2020年1月17日金曜日

【No.1005】子が笑うと、私も笑う

アセスメントや具体的な発達援助を行う前、私は子どもさんの笑顔を引き出そうとします。
それは当然、子どもさんの緊張をほぐすという意味があります。
でも、それ以上に重要視しているのが、親御さんのリアクションです。
我が子が笑えば、自然と笑みがこぼれる。
我が子だろうが、ひと様の子だろうが、子どもが笑えば、自然と笑顔になるのは、人類に共通していることだと思います。


ですから、子どもの笑みにつられて、笑顔になるのは本能に近い。
その本能の部分が、自然と表れるかどうか、というのは、実はとても重要なのです。
私が子どもさんと関わり、キャッキャッと笑いだす。
それを見た親御さんが笑顔になる。
その場合は、動物的な部分が発揮されている親御さんなので、子どもの微妙な変化や、目に見えない発達の流れなどを読める方だと判断します。


一方で、子どもさんが笑っても、笑顔になれない親御さんがいるのも事実。
そのような場合は、親御さんに重きをおいた発達相談になります。
子育てに孤独感がある。
愛着障害やご自身の発達障害。
心身や栄養のバランスを崩しているといったこともあります。
頭で発達を捉えよう、子どもを見ようとすると、ほとんどの場合、外します。
なので、まずは親御さんが整い、本能の部分が表に出るような後押しをしています。


本能で言えば、「子どもには、より良く育ってほしい」と思うのも、ヒトとしての本能じゃないかと考えています。
子どもと関われば、自然と発達を後押しするような言動を選んでいたりする。
特に意識しているわけではないのだけれども、自然と、「どれが良い育ちになるかな」なんて考えている。
ですから、子どもの、特に発達と関わる仕事をしている者は、自然と軸が、「どうやったら、この子がより良く育つかな?」という視点になると思うのです。


私は、この「どうやったら、この子がより良く育つかな?」という視点を、皆が持っていたら、子どもも、親御さんも、傷ついたり、悲しんだりする必要がなくなるのに、と思います。
相談者から多く寄せられる言葉の中に、この視点を持たずに、子どもと関わろうとする支援者、専門家への怒りや哀しみがあるのです。


子どもを数分しか見ていないのに、診断名を付け、「この子の将来は…」と、すでに行く末が決まっているかのごとく告げてくる医師。
子どもの発達について相談しに来ているのに、療育を受ける“手続き”について説明を続ける支援者。
本来、子どもの発達、教育の専門家である幼稚園、保育園の先生、また学校の先生。
それなのに、「専門的な支援を」と言って、まるで、「自分たちの専門性を発揮できる子ではない」というような丸投げを行う。
親御さんが知りたいのは、この子に発達障害があるかどうかよりも、この子がより良く育つ方法を知りたいのだと思います。


診断は、医師にしかできない仕事です。
しかし、その子が基準に当てはまるかどうかだけではなく、原始反射の一つでも確認し、「まだ〇〇反射が残っていますね」と一言伝えてもらえたら、と思うことがあります。
そうすれば、親御さんは、より良く育つための具体的な行動に移れます。
「いろんな医師、専門家に診てもらったけれども、誰一人、原始反射の話はしませんでした」なんていう親御さんがまだいるくらいです。
原始反射が残っていると、知的障害、発達障害の兆候や発症に繋がるというのは、広く知られていることですので、最初に出会った専門家が、「反射が出なくなるまで誘発する」というアイディアを伝えていたら、こんなにも遠回りすることなく…と思うのです。


「発達障害」という言葉、知識、情報が、大人たちの本能に、大きくなった頭で蓋を閉めているように感じます。
発達障害以前に、一人の子であり、自分が担当する子であったのなら、その子のより良い発達のために、自分の持てる力を発揮していけば良いのだと思います。
保育士さんが発達障害の専門家に丸投げする必要はありません。
日々、子どもの発達と関わっている職業なのですから、自分の内側にある遊びや活動のアイディアを通して、発達を後押ししていけば良いのです。
保育士さんは、乳幼児期の発達の専門家。
学校の先生だって、支援なんかする必要はありません。
学校の先生の専門は、教育であり、教科指導です。
だったら、その部分で、蓄積してきたものを、その子の教育に発揮すれば良いのだと思います。


初めて相談した専門家が私、ということは、ほとんどありません。
皆さん、いろんな専門家を尋ね、相談し、より良い育み方を求めてきたのです。
でも、誰一人、真っ正面から、その子のより良い発達について、向き合おうとしなかった。
私のところに来る前に出会った専門家たちが、それぞれができる、知っているより良い発達の仕方を親御さんに伝えられていたら、親子共々、こんなに苦しむ必要がなかったのに、と思うことがしょっちゅうです。


発達障害の専門家が、その子の発達全般において、オールマイティに知っているわけではありません。
詳しいのは「発達障害において」であって、その子全てを知っているわけではありません。
それに、その子の人生、全部を丸抱えしてくれるわけでもない。
ですから、「発達障害の子は、発達障害の専門家に」というのは、体のいい“丸投げ”であり、“職務放棄”だといえます。
そして、「子どもには、より良く育ってほしい」という本能に蓋が閉まってしまっている人。
そういった本能が表ににじみ出てこない人には、子どもの発達を掴むことができません。
子どもを治す前に、関わる前に、自身を治し、育てる必要がある。


子どもの発達を育てる主人公は、子ども自身です。
親御さんは、その主人公を一番に後押しする存在です。
あとは、脇役であり、背景の一部。
発達障害の専門家だからといって、一ミリも偉くないし、幼稚園、保育園の先生、学校の先生よりも、その子をより良く育てられるか、といったら、そんなことはありません。


みんなが、自分の持てる専門性を、その子のより良い発達の一部に発揮していく。
そういった一人ひとりの「より良く育ってほしい」という力が、いろんな方向から、子どもの背中を押すことに繋がるのだと思います。
どう頑張っても、子どものすべてを発達させられるほど、力を持っていないのです。
だから、それぞれの専門家が、自分にできる後押しを行っていく。


それを取捨選択し、自分の子育てに活かすのが親御さんの役目。
その取捨選択には、親御さん自身の軸が育っている必要がありますし、何よりも、「子が笑うと、私も笑う」という本能が顔を出している状態じゃないといけません。
ですから、子どもさんと戯れながら、背中で親御さんを感じようとするわけです。
子どもが笑う姿を見て、自分の頬が緩んでいますか?
自然と笑顔になっていますか?

2020年1月16日木曜日

【No.1004】発達を滞らせているストッパーを外す

「教えずに育つ」が理想であり、私の仕事は、そこまで導く、後押しすることだと考えています。
知的障害の有無や障害、症状の重さに関わらず、どの子も、その内側に発達する力を持っている。
その発達する力が発揮できていないから、課題が生じてくるのだと思います。
ですから、私は発達相談において、「ストッパーを外す」という表現をよく使います。


発達障害の子ども達は、なんらかの要因によって、神経発達に滞りが生じています。
その滞りの理由を探し、そこから解放することが、私達支援者の仕事です。


よく相談で多いのが、「発達援助をやっているけれども、なかなか思うように発達していかない」というものです。
実際に訪問し、どのような育みをやっているか、拝見させていただくと、結構、目的とは違った動きをされている場合があります。
一見すると、発達を促すような動きをしているんだけれども、本来、刺激したい部分が刺激されていない。
これは、「どうして、その動きが発達に繋がるか?」という本質を捉えきれていない場合に起きるのだと思います。


また、行っている発達援助自体は問題ないけれども、子どもさんとの間に、ミスマッチが生じていることも。
一生懸命やろうとすればするほど、その動きにばかりに意識が向いてしまい、段々、子どもが見えなくなってしまっている。
発達援助で大事なのは、教わった動き、正しい動きをすることではなく、子どもを良く見ること。
子どもの発達は、とても速く、昨日求めていた刺激が、今日は違う、なんてこともよくあります。
「これは教わった方法だから」と言って、同じ動きを長期間やり続けたり、子どもが受け入れてくれるからといって、同じ動きばかり続けていたり。
「なんで、その動きを続けているんですか?」とお尋ねすると、言葉に詰まる親御さんもいらっしゃいます。
これは、「どのような変化が起きたら、卒業か?」という視点がないまま、始められた場合に起きるように感じます。


このように、やり方がズレていたり、子どものニーズとのズレがあったりすると、「やってはいるけれども、なかなか…」の状態になると思います。
さらに、この“ズレ”以外にも、思うような発達に繋がらない理由があります。
それが、私がよく説明で使う「ストッパー」というやつです。


発達には順序がありますので、その土台となる発達が育っていませんと、うまく積み上がっていきません。
また発達は生き物であり、神経も生きていますので、その育つ材料、条件がないと、伸びていかないのは当たり前です。
タンパク質や鉄、ビタミンなどの栄養を整えることはもちろんのこと、酸素がなければ、発達は生じません。
『からだ指導室あんじん』の栗本さんからは、「外呼吸と内呼吸」のどちらも大切と教わりました。
つまり、私達がイメージする呼吸と、血液⇔細胞間の酸素&二酸化炭素のやりとりです。


ここで、栄養からのアプローチで治す藤川医師と、身体アプローチで治す栗本さんの知見が繋がるのです。
息を吐いたり、吸ったりという呼吸を育てること、息が深く吸える身体に整えること。
血液を作るたんぱく質と鉄を十分に摂取することは、結果的に細胞内に酸素を行きわたらせることになる。
それは、神経発達が生じる条件を準備することになります。
ですから、「呼吸が育つと治っていく、発達のスピードが速くなる」という姿が見られるのだと思います。
あと筋肉も大事。


長くなるので、ここからはパパッと進みますが、脊椎動物ですから、背骨が育っていないのも、ストッパーになります。
もちろん、首の発達も重要です。
他には、恐怖麻痺反射、赤ちゃん時代の原始反射が統合されていないと、これも発達を滞らせます。
生き物としての土台である「快食快眠快便」が整わないと、感覚過敏に翻弄されていると、発達までエネルギーが回らない感じがあります。
運動発達のヌケも、ですね。


細かいところを挙げれば、もう少しありますが、だいたい主なストッパーはこんなところになります。
一人ひとりストッパーのかかり具合は異なりますので、1つずつ確認し、またできるだけ課題の根っこ深くから育てていく必要があります。
上記のような視点で、子どもさんの姿を改めて見てみると、今とは違ったやるべきことが、課題の糸口が掴めてくるかもしれません。


発達を滞らせているストッパーが外れると、その子の内側にある発達する力が躍動していきます。
そこまでくれば、あとは、子どもが何を学び、どう育っていくか、は本人が決めていきます。
「教えずに育つ」というのは、本人の発達する力が発揮できる状態まで育ったあと、主体的に育っていく状態だといえます。
主体的に育っていく子が、将来、自立する子であり、自立した人生を送っていく人になるのだと思います。
ですから、「生涯に渡る支援」では物理的にも、精神的にも、自立しないのは明らかです。


「教えずに育つ」状態は、子どもさんの理想だけではなく、親御さんにとっても理想だと考えています。
私が定期的に訪問し、「これをやってください」「あれをやってください」では、親御さんの自立につながりません。
そして何よりも、親御さんの主体性を奪うことになってしまいかねません。


日々、変化する我が子をしっかり見つめ、そこから我が子オリジナルの子育てを創り上げていく。
そのためには、親御さんも育つ必要がありますし、できれば、支援者から教わらずとも、自分で子どもを見て、試行錯誤しながら子育てをやっていけるくらいになることが望まれます。
その「教わらずに育つ」までのお手伝いも、私達支援者の仕事だと考えています。

2020年1月15日水曜日

【No.1003】支援者にグレーを黒に染める力があるのだろうか

関東出張から戻ってくると、年賀状やメールが何通も届いていました。
ほとんどの方が、1回したお会いしたことのないご家族です。
それでも、素敵なお子さんの写真と成長の喜びが綴られていました。


写真をみれば、どのような時間がその子に、そのご家族に流れていたのか、わかります。
その子が綴っている文字は、「勉強も頑張っているよ」「勉強の準備が整ってきたよ」と教えてくれます。
親御さんが綴る我が子の成長を喜ぶ言葉は、あのときの子育ての迷いから吹っ切れ、定まっていった姿を見せてくれます。


そんな中に、目に留まるものがありました。
そこには、まだ発語はないけれども、理解できる言葉が増えたこと。
身体が育ち、自ら主体的に遊んだり、行動できるようになったりしたこと。
身の回りのことや社会のルール、教科学習など、身につくようになったこと、などが葉書いっぱいに綴られていました。


近頃、とても気になるのが、「言葉が出ない」「言葉の遅れ」があると、即、診断や療育を勧められ、また周囲も、「自閉症」「発達障害」などの子として見る傾向がある、という話です。
町の健診で、保健師さんから「一度、専門機関へ」と勧められる。
もちろん、勧めること自体に問題があるわけではありませんが、その言葉の節々に「障害がある」前提なのがプンプン漂っている。
幼稚園や保育園でも、「私達はわからないから、専門の先生のところへ」と言うわりに、我が子だけ、他の子よりもレベルを下げた目標になる、同じ課題、活動をやらない、求められない、という変化がある。


心配しているようで、本当は障害児として事務的に進められている事実に、親御さんは傷つくと言います。
同時に、親として知りたいのは、障害があるなしではなく、その前に、どうやったら育っていくか、私に何ができるか、ということです。
言葉が出ない子、遅れている子を見て、「自閉症では」「発達障害では」というのは、専門家の仕事ではありません。
そんなことは、ネットで検索すれば、瞬時に出てきます。


専門家、いや、お金を貰って仕事している身分なら、最低限、その遅れは、「正常発達の範囲に入るものか、異常といえるものなのか?」を見分けられなければなりません。
また、異常と言えるのなら、その原因、課題の根っこ、どこから発達にズレが生じているのか、も読み解けなければなりませんし、じゃあ、そこからどうやって育てていけば、発達を後押しできるか、も伝えられなければなりません。
更に言えば、どのようなことを、どのくらいの期間やって、いつくらいに、子どもさんの発達がどうなるか、まで伝えて、一人前だと私は思います。


まだまだ、「早く見つけて、少しでも早く診断、療育に繋げる」というのが仕事で、役割だと勘違いしている人達が多くいます。
いくら早く繋がっても、誰も発達の促し方、治し方は教えてくれません。
それよりも、どうやって障害児として生きていくか、適応していくか、支援者が支援しやすい子に育つか、という視点で、グレーが黒になり、黒が真っ黒になるばかりです。


「どうして、診断を受けると、支援と繋がると、子ども達は黒くなっていくのだろうか?」
そこには関わる者の技術的な問題があると思います。
でも、最近、私は技術よりも、その眼差しが、子ども達を黒く染めているのだと考えるようになりました。
その眼差しとは、「諦め」です。


私も支援者の一人です。
私がいくら頑張っても、子どもさんを治すことはできませんし、与えられる影響はほとんどないと言ってよいくらいです。
でも、子ども達は発達し、治っていく。
そこには、子どもの内側にある発達する力が存在しているのだといえます。


同じように、治そうとせず、適応や支援に促そうとする支援者であっても、子どもを黒く染めるだけの力があるのか、影響力があるのか、と思うのです。
もし、支援者がそういった方向へ持っていこうとしても、その子自身の伸びる力が発揮されれば、黒に染まらず、反対に薄まっていく子もいるはずです。
実際、よろしくない支援者、先生と関わった子でも、治っていく子ども達、若者たちは大勢います。
「子ども達は、支援者に染まるほど、やわじゃないし、どの子にも伸びる力がある」
これが現時点での、私の捉えです。


じゃあ、どの子も持っている伸びる力が発揮できないのは?黒く染まっていく子がいるのは?
その答えが、諦めの眼差し。
医師や保健師、保育園の先生や幼稚園の先生、支援者や学校の先生。
その多くの人達が、「障害もその子の個性」「その子に合った学びを」と言いながらも、その目は諦めの目をしている。
誰一人、障害が治ると思っていないし、多分、このまま、支援を受けていく子だな、将来も、支援を受けながら生きていく子だな、と勝手に諦め、子の可能性を限定してしまっている。


その眼差しが態度となって表れ、本当はもう一頑張りすると伸びるところも引いたり、最初からやらせようとしなかったりする。
そういった周囲の態度が積み重なっていくと、育つものも育たず、反対に乏しい刺激が、ますます偏った育ちを増長させていく。
結局、未発達をそのままにし、症状を重くしていくのは、支援者の関わりと言うよりも、発達の機会を奪われたことによるものだと、私は思うようになっています。


発語はないけれども、いろんな発達、成長が見られた子のお母さんは、諦めなかったお母さんです。
諦めの眼差しを痛いほど、感じてきたけれども、「いや、我が子は伸びる」「まだまだ成長できる力がある」と信じ、子育てをされたのです。
その歩みが、お子さんの発達を後押ししていった。


自由自在に動く身体が育てば、主体性と自立心が育っていきます。
主体的に行動できるようになると、意識が刺激に、活動に、その背景に向くようになります。
また、自由自在に動く身体は、脳に余白を生みます。
その余白に、新しい知識、技術が入っていくのです。
「身体が整うと、学習する力が伸びる」というのは、当然だといえます。
身体が整う→余白ができる→新たに学ぶ→理解が高まる&生活がラクになる→さらに余白ができる…のポジティブなサイクルの完成です。
このサイクルが、子どもの今と未来の生活を輝かせる。
それは、言葉が出ること以上に、尊いこと。


素人は、「言葉が出ない」という表面を見ます。
でも、親御さんは、その背景を知ろうとし、どうやったら、そこが育っていくか、私が後押しできるか、を求めています。
そんなとき、親御さんにとって諦めのまなざしは、ただただ迷惑なだけです。
諦めるのは、支援者の勝手。
でも、親御さんの足を引っ張ること、子ども達の発達の機会を奪うことは、やめてほしい。


だって、年賀状にあったお子さんの表情は輝いていて、その字には、親御さんの喜びが溢れていたから。
こういったご家族と出会えたことを、私も心から嬉しく思うのだから。



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【事務連絡】

①関東出張の報告書を、今朝、発送しました。早ければ明日、遅くても明後日にはお手元に届くと思います。報告書に目を通していただき、質問や気になったこと、さらに訊いてみたいことがございましたら、遠慮なく、メールください。何度でもお答えいたします。


②2月22日・23日の関西出張は、現在、スケジュールの調整中です。検討中のご家族も数件ございますが、正式に依頼してくださった方を優先します。今、空いているのが、22日(土)に1家族です。もし、ご希望でしたら、21日(金)伊丹空港到着後、16時頃よりの発達相談も検討することにしますので、お問い合わせください


③3月8日(日)、関東で出張相談を行います。午後は、すでに訪問するご家庭が決まっておりますので、午前でしたら、お受けすることができます。もし、「この機会に」という方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。なお、今回の出張は、3月7日(土)花風社さんの講演会参加に伴って行いますので、函館~羽田の航空券代と宿泊費は、負担していただく費用に含めません。

2020年1月11日土曜日

関西出張のご案内(2月22日・23日)

2月22日(土)、23日(日)に関西出張を行います。
2日間、午前と午後で、4家族の訪問ができれば、と考えております。
今回、ご依頼をくださったご家族がいらっしゃいますので、残り3枠になります。


同じ関西圏でも、距離がございますので、必ずしもお受けできるとは限りませんが、もし、出張相談をご希望される方がいらっしゃいましたら、お問い合わせください。


イメージとしましては…
2月22日(土) 9:00~12:00、14:00~17:00
2月23日(日) 9:00~12:00、14:00~17:00
1家族、3時間程度。


出張相談の詳細、申し込み方法は、てらっこ塾ホームページをご覧ください。
なお、このご案内のブログは、4家族が決まり次第、削除しますので、ご了承くださいm(_ _)m



2020年1月8日水曜日

【No.1002】関東出張を振り返り

関東は午前中、強い雨が降っていましたが、午後から急速に天気が回復し、綺麗な夕陽が沈もうとしています。
今回の関東出張も、すべてのご家庭への訪問が完了しました。
明日、函館に戻ります。


「訪問するまで、どのような方か分からない」というのは、私の仕事では常でございます。
ですから、昨年末のブログの内容が、「まさに、そのまま」となったのは、たまたまなのかもしれません。
今回、お会いした皆様は、とてもよく勉強されているし、実践されている方たちでした。
私が敢えて説明する必要はなく、「既にやっています」「ああ、それからやればいいんですね」という具合に、セッションが進んでいきました。
やはり知識という点のみでは、お金をもらっての仕事は、もう難しいのだと思います。


一方で、知識を得たり、実践をされたりしている親御さん達に共通した悩みとして、「あれもこれも課題があるけれども、どこからやったら良いのか」「どの方法が、今の我が子にピタッと合うのか」「今後、どのような発達過程を辿り、発展させていけばよいのか」というものがありました。
「良いのは分かっているし、子どもに必要なのもわかっている」の先ですね。
なので、私は具体的なアドバイスよりも、その方法が生まれた背景や、なぜ、今の我が子に必要なのか、そういった「掘り下げてお伝えする」「情報を整理する」という部分を重視しました。
というか、そのような流れにセッションがなりました。


ただ良いと言われるものをやっていては、そのとき、その発達課題は良いけれども、そのあとの発達やご自身でアレンジするところまで発展していきません。
もしかしたら、「治るのは分かった」「治す方法もわかった」「実際に治ってきた」の段階から、「我が子に合わせてアレンジした治し方&育み方」への、ある意味、親としての成長、発達の部分のお手伝いが、次のニーズとして中心になりつつあるような雰囲気を感じました。


「子どもをよく見る」というのは、どの実践家の方たちも、再三強調しておっしゃっていることです。
ですが、一生懸命治している親御さんの中にも、よく見ているようで、まだ足りない方がいるような気がします。
やはり「よく見る」というのは、その言葉以上に深い言葉だと思います。
私で言えば、子どもさんをよく見るためには、そのお子さんの発達の流れ、歴史を辿っていかなければできませんし、当然、ヒトとしてのあらゆる発達を押さえておかなければできません。
同時に、定型発達の子どもたちも、凸凹が大きい子どもたちも(当然、大人も)、たくさん関わり、そういった関わりの中で気付かされる生の発達も、常に感じている必要があります。


さらっと「子どもをよく見る」と言い、実際に見抜ける実践家の方たちとお会いするたびに、まだまだ研鑽が足りないと感じるばかりですし、この仕事を続けている限り、磨いていかなければならない部分だと思っています。
親御さん達のニーズが移り変わっているからこそ、子どもをよく見る、その目を深めていくためのお手伝いが重要になってくるはずです。
そのためには、発達に携わる者の一人として、自分自身の目も深めていかなければならないと考えています。


世の中のニーズの半歩、一歩先を歩くのが、民間企業の仕事であり、私のような個人事業主としては生き抜くための唯一の手段でもあります。
今回の出張で、私個人としての課題と、これから先の方向性が見えてきたような気がします。
2020年は、素晴らしい学びの機会を頂戴することができますので、自分自身をもう一段、高めていけるような機会にしたいと思っています。
と言いますか、しなければなりませんし、します!


本年も、多くの方たちとともに、「治って喜ぶ姿」と「社会に飛び立っていく後ろ姿」をたくさん見ていきたいと思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。