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2月, 2014の投稿を表示しています

職場内だけで解決することは難しい

「仕事をしながら、同時に発達障害を持つ同僚のサポートも行う」 というのは難しいことだと思います。 仕事も、人員も余裕がある職場ならいいかもしれません。 しかし、多くの職場は余裕がない状況です。 自分の仕事もしなければならないのに、他の人のことも意識しなければならない。 いくら障害を持った人たちに対する理解があったとしても、余裕がなければマイナスな感情を持ってしまうことも自然だと言えます。 先日、研修会を行わせて頂いた職場でも同様のことが起きていました。 障害を持った方たちに対する理解はありますし、どうにか一緒に働いていきたいと考えている皆さんでしたが、なんせ仕事に余裕がない。 余裕がないから丁寧に仕事を教えることまで手が回りません。 結局、本人に仕事を任せるよりは自分たちでやってしまった方が良い、という状況になっていました。  そこで私は1つ提案をしました。 同僚と本人の間に入ることを。 まずは通訳として「同僚の人たちが期待していること」を本人に伝える。 また「本人がどのように考えているか」を同僚に伝える。 このようなコミュニケーションの交流が必要だと思いました。 そして、本人の学び方に応じて、仕事を教えることもやらせてほしい、と提案しました。 提案に対し、職場の人たちは大変喜んでもらい、「是非お願いしたい」という返事を頂きました。 同僚と本人の中だけで、物事を解決していくことは現実的には難しい場合が多いです。 ですから、間に入ってお互いの風通しを良くする第三者の必要性があるのだ、と改めて感じる場面でした。

自閉症通訳士の仕事

昨日は「発達障害と私たちの違い~"自閉症"という国の人たち~」というテーマで、ある職場での研修会を行わせて頂きました。 「掃除をして」と言われると、他にも仕事があるのに何時間でも掃除をし続けている。 この様子を見た職場の同僚は「なんて要領の悪い人だ」と思ってしまう。 だから、「そんなに丁寧に掃除しなくていいから」と声を掛ける。 以降、それまで丁寧過ぎる程、掃除をしていた本人がゴミが落ちていてもすぐに掃除を終えるようになる。 また、その様子を見た職場の同僚は「"サボる"ことを覚えた」と再びネガティブな印象を持ってしまう。 結果的に、この人に仕事は任せられなくなるし、職場の人たちの中に不穏な空気が流れてしまっていました。 職場の同僚の人たちの気持ちも十分に理解できます。 やらなくてはいけない仕事は迫ってくる。 でも、同僚から見たら、トンチンカンな行動をしている。 そうしたら、どんな人でもイライラしてしまいます。 しかし、自閉症の人の捉え方を知ったあと、みなさんの反応が変わっていきました。 「掃除をして」と言われたから、本人は一生懸命掃除をしています。 本人は何も間違ったことはしていません。 ただ定型発達の私たちなら読み取れる「掃除の質」と、他の仕事を考慮して「どのくらい時間をかけたら良いのか」というメッセージを受け取ることができていなかったこと。 そして、本人は「"サボる"ことを覚えた」ではなく、「そんなに丁寧に掃除しなくていいから」という指示を字義通りに受け取っただけ。 サボっている人というよりは、むしろ指示されたことに一生懸命応えていた人とも言えます。 このようなお話をさせて頂いたあと、同僚の方たちから「それは悪いことをしたな」「サボっていたわけではなかったんだ」というような声が聞こえてきました。 私は「わかりやすかった」という声よりも、このような声の方が嬉しく感じました。 自閉症の人たちは、障害の部分が目に見えないので、誤解されやすいです。 上記のような出来事は、耳の聞こえない人の耳元で大きな声を出して、「なんでわからないんだ。イライラする!」と言っているようなもの。 耳の聞こえない人に手話通訳士の人が必要なように、自閉症の人にも自閉症通訳士のような人が

心のエネルギーを溜める

昨日は「親や教員は不登校の子どもにどのように対処したらよいか」というテーマの学習会に参加してきました。 「フカフカの布団を用意してあげる」 「美味しいご飯を食べさせてあげる」 このような家族だからこそできることをまずはやりましょう、というお話がありました。 心にエネルギーを溜めることの大切さを強調されていました。 この心にエネルギーを溜めることは、親御さんにとっても大切なことです。 同じアドバイスや言葉でも、親御さん自身に余裕がなく、心のエネルギーが溜まっていない状態ですと、受け入れることができなかったり、否定的に意味をとってしまうことがあります。 このような状態では、子どもに対しても前向きに向き合うことができなくなってしまいます。 ですから、親御さんのマイナスな感情を吐き出してもらい、また心のエネルギーを溜めてもらうことも大切です。 親御さんの中には、一生懸命になり過ぎてしまいポキッと折れてしまう方や、自分の時間を持つことをためらう方もいます。 支援者の代わりはいますが、親御さんの代わりはいません。 特別なことはいらないと思います。 親御さんだからこそできることをやってもらい、子どもの心のエネルギーを溜めてもらう。 子どもは心のエネルギーが溜まれば、より多くのことに挑戦できることになるでしょう。 また、親御さん自身も頑張りすぎずに、自分の心のエネルギーを溜めることができれば、子どもに対しても前向きな関わりができると思います。 「心のエネルギー」というキーワードで展開された学習会。 不登校に対する捉え方が以前よりも明確になったような気がしましたし、私の行っている仕事にも多くのヒントが頂けたと感じました。 またお話を聞いてみたい、と思えるような有意義な時間でした。

最終目標は『何でも屋』

『てらっこ塾』の最終目標は、何でも屋。 「自閉症に関することなら、何でもやります!」というような看板を掲げたい。 療育、相談はもちろんのこと、 保護者の方が急病や用事があるときに、預かるサービス 就職活動をサポートするサービス 一緒に外出するサービス 家庭の中を本人が住みやすい環境に整えるサービス お見合いや結婚生活のサポートサービス などなど。 自閉症支援の中核は、個別化。 だったら、サービスも個別化していく。 ニーズの数だけ、サービスの種類があるはずだ。 最初からサービスがあるのではなく、一人ひとりのニーズに合わせてサービスを作っていく。 「何を夢みたいなことを」と思われるかもしれない。 でも、私は必ず実現できると思っている。 というか、行動に移して、実現させれば良いだけと考えている。 『てらっこ塾』を作ったときのように。

お金よりも、支援者を遺す

子どもの将来のためにお金を遺すことも大事かもしれません。 でも、それと同じくらい、またはそれ以上に大事なことは、子どもの支援者を遺すことだと思います。 子どものことを理解してくれている支援者は、何人いますか? その人は、子どもが大人になっても支援してもらえますか? その人は、小さいときからのことを知っていますか? 学校に行っている間は、先生が子どもの理解者かもしれません。 しかし、学校はいずれ卒業しなければなりません。 ですから、学校の先生以外でも、自分の子どものことを理解してくれている支援者の存在が大切です。 小さいときからのことを知り、子どものことを本当に理解している支援者が家族だけ、という状態では、家庭内で落ち着いて過ごせなくなったとき、家族の身に何かあったときに、子どもの支援がプチッと切れてしまいます。 そのとき、一番困るのは子ども自身です。 お金に関しては、いざというときには福祉や行政の枠組みの中で、どうにかなるものです。 しかし、子どものことを本当に理解している支援者は、すぐには現れません。 子どもの味方は多ければ多いほど良いと思います。 「子どもが小さいときから、地域に子どものことを理解してくれる支援者を増やすことが大切ですよ」と、私は特に若い保護者の方たちに伝えるようにしています。

原因は「自閉症だから」!?

自閉症がすべての原因であるようなことを言う人がいます。 自閉症だから 「問題行動が起きても仕方がない」 「友達とトラブルが絶えない」 「通常学級ではやっていけない」 など。 極端な例だと、犯罪と自閉症を結びつけるようなこともあります。 確かに、犯罪を起こす人の中には、自閉症の人もいると思います。 でも、犯罪を起こす人の多くは、定型発達の人たちです。 何故なら本来、自閉症の人たちは、決まりやルールをきちんと守る人たちです。 また、人を騙したり、嘘をついたりすることは、相手の視点を想像し、それに合わせて様々な行動を選択しないといけないので、自閉症の人たちには難しいことだと言えます。 ですから、自閉症の人が犯罪を起こしたとしても、そこに至るまでには別の要因が複雑に絡み合っている場合がほとんどだと思います。 そして、できない理由を「自閉症だから」と結びつけてしまう人もいます。 我慢ができないこと、座って勉強ができないこと、規則正しい生活ができないことなど。 どんな本や講演会でも、自閉症の特性に「我慢ができない」などが挙げられることはありません。 つまりできない理由は、自閉症だからではなく、環境の要因が大きくかかわってきます。 例えば、本人に分かる形で学ぶ機会が与えられていないこと、誤学習をしてしまったことなどです。 この前も残念なことに、支援者の中に「自閉症だから」と発言する人がいました。 そんなとき、私はただ否定するのではなく、「その行動の背景には、どんな自閉症の特性が関わっていますか?」と尋ねるようにしています。 キャリアや役職に影響されることなく、「おかしいな」と思ったら常に自閉症の特性に立ち返って物事を考えることが大切です。

自閉症の専門家よりも、子どもの専門家

「私、自閉症について全然勉強してなくて・・・」 と申し訳なさそうにおっしゃる保護者の方がいます。 私はそんなとき、決まって「そのために私たちがいますから」と明るく言うようにしています。 自閉症の特性を持っているお子さんがいるなら、自閉症のことについて知っておいた方が良いと思います。 でも、専門家のような知識や技能を習得する必要はない、と私は考えています。 自閉症は子どもの一部分であって、自閉症が子どものすべてではないからです。 時々、支援についての話がお互いの知恵比べのような状況になることがあります。 構造化が、個別化が、ABAが、環境の調整が、PECSが、SSTが・・・ 子どもの話が中心なはずなのに、子どもの情報よりも、「こんなことも知ってます」というような専門用語のオンパレードってこともあります。 私は支援を組み立てていくときに、素晴らしいなと思う保護者の方は、自閉症について詳しい人ではなく、お子さんの専門家である人です。 子どもが好きなこと、過去の支援の経過と結果、長所に短所、性格など、あらゆる子どもの情報について的確に答えることができる人。 そんな子どものことを誰よりも理解している保護者の方は、自閉症の専門家にとって心強い仲間のような存在です。 自閉症の専門家は第三者だからこそ、客観的に支援を組み立て、実践することができるのだと思います。 また、自閉症の専門家になるには、個人差の多い自閉症の人たちですから、より多くの自閉症の方たちの支援に携わっていることが必須条件になります。 もちろん、子どもから成人した自閉症の人たち、幅広い年代の支援の実践も。 自閉症の部分ばかりに注目してしまうと、一人の人間としての本来の子どもの姿が見えなくなってしまうこともあります。 ですから専門知識や技能の習得に時間をかけるよりも、保護者の方には、まず子どもの一番の理解者になって頂きたいと思っています。 そのためには自閉症の専門家と言われる人たちが多くなり、保護者の方に自閉症の専門家と子どもの専門家両方を担ってもらう必要がないくらいにしなければならない、と考えています。 自閉症の専門家になれる人は多くいますが、子どもの専門家になれる人は唯一保護者の方だけですよ。

はこだての家 日吉

「はこだての家 日吉」の良いところは、障害と福祉を前面に出していないところです。 あくまで個人を尊重しています。 〇〇障害を持っている〇〇さんではなく、〇〇さんが〇〇障害を持っているという考え方です。 ですから、スタッフも人と人の付き合いをする。 困っていることがあれば、その部分をサポートする。 「障害があるから手伝う」などという一方的な支援は存在しません。 スタッフは困っている人がいれば、ただ自分のできる範囲でお手伝いをしているだけです。 当たり前のことを当たり前にしているのは、個人を中心に考えているから。 24時間、人に見られている生活。 必要ない手助けをされることも、やりたくないレクレーションもありません。 それは福祉施設ではなく、一般的な賃貸住宅だから。 一般的な賃貸住宅は、入居者さんが主体であり、自分たちで住みやすい空間にしていきます。 障害があっても、なくても、みんなにとって住みやすい空間へ。 自立した生活を送りたい方たちに、ちょっとだけお手伝いをする「はこだての家 日吉」 「ユニバーサルデザインを形にしたら、こうなった」と言えるような空間を目指していきたいです! *発達障害の方で見学を希望される場合は、私が同行させて頂きます。お気軽にお申し付けください。