「ありのままでいい」というが、「そんなわけないだろう」と私は思っていた。 ありのままでいいのなら、勉強する必要はないし、努力する必要もない。 向上心だって必要ない。 だって、ありのままはそのままってことだから。 支援者は当事者に向かって、この言葉を使う。 「あなたはあなたのままでいい」 「障害も個性の一つだと思えばいい」 これは発達の凸凹に苦しんでいる人、いま、生きづらさを感じている人、ずっと感じてきた人に対して、「その苦しみを受け入れろ」「我慢しろ」と言っているように聞こえる。 裏を返せば、その当事者の苦しみに対して、「私はなにもできない」と白旗を上げているようなものだ。 ありのままでいいのなら、支援者などいらない。 ここに愛着障害の視点を持ってくると、聴こえ方が変わってくる。 「ありのままでいい」という言葉は、当事者に向けられた言葉ではなく、支援者自身が反芻したい言葉なのだろう。 ありのまま、つまり、存在そのものを認めてほしいという欲求。 それはまさに胎児期から乳幼児期における愛着形成。 その時期に、「あなたはそこに存在しているだけで愛おしい」という感情を身体で受け取ることができなかった子ども達が外側を大人に変え佇んでいる。 「ありのままでいい」という人は、ありのままでいられなかった人たち。 だから、自分が何かをしないと認められないと思っている。 だから、常に他人の評価を気にしている。 だから、多数派に流されてしまう。 みんなが打つから打ち、みんながするからして、みんなが「発達障害は治らない」というから「治るもんか」と思ってしまう。 見ている先はいつも外で、自分の内側、内言に目や耳を傾けることがない。 「我が子にどうなってほしいか?」 「今後、どのように育ってほしいか?」 という質問に、答えられる親御さんは案外少ない。 「発達障害を治したい」 「発達のヌケを埋めたい」 そんなふうに答える人もいるが、それは治したい派の模範解答であって、その親御さんの内側から出た生身の言葉ではない。 心の奥底から、湧き出るような、その親御さんの”ありのまま”の言葉、声はなんだろうか。 ☆『医者が教えてくれない発達障害の治り方』のご紹介☆ まえがき(浅見淳子) 第一章 診断されると本当にいいことあるの? 〇医者は誤ることはあるけど謝ることはない 〇早期診断→特別支援教育のオススメルー