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8月, 2019の投稿を表示しています

普通になるのは、怖いことではない

いつからか、「個性的」という言葉が、褒め言葉になりました。 「あなたは個性的ね」と言われると、「そうかな」と照れる感じ。 なんだか世の中的にも、個性的が一つの評価となり、それを求めているよう空気があります。 ですから、「自分は個性と言えるものがない」なんていう若者の悩みすら生まれてくるのでしょう。 「個性的」という言葉を聞くと、私は中学生になった途端、茶髪だ、ピアスだ、をしてくる同級生たちの姿を思いだします。 ついこないだまでは、放課後、一緒に鬼ごっことか、サッカーとかしてたのに。 小学校とは違い、いろんな学校から集まってくる生徒たち。 その中で、自分が埋もれてしまわないように、自分の存在が消えてなくならないように、インスタントな方法で、自分を表出しようとする。 あれは、個性ではなく、ただの悪目立ち。 今思えば、家庭に恵まれていない子が多かったような気がします。 こういった行動に向かわせるのも、一種の愛着障害なのでしょう。 話をすると、日頃の態度とは違い、人懐っこい面がありました。 彼らからは、いつも「私を見て」という雰囲気が漂っていた。 今の社会には、「私を見て」という人達が多いのだと思います。 端的に言えば、寂しい人達が増え、親からの、他人からの愛情に飢えているのでしょう。 個性なんてどの人も持っていて、にじみ出るようなものなのに、みんなで必死に自分の個性を探しに彷徨っている感じです。 「発達障害は、その子の個性だ」「不登校も、その子の個性だ」というような人もいます。 でも、発達障害は神経発達に遅れがある状態であり、不登校は学校に行けていない状態なだけ。 個性でも、なんでもない。 でも、それをポジティブな言葉として、当事者、家族に投げかける支援者達がいる。 多分、支援者達は、「私は、あなたのことを見ているよ」「側にいるよ」という意味で使っているんだと思います。 自身がしてもらいたいことが土台にあり、当事者の持つ根本的な悩みを解決するアイディアを持たない者は、ある意味、そういった言葉しか出てこないから。 このように、ふと考えると、発達障害を治すことに、異様な拒絶や恐怖を感じる人達というのは、結局のところ、見捨てられ不安が根っことしてあるのだと思います。 「発達障害が治ったら、私じゃなくなる」というよ

発達のヌケを育てるベクトルと、経験・体験を積み重ねていくベクトル

療育機関へ一生懸命通わせるご家族がいる一方で、地域の習い事に通わせるご家族がいます。 言葉は出ていないけれども、まだまだ発達の遅れはあるけれども、「同世代の子ども達が体験するようなことをうちの子にもやらせたい」。 そのような想い、考えを持って、一般の習い事、活動に参加させています。 最初の頃は、一斉指示が分からないし、他の子とは違う動きをしてしまう。 でも、子どもというのは、大人が思っている以上にたくましいものです。 分からないながらも、必死についていこうとしたり、限られた情報から見よう見まねでやろうとしたりします。 半年、一年と、まったく活動ができなかった子が、ある日突然、みんなと同じように動けるようになることも。 一見すると、変化がない期間は「ムダ」に思えてきます。 しかし、目に見える変化がない期間も、子どもの内側では変化が起きています。 見ていないようで見ている。 聞いていないようで聞いている。 わからないようで分かっている。 発達のヌケ、遅れが育ってくると、理解できることが増え、掴める情報が増え、自由に動かせる身体が整ってきます。 そうすると、それまでの体験と結びつき、目に見える変化として成長を感じられるようになります。 これがいわゆる「ドカン」というやつです。 子どもの成長は、大人のような緩やかな直線を描きません。 主に新規の神経同士の繋がりになりますので、じわじわとあらゆる神経を伸ばしつつ、繋がった瞬間、一気に「ドカン」です。 ですから、大人の我慢力、忍耐力、ブレない姿勢が問われます。 「これこそが大事」と一度決めたのなら、子どもがやりきるまで、目に見える成長が現れるまで、腹を据えて、腰を据えて、待ち続ける必要があるのです。 一度、習い事を始めたら、ある程度の期間は、子どもの変化を信じて続けてみる。 この部分を育てようと思ったら、その部分が育ちきるまで、とことん付き合い続ける。 ほとんどが未経験で、新しい刺激になるのが子どもです。 だからこそ、子どもの体験にムダはないのです。 「地域の一般的な習い事に通わせたいけれども、まだ発達の遅れがあって…」というような相談を受けます。 それに対する私の基本的な考え方は、こうです。 他害等がなく、その場、その環境、その活動に自ら向かおうとするのなら

発達援助とは、新たなネットワーク作り

文章や言葉で伝えるとき、私も「重い」という表現を使うことがあります。 でも、それはニュアンスを伝えるため。 そもそも何を持って症状が重いというのか、わかりません。 知的障害の重度、軽度などという表現だって、ある側面を切り取った検査結果に基づいてラベリングされているだけです。 知的障害の知的って何だろうか。 ヒトの知能を検査で表しきることができるのだろうか。 というか、知能って何? DSM-5でも、知的障害に関してIQのみからの判定から適応状態からの判定に変わりました。 「重度」や「軽度」などの表現を目にしますと、私は「発達障害者の中で」「ASDの人の中で」という具合に捉えます。 時々、「私は重度なんだ」「うちの子は重度なんです」という具合にこだわるような人もいますが、発達障害の人達に重いも、軽いもない、と私は思っています。 正直、発達障害の人に重い人はいないと思います。 同じ発達障害という括りで見れば、それは状態の違いがあるのでしょうが、障害全体で見たらどうでしょうか。 脳の状態、神経の状態からみれば、決して重度に分類される障害だとは思いません。 何故なら、五体満足の身体があり、ほとんどの発達障害の人は自分で移動することができ、口から食事を摂ることができ、他人に伝えられる表現を持っているからです。 多くの発達障害の人は、勉強だってできるし、仕事だってできるし、恋愛だってできる。 私は今、発達障害の人とばかり関わっていますが、これまでの間には他の障害の人達とも多く関わってきました。 頻繁にてんかんを起こす子もいましたし、胃ろうの子、自分で筋肉を動かすことができない子、身体に不自由がある子、それこそ現代医療では治らない病気を持った子もいました。 病気のため、障害のため、天国に旅立った子ども達もいます。 そういった子ども達と関わると、自然と重さを感じます。 そして脳や神経、身体へのダメージの大きさ、根っこからの問題を感じるのです。 彼らと関わった時間がありましたので、発達障害の人達と関わっても、重さは感じません。 多分、彼らと比べれば、発達障害の人達の障害された箇所は、部分的であり、とても狭く小さな範囲の話だと思います。 それこそ、神経細胞のダメージではなく、神経細胞の繋がり、シナプスの部分の不具合なのでしょ

言葉、雰囲気

この仕事をしていて思うのが、雰囲気を感じることの大切さです。 なぜなら、言語化できないものと向き合うのが、仕事だから。 まだ十分に説明できるだけの言葉を持っていない子もいます。 言葉を持っていたとしても、しっかり捉えられるだけの感覚を持っていない人もいます。 そして何よりも、援助の中心である発達とは、言葉でいい表すことができないものです。 たとえば「問題行動」というのは、言葉です。 言葉だから、それは道具。 道具になると、使い方の幅は狭まり、みんなが似たような使い方をするようになります。 だから、特別支援が学問になり、専門になっていくと、個人が薄まり、道具に使用される人という具合な主従逆転現象が起きるのです。 今の特別支援を見ていると、どんどん新しい言葉が生まれ、その新しい言葉をどう使いこなそうか、四苦八苦している支援者たちの姿を感じます。 懸命に言葉を使いこなそうとすればするほど、いつの間にか、言葉に行動が規定されていく。 だから、養護学校と呼ばれていた時代の方が、まだ個人があり、自由があり、治るがあった。 言葉によって支援が展開されていくと、パターン化、マニュアル化が起きます。 なので、少しでも困った行動が見られれば、「止めなきゃ」「無視しなきゃ」「別のところへ意識を向けなきゃ」となってしまいます。 その行動の背景には、個人があるはずなのに。 個人よりも、言葉が優先されてしまう。 誤学習、自己防衛、純粋な発達では、それぞれの姿から漂っている雰囲気が全然違うのに。 本人からの相談で多いのは、「なんだか困っている」「なんだか生きづらい」というものです。 その“なんだか”は言葉にできない何かです。 つまり、雰囲気。 その雰囲気を感じられるか、共有できるかが、その人の支援者になれるかどうかの判定になります。 親御さんからの相談でも、「周りは大丈夫って言うけれども」「その行動は無視してください、と言われるけれども」「障害だから受け入れましょう、と言われるけれども」、やっぱりこのままじゃいけないと思うから、相談します、という場合が少なくありません。 なんだか胸騒ぎがするから相談する。 なんだか、こうやったら良いかな、と思うからそうやってみる。 それが結果的に功をなすことが多いのです。 親御さんは、子ど

問題行動というズレ

「問題行動」という言葉は、支援者によって造られ、支援者のために存在する、といえます。 それに対応するだけのアイディアを持ち併せていないとき。 その言動の内側に流れる意味を捉えるだけの感性を持っていないとき。 支援者は、「問題行動」という言葉を借りて、自らの逃げ道を作るのです。 「問題行動」と称されるものには、3つの流れがあります。 誤学習と、自己防衛と、純粋な発達。 「誤学習」は、その名の通り、時間をかけて培ってきたズレた学習です。 本人的には、ズレた意識はないのですが、結果的に周囲や環境と折り合いがつかなくなった学習パターン。 ですから、気づいていないズレを教えることが必要。 そのためには、まず培ってきた学習パターンを一度、壊す必要があります。 支援にあたる者は、身体的な体力と言語的な体力が求められます。 それに、まずおのれの愛着の土台に脆さを持つ者は、対応不可能。 徹底的な否定ができなければ、中途半端な否定と肯定に揺れ動くのなら、一度形成された学習パターンを壊すことができないから。 自立できていない人達の中には、多かれ少なかれ、誤学習が存在している。 なので、支援者は誤学習と向き合う場面が多い。 そして、愛着障害と親和性の高い支援者という存在が、中途半端な否定と肯定を繰り返す。 特別支援の世界に誤学習が溢れているのは、元来、誤学習と対処することを一番苦手としている者たちが、その任務を担っているからでしょう。 驚くのは、誤学習すら、障害特性と捉えるような支援者の存在。 「自己防衛」は、ある意味、本人の資質の開花でもあります。 ヒトは追い詰められ、生きるか死ぬかのギリギリのラインに立たされたとき、意識を飛び超えた次元の反応が表れます。 どうして思いついたか分からない。 でも、それをすることで、なんとか今、私は生きている、生き続けることができている。 周囲からは理解されないけれども、自分にも害を被るけれども、自らを助けるがために発動された行動には躍動感をも感じます。 自己防衛は、そうせざるを得ない状況、状態があります。 刺激に圧倒される状況、心身の状態。 孤独な状況や心理的、身体的に他者から侵略されそうな状況。 ですから、まずはその状況、状態から解放できるかが支援の一歩になります。 そし

原始的なレベルでしか埋められない発達段階

思いっきり水遊びをした子ども、できた子どもは、泥遊び、砂遊びに興味が移っていきます。 ヒトが辿ってきた道を振り返れば、それは当たり前のこと。 夏が始まる前、「とにかく思いっきり水遊びを」とお伝えした数家族の親御さん達から、「急に砂場で遊ぶようになった」「泥が平気になった、自ら進んで触るようになった」というお話を聞きました。 一生懸命、来る日も来る日も、水をテーマに遊び、子育てを頑張られた結果だと思います。 水の段階を完了するのは、とても重要なことです。 何故なら、皮膚とその感覚を育てるから。 そして、次の段階である泥、砂の段階へ進めるから。 ヒトは、泥遊び、砂遊びを通して、人になる。 触っただけで、物事を判別できるようになる土台は、泥遊び、砂遊び。 ひとまとまりだった手を、親指と4本指に分けるのも、そのあと、5本、それぞれの指に分けるのも、泥遊び、砂遊び。 夢中になって、泥や砂と戯れているうちに、自然と手で情報を得られるように育ち、指の分化が完了していく。 だから、泥遊び、砂遊びは、とても大事な発達刺激。 水の段階を卒業していない子に、いくら促しても、泥や砂で遊ぼうとしません。 遊んでいる風に見える子は、みんな、スコップや木の枝など、道具を介して泥、砂と関わっているもの。 手で、足で、直接戯れる姿が、真の姿。 水の段階を完了していないから、泥や砂で遊ばない子もいるし、環境的に水で思いっきり遊べなかった、泥や砂で思いっきり遊べなかった子もいます。 いずれにしろ、それは手先の不器用となって表れます。 手先が不器用な子の中には、首の問題の子もいますが、結構、水遊び、泥遊びが足りなかったから、という子も少なくないように感じます。 原因、アプローチの方法は異なりますが、どちらも未発達が背景にあります。 だから、治る。 しかし、治るけれども、不器用だからといって、細かい作業をさせたり、指を動かす訓練をしたりしても、なかなか育っていきません。 養護学校で、手先が不器用な子ども達にネジ回しなどの指先を使う作業をひたすらやらせる姿を見てきました。 12年間やったのに、卒業時も、手先は不器用なまま。 結局、不器用だから指を動かす活動、では育たないということ。 ネジ回しはうまくなっても、指は自由に動かない。 近頃、

若い頃の子育て、年を重ねてからの子育て

子どもは、いつまでも子どもではありません。 子どもも、年を取ります。 同じように、親も年を取る。 そして、親の親も年を取る。 月日が流れると、そのとき、想像していなかったことが起きるものです。 子どもの年齢が幼い頃は、親も体力があり、意欲も満ち溢れているものです。 ですから、子育ても、発達の後押しも、じっくり時間をかけて取り組むことができます。 しかし、子どもの年齢が上がり、そして自分は年をとっていくと、なかなか腰を据えて、時間をかけてじっくりと、ができなくなります。 自分の健康上の話も出てくるし、親の介護等、そっちの話も出てきます。 そうすると、子どもが幼いときのように、子ども中心でいられなくなる。 大学から私は函館にいますので、長い人では20年近くの付き合いがあるご家族がいます。 学生時代はもちろんのこと、施設で働いていたとき、学校で働いていたとき、そして今の事業を起ち上げてからも、治るとは思っていませんでしたし、治るアイディアも持っていませんでした。 しかし、今は違います。 多くの治った人、治したご家族とご縁がありましたし、治す知見を持った実践家の人達からも教えをいただくことができています。 なので、当時の私とは異なり、「治る」と自信を持って言うことができます。 ある意味、未発達の集合体が「神経発達障害」という状態だといえます。 その一つ一つの未発達を育てていけば、全体的な発達が進み、障害というラインを飛び越えることができる。 また、それができなくとも、一つの発達課題がクリアされると、それだけで生きやすくもなるし、脳みそにも余裕が生まれる。 当然、適応力だって上がっていきますので、障害という範囲の中にいるかもしれないが、社会に適応し、自立的に生きていけるようにもなれる可能性がある。 だから、いくつになっても、たとえ一つの未発達だとしても、それを育て直し、クリアしていくことがとても意味のあることだと思います。 ただ、それが伝わらない、長年、治らない前提で子育てをされてきた親御さん達に。 学生時代からの仲であるご家族も。 興味があるけれども、途中までやるけれども、若い世代の親御さんのように続かないし、やろうろともしない。 この親御さん達の10年前、20年前も知っているけれども、決して柔軟性のない人、意欲

対人職の過ちを最小限にするためにも

この夏、一人の若者が仕事に就き、そして家を出て一人暮らしを始めました。 仕事を探し、自分で面接を申し込み、採用までをやり切ったのです。 一人暮らしも、本人の意思です。 支援者の力を借りることなく、就職できたのですから、もともと力のあった人と思われるでしょう。 確かに、最初にお会いしたときから、働くだけの能力をもった方だと、私も思いました。 しかし、就職する上でも、生きていく上でも、とても重要な「主体」がなかったのです。 何を尋ねても、「わかりません」と言い、どんな仕事がしたいか、答えられませんでした。 印象ではありますが、困っているのは感じているんだけれども、何がどう困っているか、自分でもわからない感じでした。 ただ年齢的にも、仕事をしなければならないと思っていて、でも、仕事ができなくて、そもそも、どうしたら良いか分からなくて、という中での相談でした。 若者からの相談では、こういった主体性の乏しさからの悩みが少なくありません。 「大久保さん、私はどうしたら良いですか?」 このような発言をたくさん聞きます。 しかし、こういったとき、本人に代わって私が選択肢を選んではならないと考えています。 だって、私が選んだものをそのまま受け取ってしまう可能性が大きいから。 これは、私が嫌う、他人様の主体性を侵すような行為でもあります。 「私はあなたではない。ゆえに、私は誤解するし、誤った判断、選択をする」 このように思って、対人援助という仕事をしています。 私は、一般の人よりも、多くの発達障害の人達と関わり、生活を共にしてきたかもしれません。 でも、私が彼らの代弁ができるとは思っていませんし、そもそも他人の気持ちがわかったも、理解できたも、幻想であり、不可能なことだと思っています。 私には、他人様の人生を決める権利も、能力も、ありません。 ですから、主体性が乏しい方からの相談に対しては、言葉を慎重にし、そして、まずはその主体性を育てる方向性へ後押ししたいと考えています。 ある意味、ちゃんと相談ができるための準備です。 主体性を持ち併せていない方からの相談は、相談ではなく、宗教になると、私は思っています。 私が言ったことが、そのまま、答えになってしまう危険性。 主体性を持たないまま、相談員でも、専門家でも、医師でも、

「何を学び、どう生きるか」は私達の権利です

私は施設職員として、利用者さんの主体性、選択、自由の権利を奪っていました。 朝起きてから寝るまでの日課、スケジュールを決めていました。 起きる時間、寝る時間、食事の時間、お風呂に入る時間…週末の過ごし方まで。 すべて職員である私達に決定権がありました。 入所していた人達には、何を食べるかさえも決められず、出されたものを食べ、嫌だったら“食べない”という選択肢しかなかったのです。 限られた人数、資源の中で、多くの利用者さんを見なければなりません。 ですから、どうしても管理の意識、傾向が強くなります。 「もっと選択肢を」「日課に自由を」とは思い、できる改善は行っていたものの、やはり限界があるのです。 一日、無事に終えることが、どれほど、大変だったか…。 いくら業務であり、施設の意向だったとしても、私が多くの人達の主体性、選択、自由の権利を奪っていたのは変わりがありません。 もし私が支援される側だったら、こんな支援は受け入れられなかったはずです。 そのように自分自身で感じるくらいのことを、私はやってきたからこそ、今の仕事では「主体性」「選択」「自由」の権利を侵さないように、と強く意識するのだと思います。 私が発達の準備、後押しにこだわるのは、こういった経緯があるからだといえます。 何か指導しようとすると、うまくいかないことが多いというのもありますが、「指導する」自体に、本人の主体性を侵略するような雰囲気を感じるのです。 何かを指導してほしいという本人からの要望があれば、それは主体性を侵すような指導にはならないでしょう。 むしろ、「何かしたい」「こうなりたい」という本人の意思が明確にあるので、主体性を尊重している対応だといえます。 でも、そこに本人からの発信、要望がなければ、もしかしたら、良かれと思っている指導が、本人の主体性、選択、自由を奪う結果につながらないともいえません。 特に私は、重い障害、症状を持つ人達の施設で働いていましたので、本人からの発信、要望がない場合、慎重になる必要性を強く感じるのです。 幼い子どもや知的障害がある人達、ASDの人達は、自分たちの意思よりも先に、指示されたこと、指導されたことに従順してしまう傾向があると思います。 「自分がやりたいから」「楽しいから」ではなく、「わかるからやる」とい

「どうやって教えよう」から「どんな準備をしたらよいかな」

施設で働いていたときも、学校で働いていたときも、私は「教えよう」としていたと思います。 できないことがあれば、補助具を作ったり、教え方を工夫したりして…。 わからないことがあれば、言葉を簡潔にしたり、視覚的な方法で伝えたりして…。 「学習に集中できるように」と刺激の少ない環境にしたり、スモールステップで教えたり、個別指導で徹底的に教えたりもしました。 こういった教える側の工夫、配慮によって、子ども達はできないことができるように、わからないことがわかるようになりました。 しかし、それは“その場限り”。 学んだ場所、学んだ人から一歩離れれば、できなくなり、わからなくなる。 ですから結局のところ、「家に帰ったらできない」→「学校だから、施設だからできるのね」と親御さんに受け取られ、連携がうまくいかなかったり、養育の意欲の低下を招いたりする。 私達、支援する側、教える側も、外に出れば、できなくなるので、「やっぱり障害が重いから」「それ(般化の難しさ)が自閉症の特性だから」と勝手に諦め、社会の中での実践から子ども達を遠ざけてしまう。 今の事業を起ち上げてからも、できないもの、わからないものは、教え方の工夫によって身についていくと考えていました。 でも、その考え方を改めるきっかけがあったのです。 普通級在籍の小学生の子。 この子は、授業についていけず、また言葉や対人面でも課題があったため、担任、管理職、コーディネーターから再三、「支援級へ」と伝えられていました。 だけれども、親御さんが頑として首を縦に振りませんでした。 今はわかっていないけれども、この子には理解する力がある、と親御さんが感じていたから。 そこで、私との関わりが生まれました。 親御さんからの依頼内容は、「学校の授業についていけるように勉強を教えてほしい」というものでした。 ですから、私はこの子にわかるような教え方、工夫をして、勉強の後押しをしようとしました。 一対一の学習で、この子のペースに合わせて進めていましたので、私との学習のときには理解ができていました。 でも、学校に行けば、わからないし、テストでも点数がとれずにいました。 最初は、「一斉授業だから」「刺激が多いから」などと、私も捉えていましたが、ふと、それまでの「その場限り」のことを思いだし、その

発達は、自然科学であり、ヒトの、動物の自然な営み

保育園一年目は、あらゆる病気を貰ってきます。 春夏秋冬、それぞれの季節で流行するもの、したものは、すべてもらい病気になるわけです。 年がら年中、鼻水を垂らしています。 ときに、発熱しながら、体内に入ってきた初めてのモノと対決する。 そうやって、一年が経ち、二年が経つと、ほとんど症状が出ない身体になっていきます。 子どもが貰ってくる病気のほとんどは、「経過観察」と「対処療法」と説明されるのです。 私自身は、もう10年以上、病院にかかることはありません。 ほとんど風邪などひきませんし、「なんかくすぶってるな」と感じれば、手足を温めたり、ランニングの距離を調整→汗の調整をして治します。 もう30年以上、生きているわけですから、自分でどうすれば、治るか、自然治癒力が発揮できるかわかるわけです。 結局、病院に行っても、直接作用するような特効薬がもらえるわけではありません。 喉が痛ければ、「喉が痛いです」という。 そうしたら、ドクターが喉を見て、「ああ、喉が腫れていますね」という。 頭がボーとすれば、体温を測り、その値を伝える。 そうしたら、ドクターが「熱が出てますね。風邪でしょう」という。 これが一般的な内科の診察。 症状に合わせた薬が出て、とりあえず抗生物質が処方される。 内科のドクターは、風邪に対する特効薬はなく、対処療法しかないこと前提で診察にあたります。 患者の方も、ドクターが直接治してくれるわけではないけれども、一応、通院する。 それは、他の病気だと困るから。 「ああ、普通の風邪ね」と安心し、あとはゆっくり養生するために通院する。 こうしてみると、風邪を発達障害に変えても、意味は通ります。 「こんな症状があるんです」といえば、「じゃあ、こんな薬があるよ」という。 「言葉の遅れがあって、目が合わなくて…」といえば、「じゃあ、発達障害かもね。検査してみよう」という。 そして診断名が出て、診断書が記入され、「あとは福祉へ、療育へ」となる。 ここでも、ドクターが直接治すわけでもないし、神経発達を促してくれるわけでもない。 発達障害専門の医師の多くは、「治らない」という。 それはそうなのかもしれません。 発達障害が治ってから、わざわざ通院する人はほとんどいないでしょうから。 どちらかといえば、診断名が

その人達は、神経の専門家じゃない

イメージ
ひと昔前は、生まれつきの障害で、それも脳の機能障害。 生まれつきで脳が違うのなら、なんだか普通の人とは別の存在のようなイメージがありました。 だから、そういった自分たちとは異なる人達のことを努めて理解しようとした。 治らないんだったら、制度を整え、あらゆる面でサポートすることが大事だと思った。 だけれども、時は流れ、従来想像していたのとは異なる人達の存在が明らかになりました。 2000年以降、それまで知的障害を伴う人達ばかりだと思っていたのですが、知的障害を伴わない、同世代の人達と同じような道を歩んでいながらも、自閉症やADHD、LDなどを持っている人達が多くいることがわかりました。 さらに2010年代には、自閉症と診断された人達の中に、成長と共に、その診断名が外れる人達の存在も明らかになりました。 国内外を問わず、 診断基準、発達障害というラインを飛び越え、治っていく人達の存在です。 状態像は発達とともに変化していく。 今、思えば、しごく当たり前の話ですが、ひと昔前の「生まれつき」「脳の機能障害」という捉え方を崩すには、多くの人達の姿と、長い月日が必要だったといえるわけです。 結局、生まれつきって言ってたけれども、発達過程のどこかで発症するという話だったのね。 “脳の”って言っていたけれども、神経の問題だったのね。 ですから、発達障害は神経発達障害になったのです。 脳の話から、神経の話に変わったのにも関わらず、どうも旧来の捉え方で支援が展開されているようです。 日本の支援者、隅々まで“神経”が認知されているとは思いませんが、診断に携わっている医師や専門家と呼ばれるような人達は当然知っているはず。 じゃあ、なぜ、もっと「神経だよー」と言わないのか。 むしろ、ひた隠すような素振りすら見られます。 未だに「NC州のような地域プログラムを作ろう」「ご褒美を使って、パターン学習をさせよう」「社会性はマニュアルで教えよう」というような、なんだか、旧来の「生まれつき+脳」前提と思われる療育、支援がはびこっています。 神経の発達障害なのですから、その神経へのアプローチが肝心なわけです。 神経が育ってしまえば、地域をまるまる構造化する必要はありませんし、パターン学習も、マニュアル暗記も、むしろ効率が悪い学習法になります。 なの

ベルトコンベヤー

「この地域は、ママ友は、みなさん、視覚支援なので、身体アプローチはちょっと…」というような人もいます。 その一方で、早期診断、早期療育、就学後は相談機関の人と連携して学校生活を送り…みたいな人が、「やっぱりおかしい」といって、治す道へと歩みだすこともあります。 そういった親御さんの一人から連絡がありました。 「他人の気持ちを察することができるようになったんです」 「会話がスムーズになって、雑談ができるようになったんです」 長年の課題、「ここが育てば」と思っていたところが育ち、ご家族皆さん、とても喜ばれていました。 察すること、雑談…。 こういった部分は、発達障害の人、特に自閉症の人達に共通してみられる課題でもあります。 だから、療育でも、熱心なアプローチが展開されます。 なんとか会話や、なんとかストーリー、輸入物のアプローチの数々。 一通りやってみて、結果が出なければ、「それが障害特性だから」という典型的なパターン。 何年もかけて、SSTをやったのに、「だって、障害特性だもん」と言われた日にゃあ、どうすりゃいいの、私達の時間を返せ、となるわけです。 そこで、「これだけ時間かけて、頑張ってきたんだから、仕方ないよね」と納得するか、「仕方がないんじゃなくて、やりかたが悪かったんじゃないの」と思うか。 そこが分かれ道だと思います。 冒頭で紹介した親御さんは、それから自分でいろんなことを調べ、辿りついたわけです、身体アプローチに。 長年、療育に通い、児童デイにも通い、定期的に相談機関、医療機関と頼ってきた。 最初は、「早期療育を行えば、この療法をやって続けていけば、コミュニケーション面も改善しますよ」と言っていたのに、「薬を飲めば、集中力も上がってくるから、療育の効果も高まるから」と言われて飲ませたくなかった精神科薬も飲んだのに、挙句の果てに障害特性で、はい、終了となる。 こういった話は、全国どこにでもある話ではないでしょうか。 結局、上辺だけの知識、技能では、問題解決などするわけないのです。 だって、発達障害は、知識や技能を覚えれない障害ではないから。 発達期に生じた神経発達の遅れ、です。 「神経発達の遅れ」=「知能や技能を覚えられない」??? 現在行われている療育、特別支援教育の多くは、知能や技能を覚えられ

社会は働ける人を求めている

函館も連日、30度超え。 今まさに、北海道の短い夏の真っ只中。 せっかくの暑さなので、楽しまなければなりません。 夏を楽しむといえば、唯一、この時期の早番は苦ではありませんでした。 施設職員だった頃、ほとんど車が通っていない道路を、輝く海を見ながら走る。 風も気持ちが良くて、ぜいたくな気分を味わいながらの通勤でした。 でも、この時期以外の早番は、外はまだ暗いし、寒いし、冬なんか凍結した道路を早朝から走る。 通勤だけでもテンションガタ落ちだったわけです。 夜も明けぬうちから、掃除、洗濯、生活援助、食事を用意し、学校に子ども達を送りだします。 なんたって、人がいないのですから、止まっている時間など、私達にはないのです。 ようやく登校の準備ができた頃に、外を見れば、学校の先生たちの通勤時間。 子ども達が学校に行っている間に、また掃除をして、支援の準備をして、会議、打ち合わせをして気が付いたら下校時間。 そこから個別指導をして、余暇の支援をして、夕食の準備をして…ちょっとホッと息をついたときに、窓の外を見れば、先生たちの退勤時間。 そうです、私達は、先生たちの出勤と退勤を仕事をしながら見るのです。 昨日、埼玉県で「支援学校に通う生徒が急増している」というニュースを目にしました。 それで学級を増やしても、受け入れ施設が足りずに、学校建設が始まっている様子も紹介されていました。 埼玉県のように人口が多く、財政的にも余裕があるところは、学校新設ができるのでしょう。 地方は、子どもの数の減少により空いた教室や、統廃合でまるまる空いた校舎があるので、そういったところに、支援級や支援学校が入ります。 北海道は、人口がどんどん減り続けていますし、当然、子どもの数も減っています。 それにもかかわらず、北海道でも、支援級、学校に通う生徒は増え続けている。 全国的に支援級、支援学校に通う人が増えたということは、卒業生もその分、増えるわけです。 ごく一部の専門的な高等支援学校以外は、一般企業への就職は難しい現状です。 じゃあ、その卒業生たちがどこに行くかといったら、メインは福祉。 その福祉が、卒業生が増えた分だけ、利用箇所が増えているのか、といったら、そんなわけはありません。 学校は、文部科学省、福祉は厚生労働省。 わざわざ調