2021年1月19日火曜日

【No.1136】「心地良い」を科学する

発達援助において「心地良い」は重要なキーワードになります。
「子どもさんが"心地良い"と感じる刺激、活動、遊びを行いましょう」
「親御さん自身も発達援助、子育ての中で"心地良い"と感じられることが大切です」
このように発達援助において、また心身の養生において「心地良い」は、その活動を続けるかどうかを決める中心的な指針となります。


しかし、この「心地良い」という言葉を聞いた人の中には…
「"心地良い"って感覚がわからない」
「そもそもなぜ、"心地良い"が重要なのか、発達に影響するのか」
というような感想や疑問を持つ方達もいます。


「エビデンスはないけれども、飲食店で感染が広がっている」
全国の保健所は、一人ひとり聞き取りをし、その情報一年分を記録し、所持しているわけです。
なので、「エビデンスは無い」というのは、データと感染の相関関係が見られなかったけれども、政治的な意図か、個人的な直感で言っている、という意味なんだと解釈できます。
私はエビデンスがないこと自体は、否定されるべきではないと考えています。
何故なら、この複雑系の世界において、すべての事象が証明できることなどはなく、また個人の見解や実例の中には、まだエビデンスを導き出すだけの手段、方法がないものも多数あるからです。
ただそのように考えている私ではありますが、今回の件は、ひと様の生活、人生を左右しかねない発言になりますので、たとえ専門的な知見と経験による直感&直観だったとしても、その根拠を示す努力と、今分かっているところまでの情報、データを示すべきだったと思います。


「じゃあ、"心地良い"の根拠は?」という問いが、私のほうにもやってくるでしょう。
実を言えば、最初は神田橋條治医師の受け売りの言葉で使っていました。
それから発達援助の中で、「心地良い」という指針を伝え、実践していく中で、確かにポジティブな変化が見られる子ども達、若者たちが多くなっていったのが流れです。
しかし、商売として行っている以上、このエピソードレベルで満足してはいけません。
必ず、その裏打ちされる情報、知識を得る必要があるのです。
で、その根拠となる研究、情報、知識が集まり、自分の中でも「心地良い」の根拠はこれだという段階まできているのが今のところです。


言葉で説明しきるには、多くの文字と時間を要しますので、シンプルに説明しますと、こうなります。
「心地良い」という感覚、「快」という感覚が、感覚と感覚を繋げる始まりになるから。
ヒトという種は、進化の過程でよりよく環境に適応することを戦略として獲得してきました。
ですから、脳も、身体も、感覚も、大変未熟な状態で生まれてきます。
その分、赤ちゃんは養育者に守ってもらう必要があり、養育者の身体を使って自分の心身の安定を図ります。
その際、赤ちゃんにとって大事なのは、自分を守ってくれる養育者を知覚することです。


じゃあ、どうやって養育者がわかるようになるかといったら、養育者から得られる匂い、音、見た目などの五感からの情報と、抱かれて「心地良い」、おっぱいをもらって「快」という自分の内側にある感覚とを結びつけるのです。
ここのところは、人の赤ちゃんやチンパンジーの赤ちゃんなどを対象にした研究で明らかにされており、ただ単に視覚情報や聴覚情報を与えただけでは感覚の連合は生じず、養育者から皮膚に触れられている状態のときに、聞かされた言葉などに強く反応することがわかっています。
また赤ちゃんは、皮膚感覚を刺激されると、脳全体が活性化する、心身(自律神経)が安定することも明らかにされています。
まとめますと、赤ちゃんは皮膚感覚を刺激されることで「心地良い」を生む。
その「心地良い」という感覚をベースに、他の感覚と連合させていく、神経同士の繋がりを生じさせていく、ということです。


そのような科学的な知見から発達援助を読み解くと、やはり「心地良い」という感覚の重要性がわかります。
特に神経発達症の子ども達は、胎児期から言葉を獲得する前の2歳くらいまでの間に、発達のヌケや遅れが生じていることが多くあります。
機能や認知の課題と言うよりも、ヒトとして生きる上で重要な初期の発達、主に感覚と運動系の発達に課題、やり残しがあるといえますので、そうなると感覚同士の繋がり、神経同士の繋がりを考えたときに、ベースである「心地良い」という感覚が重要なわけです。


ヒトは進化の過程で、「心地良い」を中心に初期の発達を遂げていくという戦略をとっていますので、生活の中に、活動の中に、「心地良い」をたくさん作っていくことが大切だといえます。
たぶん、他の療育、療法で抜け落ちている点は、この「心地良い」という感覚、人の初期の発達形態でしょう。
専門的な療育、支援になるほど、その子の内的な要因は無視され、外から確認、観察できる点のみで評価、展開されてしまいます。
今まで内的な要因が切り捨てられてきたのは「エビデンスが無い」からであり、それはそういった研究ができていなかったということです。
でも、このように一見すると、支援者の直感であり、エピソードにすぎないと思われるような「心地良い」というテーマでも、どんどんその真実が明らかにされているのです。


ですから、真実は常にエピソードから始まる、一人ひとりと真剣に向き合うことで明らかにされていくのだといえます。
ただ、そのエピソード、直感&直観の段階から科学的根拠へと繋げていくための努力はしなければいけないと思います。
コロナ騒動でメディアに出ていた専門家の姿から気付きと大事な姿勢を学んだのでした。




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2021年1月18日月曜日

【No.1135】2030年の未来

ついこないだまで「2030年問題」という文字をいろんなところで目にしていましたが、コロナ騒動があってからはどこかにきえてしまったかのようです。
2020年代に入ったかと思えば、もう2021が始まっており、そのときまであと10年を切ったわけです。
10年なんてあっという間。
10年後の未来は、今の中学生より上の世代の若者たちが社会に出るときです。


2030年の社会で注目すべき点は、労働人口の減少であり、しかも労働人口が足りなくなるということだと思います。
足りなくなる労働人口が644万人という試算もあり、これはだいたい千葉県の人口くらいです。
人口の多い都道府県順で6位の千葉県丸々の人数が足りないとなれば、好き嫌いに関わらず、外国からの労働力に頼らざるを得ませんし、というか、既に外国人の労働力がなければ、この国は成り立たないわけですし、働ける人はいくつになっても働くことが求められる社会になるということです。


こういった未来は皆さん、肌感覚で分かりますし、実際の人数としても出ているわけです。
だから、コロナ騒動でワーワー盛り上がっている暇はなく、この2030年を迎える前に社会のシステムを変えていかなければなりません。
労働人口が減るということは、現在の国の豊かさを保つことは難しくなることにつながり、当然、民間のサービスだけではなく、公的なサービスの低下を招きます。
今回のコロナ騒動によって地方の財政は破たん寸前であり、既に予定していた事業の見直し、中止が行われているのです。
だから、「医療を守って、国が亡びる」みたいな発言を繰り返している人達は、勝ち逃げを図っている人か、未来を見ることができない人なのでしょう。


特別支援教育が始まったのは、2007年4月。
そのとき、既に「高齢化社会」の問題が上がっていましたし、このような未来はみえていたわけです。
だけれども、特別支援の世界はどのような方向に進んだのでしょうか。
私には、端から特別支援教育を受ける子ども達を将来の働き手に、とは考えていなかったように感じるのです。


確かに発達に遅れがあるかもしれない。
発達に凸凹があるかもしれない。
でも、そういった子ども達一人ひとりに合わせた教育を行うことにより、社会の中で働き、自立できる若者たちを育てようとするのが、その理念だったのではないでしょうか。
それなのに、やっていることとしたら、個別化ではなく、孤立化、そして同年齢の子ども達との分離、特別支援ではなく特別扱いです。


これだけ長年、「少子高齢化」「2030年問題」などと言われていたのに、どうして目の前にいる子ども達と重ね合わせることができないのか、私には理解ができません。
教育や支援に携わる人間は、就職氷河期を過ごした大人たちなのかもしれませんが、今の子ども達が大人になる未来は、働き手が足りない時代なのです。
その時代がくるのがわかっていれば、どうすればこの子達が社会で働けるようになるのか、真剣に考えるはずです。
だって、海外からヒトを集めてくる時代ですよ。
その前に、なんで日本の教育を12年以上受け、育ててきた子ども達の力を活かそうと考えないのでしょうか。


今の子ども達にとって、就職すること自体は困難ではなくなると思います。
ですから、働く気があって、働ける身体がある人は、ほぼ就職できると考えられます。
そのように考えれば、今のような特別支援の過ちに気が付くでしょう。
一緒に働く人を求めているのに、小さいときから教育も、生活の場も分断してどうするのでしょうか。
そもそも労働人口が減る時代に、支援の手が必要な教育をしてどうするのでしょうか。


のほほんと「手厚い支援を」と言っている人達は、どこの国の人かと思います。
人類の歴史をみれば、どんな時代も、余裕がなくなったときにまっさきに切られるのが弱者の人達、少数派の人達です。
コロナ騒動で社会が疲弊していくのは、2020年ではなく、今からです。
ぶっ壊れた経済を立て直すには、長い年月がかかります。
そこに2030年問題が重なり合ってくるのです。
自分の頭で考え、行動できる人間でなければ、この先の未来を主体的に生きていくのは難しい。


残念ながら、私達大人は次の世代により良い未来を手渡すことはできないでしょう。
自分たちでマスク一つも外せない大人が大多数の世の中です。
上から言われたことを忠実にこなすという教育が沁み込んだ大人たちは、未来を想像すること、創造することができないのです。
だからせめてもの想いとして、私は発達援助という仕事を通して、一人でも多くの子ども達が自分の頭で考え、行動できる人間を育てたいと思います。
近頃、単に発達のヌケを育てる、育て直すだけではなく、未来を見据えた後押しをしなければ、と考えるようになりました。
「働くことができる」ということが今よりも大きな価値、社会貢献になる時代は、もうすぐやってきます。




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2021年1月11日月曜日

【No.1134】発症の前、発症のあと

コロナ騒動も一年が経つのに、いまだに医療の専門家から示されるアイディアは、「三密の回避」「アルコール消毒」「マスク」です。
「ステイホーム」なんていうのもありましたが、今は家庭内感染の割合が一番高いので、むしろリスクを助長しているのでは、とも思ってしまいます。
とにかく私たちにできることは、人混みを避け、手洗いとマスクをし、ひきこもれ、というものなのでしょう。


でも、ここで不思議に思うのです。
ウィルスは私達の周りに常に漂っていまして、新型コロナだって日々、私達の体内に入っているはずです。
ですから、体内に入ったとしても発症しなければ良いのであって、発症したとしても鼻水や咳の段階で治してしまえば良いわけです。
とすれば、どうしてここに対するアイディアを言ってくれないのでしょうか、専門家は。
たとえば、奈良県医科大学の研究結果のような「お茶のカテキンがウィルス不活性化させる」などです。
「外から帰って来たらお茶を飲みましょう」
「職場や学校、飲食店では積極的にお茶を飲みましょう」
個人ができる発症予防と回復のアイディアを具体的に言ってくれたほうが、多くの人たちが助かると思います。


そんなことを考えていると、発達障害の人達に対する医療も同じだよなと思います。
グレーと言われる子ども達、軽度や自閉傾向、発達の遅れと言われるような子ども達は、例えるのなら発症前の段階だといえます。
まだ診断基準は満たいしていないけれども、その兆候や症状が確認できるという状態です。
ここで必要なのは、その子と家族が発症(診断基準を満たす)する前に治しちゃうアイディアではないでしょうか。
発達障害は病気ではないので、「ここを育てたら」「この辺を重点的に発達させたら、大丈夫ですよ」と言ってあげることが必要な専門家としての支援、援助だと思います。
でも実際は、診断基準を満たしていないのだから、「普通の子」であるのにも関わらず、発症前提でというか、発症した子ども達が受けるような療育や支援、サービスを受けさせようとします。
またくどいようですが、診断基準を満たしていない普通の幼児さん、小学生の子ども達に精神科薬を処方したりする場合もあります。
発達の遅れは薬による治療対象なのでしょうか?


1月23日の講演会に向けて医療関係の本や資料も読んでいますが、どうも医療というのは、「出た症状を抑える」というのが中心なように感じます。
私達個人においては、生活や身体に支障が出るような症状を抑えることはありがたいことです。
でも、一度、出ないと医療の対象にはならない。
本当は発症する前の段階で、個人で対処できる方法が分かれば、つまり日々、健康を保てているのが一番良いわけです。
新型コロナでいくらPCRをしても、新型コロナ自体は減少するものではありません。
三密の回避だって、アルコール消毒だって、コロナを体内に入れないためのアイディアであって、体内に入り発症する前の段階のウィルスを減らすものではありません。
発症していないかどうか、いわゆるゼロか、100かで判断される。


体内にウィルスが入ったのに発症しなかった人、発症したかもしれないけれども、個人で治しちゃった人の話って、全然出てきませんね。
医療従事者の関心は、どのように治療するか、なのかもしれませんが、本当はこちらの研究のほうが個人、医療、社会にとって大事な情報になると私は思います。
ビタミンDの話だって、もっと公的に、大々的に国民に知らせれば良いのに、いまだに「感染経路不明が6割。でも、飲食店が広めている」などと、エビデンスを示すことない、個人の見解、感想、意見がメディアを賑わせています。
これでは感染を広め、医療を崩壊させたいようにしか見えません。


もうお気づきの通り、これまた発達障害においても一緒。
グレーの子ども達、軽度、自閉傾向、発達の遅れという段階の子ども達を追跡し、その中で特別支援の世界に入ることなく、育っていった子ども達のことがぜんぜん研究されません。
しかも関心を示さないばかりか、多くの専門家が「それはウソだ」とハナから否定している状態が長らく続いています。
本来、専門家と言うものは、サイエンスと言うものは、診断を満たさなくなった子ども達を見て、「今の診断方法に不備や課題があるのではないだろうか」「もしかしたら症状を軽減させ、定型発達の範囲までに押しやる方法があるのではないだろうか」などと客観的な事実から物事の真実、原理を読み解こうとすることを指すのだと思います。
どうも、特に精神医学の世界はサイエンスから離れて行っているようにみえます。
診断方法は科学的なのか?
その治療法に根拠はあるのか?


法的な根拠を持ってロックダウンしている国でも、感染を止めることができていません。
これは数字でも表れていますので、客観的な事実です。
歴史という縦軸から見ても、人類が完全に消滅させられたのは天然痘のみ。
とすれば、新型コロナも残り続けるわけで、だからこそ、個人がどうやって対処するか、体内に入っても発症を抑え、個人で治していけるかが重要なはずです。
感染経路で判明しているのは、家庭内感染が一番多い。
一番多い家にステイホーム。
むしろ、家から出て空気を吸い、軽い運動をし、太陽光を浴びて、人間らしい生活をしていたほうが免疫を高め、健康につながると思います。


大の大人が根拠を示すことなく、自分の意見や感想で社会を動かそうとする。
100歩譲って私たち国民が選挙で選んだ人間だとしたら、すべてに根拠がなくても判断、行動してもらっても仕方がないですが、東京都医師会のトップも、「42万人死ぬ」といった人も私は選び、投票した覚えはありません。
まだ戦後の「目指せ均一化」製造業からの「指示通り動ける人間を作る」という教育が尾を引いているのでしょう。
考えることが苦手な日本人は、権威や肩書に従うということしかできない。
たとえ、それが根拠がなくても、論理が破綻していたとしても、御上が言ったことを信じるのみ。
個人の幸せよりも、組織の幸せを。
トップが言ったことに追随するだけの組織。
そこにエビデンスとサイエンスはない。
コロナ騒動を通して、私は多くのことを学ばせていただきました。




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2021年1月10日日曜日

【No.1133】何も変化のない時期が、真の発達している時期

お正月は本をじっくり読もうと思ったのが昨年の暮れ。
大量の本を買い込み、お正月を迎えたのですが、読んでいるうちに止まらなくなり、それから何度も書店に行っては本を買い足し、今日に至ります。
ジャンルは関係なく、気の向くままに。
時々あるんですね、このように無性に本を読みたくなる時期が。
今は入力する時期なのでしょう。


発達障害の診断もそうなのですが、子ども達の発達状態、評価は主に出力を見て判断されます。
発達、知能検査には言語理解など、どのくらいの言葉の理解があるかを調べるものがありますが、これも単にお子さんが聞いて分かっているだけではなくて、聞いて理解し、それを表出できてはじめて「理解できている」と評価されるものばかりです。
ですから、「検査結果では、言葉の理解が乏しい、難しいと判定されたけれども、家では問題ないんです」と仰る親御さんが多いのです。


動作を含め、どのくらい表出ができるかで診断や発達、知能指数が決められてしまうのが現状です。
いくら「うちの子、わかっているんです」「〇〇という行動ができる能力は持っているんです」と訴えても、第三者から見て、それが確認できなければ、「ない」という評価になります。
では、この表出されていない内なる言語、理解、動作、能力は本当に「ない」と評価しても良いのでしょうか。


言葉の遅れがある子に対して、りんごを見せて、「りんご」と言わせるような出力の訓練法があります。
言葉じゃなくて、りんごの絵カードを使って表出させようとするのも同じですね。
でもこれは人間の子がどのように言葉を覚えていくか、またヒトがどのように進化し、言葉を習得してきたかをみれば、誤った方法だというのがわかります。
赤ちゃんは胎児期から母親の声(実際は音律、音程など)を聞き、出生後は周囲の人の言葉を聞いて、そして1歳を過ぎたあたりから表出が始まります。
進化の過程をみても、ヒトが言葉を使い始めたのはつい最近の話(7万年前)であって、それより前の祖先たちは身体、動作でコミュニケーションをとっていたわけです。
となれば、言葉の表出の土台は身体と動作であり、その前段階は意味の理解だということがわかるのです。


同じように、特定の動作、年齢相応の動作ができないというのは、その前段階である準備が整っていないということになります。
はさみが使えない子に、はさみを持たせてたくさん紙を切らせても身につきません。
たとえできたとしても、それは指の動かし方のパターン化であって、はさみが使えるようになる、という技能の獲得にはならないのです。
切るものがかわれば、はさみで切れなくなるのはその現れです。
今までの特別支援はこのような表出に注目し、それを繰り返すような「表出できないから、その表出を教え込もう」というような支援、教育ばかりだったと思います。


言葉の発達で言えば、言葉の理解が重要だということです。
言葉の表出が遅れているからといって、表出の訓練をしても、ほぼ意味はありません。
はさみの例のようにパターン的に発するだけになります。
表出が遅れているからこそ、受信のほうからアプローチするわけです。
そうなると、今、言葉の理解を育てている段階のお子さんがいて、それも重要な発達段階だといえます。
なので、支援者が表出できている部分だけを見て評価したとしても、親御さんのほうがそっちに引っ張られてはならないということになります。
支援者から「言葉に遅れがある」と言われれば、親心としては早く言葉が出るようにと、表出のほうに意識が向いてしまいます。
支援者から「同年齢の子は〇〇ができるのに」と言われれば、その動作ができるようにと、表現のほうに意識が向いてしまいます。


子どもの内側には、まだ表出されていない、まだその前段階にある内なる言語、理解、動作、能力があるものです。
そこが満たされて初めて、表出と表現につながります。
ですから、本当は表出が増えていかない、親としては発達、成長、変化が感じられないもどかしくもある時期が、子どもさんにとってはとても重要な時期なのです。


私は親御さんにこういうお話をします。
「私達が見て確認できる子どもさんが表出しているところは枝葉の部分です。表に出ていない部分のほうがずっと大きく、発達にとっては重要なのです。子どもさんに変化が見られないときこそ、子育ての頑張りどきですね」と。


昨日のラジオでも、親御さんの待つ姿勢に関するお話をさせて頂きました。
神経発達から見ても、一度、繋がってしまえば、あとはどんどん表出が増えていくばかり。
つまり、表出って結果なんですね。
何も変化のない時期は、子どもさんの準備期間であり、発達している時期。
それがわかると、ただ待っているのではなく、もっと能動的に、わくわくしながら子が発達する時間を親御さんも過ごせると思います。




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2021年1月2日土曜日

【No.1132】症状が重くなってから始まる医療、の前に

発熱がなくて、咳も鼻水も出てなくて、身体のだるさもない。
そんな普通に生活している人が、病院に行っても薬は貰えないはずです。
というか、「何しに来たんですか」と怪訝な顔で帰されたと思うんです、今までの病院は。
ところがどっこい、新コロは違う。
何も症状がない人が入院させられたり、自宅療養や待機をさせられてしまう。
挙句の果てには、他人から批判され、謝罪までさせられてしまうなんてことも。


ずっと無症状者は医療の対象ではありませんでした。
でも、ルールを変えたから、無症状者も医療の対象になった。
そもそも2020年1月に出た論文、「無症状者が他人に感染させる」という根拠となった論文だって、ある症例(成人・中国人)をもとに執筆されたもので、まとまった人数を調べたものではありませんね。
その「無症状者」とされていた人だって、あとから「解熱剤を飲んでいた」ことがわかり、本当に無症状だったかも今となっては怪しいわけです。
「無症状者が感染させる可能性がある」というのが、どの程度、どのくらいの割合で感染させるかもわからないまま、世界に広がり、マスコミにとっておいしいネタにされてしまったのが、騒動の大元だと思います。
無症状者がまったくゼロではないとしても感染させないのなら、「新しい風邪が流行ったね」くらいで終わっていたでしょうに。


新コロの場合は無症状者も医療対象になってしまいましたが、基本的には症状があって初めて医者と患者の関係になり、治療が開始されるわけです。
それは発達障害の子ども達もそうで、基本的には一定数症状がある=診断がついたところから治療や療育、支援が始まります。
ということは、ある程度、症状が濃くならないと治療が始まらない、症状が複数現れないと療育が始まらないのです。
未診断や軽度、「サービスを利用するために無理くり診断名をつけた」というような子ども達と関わることの多い私から見れば、それって症状が重くなってからやり始めるという意味だから、「根本から解決しづらいよな」「課題がクリアされるまで余計に時間がかかるよな」と思うのです。
周りに火花が散っている状態では消火せずに、建物に火がつき、燃え上がった瞬間、消火活動を始めるようなイメージです。


そもそもある程度、症状が濃くなるまで、集まるまで待ってからの診断ですので、診断を外そう、外れるところを目指そうと考える医療従事者は稀だと思います。
だって、診断が外れることを目指すのなら、診断がつくくらいまで症状が重くなる前に介入するからです。
まあ、現状の発達障害における医療は、未病や予防という考えでは進んでいません。
症状に対処、つまり、症状が"出たら"対処というのが実態でしょう。


症状が出てから対処でも良いのですが、それには条件があって、その症状が改善する、治癒する可能性がある、そういったアプローチが可能だ、というものです。
残念ながら症状に対処できたとしても、根本から解決することはできません。
何故なら症状は、未発達という土台の上に現れるものだから。
未発達は障害でもなければ、病気でもありません。
つまり、医療の対象外であり、それは子育ての話なのです。


より良く育てる方法は、医療の世界には落ちていないと思います。
それよりも保育や教育の世界にヒントがあるはずです。
そういったヒント、アイディアを受け取るには診断名は必要ありません。
もし専門性が必要な場面があるとすれば、それは軽微な兆候、初期の症状が現れているときです。


私は昨日のラジオの中でも申し上げた通り、発達障害の予防の仕事がしたいです。
お子さんに兆候が見られた時点で、お子さんの本来の発達の流れからズレが生じた時点で、それに気が付き、そこを育てるアイディアを親御さんに伝えていく仕事。
たとえが適切ではありませんが、どうも新コロの無症状者、軽症者が入院させられ、普段の生活から隔離されてしまう姿が、今の発達障害を持つ子ども達の姿と重なってしまうのです。
昨年、一年間のレポートを読み返してみても、本来、家庭の中で、子育ての中で発達の遅れを取り戻し、より良く育っていけるだろう子ども達が、「重症にならないように」というように、「早く診断を受けることが子のため」といって次々と特別支援の世界に隔離されようとしているような気がします。


関わっている人達は否定するかもしれませんが、結果から見れば、現在の特別支援は、一般社会との隔離、分離が進められています。
ですから、どう考えても、特別支援の世界に入らない方が良いし、入ったとしても期間限定、必要な場面のみ利用するというのでなければならないと思います。
PCRを受けるメリットよりも、デメリットが大きい。
それと同じように、一旦、陽性と、いや診断がつくと、一般社会から隔離が進んでしまい、元の世界に戻るためには、何倍もの労力がかかってしまいます。
14日間の隔離ならまだしも、それが一年、二年、三年となれば、やはり社会に戻るのは大変になります。


新コロ騒動も一年が経ち、結局のところ、個人の自然治癒力、養生、免疫と健康なんだと思います。
よって、その個人の試行錯誤と最適化の後押し。
症状が重くなってから、あれこれ症状が集まってからではなく、兆候が見られた時点で、特別支援の世界に入る前に介入ができるのが理想ですし、今後はそういった方向でも仕事をしていきたいと思う、2021年の始まりでした。




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2020年12月31日木曜日

【No.1131】2020年も大変お世話になりました!

まずは業務連絡からです。
12月26・27日にお会いした皆さま、昨日の午前中、報告書を郵送いたしました。
早ければ本日、遅くてもお正月明けにはお手元に届くと思います。
2021年の更なる成長を願い、ご本人、ご家族を後押しする気持ちを込めました。
報告書を読んでわからないことや新たなご質問等が出てきましたら、メールくださいませ。
お返事いたします。


ということで、昨日は本局に封筒を出し、その後、神社にお礼参りを。
午後からは経理の仕事を行い、2020年の帳簿を完成させました。
今朝はジム納めをして、駐車場の雪かき、注文していたオードブルとお正月料理を受け取りに行き、お昼に年越しそばを食べ、メール相談の返信をし、今、豆を挽き、珈琲を入れ、飲みながらブログを綴っております。


大人になると、一年が早く感じていましたが、今年に限って言えば、長い一年でした。
途中、動きたくても動けない時期がありましたが、緊急事態宣言が明けたその日から関東出張。
結局、出張も本州だけで11回、北海道内もあちこち行っていましたので、今年の目標であった毎月1回以上の出張を達成することができました。
私に発達相談の機会を与えてくださった皆様、どうもありがとうございました。


一応、個人事業とはいえ、経営者ですので、「どうして依頼が増えたのか?」を分析する必要があります。
一番の理由は、花風社の浅見さんをはじめ、著書の方々、花風社さんの本を愛読する方達が私という存在をお引き立ていただき、広めてくださったからだと考えています。
個人事業主として生き残るかどうかは、腕の良しあしではなく、その前に何よりも「知ってもらう」ことだと思います。
私のように何かモノを売るのではない個人事業主のほとんどは、サービスの質で勝負する前に「知らない」ということで消えていく存在です。
ですから、私一人では難しかった「知ってもらう」ということを後押ししてくださった皆様、どうもありがとうございました。


この一年、発達相談でお会いした皆さまの顔を思い浮かべると、コロナ騒動があろうがなかろうが、たぶん、依頼してくださったと思います。
どういうことかと申しますと、みなさん、自分の頭で考えられる方達だと感じるからです。
いま、全国どこでも公的な支援サービスを受けることができます。
しかも、ほとんど自己負担がなく。
何も疑問を持つことなく、多数派に合わせて、専門家の言う通りに「脳の機能障害で治らない」という言葉を信じ、支援サービスを我が子に受けさせれば受けさせるほど、熱心な親、(特別支援から見た)良い親という評価を受け、典型的な「発達障害児を育てる親」として生活することができます。
その意味や意義、科学的な根拠を調べることなく、「みんながつけているから」「外していて、自分が責められるのが嫌だから」というマスク姿の人達のように。


「みんなが受けているから療育を」
「支援を受けずに子育てしていたら、ダメな親と責められるのが嫌だから」
別に療育の効果があろうがなかろうが、支援サービスの大部分が利用していない国民の税金、支えによって成り立っていようがいまいがお構いなし。
そういった人達、ある意味、不安が強く流されやすい国民性がある日本という国に住んでいても、自らで考え、主体的な子育てをしようと行動されている。
そのような親御さん達にとっては、コロナが子育ての手を緩める理由にはならないわけです。


春には「42万人が死ぬ」という専門家がいました。
12月31日現在、お亡くなりになったのは3,500人弱。
WHOの指示により、ほかのどんな病気を患っていようとも、PCRで陽性が出れば、コロナ死と書け、という状態でも、あと41万6500人もの差がある。
あの発言があったからこそ、多くの人々は自粛し、社会は大きな混乱をし、新年を迎える前に倒産や失業、自ら命を絶った方も大勢いたのです。
これって、そのまま、特別支援の世界と重なりませんかね。
「42万人死ぬ」は、「支援がなければ、二次障害」
何々が"なければ"、ひどいことが起きる、というのは脅しの文法です。
専門家の脅しによって、どれほどの親御さん達が、というか子ども達が必要のない支援を受けたのでしょうか。
特別支援を選択することによって、失った親子の時間、自然な子育て、同年齢の子ども達が得る体験、学び、自らを育てる機会を失ってきたのでしょうか。


療育を辞めようとすると、「我慢の3週間」のように「(辞めるのを)我慢の小学校6年間」「思春期を迎えるまでは支援と繋がっていた方が…」という。
みんながワクチンを接種するまでは、コロナ騒動を終わらせないぞと「変異ガー」とやるのは、服薬ありきで成人の人たちに診断をつけようとするのと似ています。
「三密禁止」は、「治す」「特別支援の外」「親次第」という特別支援の世界における三大タブー。
「Go to トラベル」にブーブー言うのは、自分たちが治せないのに治っているなんて、というただの僻み。
僻みにエビデンスはありません。
ブルーインパルスを見るように、青く光った建物をみて、「自分たちは一人じゃない」と思う、ただそれだけ。
都知事のフリップ芸は、視覚支援?
同じ経済圏、通勤圏同士なのに「来るな」というのは、かつてのTEACCHとABAのいがみ合いを思いだされます。
PCR陽性者≠発症者は、診断基準を満たす≠自閉症。
加算を得るための無症状者狩りは、現時点で未発達がある子を支援の世界に送り込むのと一緒。
医療崩壊は制度や仕組み、いうならば医療の世界の問題なのに、「気の弛みだ」と社会のせいにするのも、発達障害の啓発活動と被ります。
2類から5類に変えよう、脳の機能障害から神経発達症のように。


自粛自粛の一年でしたが、結局、自粛の根拠となる法律も、エビデンスもなし。
診断→療育→特別支援教育→児童デイ…と、それが発達障害児を育てる親の務めのように感じるかもしれませんが、すべてお願いベース。
お願いベースの象徴は、就学相談。
その子にとって最適な教育環境を用意するのが特別支援なのに、次年度の教室の具合、教員の配置の具合が優先される地域も。
児童数と教室、教員の配置の問題だったら、最初から教育相談で親の希望など訊く必要がないのに。
まさにアリバイ作りのための「自粛」と「就学相談」です。


私はこの一年を過ごし、今の、そして未来の子ども達のために頑張ろうと強く思いました。
マスク一つ外せない、外さない大人はもう無理です。
「専門家が言ったから」「みんながそうだから」
自分の頭で考えられない大人の姿は、今までの日本の教育、家庭教育も含めての失敗そのものだと思います。
太平洋戦争のときとなにも変わっていない。
特別支援の世界でいえば、これ以上、子ども達、若者たちの未来を奪うわけにはいきません。
「行けと言われたから行く」のではなく、自分の頭で考え、自分の行き先を選択、行動できる人を育てなければなりません。
そのためには、ヒトである土台を育てなければ、その土台のヌケを育て直さなければ。
土台が育っていないから、頭ばっかりで判断してしまう。
頭を洗脳するには、言葉と情報。
でも、ヒトとしての土台が育っていれば、一方的な言葉と情報に感覚と身体で抗うことができるのです。


まあ、そんなわけで、コロナ騒動を経験したからこそ、私の進むべき道が定まったといえます。
自らの頭で考え、身体で選択し、行動できる人を育てる。
そのための発達相談であり、発達援助。
来年も、志を共にする方達と共に頑張ります。
皆様、良いお年をお迎えください!




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2020年12月25日金曜日

【No.1130】『発達障害・脱支援道』(花風社)を読んで

福祉、特に障害者福祉の世界は不思議である。
施設職員による暴力や人権侵害など後を絶たないが、いつもそれは"内部"告発によって世の中に出る。
自ら訴えることが難しい当事者にとって、本来、一番の代弁者は親であるはずなのに、親からの告発はめったにない。
あったとしても、それは我が子と親の闘いに終わることばかりで、同じ施設を利用している他の親たちに波及することがなく、ネットニュースの一つとして埋もれ、消え去っていく。
そうして、いつまで経っても、福祉の闇は闇のままである。


今回、皆様にご紹介、お勧めする本は、自閉症・発達障害を持つお子さんを育てられた親御さんであり、また自ら様々な福祉の現場で働かれた経験を持つ廣木道心さんが執筆されたものです。
廣木さんほどの経歴・職歴を持っている親御さんは少ないと思いますが、親から支援者の立場になられた人は少なくないでしょう。
しかし、そういった親御さんと廣木さんの違いは、我が子のパニックを治し、働く大人として社会に送りだした点です。
そこがまず大きな違いです。


大部分の支援者に転身した親御さんというのは、我が子に叶わなかった願い、子育てを他人の子を使って気をそらしているだけ。
これまた障害者福祉の不思議なところで、我が子をより良く育て、社会に送りだした親御さんほど、福祉の世界に入ろうとはしないのです。
反対に、「まず我が子をどうにかしろよ」という親御さんほど、ひと様の子の支援や相談、挙句の果てに講演会の講師まで引き受ける始末。
療育手帳では重度という判定を受けながらも、同年齢の子ども達と同じ学校、教育を選択し、社会人になった今では子ども時代から磨いてきた資質を使い、社会の中で一人の大人として生きている息子さんを育てられた先輩として語られる言葉に耳を傾け、学ぶことは大きな意義のあることだと思います。


また冒頭で記した通り、福祉の問題は内部告発でしか表に出ない中、この本で語られている現実は、外から福祉を覗く者にとって貴重な証言になるはずです。
特に、まだ幼いお子さんを育てている親御さんたちにとって。
もちろん、小学校、中学校というように、特別支援の世界が長くなれば、福祉の闇は見聞きするものですし、何となく皆さん、気がついています。
でも、人というのは見たくない現実を頭の中で変換する能力を持っています。
「私が見た児童デイの職員の対応は、あの職員個人に問題があったからだ」
「施設内虐待のニュースが出ていたが、あれはあの施設に問題があるんだ」
「私が出くわしたあの場面は、たまたま手が出て、たまたま声を荒げてしまっていただけだ」


このように現実を見ようとしない人が少なくないのは、いずれ我が子が利用しないといけない世界だと思っているから。
必ず行きつく道だとわかっているのなら、自分の身と心を守るために、自分自身に騙されたフリをする。
私が見てきた親御さん達もそうでした。
障害者福祉の世界は、構造上、内部から変えるのは難しいといえます。
だからこそ、内部告発によって表になったとき、利用している親御さん達が協調し、皆で訴え変えていく方向へと進まなくてはならないのに。
だけれども、「じゃあ、おうちでみてください」と言われるのが怖くて、というか自分自身でも負い目があり、だんまりを続け、自分たちの日常生活に戻っていく。


何故、廣木さんの見てきた世界の証言が、貴重な証言になるかと言えば、揺るがない現実を見せてくれるからです。
子どもから成人まで、児童デイ、生活から移動支援、介護士から施設長。
これだけの世界を実際に働き見てきた廣木さんが語っていることに対し、私達はいくら頭で「特殊な例」と変換しようとしても、それは不可能です。
障害者福祉の問題は、その地域とか、その福祉法人とかの問題ではなく、障害者福祉の歴史の中で脈々と続き、絡み合って作られた深い闇です。
たとえ1つの法人、一人の職員が会心し変わったとしても、障害者福祉全体の課題は変わらないのです。
その事実を私達に突き付けてくれるには、十分すぎる程の職歴と体験と本の内容だといえます。


たぶん、10年後、この本を読んでも、内容は色あせないと思います。
今の私達と同じように、「やっぱりそうだったのか」と手にとった未来の親御さん達も思うでしょう。
障害者福祉と特別支援教育は離れているように見えて、既に教育の中でも福祉の侵食が進んで根付いているといえます。
「どんなに頑張っても、結局、卒業後は福祉だろ」
どれほど「社会の中で自立を」と真剣に子ども達と向き合い教育に携わっている先生であったとしても、上記のような言葉が思い浮かんだことが一度もない、という人はほとんどいないと思います。
それくらい特別支援教育から「社会の中で自立」は難しいのです。
一応、卒業時、一般就労ができたとしても、一年以内に8割が退職、数年後にはほぼゼロ。
そして、福祉の世界に入っていく若者達の姿を、現実を、多くの先生方は知っているはずです。


私はこの本を読んで、「覚悟」という文字が浮かんできました。
廣木さんとご夫婦の"覚悟"が、今のお子さん達の姿に繋がっている。
読む私たちにとっても、見ようとしなかった現実と向き合う"覚悟"がいる。
そしてこの本を読み、"覚悟"が決まった親御さんは主体的で、独創的な子育てへと力強い一歩を踏みだすことができる。
「このまま、福祉に向かう道で良いのだろうか」と疑問を持つ親御さんにお勧め、プレゼントできる本ができて、私個人としても大変うれしく思います。