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6月, 2021の投稿を表示しています

【No.1175】人間の脳は強い不安と出くわすと、考えることができなくなる

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河野大臣はブログ内で、ワクチンデマを流す目的を4つ挙げていましたね。 ①ワクチンを批判して、自分の出版物やオリジナル商品に注目を引きよせて、お金を稼ぐ ②科学よりも自分の信奉するイデオロギーに基づいて主張する ③過去に誤ったことを発言したために抜け出せなくなっている ④自分に注目を集めたい 簡単に言えば、「お金」「主義主張」「保身」「愛着障害」のために、ということになるでしょう。 私はこのブログ、そして前後で行われたメディアでの発言を見て思ったのは、相当困っているんだな、危機感を感じているのだな、ということです。 大規模な集団接種会場を作ったのに接種する人が少ない。 また高齢者の接種が思うように進んでいかない。 若い世代の中には、接種するメリットがほとんどなく、リスクのほうが大きいことに気づいている人たちが少なくない。 つまり、それはワクチン接種における大臣の責任問題につながる。 ①のお金を政治家生命、またゆくゆくは総理大臣に、という言葉で置き換えると、そのまま4つともご自身に当てはまってしまうわけです。 「イデオロギー」「主義主張」で発言することは何ら問題はありませんし、ある程度、大人になって、社会人としての年数が経って、なんの主義主張もないほうが問題です。 よって、人が何かを発信しているときは、上記の4つに分類しようと思えばすることができる。 ということは、この発言において私達が注視しなければならないのは、「デマ」といったところだと思います。 「デマ」というのはレッテル貼りで、それ以上、議論しないし、考えないという意思表明でもあります。 本格的な接種が始まって1年も経っていないのですから、常識的に考えれば中長期的な影響は「わからない」というのが正しい。 大臣も、取り巻きの医師も神様ではないので、「わからない」というのがわからないわけではないのですから、彼らなりのイデオロギーがあり、お金と愛着障害、保身のためにそうさせているのでしょう。 特別支援の世界に「標準療法」というものがあると仮定しますと、それ以外のアプローチはすべて標準から外れた方法になります。 しかし、どの世界にもそれまで標準であり、それが有効だと考えられていたものが、新たな発見によってひっくり返ってしまうことは珍しくはありません。 むしろ、科学の発展、人間の知恵の進歩のためには、それまで常識を疑うこと

【No.1174】海と愛着障害

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沖縄は高校2年の修学旅行以来、約20年ぶりでした。 そのときは「平和学習」がメインでしたので、南部を中心に関連する施設やガマなどを見学し、観光地らしい場所や海にはほぼ行かずじまい。 ですから今回の出張では、とにかく海を見ようと、那覇空港に着いてすぐに海に向かい、また仕事以外の時間も海に向かいました。 到着した日は金曜日で、まだ沖縄県の小中学校は休校期間中。 海には子ども達が元気に泳ぐ姿が見られましたし、よちよち歩きの小さな子どもさん達が親子で、またおじい、おばあと浜辺で遊んでいる姿を多く見かけました。 その土地土地の発達援助があり、名もなき遊びの環境がある。 まさに沖縄は海とともに育ち、治っていく場所だと思いました。 青い海を眺めていると、そうだ、帰ってからこのことをブログに書こうと思うことが浮かんできました。 それは海と愛着障害というテーマです。 以前から私は海が近くにある環境に住まれているご家族には、海での発達援助を提案しています。 循環器系、泌尿器系に未発達がある子ども達は、海の塩水自体がよいでしょうし、運動発達のヌケがある子は魚類と両生類の動きを行うことができる。 さらに五感(+前庭感覚&固有受容覚)への刺激は豊かですし、名もなき遊び&概念学習の宝庫です。 ですから実際、海遊びを続けることで、多くの発達課題がクリアされていく子ども達がいます。 でも実はこれは当たり前の話で、私が注目しているのは親御さんに生じる効果です。 あるとき、気がついたのですが、「この夏はおもいっきり海で遊びました!」とおっしゃる親御さんで愛着の課題がクリアされていた方がいらっしゃったのです。 相談時は、ご自身も認めるような愛着の課題をもっていたのに、いつの間にかその課題がクリアされている。 子どもさんが海でググッと育ったように、親御さんも海で愛着の課題を育てたような気がしました。 「とにかく私も海で過ごすのが心地良かったんです」 海は胎内、羊水を連想させるのでしょう。 そしてヒトは雄大な自然に身を任せられるようになると、とくに胎児期の愛着障害は弛んでいく。 また浜辺での遊びは、幼少期の家族の記憶を思いださせ、我が子と遊ぶことで、自分の幼き頃に退行できるような気もします。 ある親御さんがガラッと変わったのを境に、子どもさんの発達だけではなく、親御さんの変化にも注目すると、同じように愛着障

【No.1173】笑顔のアセスメント

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ラジオでのお便りに返事をしている際、パッと出てきた言葉ですが、「笑顔のアセスメント」は大事だと思います。 子どもが笑っていると、その遊び、活動は心地良いもの、と私達は無意識に判断していますが、実際はそうではないこともありますね。 「ソファーでピョンピョン跳んでいるとき、いつも笑顔なんです」という親御さんがいましたが、実際その様子を見ていると、顔は笑っているけれども、心地良いような感じがしませんでした。 むしろ、「やらざるを得ない」感がプンプンしていて、辛ささえ伝わってくるのでした。 「笑っているから、楽しい」わけではないことを学んだのは、施設職員時代です。 笑顔で自傷している人もいましたし、怒りながら涙を出しテレビゲームをしたり、おやつを食べたりしている人もいましたので、必ずしも表情と感情が一致しているわけではないのだと感じました。 あとスキンシップ遊びを求めてくる子に応じていたら、最初笑っていて途中からパニックになる子も。 特に知的障害の重い人達は、表情のバリエーションが乏しく、泣くか笑うかで、中間の表情がない感じがします。 確かに生まれたばかりの赤ちゃんは笑いませんし、認知症が進んできたご高齢の方は表情が失われていきます。 認知機能と表情は連動していますので、表情の豊かさが認知機能の豊かさであり、表情が感情のすべてを表しているのではない、ということを知りました。 我が子の遊び、活動、動作を、そのままやらせておいて良いか、止めるべきか、で悩まれる親御さんは少なくないと思います。 子どもの表情、笑顔は大事な判断基準になるのですが、「笑顔=快・発達に繋がる活動」というのは言い切れません。 ですから私がどうしているかと申しますと、常日頃の表情の確認、アセスメントも行うのです。 「遊んでいるときの表情はどうか?」 「おやつなどを食べたときの表情はどうか?」 「関わり遊び(くすぐりやスキンシップ)をしたときの表情はどうか?」 「何もしていないときの表情はどうか?」 「不快や拒否のときの表情はどうか?」 「リアクションに対して、表情が出るまでの時間はどうか?」 あとは成育歴の中で表情のバリエーションの変化と認知機能の状態を確認します。 このようにしてその子の表情を多面的に評価したうえで、笑顔=快なのかを判断していきます。 笑顔と心地良さが一致している場合は、家庭生活の中でたく

【No.1172】マスク出産に「酸素は足りている」と平気で言えちゃう医療だから、発達障害は治せない

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妻に出産時のマスク着用について尋ねたら、「ただでも苦しいのに、マスクなんてつけたら死ぬ」と言っていました。 今のように出産が病院でとなったのは、昭和30年代なので、今の子育て世代から見れば、祖父母の代。 それまではずっと自宅での出産で、まさに命がけで出産していたわけです。 だからこそ、その命の危険から母子を守るために、医師がいて病院がある。 マスク出産に対して、「それでも酸素は足りている」と発言していた医師がいました。 確かに命を維持できるだけの酸素量は保たれるのかもしれません。 でも、それは医学的に決められた範囲であり、酸素の値です。 決して個別の条件は考慮されていませんし、何よりも「苦しい」などの主観は無視されています。 胎児期の発達等の勉強のため、いくつか医学書を読みましたが、そこにも「苦しい」などの本人の内面的な表現はかかれておらず、すべて酸素量がとか、顔の赤みだとか、客観的に見て取れるものだけを判断基準として書かれていました。 ですから「苦しい」と訴える妊婦さんを前に、「(酸素の値は正常の範囲だから)酸素は足りている」と言うのだと思います。 まさに西洋医学を体現している。 酸素量が足りなくなれば、呼吸器を付け、熱が出れば解熱剤で、咳が出れば咳止め。 不安が強くなれば、精神科薬を出し、寝れなくなれば睡眠薬、そして副作用で便秘になれば整腸剤。 数値が判断基準のすべてで、主観を極力排除する。 症状と対処法が一対一なので、足し算の医療です。 発達障害が病気の一種だとしたら、「この症状にはこの対応」というような医療が成り立っていたかもしれません。 しかし、発達障害は病気ではありませんし、何よりも本人が困って初めて支援のニーズが出てきます。 近頃では1歳代くらいから医療に行く親御さんも少なくないですが、そのとき、子どもさん自身は困っていないわけです。 病気でもなければ、本人が困ってもいないものに、医療ができることはほとんどないといえるでしょう。 発達の遅れは病気ではありませんので、医療の対象外だといえます。 ただ日本のシステム上、行政的な支援を受けるためには、医師の診断が必要な場合が多いので、行っているだけです。 単に、医療が既得権益を離さないだけ。 「歯科医師には、接種させないぞ」と言っている医師会と一緒。 「医療が何とかしてくれる」と思うのは大いなる勘違いです。

【No.1171】直感と心地良さの科学

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このブログは、だいたいジョギングやジムで運動しているときに思いついたものを文字にしています。 一方でラジオやメール相談、実際の発達相談での回答は、その瞬間、パッとひらめいたものを言葉にして伝えています。 言葉で表せば、文字のブログは「ひらめき」であり、発達相談は「直感」なのでしょう。 そんな話が、昨晩観た「ヒューマニエンス 40億年のたくらみ」という番組で紹介されていました。 京都の哲学の道が有名だったり、経営者などがマインドフルネスを取り入れたり。 そうやって敢えて考えないような時間、ボーとするような時間にも脳は活発に動いていて、創造やアイディアの着想に繋がる話は知っていました。 しかし、直感に関しては大脳基底核が関わっていたなんて知らず、そういったものが科学の力で明らかになったことに驚いています。 なんとなく、直感が働く人、直感が良い人というのは、今までの経験や情報の記憶から瞬時に引っ張りだすのがうまくて、かつそれがすぐに動きとして表せられる人なのかな、とは思っていました。 ですから、直感を磨くというのは、ある程度、情報の蓄積が必要で、あとは…という状態でした。 番組には将棋のプロ棋士の方がゲストとして出演されていましたが、その方の直感に対する表現が興味深いものでした。 将棋を指しているとき、直感が閃いたときは「美しい感覚がある」「芸術作品のような感じがする」そしてその手を打った瞬間、「心地良い気持ちになる」と仰っていました。 将棋は一見すると、指し手を読んでいき、「こうしたら、相手はこう動く」のような論理的、法則的、数学的な思考に思われがちですが、プロの棋士は芸術に近い感じで指していることがある。 昔読んだ羽生善治棋士の著書にも、「直感が7割」などと書かれていました。 たぶん、数え切れないくらい将棋を指し、学んできたプロ棋士の方達は、莫大な記憶の蓄積の中から瞬時に解答を導き出す力が長けているのだと思います。 勝ち筋を見つけた一手が直感的に見えたとき、「心地良い気持ちになる」と表現したことに対して、それは「大脳基底核が感情ともつながっているからだろう」と脳科学の研究者の方が見解を述べていました。 ということは、神田橋先生の「心地良いを大切にする」というのは、心地良いを指針とする=直感が働いている状態だと考えられます。 子育てや発達援助が上手な親御さんと言うのは、

【No.1170】「一人の人間がいる」という視点

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遺伝子ワクチンについては、20年前から研究、治験、動物や人への接種が行われていようですが、ご存じの通り、今までは認可されて大々的に接種されることはありませんでした。 SARSやMARSに対しても、遺伝子ワクチンの治験が進んでいたものの、ADE(抗体依存性感染増強)が確認されたため、実用化に至っていません。 ということは、これだけ世界中で多くの人が接種することは初めてなわけです。 既に他のウィルスで遺伝子ワクチンが用いられ、他のワクチン並みに安全性が担保されていれば、「リスクは少ない」「メリットのほうが大きい」と言うことができるでしょう。 しかし、誰も分からない。 特に1年後、5年後、10年後の長期的な影響は人類が体験したことがないので、「分かりません」としか言いようがないのです。 でも、専門家やSNSに現れる医療従事者は、口を揃えて安全性を強調し、副反応は微々たるものだ、と主張しています。 確かに理論上は、安全なのかもしれません。 今、接種後に表れている副反応の割合を見ても特異的な数字ではないかもしれない。 接種後に亡くなった人は、ワクチンとの因果関係がはっきりしていないのかもしれない。 しかし忘れてはいけないのは、非常時ゆえに認可されたものであり、今まさに「治験中」だということです。 ある程度、治験が終わり、長期的な経過が確かめられたうえで、副反応が〇%、死亡者が〇人というのならわかりますが、今は治験の最中ですので、一人ひとりの状態や予後を丁寧に確認する必要があるのではないでしょうか。 その一人ひとりから得られた情報を基に、ワクチンの有効性や安全性を主張するのが筋だと思うのです。 「治験中」ではありませんが、まだ発達障害の分野も発展途上であり、わからないことだらけの分野だと言えます。 一昔前までは、「脳の機能障害」とし、「生まれつきで治らないもの」とされ、できることは対処療法か、服薬、または周囲の理解や支援でした。 しかし、その時代は終わり、神経発達症となり、その神経にアプローチすることで改善や治癒を目指す方向へと進みだしたのです。 未だに「自閉症だから構造化」などのマニュアル対応がされています。 またIQの数値が高くなったり、支援級から普通級に行ったり、手帳を返上したりすると、「それはたまたま」「もともと軽かった」などと、診断が外れ、治らないと言われていた特性が

【No.1169】専門バカは治せないけれども、親御さんは治せる

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この事業を起ち上げたのは、2013年4月で、その前年度は支援学校で臨時の教員を行っていました。 施設職員を辞めたあと、すぐに事業を起ち上げようとも思ったのですが、どう考えても学校との関わりは出てきてしまうので、「実際に内部で働いてみることも必要」と大学で取得した教員免許を使ったのでした。 事業を行っていく上で、「施設職員→てらっこ塾」よりも、「施設職員→教員→てらっこ塾」のほうが何となく守備範囲が広い感じがしませんかね(笑) 一応、教育大でしたので、学生時代から授業の補助や教育実習、ボランティア活動などで学校、先生と関わる場面は多かったと思います(ちなみに児相での活動も4年間行っていました)。 で、一般社会から言えば、とても狭い世界だと思うのですが、大きな施設、福祉の世界でも働いた。 そういった中で見てきた教員、支援者、有名どころの教授・医師・支援者から感じたのは、意外に情報更新ができていない、ということです。 一見すると、新しい知識や情報を学び、取り入れているようですが、ベースの部分が変わっていないという感じです。 よく学校でも、偉そうな先生はいるものです。 40代中盤から55くらいの先生で、やけに自信がある。 で、その言っていること、教育法が最新の知見に基づいているかといえば、その先生が一番勉強した時期であり、充実していた時期の生徒さんをベースにしたことを言っている。 偉そうに「この子は、大変なお子さんです」なんて言うけれども、それはあんたが見てきた子の中で、「大変」って言っているだけでしょ、ということが多い。 この仕事をしてからも、学校主催の支援ミーティングに呼ばれて伺ったけれども、基準がその先生の過去の経験、特に自分が充実していた頃、担任だった生徒だから、話がかみ合わないわけです。 重い軽いはど~でもいい。 いま、話し合いの中心にいるお子さんがどうなのか、そこを話し合いたいのに。 これは学校の先生に限らず、支援者も、医師も、教授も、同じようなことがあります。 治せない医師ほど、診察室で数分観ただけで、診断名を下し、将来の予言までしてしまう。 親御さんの「なぜ?」「どんな点から?」という自然な疑問に対し、「私が言うからそうなんだ」と言う。 「親のあなたにはわからないことが、専門家の私には分かるんです」とムキになって言う医師、なんていう話を聞いたのは一度や二度で

沖縄出張について(6月19・20日)

 6月18日(金)から3泊4日の予定で沖縄に伺うことになりました。 【予定】 6月18日(金)移動日 6月19日(土)9:00~12:00 / 14:00~17:00 6月20日(日)訪問宅決定! / 訪問宅決定! 他県とは異なり沖縄県内のみの募集になるため、ひと家族になる可能性が高い中、「それでも」と出張の依頼をしてくださいました。 出張では初めて伺う沖縄であり、他のご家族の希望があるかどうかはわかりませんが、もし発達相談にご興味ある方が沖縄県内にいらっしゃいましたら、お問い合わせください。 どうぞよろしくお願い致します。 詳細を確認したい方は【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。 出張相談についての内容は、 てらっこ塾ホームページ をご覧ください。 ご依頼&お問い合わせ先: メールアドレス