対人職の過ちを最小限にするためにも

この夏、一人の若者が仕事に就き、そして家を出て一人暮らしを始めました。
仕事を探し、自分で面接を申し込み、採用までをやり切ったのです。
一人暮らしも、本人の意思です。


支援者の力を借りることなく、就職できたのですから、もともと力のあった人と思われるでしょう。
確かに、最初にお会いしたときから、働くだけの能力をもった方だと、私も思いました。
しかし、就職する上でも、生きていく上でも、とても重要な「主体」がなかったのです。


何を尋ねても、「わかりません」と言い、どんな仕事がしたいか、答えられませんでした。
印象ではありますが、困っているのは感じているんだけれども、何がどう困っているか、自分でもわからない感じでした。
ただ年齢的にも、仕事をしなければならないと思っていて、でも、仕事ができなくて、そもそも、どうしたら良いか分からなくて、という中での相談でした。


若者からの相談では、こういった主体性の乏しさからの悩みが少なくありません。
「大久保さん、私はどうしたら良いですか?」
このような発言をたくさん聞きます。
しかし、こういったとき、本人に代わって私が選択肢を選んではならないと考えています。
だって、私が選んだものをそのまま受け取ってしまう可能性が大きいから。
これは、私が嫌う、他人様の主体性を侵すような行為でもあります。


「私はあなたではない。ゆえに、私は誤解するし、誤った判断、選択をする」
このように思って、対人援助という仕事をしています。
私は、一般の人よりも、多くの発達障害の人達と関わり、生活を共にしてきたかもしれません。
でも、私が彼らの代弁ができるとは思っていませんし、そもそも他人の気持ちがわかったも、理解できたも、幻想であり、不可能なことだと思っています。


私には、他人様の人生を決める権利も、能力も、ありません。
ですから、主体性が乏しい方からの相談に対しては、言葉を慎重にし、そして、まずはその主体性を育てる方向性へ後押ししたいと考えています。
ある意味、ちゃんと相談ができるための準備です。
主体性を持ち併せていない方からの相談は、相談ではなく、宗教になると、私は思っています。
私が言ったことが、そのまま、答えになってしまう危険性。
主体性を持たないまま、相談員でも、専門家でも、医師でも、先生でも、相談し続けると、いつしか、その人が教祖様になり、言われるがままの信者となる。


この夏に就職、自活を始めた若者とは、主体性を育てるためのワーク、援助を行いました。
発達のヌケが埋まり、自分の身体が掴めるようになったあたりから、自分の意思を表出できるようになりました。
そこまでくれば、私の援助はおしまいです。
私は、その若者が、自分自身で選択できるようになるところまでの役割。


障害と聞くと、周囲の人間、相談員は一生懸命相談に乗ろうとします。
しかし、発達障害の人達の相談においては、ただ単に一生懸命話を聞いて、進路を選択することが良いことだとは言い切れないと思います。
「福祉に繋げられたからOK」「サービスの申請が完了できたからOK」ということにはならない。
何故なら、主体性という未発達があるかもしれないからです。


身体や機能に障害を持った人は、それに応じたサービスとつながり、社会の中で生活していけることが必要なサポートだと思います。
でも、発達障害の人達は、発達に課題がある人達だといえます。
ですから、相談員がサービスに繋げることだけを主に動いてしまうと、意識しないまま、発達障害の人達の人生や進路を決めてしまいかねないのです。
相談とは、あくまで本人の意思、主体性があって、初めて成り立つもの。


発達のヌケがあるゆえに、皮膚や平衡平衡感覚が育ってないがゆえに、自分自身の身体、空間との境目が捉えられず、結果として主体性が乏しい、ということもあります。
決して、主体性が乏しい障害ではないのです、発達障害は。
未発達が重なっていくと、主体性の育ちに影響が出る。
なので、必要な援助は、未発達の部分を育て、主体性を養うこと。


対人職は、誤解し、常に独りよがりの支援、助言をする可能性があり、そして本人の主体性を侵す危険性を持っている。
だからこそ、確実な部分にアプローチすることが大事だと考えています。
その確実なことの一つが、発達のヌケ、遅れを育て直すこと。
600万年の人類の歩みが詰まった運動発達。
動物としての呼吸、感覚、動きの発達。
そして生活のリズムを整え、快食快眠快便、きちんと疲れ、回復する身体を培っていくこと。
これらは、唯一、確実なことだといえます。
確実なことを追及し続けることが、対人職の過ちを最小限にするための姿勢なのです。

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