ごろには自然と子どもに関わる仕事、人の成長に関わる仕事と気持ちが定まってきました。 そんな思い出のある書店に、まさか20年後、私の名前がついた本が並ぶなんて。 当時の高校生の私に話をしたら、さぞかし驚くことでしょう。 教員になっていないし、東京にも戻っていないし、まったく接点がなかった発達障害の分野で起業しているなんて(笑) 人生わかるのは、自分が生まれたことと死ぬことくらいですね。 私のような人間にもそれなりの物語があるように、この世界に生きる人すべてにそれぞれの物語、ストーリーがあるのだといえます。 なぜ、その人がそういった佇まいをしていて、そういった言動をしているのか。 そのすべてにそれまで生きてきた、辿ってきた流れがあるのでしょう。 そこに触れずに、対人援助の仕事はできないと思っています。 数日前のブログでハイハイを飛ばす子の話題を取り上げました。 「ハイハイを飛ばしたから、ハイハイをさせる」では、ハイハイのヌケが埋まった子にはなるけれども、発達に遅れが生じるリスクを抱えた子はかわらない、と。 じゃあ、どうしたらいいんだ?具体的に何を確認していくんだ? そういった声が聞こえてきました。 本来、具体的なことを書くのは、親御さんによっては子育てのアイディアを縛ることに繋がりかねないので避けてきましたが、ちょっと紹介しようと思います。 ハイハイを飛ばすということは、ハイハイの準備ができていない子と考えられます。 ですから、ハイハイより前の運動発達を確認していきます。 ズリバイでしたら、腕を使ったほふく前進のような段階はどうだったか? そのほふく前進から足を使ったズリバイに移行できていたか? 腕、足は交互に動かせているか?同時の段階で終わってしまっていなかったか? 当然、指の使い方、手首の状態、足の指の反り具合、はね返しの力具合もチェックします。

【No.1237】コロナ禍を経て発達援助も変わらなければならない

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昨日のブログを読んでくださった方から感想を頂戴しました。 読んでいて苦しかったけれども、その苦しさを辿っていくと、自分自身が目を背けようとしていたところだった。 発達障害はこの子にあると思っていたけれども、私とも繋がっていた、と。 実はこのような感想をおっしゃる方は少なくなく、発達相談後にこういったメールをくださる方がいらっしゃいます。 このような親御さん、家庭を含めた環境要因については、長年タブーとされてきました。 しかし根っこから育ち、治っていくには、どうしても避けては通れないところになります。 ですから、私の仕事の中で、一対一のご家族しかいない状況でじっくりお話を伺いながら、伝えていくようにしていました。 ただ今回の『ポストコロナの発達援助論』の執筆をきっかけに心境の変化が生じたのです。 発達のヌケや遅れの育て直し方、また愛着障害や知的障害の治っていき方については、既に花風社さんの著書、著者の方たちの知見から明らかになっています。 あとはやるかどうか、我が子に応用できるかどうか、どこにヌケや未発達があるかが捉えられるかどうかだと思いますし、実際に元発達障害の若者たち、子ども達がたくさんいらっしゃいます。 アメリカでも「全体の5%くらいは困難なケース」と20年前くらいから言われていましたし、私の感覚からいっても大部分の子ども達は治っていける方達だと思います。 なので、私の中では「治る」ことに特別な感情を持たなくなり、自然な発達過程だと思うようになったのです。 コロナ騒動も2年が経ち、世の中の空気もオミクロンが終息すれば、徐々に以前のような生活に戻る、ゴールはもうすぐそこまで、といった感じがします。 しかし本当に2019年のような日常が戻ってくるでしょうか。 私はまったくそのようには思えません。 自粛生活により高齢者の認知機能の低下、筋力、運動能力の低下が顕著になり、要介護者を増やすでしょう。 その急増した要介護者を誰が支援、サポートするのでしょうか。 今でも国家の支出の中で多くの割合を占めている高齢者の介護や医療にかかわるお金は誰が負担するのでしょうか。 現役世代、とくに若い世代の就職難はますます悪化し、また景気の悪化は治安の悪化を招くことでしょう。 外資に買い取られた企業は安い労働力として外国人をどんどん入れてきます。 これまた治安の悪化の要因になるはずです。

【No.1236】それって対症療法では?

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この冬が始まる前、「2020年にインフルエンザが流行していない分、今季は大流行になる」と言っていたお医者さん、某感染症学会がいましたが、その方々はお元気なのでしょうか。 立春を過ぎ、季節は確実に春に向かっているわけですが、一向にインフルエンザの流行は聞こえてきません(インフルの予防接種を打たないと流行しない??全部、オミ感染にしちゃってる??ウィルス干渉??)。 厚労省の発表では昨年同様の低水準で、またまた外した専門家が「感染対策のおかげ」なんて言っていますが、「じゃあ、なんで1月はあんなにオミクロンが増えたの?」と誰にでも分かる言い逃れをしています(もともとワクチン接種を増やすことが目的??)。 発達の専門家と同じで、「この子は生涯支援が必要だ」なんて言う子が、普通の学校生活を送ることも多々あるわけで、結局、専門家と言えども未来はわからないわけです。 ただ専門家ゆえにわからないことを「わからない」と言えないだけなのでしょう。 コロナ騒動が2年続きましたが、「わからないことがわかった」というのが最大の功績だったのではないでしょうか。 いくら感染対策をしようが、ナントカ宣言を出そうが、どうやったらウィルスを制圧できるかはわからない。 結局、自然現象で、ウィルス都合なのですから、陽性者の波の高さはいじれても、波の周期は変えられないわけです。 今回も高さはあったものの、過去の波と同じ形をしていて、だいたい110日周期。 たぶん、PCRで引っかからない人も大勢いて、本当の感染力、重症化率、致死率などはわかりません。 もちろん、ワクチンに関してもそうで、短期的に見えれば発症を抑え、死亡率も下げる。 ただそれが半年、一年と中期長期的にみれば、本当に感染&重症化の予防効果があるのか、欧米人と同じように日本人も同じ効果があるのか、短期的には現れない副反応があるのか、誰にもわからないわけです。 多くの人は不安が強いとき、言い切ってくれる人を求めます。 「ワクチン2回接種すれば、お孫さんに会えますよ」 「国民の7~8割が打てば集団免疫ができ、マスクが外せるようになります」 「ワクチンで免疫ができると、ウィルスが体内に侵入できなくなります」 「発熱などの副反応が多くの人で起きますが、数日で必ず治ります」 これらのすべてが現在、否定されていますよね。 本当はそれを信じて行動してきた人達は怒

【No.1235】『ポストコロナの発達援助論』発売です!

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テレビ朝日の玉川徹氏が「煽り過ぎるぐらいでいいと思って警鐘を鳴らしている」という旨を発言されたのは2020年でした。 それから2年間、ずっとマスメディアは煽りっぱなしで、それによって高齢者が家に閉じこもりがちになり歩けなくなったり、認知症が進んだりしても、仕事を失って困窮した人が自殺しても、夢も希望も楽しみも青春も奪われた若者たちがいようとも、反省や詫びることはありませんでした。 きっとコロナ騒動が収まっても、こういった人達は自分たちの非を認めることなく、むしろ自分たちが行ってきたことで終息できたんだ、私達が警鐘を鳴らし続けなければもっと被害は多かっただろう、と言うのでしょう。 知事会の「2歳以上のマスク推奨」の話が出てから、子ども達のマスクに対する意見、議論、注目が高まったように感じます。 裏を返せば、こういったきっかけがないと、声を上げていない人が多かったということです。 小児科医や保育、子どもの発達に関わる専門家などが少しずつ声を出し始めましたが、一言でいえば、遅すぎです。 この2年間、子どもの発達に関わる専門家は何をしていたのですか? マスクが子ども達に及ぼす影響など、容易に想像がついたはずです。 それができていなければ、専門家にはふさわしくないでしょうし、わかっていたのに黙っていたとしたらそれこそ何のための、誰のための専門家でしょうか。 子どものための専門家なら、子どものために主張し、研究結果を世に問うのが役目でしょう。 今やっと「幼児にマスクなんてひどい」という世の中の空気になったから、じゃあ、私もその点について述べるか、では話になりません。 この2年という時間はもう戻ってこないのですから。 子どもの2年間って、大人の2年間とは意味合いが全く違います。 メディアに出てくる専門家の発言を見ると、「表情を読みとる力に影響が出るかも」「言葉の発達の遅れが懸念される」など、語尾を濁したものばかりです。 もちろん、それは子どもの発達は短期的というよりも、中長期的にじわじわと影響が出るものなので現時点で言い切ることができないというのもわかります。 しかし、その裏にはこの2年間、知っていつつも声を上げてこなかった後ろめたさも表れていると感じます。 もし言い切れば、「じゃあ、なんで今まで言ってこなかったのよ」というツッコミが出るでしょう。 私は研究者でなければ、組織人で

【No.1234】日本人のための発達援助

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函館は重症で入院している人がいないのに、ここ数日、死亡の報告がされています。 しかしよく統計を見ると、陽性者数にはその人たちの数は入っておらず、じゃあ、なんでコロナ陽性と同じシートで報告を上げているのだろうと思いますね。 「みなし陽性」なんて、次から次によく考えるよなと思いつつ、ますます日本の統計は当てにならないと感じました。 そういえば、みなし陽性に対して、「医師として今までの能力全てをかけて、この方は陽性だと言っているわけですから」なんて言っていた医師がテレビに出ていたそうです。 診察室に入ってきた子を観て、「はい、当たり(自閉症)」「はい、外れ(自閉症ではない)」と言う医師や、子どものことをロクに見ないで「はい、発達障害ね」と言い、その理由を尋ねた親御さんに、「私がそういっているんだから、あなたの子は発達障害なんだ」と怒鳴りつける医師も、あるあるでよく伺う話。 医師っていつから神のような存在になってしまったのでしょう。 日本の統計が当てにならないのか、そもそもさざ波程度で流行がなかったので比較できないのかわかりませんが、専門家やテレビ医師が持っているデータは常に海外のものでした。 アメリカではどうだとか、イギリスではどうだとか。 「オミクロンの症状、毒性、感染力はどうでしょう?」と尋ねられると、「ブラジルでは…」「南アフリカでは…」と他国の状況を引っ張ってくる。 「オミクロンはただの風邪ではありません。子どもも重症化するんです」と言う割には、それがアメリカの話だったりする。 私達が訊きたいのは、海外でどうとか言うよりも、日本人でどうなのか。 風土、食べ物、住環境、衛生状態、人口構成、医療体制など、国によって大きく違うのですから、日本人にとって新型コロナはどの程度の脅威なのか、病原性なのか、が知りたいわけです。 なんで陽性者数も、死亡者数も日本の20倍くらいの欧米と同じような対策をしなければならないのでしょうか。 かつて専門家たちはこぞって欧米からの療育・支援を輸入することに熱心な時期がありました。 確かに障害者支援・教育は欧米のほうが進んでいました。 しかし、療育方法やその根っこに流れる思想、文化を細かく見ていくと、日本の社会、子ども達、障害者たちには合わないなと思うことが多々ありました。 たとえば、仕事に対する考え方も、とにかく”こなす”ことを重視し、身に付

【No.1233】私は今、人生の間(ま)を生きている

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末松文部科学大臣がツイッターに断髪式に参加した写真をアップしていました。 当然、その写真を見た人は憤るのも当たり前です。 何故なら、学校や幼稚園、保育園、子ども達に対して更なる自粛を求める方針を政府が出したばっかりだからです。 時差通学だ、部活動は中止だ、挙句の果てに2歳児以上のマスク着用の話が出て、相当の人達が怒っているタイミングで、自分は断髪式に参加。 プロ野球のキャンプはOkで、部活動、コンクール、対外試合は自粛。 この国は子ども達を守らない、いや、一番に差し出すのは子ども達の権利ということが明々白々になった、しかも文部科学大臣はそういったことを所管する役職です。 「いやいや、鋏を入れるときだけマスクは外して、あとはつけていました」なんて、明後日の方向の言い訳をしていましたが、世の中の空気が読めていないし、国民のことを第一に考えているわけではないことが表れている弁明文でした。 政治家になって何かがしたいわけではなく、大臣になるのがゴールのような職業政治家。 連続6期当選しているわりには、初めての大臣就任で66歳。 結局、やっと大臣の椅子の順番がめぐってきたというだけなんだと私は思います。 私は政治家に1ミリも期待していないですし、もっといえば、他人に何かを期待することはありません。 期待したい何かが見えているのなら、自分で動けばいいからです。 自分で動いてもいないのに、何かが天から降ってくることはないでしょう。 ですから、この末松大臣のSNSに対して、特に怒りなどの感情は持っていませんし、持つだけ無駄な時間と労力だと思います。 一方で、末松大臣のSNSには多くの人達からのリプライが飛んでいました。 そこには「子ども達が自粛しているのに」「卒園式に参加できなかった」「息子の青春を返せ」などの多くの声が寄せられていました。 そういったことが実際に起きているのは不条理だと思いますが、じゃあ、そのうち、何人の人達が実際に行動したのか、という疑問を持ったのです。 卒園式に保護者一人だけと言われたのなら、そういった園に要望や問い合わせをすべきではないか。 学校で部活動や修学旅行が中止になったのなら、できる形を提案し、話し合うことが必要なのではないか。 大臣にいくらリプライを飛ばそうとも、そんな個別のことは対処しないでしょうし、それこそ、現場で個人個人が動くべき事案ではない

【No.1232】日本を再建する力に

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知事会の「2歳以上にマスクを」の何が腹立たしいかといえば、それが非科学的なこと、それが非現実的なこと、それが子ども達に害を及ぼすこと、ではなく、子どものことを下に見るその大人の視線です。 どうせ子どもは文句言わないし、選挙権があるわけでもない。 むしろ、感染源すらなっているのだから、その子ども達の口にマスクをつけさせればいい。 そんな子どもを一人の人間として認めないような、大人が管理すべき未熟な存在であるかのようなその考え方に、私は強い憤りを感じています。 コロナ騒動の最大の犠牲者は、コロナに罹る人ではなく、自分たちは重症化もしなければ、亡くなるリスクもほぼない子ども達、若者たちでしょう。 高齢者と比べれば、彼らに残された時間は圧倒的に長く、そのうちの2年くらいという気持ちもあるのかもしれません。 しかし、子ども時代は長い人生を生きていく上での土台作りの時期です。 大人の2年とは、その意味合いがまったく異なるのです。 それは子ども時代の神経発達のカーブを見れば、一目瞭然。 また青年期の若者たちにとって、この時期は他者と協働し、刺激し合うことによって、自分という存在、輪郭をはっきりさせていき、自分はどのような道に進もうとするのか、さらに人生の楽しい時間を謳歌する時間でもあります。 本来は子ども達、若者たちが大きな声をあげ、大人、社会に対して不平不満、訴えを起こしても良いはずです。 しかし、他の国では集会やデモ、訴訟など、行動で示しているのに、日本の若者たちからはほとんど声が上がりません。 これが昭和ならデモも、暴動も、大学占拠も行われていたでしょう。 そればかりか、「私が高齢者に移してしまったらどうしよう」などと言うくらいです。 そんな高齢者も、子ども時代、社会人時代、知らず知らずのうちにウィルスを他者に移し、それによって誰かが亡くなってしまっていたかもしれません。 ただそれを知らなかっただけ、そんなものもひっくるめて許容されていた社会だっただけです。 高齢者が子どもや若者をまるで感染源のように言う人もいますが、こういう思想、発想しか出てこない人は子ども達、若者たちがいろんなものを投げ打ってまでをも、守り、生かすべき人だといえるのか、と私は思います。 高齢者が現役世代を、現役世代が子ども達を守り、より良い社会をつないでいこうとするのが日本という文化ではなかったのでしょ

【No.1231】「意識を向ける」という発達援助

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この前、伺ったご家庭では、私とお母さんが話をしていると、他の部屋で遊んでいたお子さんがやってきて、同じテーブルの椅子に座ることがありました。 言葉の遅れがあるお子さんで、親御さんの発達相談で訊きたかったことも言葉に関すること。 まだ明瞭な発語がないお子さんでしたが、まるで私達の話を一緒に聞いているかのように椅子に座り続けているのでした。 こういった子ども達の様子は、発達相談において度々見られます。 日頃はすぐに自分の部屋に入る子どもさんも、発達相談の間、ずっと同じ空間で過ごしていることがあります。 また同じ空間にいなくても、自分の部屋から私達の話を聞いていることがあって、私が帰ったあと、「〇〇って言っていたね」「僕、〇〇を育てたら、もっと良くなれるんだね」「自分がダメな子だと思っていたけれども、本当はやり忘れていただけなんだね」などと、親御さんに話をされるという子ども達も多くいらっしゃいます。 また私が、たとえば「ハイハイを抜かしたようですね」と親御さんにお話しすると、急に子どもさんが床に寝そべり、ハイハイを始めるようなこともあります。 「まだ利き手がはっきりしていないようですね」とお話しすると、子どもさんがボールを持ってきて両手を使って壁に投げたりするようなこともあります。 これは知的障害のないお子さん達だけではなくて、重度と言われるような子ども達、まだ幼い幼児さんたちにも見られるのです。 周囲から見れば、知的障害もあるし、発語もないので、私達の話は全然分かっていない、聞いていない、と思いがちです。 しかし、そういった子どもさん達も、実は周囲の会話を聞いていて、わかっている部分もあうのではないかと思うのです。 もちろん、この「わかっている」というものには、そのまま言葉の理解、会話の内容を理解している子もいるでしょうし、感覚のレベルで捉えられている子、感情や本能のレベルで共鳴できている子もいるでしょう。 発達相談のあと、自ら発達のヌケを育て直すような行動が家の中で見られることがあります。 足の指の未発達のお話をしたら、その夜、「つま先を使って階段の上り下りをし出した」とメールをいただきました。 この子はノンバーバルなお子さんで、知的障害も持っていましたので、私と親御さんの会話の内容を理解しての行動ではないと思います。 ですから、たぶん、発達相談をきっかけに親御さんが

【No.1230】大脳皮質から発せられる言葉

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月曜日の夜は、カムカムよりも楽しみにしているカーネーションがあって、ついに綾野剛が登場。 長崎弁、九州弁は心地良いですね。 同じ九州出身(役では)ですから、あんな風に無口でシュッとしたいなと思いつつ、幼いときからずっとしゃべりっぱなしだった私なので、どう頑張っても武田鉄矢寄りにしかならないなぁ~なんて観ていました。 今朝は早くから目が覚め、函館の雪に反射する朝日に心が洗われるような感じがしていたら、今日は旧暦で言えば、お正月でした。 四季の移り変わりがあり、自然と共に生きてきた日本人ですから、明治と共に捨て去らなくても良かったのにな、と思います。 2022年は2月4日が立春ではありますが、やっぱり感覚的には1ヶ月のズレを感じますね。 3月の初旬ごろの気候がまさに立春といった感じで、今日も真冬の真っ只中という気温です。 私のところには、自閉症、アスペルガー、発達障害などと診断を受けた大人の方たちからの相談も多く来ます。 しかし実際にお会いしたり、メールでのやりとりをさせて頂くと、本当にその診断名なのかな、と疑問に思うことがあります。 他の精神疾患を持っているけれども、「発達障害」という風にされてしまっている方や、もともと発達障害があり、育て直す機会がないまま大人になり、凸凹が大きいために周囲とのトラブル、生活のトラブルが絶えず、精神疾患を発症したような方もいるように感じます。 20歳なら20年間の歴史があり、30歳なら30年の歴史があります。 幼児さんの発達がずれだした時期、課題の根っこが掴みやすい一方で、こうした大人の方たちは根っこまで到達するのにはより丁寧な確認作業が必要になります。 その人の本来の資質なのか、凸凹の発達を基にした環境適応なのか、ご自身のサバイバル術としての言動なのか、どんな人と出会い、どんな体験をしてきたのか。 現在の姿は生きてきた物語の先になりますので、相談の際には一人ひとりの物語を大事に読み解きながら、また今困っていることを今少しでもラクにできるようなアイディア、生活の組み立ても大事になると思います。 そうは言っても、大人の方たちは親御さんからの情報が得られないことや、ご自身でも覚えていないこと、または思いださないように蓋をしてしまったことも多々ありますので、一緒に歴史を振り返ることができない場合のほうが大部分です。 そうなると、現在の姿から