2020年5月25日月曜日

【No.1068】凸凹がある子?全体的な遅れがある子?

親御さんにとっては、告げられた我が子の『診断名』が重くて、大きく感じられるのだと思いますが、私達支援者は、その診断名によって助言や援助の仕方が変わったり、変えたりするわけではないので、ほとんど気にしないものです。
診断名とは、行政用語みたいなものですから、子育て・教育と同様に、結局は一人ひとりを見て、オーダーメイドで作り上げていかなければなりません。
「自閉症だから、こう」「LDだから、これ」みたいな支援は、20年前のお話です。
 
 
「発達障害」という言葉には、大きく分けて2種類の意味があると思います。
発達が"凸凹"しているという意味と、発達が"遅れ"ているという意味です。
ここが支援を創造していく上で最初のポイントになります。
単に「発達障害」というだけでは、凸凹があるのか、全体的な遅れなのかがわかりません。
 
 
凸凹がある子の場合、凹んだ部分に注目されがちですが、凸の部分が重要です。
この凸の部分を確認することで、刺激・発達の極端な偏りなのか、または発達のヌケ、やり残しなのかがわかるからです。
具体的に言えば、凸が同年齢の子以上の発達段階とレベルにあれば、刺激の偏り、脳の使い方の偏り(右脳ばかり使っている、左脳ばかり使っている)だと推測できます。
そうではなく、凸が同年齢の子と同じような発達の範囲にあれば、胎児期から2歳前後の発達にやり残しがあるよねと考えられます。
 
 
一方で全体的な発達の遅れがある子の場合は、その子の資質的な理由から発達がゆっくりであるということと、何らかのストッパーがあるために発達していけないということが考えられます。
遺伝的な要因や出生前後のトラブルなど、どう頑張っても、発達がゆっくりであるという子がいるのも事実だといえます。
そのようなお子さんの場合には、長期的な視点をもって、「とにかく小学校4年生の学力を」「とにかく自立した生活を」という具合に、コツコツ積み上げていくイメージが良いと感じます。
大事なのは、ゆっくりなペースを速めるのではなく、ゆっくりでも歩き続けるような後押しだと思います。
 
 
ただ、発達障害と言われるお子さんは、何らかのストッパーによって、うまく発達が進んでいかない場合のほうが多いといえます。
凸が同年齢と同じくらいのお子さんと同様に、胎児期から2歳前後の発達のやり残しがあるのですが、そのやり残し、ヌケがより胎児期に近いのがこちらのお子さん達です。
ヌケがあるのは一緒でも、それが発達の初期、発達の土台にあるために、その後の発達全般に影響を及ぼしているようなイメージです。
さらにいえば、呼吸や消化、循環など、生きていく上で重要な部分の発達にヌケがある、脳幹の発達がやり残しの始まりといったときに、うまく発達が進んでいかない感じがします。
あとは、栄養や酸素などの摂り込みの問題、偏りのために、神経発達が生じづらいといった理由から、発達全般に遅れが出ている、同年齢と比べて遅れている、ということが考えられます。
 
 
まとめますと、その子の「発達障害」と言われる状態は、「凸凹なのか?全体的な遅れなのか?」が入り口。
 
 
凸凹なら、凸の部分に注目し、「同年齢以上?同年齢と同じくらい?」を確かめる。
同年齢以上→「刺激の偏り?脳の使い方の偏り?」
刺激の偏りなら、過剰な刺激を制限しつつ、異なる刺激が味わえるような環境づくりによって、凸凹から生じる生きづらさを解消していく。
 
 
同年齢と同じ→「胎児期から2歳前後にある発達のヌケ、やり残し」
出生後の運動発達にやり残しがある場合が多いので、そこを育て直す、回数券を使い切ることで、凹に引っ張られている部分を解消していく。
 
 
全体的な遅れなら、「その子の資質?ストッパーの影響?」を確かめる。
ゆっくり発達するのがその子の資質だとしたら、注目するのはスピードではなく、長期的な視点を持ち、歩み続けること。
ゆっくりなお子さんは、身につくのに時間がかかりますが、身についたあとは、それを離さない特徴があります。
一度身につけたものは生涯に渡って大事に使い続ける感じがありますので、大人になっても必要なスキルをコツコツと積み上げていくのが良いと思います。
 
 
ストッパーの影響なら、「発達の土台のヌケ?神経発達の問題?」を確認します。
赤ちゃんのときから違和感を持たれていた親御さんも少なくなく、その場合は呼吸や嚥下、睡眠など、生きる上での土台の部分に発達のヌケの始まりがあります。
運動発達のヌケと同様に、この生きる土台の部分の発達のヌケを育てなおすことで、ゆっくりだった発達を加速させることが可能です。
また、神経発達の問題は、栄養と酸素に注目し、ここを整えていくことが第一歩です。
 
 
細かい部分はさておき、うちの子は、担当しているお子さんは、発達に凸凹がある子か、全体的な遅れがある子かに注目することが大事だと思います。
結局、「自閉症」や「発達障害」からは何も見えてはきませんので、独自の視点を持ち、とにかくお子さん一人ひとりを見ていくことが必要だといえます。



2020年5月24日日曜日

【No.1067】子も、親も、支援者も、自立

6月21日に予定していました『どこでも治そう発達障害の会』特別講座in函館に参加申し込みを頂いた方、また「6月以降、学校が再開してから」「緊急事態宣言が終了してから」ということでお申し込みを保留されていた方、すべての皆さんへ、中止の連絡をしました。
すると、多くの方からお返しのメールを頂戴し、残念なお気持ちとねぎらいのお言葉をいただきました。
皆さんの中にも、「開催は難しいだろう」という想いがあったようでしたので、オンライン講座への参加等、前向きに変わり、動こうとされる様子が伝わってきました。
 
 
コロナの感染者数が落ち着いてきた頃から、予定していた会場が使用できない状況を考え、動いていました。
そんな中で気がついたことは、官民問わず、変わっていこうとする最中なんだということです。
メディア等では、迅速に対応、変化できた地域や組織の話が取り上げられますが、実際、ある程度、大きな組織になればなるほど、地方で交流と財政が乏しいところは、変わるまで時間がかかります。
北海道に関しては長い間、国の中央から「どれだけお金を引っ張ってこられるか?」で進んできた地域ですので、どうしても国や東京などが動いたのを見て、指示を待ってという傾向が強くあるように感じます。
そういった意味では、最初に独自の緊急事態宣言を出した北海道知事は大きな挑戦をしたのだといえます。
ただ、その後は、旧来の勢力に飲みこまれてしまっているようですが。
 
 
北海道は、今までのような大型バスで外国からの観光客を集め、その人達に大量に消費してもらう、というモデルから転換する必要があると思います。
とにかく大きなイベントを開催して、「来道してくれる人達を増やす、それで地元にお金が落ちる」というのばかりでした。
中央からの指示と予算、モデルを元に北海道風に変えるのが独自モデルなどと言われていましたが、それではまさに年がら年中、冬の時期が続くでしょう。
知事が独自の路線を打ち出したように、私達も自分達の頭と身体で考え、行動し、真の独自路線を構築していく必要があります。
 
 
コロナによって問題が生じたのではなく、コロナによって見えづらかった問題が表に出ただけ、問題が加速しただけ、という意見に、私も同意します。
ですから、これから消えていくものは、既にその役目、役割を終えていたものだといえます。
特別支援の世界で言えば、どっかの教授、医師が行う講演会は、わざわざ開催地まで出向く必要はなく、すべてオンラインで大丈夫です。
というか、ほとんどの質疑応答が歌舞伎の型みたいに決まっているので、録画したものを各自で好きなときに見るという形態で良いでしょう。
診断も、脳波・採血がないので、アプリでOK。
本来、発達障害はスペクトラムなので、自閉率何パーセントとか、半年おき、1年おきに判定してもらうほうが実態に合ったものになります。
AIは、「支援を利用するために、一応、診断名をつけておくね」みたいな判断はしないのも良い点です。
 
 
長年といいますか、特別支援の歴史そのものなのですが、どうやって支援を増やしていくか、継続していくか、生涯に渡る支援を確保するか、で進んできました。
しかし、その支援自体がリスクになります。
ここ1ヶ月の陽性者のほとんどは、院内感染か、施設内感染。
集団で生活すること、身体接触を伴うことが、大きなリスク要因になります。
つまり、支援ありきの教育・子育て・支援体制では、その人の安全安心を守ることはできません。
自立を目指すこと、発達の課題を一つずつ解決しておくことは、子ども達の安全安心な生活と未来を築いていくことになります。
 
 
私が20代の頃、トレーニングを受けた専門家は、「受ける支援を最小限にしていくこと、できるだけ一般的な人達が利用している自然な形態にしていくことが、私達の目指す支援なんだ」と繰り返し述べていました。
しかし毎度のことですが、太平洋を渡って戻ってくる最中に改変が行われます。
いつの間にか、最小限の支援が、最大限の支援へと変わっているのです。
その悪しき文化が再び外からやってきたものによって壊されていく。
 
 
子育てが自立を目指すのは当たり前。
発達援助が、その子の持つ発達課題をクリアするために向かうのは当たり前。
その当たり前ができていなかったのが、2000年代から始まった発達障害ブームであり、この20年の遠回りだったといえます。
発達障害という一種の商品を作り上げ、消費していたのが、今までの支援者たちの姿です。
これからヒトも、文化も、システムも、すべて淘汰されて行くでしょう。
残ったものが本物であり、変われたものだけが次の時代へと進むことができる。
 
 
一方で、私は変わらないもの、守るべきものがあると考えています。
それは人と人とが時間と場を共有すること。
私は納得するだけでは意味がなくて、実際に行動し、変わることが重要だと思っています。
ですから、私の仕事は時間と場を共有しながら、その人が変わるための援助を行うことだと考えています。
共有することで自然な鼓動を感じ、変化を感じる。
私には画面を通して、これらを感じとることができませんので。
これから益々、非効率で、リスクのある仕事形態にはなりますが、それ以上の価値と結果が出るような仕事ができなければなりません。
 
 
今後、少なくとも、あと1年くらいは、多数の人が集まる講座、身体を動かす講座は難しくなると思います。
それに真の意味で自立をみんなが目指していくことになれば、親御さんの学び方、支援者の学び方も変えていかなければなりません。
一堂に会するのではなく、個人で高めていく。
その手段としてオンラインがあり、そこで補えない部分は、直接、その人から教わる。
今まで以上に、直接会うこと、直接指導を受けることに大きな価値が出るといえます。
そういった意味では、子どもだけではなく、親も、支援者も、自立的に学び、自分の判断で行動していけることが求められます。
 
 
振り返ると、もしかしたら、子ども達が自立できずにいたのは、私達、大人の側が自立できていなかったのかもしれないと思いました。
結局、どっかの誰かが言った「治りません」「生涯に渡る支援」を信じ、それに合わせて行動してきたのも、一人ひとりの大人が自立できていなかった証でしょう。
誰かが決めたこと、誰かが言ったことに従うだけなのは、自立とはいえない。
これからのキーワードは、子も、親も、支援者も、自立です。
 
 
自らで立ち、行動する。
大量生産大量消費からの脱却です。
それは北海道も、特別支援の世界も。
来道してくれた一人ひとりを大切にし、その人の豊かな時間となることを目指していく。
同じように、一人ひとりの子ども達を大切にし、その子達の豊かな発達、成長を目指していく。
なんとかモデルを真似するのではなく、その子独自の成長と学びを創造していく。
これが実現できれば、より良い未来へと変わっていけると思いますし、その未来のために行動していきたいと私は思っています。
 
 
*7月11・12日のすべての予定が決定しました。3府県4家族の発達相談です。そのため、募集を終了いたします。



2020年5月22日金曜日

6月21日(日)『どこでも治そう発達障害の会』特別講座 in 函館について

開催日時があと1か月と迫った中ではありますが、昨日の北海道緊急事態宣言継続を受けまして、会場の管理責任者と話し合いを行いました。
今回の講座には多数のお申し込みがあり、また座学のみではなく、実際に身体を動かして学び合う時間がありますので、会場の使用が難しいということになりました。
本日、講師を引き受けてくださった浅見さん、栗本さんとお話をさせて頂き、その結果、今回の特別講座の中止が決定しました。
 
 
今回の講座は、3月1日の告知からすぐに20名の参加申し込みをいただきました。
参加申し込みのメールの文面には、北海道での開催を喜ぶ声、直接、お二人のお話、指導が受けられることへの期待が綴られていました。
既にコロナの広がりが見られていた時期にもかかわらず、多くの方が期待して申し込んでいただいた事実に、大変うれしく思ったのを覚えています。
函館、道南地方以外の方からも、複数お申し込みがありました。
ですから、その期待に応えられない結果となってしまい、悲しく思っています。
講師のお二人も、函館で開催できないことを大変残念に思われていました。
 
 
先ほど、お申し込みいただいた方、お一人お一人にメールを送りました。
ただお一人だけ、お申し込み時からメールアドレスが変更になった方がいらっしゃるようで、送付できませんでした(ご家族皆さまで午前中の講座にお申し込みいただいた方です)。
このブログを読んでくださると良いのですが…。
 
 
今回の中止を受けまして、講師の栗本さんより参加を申し込まれた皆さまへメッセージを頂戴しております。
 
 
『緊急事態宣言が解除されても以前と同じような生活に戻るのには時間がかかると思います。
今後考えられることとしてオンラインの仕事や授業が多くなるので目の疲労が増えてきます。
そのために睡眠の質が低下することで精神的な問題が発生してくることが予想されます。
今以上に目の疲労をとることが大切になってくると思います』
 
 
5年、10年後、今を振り返れば、時代の転換期にあることがわかると思います。
今後の講座は、オンラインが中心になってくるはずです。
花風社さん、栗本さんは、随時、オンラインでの講座や指導を行っておりますので、是非、今回参加をお申し込みいただいた皆様、チェックしてみてください。
お送りしたメールには、情報が更新されるページのアドレスを掲載しておきました。
 
 
このたびは、『どこでも治そう発達障害の会』特別講座 in 函館に多数のお申し込みを頂き、ありがとうございました。
また全国で、告知や応援をしてくださった皆さまも、ありがとうございました。
そして何よりも、函館での開催を快諾してくださった講師の浅見さん、栗本さん、誠にありがとうございました。
 
 

2020年5月20日水曜日

近畿地方の出張について(7月11・12日)

7月11日(土)と12日(日)に関西方面で出張の発達相談を行います。


既に11日(土)は訪問するご家庭が決まっていまして、12日(日)でしたら最大2家族の訪問が可能です。
もしこの機会に「子どもの発達について確認してもらいたい」「今後の子育ての方向性を一緒に話し合ってほしい」などのご希望がありましたら、【出張相談希望】と件名に書き、メールをください。


また詳細を確認したい方がいらっしゃいましたら、【出張相談問い合わせ】と件名に書き、お問い合わせいただければ、ご説明いたします。
出張相談についての内容は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
ご依頼&お問い合わせ先:メールアドレス


今年の2月、関西での出張を終え、肉まん片手に帰ってきたときには、世の中がこんなにも変わるとは思っていませんでした。
世の中が自粛や制限に溢れ、日常生活がガラッと変わってしまった状況でも、「コロナが落ち着いたら」「一息ついた頃に」というような出張のご依頼、お問い合わせをいただいていました。
すでにいくつか夏の予定が決まっており、私はそのことをたいへん有難く思っています。
今後、どんな未来、社会がやってきても、変わらないのはその子の身体であり、奪われないのはその子の学びと発達です。
それを育むご家族のお手伝い、後押しができればと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします!


*7月11日の午前・午後、7月12日の午前のご訪問先が決定しました(5月22日13時)。
*7月11日・12日のすべての予定が決定しました。3府県4家族のご訪問です(5月23日13時)。
 
 

2020年5月18日月曜日

【No.1066】目は口程に発達を言う

マスク姿での対面が通常になりつつある現在、「そういえば、目についてのブログはあまり書いてこなかったな」と思い、今、文章を書き始めています。
ヒトの発達の順序から考えると、鼻が大事で、口も大事です。
生きるために必要な空気と栄養を摂取する場所であり、危険をいち早く察知する場所でもあります。
それと比べると、順番から言って次の段階の発達が目、視覚になりますが、それでもその人の目からは重要な気付きを与えてくれるものです。
 
 
自閉症や発達障害、また子どもの発達においても、「目が合うか」は重要なポイントになります。
一般的な育児書でも、発達障害に関する本やネット情報でも、もちろん、健診の際にも、目がちゃんと合うかが確かめられます。
言葉の発達の遅れと同様に、目が合いづらいことで違和感を感じられる親御さんが少なくないですし、「カメラ目線ができない」というのも親御さんの気付きとして多く聞かれます。
 
 
発達相談の際、お子さんと対面して「もしかしたら、LDがあるかも」と感じることがあります。
何でそう感じるかと言いますと、御察しの通り『目』です。
表現が適切かは分かりませんが、その子の目は私の目を見ているのに、なんだか私の後方を見ている感じがします。
幼少期の長時間のメディア視聴の子も同じように目に違和感が出ますが、それとはまた違った感じもします。
LDの子ども達から感じる「目が合っているのに、焦点があっていない感じ」からは、これじゃあ、文字や数字が見にくいよね、本や黒板などに焦点を合わせるだけで疲れっちゃうよね、という連想が浮かびます。
中には、本人も、親御さんも、この課題に気づいておらず、「自閉症だから、教室の刺激に影響を受けて」「知的障害があるから勉強が苦手で」という解釈で終わっていたケースもありました。
 
 
誕生時、赤ちゃんの目は、はっきり物を捉えることができません。
視力もほとんどないですし、物体を目で追う力も育っていません。
それが生後1か月半くらいから物を少しずつじっと見ることができるようになったり、生後2ヶ月くらいから目で追うことができるようなったりします。
嗅覚や味覚、触覚、聴覚などが胎児期から育てられるのと比べて、視覚は生後の環境の中で本格的に育っていくイメージです。
 
 
この視覚と関係が深いのが脳幹になります。
脳幹の中脳が、視覚の中継所であり、眼球運動の調整(脳幹の"橋"も)を司っています。
脳幹はまさに生きるために必要な役割を担う箇所ですし、ヒトとして、動物として発達の始まりであり、すべての発達の土台です。
自閉症、発達障害の人達に多く見られる課題(嚥下・呼吸・消化・自律神経)は、この脳幹の部分が関係していますので、「目が合わない」という話も、脳幹が発達する時期に生じた問題の一つの形態といえるかもしれません。
 
 
目が合わないお子さんに対して、「こっちを見て」と促したり、目を動かすトレーニングをしたりすることがあると思います。
私のイメージでは、目を動かすことによって脳幹を育てていく感じです。
発達相談においても、過去にそのようなトレーニングをやったという方が多くいらっしゃいます。
しかし、その効果はあまり芳しくなく、何よりもお子さんが「疲れる」「大変」ということを言われます。
 
 
子どもさんの脳は柔らかく、大人のように刺激が脳のある部位へピンポイントには届きません。
たとえば、呼吸を育てると、その呼吸を司る延髄だけではなく、脳幹全体が刺激され、育っていくといった感じです。
そういったお子さんの脳の特徴を踏まえると、大人の脳のようなピンポイントで刺激し、育てるよりも、脳全体をあらゆる角度から、あらゆる刺激から育てていく方が良いと考えられます。
自然な子どもの発達も、そうですし。
 
 
私の今までの実践、経験から言えることは、目が合わない子、LDで特に読むことに課題がある子に対しては、ピンポイントで目をターゲットにするよりも、脳幹全体をイメージして育てていく方が本人の負担が少なく、より早く育っていくということです。
ある幼児さんは、呼吸や嚥下が成長していくとともに、「目が合うようになった」と親御さんがおっしゃっていました。
もう少し大きな就学されたお子さんは、排泄が整うようになってから「読み書きが向上した」ということもありました。
また中には、身体のバランス感覚が良くなったくらいから、書く字のバランスが整い始めたという人もいました。
脳幹と小脳(平衡感覚、運動系)も関係が深いので、小脳の育ち→脳幹の育ち→目の育ちという流れ、相互作用があったのかもしれません。
 
 
発達障害は当然、発達過程に生じるわけで、その現れ方は個人の内的な要因、外的な要因によって多様になるといえます。
ですから、同じ発達障害でも人によって現れ方が異なる一方で、脳幹や小脳など、発達初期に関係する箇所に共通項がみられます。
発達障害がある子ども達に何となく同じような行動、様子が見られるというのは、単に「そういう障害だからね」というのではなく、発達初期に端を発するのは共通しているけれども、脳幹や小脳の機能は複数あるからだと言えるのではないでしょうか。
 
 
よって、この仮説が正しければ、特に子どもさんの場合は、ピンポイントで脳機能にアプローチするよりも、脳幹全体、小脳全体を育てるイメージで援助していく方が良いと考えられます。
脳トレが効くのは、ある程度、成熟した脳、大人の脳であって、子どもの脳の特徴を活かしたものだとはいえません。
目が合わない、もしくは黒板やノートに焦点を合わせるのが疲れる、文字を読むことや書くことに苦手さを持っているお子さんがいらっしゃいましたら、目と関係する脳幹、平衡感覚や運動と関係する小脳全体へアプローチされると良いかもしれません。
カメラ目線ができないのは、その子の人生の大きな支障にはなりませんが、目は発達の入り口ですから育んでいくべき重要なポイントだといえます。
マスク姿が多い今だからこそ、目に注目を。
 


2020年5月16日土曜日

【No.1065】4種類の動きを通して環境と繋がる

その子の発達を堰止めてしまう要因には「原始反射が統合されていない」、つまり、胎児期から1歳前後で役目を終える反射が残っていることが考えられます。
実際、子どもさんによっては、2歳を過ぎてもその反射が頻繁に見られていて、それが終わった途端、ググッと発達が前に進むということもあります。
ですから、発達に遅れがある子を見る場合、原始反射がちゃんと役目を終えているかどうかを確認しますし、その重要性をお伝えしています。
 
 
このようなお話をすると、「原始反射=赤ちゃんの運動」「原始反射を卒業するっていうことは、次の発達段階に移る」といったイメージを持たれる方がいらっしゃいます。
しかし、そうではありません。
お母さんのお腹の中にいるときだって、胎児は自分の意思で動いたり、学習したりすることがわかっています。
決して胎児だから、赤ちゃんだからといって、反射のみで動いているわけではないのです。
 
 
胎児、新生児、赤ちゃんの運動には、原始反射があり、呼吸等の無意識な動きがあり、うつ伏せに寝せると手足をバタつかせるような動きがあり、対象物に手を伸ばすなどの意識的な動きがあります。
大きく分類して、この4種類の運動を通して運動発達、脳の発達を遂げていくのがわかります。
ですから、発達相談において原始反射を確認することは大事ですし、親御さんならそこを育てていくのも大切ですが、他の動きについても確認する必要があるのです。
原始反射はわかりやすく、教科書通りの動きが見られますので、アプローチしやすく、また熱心に取り組まれている親御さんも多いですが、そこだけ育てばいいか、注目すればいいかという話でもありません。
 
 
胎児期からすでに上記の4種類の動きがみられるということは、環境との相互作用によって育つ部分が大きいという意味であり、そうやって発達するようにヒトはできているのだといえます。
なので、発達障害、つまり、発達に遅れがある子が「先天性の障害である」と言い切れないですし、彼らの発達の遅れを取り戻すには4種類の動きに注目し、育てていくことが有効だと考えられます。
「発達障害だからこそ、手が打てない、支援や理解しかない」ではなく、「発達に関わる課題だからこそ、4種類の動きを豊かにすることで治っていく」といえるのです。
 
 
発達障害の子どもたちに共通してみられるのが、バリエーションの乏しさです。
発達相談において私は、上記の4種類の動きをイメージしながら、それぞれどのくらい動きの種類があるかを見ています。
一見すると、運動発達に問題がないと言える子、赤ちゃんの運動発達において気になる点がなかった子でも、動きが単調で、いつも同じパターンで動いていたということがあります。
たとえば、「寝返りの仕方がいつも決まっていた」「その寝返りが変化していかなかった」「前に進むハイハイはしたけれども、後ろに向かうハイハイはしなかった」「立ち上がる一連の動作がいつも一緒」「走り方が単調」などです。
 
 
定型発達のお子さんの場合は、ハイハイ一つとっても、その動き方がバリエーションに富んでいます。
ということは、発達障害と言われるお子さん達への子育てのポイントは、動きの幅を広げていくことだと考えられます。
単に「寝がえりができればいい!」「ハイハイをやり直せばいい!」「走れるようになればいい!」という話ではないことがわかります。
もちろん、基本的な動作、定型である運動発達はできるようになることが基本ですが、そこからどうバリエーションを付けていけるかがもう一歩先に進んだ発達援助だと言えます。
 
 
このブログでも、実際の発達相談でも、私は子ども達の遊びの重要性、必要性を説いています。
これは私が自然派であるとか、意識高い系であるとか、私の趣味嗜好とかいう話ではありません。
一言で言えば、身に付けた基本動作にバリエーションをつけるには遊ぶこと、特に自然の中で全身を使って遊ぶことに勝る方法がないからです。
私が直接的な指導で、基本動作を身に付けさせたり、その方法を教えることはできます。
家の中で、療育機関で、基本的な動作のやり直しはできます。
しかし、決められた環境の中では豊かな刺激と動きを作ることができないのです。
 
 
胎児、新生児、乳幼児は、4種類の動きを通して環境と関わっていきます。
最初は無意識で行っていた運動が、意識してできるようになるのも発達。
意識してやっていたことを無意識でできるようになるのも発達。
コントロールできるようになった動きを組み合わせて、新たな運動ができるようになるのも発達。
子ども達は、自分の身体を通して、自ら動くことを通して、ヒトとして生きるための発達の土台を培っていきます。
動くことで環境とつながり、繋がった環境との間で動きを育て、発達にバリエーションをつけていくのです。
 
 
多くの子ども達と関わってきた中で私が感じるのは、発達障害の中核的な課題はこの動きの乏しさ、バリエーションの少なさである、ということです。
動きが限られていれば、当然、生活の中で、人間関係の中で、社会の中で、うまくいかないことが増えるでしょう。
これらは常に変化し続ける環境ですから。
自立を言い換えると、「変化に対応できるようになること」といえるかもしれません。
「あなたは変化に対応できるだけのバリエーションを持っているの?」が問われるのだと思います。
 
 
動きにバリエーションができるということは、臨機応変な行動ができるようになるだけではなく、獲得した行動と行動を結びつけ、新たな動きを生みだすこととつながっていきます。
それは脳をフル活用し、創造性のある豊かな人生を送ることにもつながっていきます。
そしてそのベースは、胎児期から始まる子ども時代の動きの獲得とそれに伴う脳の発達だと言えるでしょう。
ヒトは4種類の動きを通して環境とつながり、その環境の豊かさを受けて動きにバリエーションを、脳内のネットワークを作っていく。
 
 
原始反射の統合も、赤ちゃんの運動発達のやり直しも、基本的な動作の獲得に繋がるといえます。
でも、そこだけでは発達障害の子ども達の課題を解決したとはいえませんし、発達援助の入り口に立ったとしかいえないと思います。
子ども達が獲得した基本的な動作、動きを、どのように発展させてあげるか、どのようにバリエーションを作っていくか。
そのための環境づくりこそが、発達援助の中心だと考えています。
 
 
そう考えると、やっぱり育てていく中心はその子自身ですし、自然という変化に富んだ豊かな環境の中で遊ぶことが一番です。
自然で遊ぶには、自然に対処しなければなりません。
意識、無意識を問わず、自分が獲得した動きを総動員して、子は遊ぶのです。
自然で遊べるようになった子は変化に対処できる動きと脳を育てたと言えるでしょう。

 
 

2020年5月12日火曜日

【No.1064】乳幼児期に大切な随伴性を伴う遊び

 「行動変容」という言葉を目にすると、そういえば、「行動を変えることが支援であり、療育である」と考えていた集団があったよな、と思いだします。
その昔、私が学生だった頃、当地の支援には視覚支援グループと行動変容グループがあり、お互いをライバル視していました。
視覚支援Gは、「椅子に1分座っていられたら、先生が子どもの口の中にお菓子を入れていたのよ。これじゃあ、動物の餌付けじゃないの!」と言い、行動変容Gは、「狭い衝立の中に閉じ込めて、先生は一言も発しないでカードを渡してたのよ。これじゃあ、人間じゃなくてロボット扱いじゃないの!」という具合に言っていたのを覚えています。
私は学生身分でしたので、両方の親御さんとも関わりがありましたし、両方の施設、支援者とも関わりがありました。
今思えば、学生身分をフル活用し、いろんな体験や人達と出会っていたことは今に繋がる良いことだったように感じます。
 
 
あれから15年のときが流れまして、全国的にみて、当時のようなゴリゴリの視覚支援、ゴリゴリの行動変容というような雰囲気はほとんどなくなったと思います。
よく言えば、いいとこどりで、悪く言えば、つぎはぎの支援という具合に、今は視覚支援を使いつつ、行動変容を目指し、感覚統合をベースに身体を育てていく、みたいな感じでしょうか。
子どもの数だけ正解があり、適切な支援がありますので、「他のアプローチは許さない」などはおかしな話であり、一つの療法で物事が完結できると考えることが間違いだといえます。
ですから、子どもの成長と共に、そのとき、今必要な支援、アプローチを選択していけば良いというか、それしかないと思います。
 
 
昨日は『発達と学習の違い』についてお話ししたので、今日はそれに関連した行動変容について綴っていこうと思います。
今、巷で言われている「行動変容」は、コロナにかからないように、コロナをうつさないように「一人ひとりの行動を変えていきましょう」という意味です。
その一人ひとりの行動を変えるために、変えてほしい側(国・行政)は知識と情報を提供する。
また行動を変えたらこんなメリットがありますよ(給付金)、行動を変えなければこんなデメリットがありますよ(事業者名公表)などを駆使し、変容を促していきます。
 
 
同じように支援や療育で言われている「行動変容」も使うものが違うだけで、アプローチの仕方は一緒です。
たとえば、多動の子がいてなかなか席に座っていられないとします。
その子に対し、席に座ることの大切さや、動きまわることで他者に与える影響を教えていきます。
またタイマーなどを提示し、「1分座ってられたら、チョコをあげるね」とメリットを与えたり、「授業中、離席が5回になったら休み時間なしね」とデメリットを与えたりして多動を減らし、席に座れる時間を長くしていくというのが療育的な行動変容です。
 
 
行動変容でのポイントは、随伴性だといえます。
簡単に言えば、A→Bという具合に、「席に座ったら→お菓子」「お手伝いをしたら→お小遣い」「テストで100点取ったら→ゲーム」と行動に伴う結果が明確に結びついているということです。
確かにこう見ると、ある面では動物の餌付けに見えますし、ある面ではどこの家庭でもやっていることのようにも見えます。
私達大人だって、仕事の半分くらいは我慢料であって、「働いたら→お金が貰える」というような随伴性を伴うからこそ、仕事をしている面もあります。
これが「働いても賃金が発生するかしないかわからない」というような状態ですと、や~めたという人が大勢出てくると思います。
ですから要は使いようです。
 
 
突然、赤ちゃんの話になりますが、乳幼児は同じ行動を繰り返します。
おもちゃを掴んでは落とし、掴んでは落としを繰り返したり、「いないいないばー」を喜んだり、自分が笑うとお母さんが笑うから、さらに微笑み、その反応を得ようとしたりします。
乳幼児は、この繰り返しや何かをしたら同じ結果が引き出せる、みたいな行動、遊びが大好きです。
古今東西、どこの国の乳幼児も同じ傾向があります。
つまり、この繰り返し、反応を引き出す、というのは子どもたちにとって大事な学習であり、その学習形態が随伴性、A→Bということになります。
 
 
乳幼児というのは、まだ感覚や認知の面で発展途上にあります。
特に赤ちゃんは、周囲の情報を得るための感覚が完全に育っていませんし、それを統合して意味理解する脳機能が未熟です。
そんな状態で繰り返す随伴性の遊びは、わからない情報だらけの世の中において、唯一、自分がコントロールでき、結果が予測できる手段となります。
「指を広げると、おもちゃが床に落ちるな」と思っているかは分かりませんが、おもちゃを持っては床に落とすといった行動を繰り返すことによって、自分の周囲の状況がごく部分的であったとしても知ることができる。
同時に、指を広げる(運動)と床に落ちるおもちゃを見る(視覚)が神経ネットワークでつながっていきます。
そうやって複雑な下界の一部を意味ある形で切り取ることができ、運動と感覚を結びつけるとともに、認知を育てていく『随伴性』という学習は、とても意義のある大事な行動だといえるのです。
 
 
自閉症の特性の中に繰り返し行動があります。
何度も何度も、同じ動作、行動を繰り返している子を見かけた人も多いと思います。
確かに不安から繰り返し行動をしている人もいますが、特に子どもさんの場合は、上記の随伴性を伴う学習をしている真っ最中ということもあります。
その見分け方は、やっているときの雰囲気が全然違うのでそこを見れば良いのですが、ポイントは未発達があるかどうか、どれくらいあるかになります。
上記でお話ししたように、乳幼児期に見られる行動ですので、乳幼児さんと同じように感覚が未発達、感覚と運動の結びつきが弱い、全体的に認知の面で遅れが目立つ子が行っているのは、不安だからではなくて学習しているのだと捉えて良いはずです。
不安は取り除かなければなりませんが、本人主体の学習をしている場合は、思う存分、まるで理化の実験のように、「これをやったら、こんな結果になるんだ」という体験を積み重ねてあげられる状況を保障してあげることが大切になります。
 
 
特別支援における「行動変容」というアプローチも、その子の認知、発達段階によっては有効だといえます。
しかし、とても守備範囲は狭いといえますし、本人の状態と不一致が生じると悪影響を及ぼすこともあります。
知識や情報を提供することによって、つまり、本人が理解し、分かった、じゃあ、変えよう、という段階、これができるだけの認知と発達状態の子に対しては、効果的なアプローチの一つだといえます。
また感覚面、運動面、認知の面で多くの課題、遅れがある子に対しては、アプローチの仕方がとてもシンプルなので、本人も理解しやすく、学習方法としては合っていると言えます。
 
 
ただし、「A→B」みたいな段階は、ある意味、乳幼児のレベルなので、それが適切な子、時期は限られていますし、当然、本人の発達が伸びてくれば、不適切な指導になってしまいます。
その辺を敏感に感じられるくらいでなければなりません。
よくあるのが、乳幼児期の発達、認知の段階を超えて子に対しても、継続して「〇〇をやったらお菓子ね」みたいにやってしまうことです。
それが通常になってしまいますと、ご褒美がないとやらない、物事を、人との関係性をも随伴性の中で捉えてしまうようになります。
本当は「A→B」などというシンプルな図式で成り立たない人との関係、人の気持ち、行動を理解できるようになる必要があるのに。
乳幼児期に有効な世の中の切り取り方で社会を見ると、見誤ってしまいます。
 
 
随伴性を伴う遊びは、世の中を知る入り口です。
その入り口付近に立っている子ども達には、どんどんやってもらったらよいですし、教える側もそのアイディアを使うと良いはずです。
でも、あくまでそれは入り口ですし、発達、成長と共に適さなくなります。
支援者に求められるのは、発達を中心としたアプローチの選択だといえます。
アプローチにこだわるのは、子の発達を犠牲にしますね。