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「治らない人がいる」=「みんな、治らない」にはならない

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「この子は、言葉を話すことはないね」と、医師より告げられた子が言葉で会話をしている。 「この子は、生涯、支援を受けて生きていく子」と、支援者より言われた子が、今、一般就労して働いている。 他にも、「この子は、支援級の子」と言われた子が大学に通い、「運動は無理」と言われた子が体育会系の部活動で汗を流している。 「感覚過敏は障害特性」で環境調整とイヤーマフで生活していた子が、刺激に圧倒されることなく、普通に生活している。 睡眠障害だった子が、夜には眠くなり、朝までしっかり眠られるようになっている。 こういった子ども達に対して、「治った」と言って、何が悪い。 だって、全部、「不可能だ」「無理だ」「治らない」と言われたものだから。 治らないと言われていたものが、そうではなくなった。 症状が消えて、普通に生活ができるようになった。 それを「適応しただけ」「発達しただけ」「成長しただけ」というのは、辻褄が合わないだろう。 治らないものが治ったんだから、「治った」という言葉が一番状態を適切に表している。 治らないと言われていたものが、治る。 それは、「治る」と表現することが間違っているのではなく、前提である「治らない」が間違っていると考えるのが自然だろう。 ましてや、障害と言われるくらいのものなのだから、「治らない」という前提が変わるなら喜ばしいこと。 でも、どういうわけか、発達障害に関しては、というか、どっぷりギョーカイに浸かっている者たちは、前提の間違いを認めようとしない。 当然、発達障害の原因は特定されていないのだから、いろんな要素から神経発達の遅れが生じる。 なので、全員が全員、治るかどうかはわからないが、治る人がいるのは当然。 そしてスペクトラムなのだから、治らない人でも100%治らないなんてことはなく、部分的に治る人もいるだろう。 治らない人の中にも、治せる部分はある。 神経が発達する、そのこと自体が生じない、ダメージを受けているわけでないのなら。 このように考えると、また冒頭で紹介させていただいた私が実際見てきた人達がいるのだから、「治らない」と言い切ることはできない。 「治らない障害」と言うのなら、それは、その人の周りに治った人がいないか、その人がやってきた療育、子育てが、神経発達に繋がっていないか。 あ

昭和っぽさ、平成っぽさ、発達障害っぽさ

もうすぐ年号が平成から令和に変わります。 でも、4月30日と5月1日で、何か大きく変わるかといったら、そうではないと思います。 だって、30日の23時59分59秒と1日0時00分は連続しているから。 かつての昭和がそうだったように、平成も「平成という時代は…」という具合に振り返られることがあると思います。 平成という30年間が、一つの括りとして語られる。 それ自体は良いことでも、悪いことでもありませんが、一人の人間としてみれば、そこには人間の数だけ、30年間があるのだといえます。 一人ひとりの歴史があり、発達の流れがある。 ある意味、『発達障害』というのは、平成みたいなもの。 「なんとなく、〇〇って昭和っぽいよね」「平成っぽいよね」と似ています。 大まかな括り、共通言語にはなるけれども、具体的なものを表しているわけではありません。 一人ひとりが感じる「昭和っぽさ」「平成っぽさ」があるように、どうしても個人の経験、考えに依存している。 「発達障害」「発達障害」と言われるけれども、結局、具体的な何かが存在しているわけではありません。 みんな、同じ「発達障害」という言葉を使っているけれども、それぞれ捉え方、感じ方は違っています。 世界的な診断基準とやらがありますが、それだって具体的な何か、客観的な何かを見て診断しているのではなく、どうしても診断者の主観が入ってしまう形態になっています。 ということは、診断ができる人だろうが、日頃、支援で携わっている人だろうが、家族だろうが、間接的に知っている人だろうが、みんな、主観から逃れられることはできない、ということになります。 それぞれの昭和、平成があるように、それぞれの発達障害がある。 家族なら身内の人がベースになるし、教師や支援者だって関わってきた人達がベースになる。 診察室で多くの人達と関わってきた専門家だって、診断室で見える姿がベースになる。 なので、専門家だなんだかんだ言っても、主観と経験を元に、その人の発達障害像があるのは、他の人達と変わりがないことです。 すべての発達障害の人達と出会い、関わることはできません。 神経の発達は、一人ひとり異なりますし、そのとき、そのときで状態も変わります。 そもそもが「発達障害とはこうである」とは言えないものなのです。

幼い頃の“もう一頑張り”

一つのエピソードとして聞いてください。 もちろん、個人が前面に出ないように、改変もしています。 就学前から関わっているお子さんがいました。 その子は、単語レベルの会話で、かつ、文字を書いたり、計算したりするのも難しいお子さんでした。 しかし、離席や他害行動がなかったため、一応、言っていることの意味は理解できていたため、普通級へ進学しました。 この辺りは、小さな学校、親御さんの強い希望があったことも影響したと考えられます。 普通級に進学しましたが、ノートをとるのも一苦労、テストは常に半分以下の点数。 こういった様子でしたので、学期ごとに面談があり、支援級を幾度となく勧められました。 でも、本人が「みんなと一緒に勉強がしたい」と意思表示をし、また親御さんも、その想いに応えたいと、家庭学習や身体アプローチを一生懸命頑張られていました。 3年生くらいから、表現の幅が出て、言葉のキャッチボールもできるようになりました。 学力の面も、コツコツと積み上げてきたものがつながり始め、テストでも50点を超えるようになりました。 そして、高学年になる頃には、テストで100点も取るようになり、友達と放課後遊びに行くような子に成長しました。 この春より、真新しい制服を着て、中学校に進学。 その姿を見て、親御さんは、「あのとき、我が子の声に耳を傾けて、私自身も頑張れて、本当によかった」と涙を浮かべながらおっしゃっていました。 その親御さんの涙は、同世代の子ども達と共に、普通の子として進学できた喜びだけではないのです。 実は、この親御さんには、よく知る幼馴染の子がいました。 その子は、保育園から脱走したり、すぐに手が出たりする子でした。 でも、知的障害はなく、むしろ、賢いお子さんで、普段は明るい子どもらしいお子さんだった。 少しやんちゃな子として、同じように小学校普通級へ進学しました。 進学後、勉強はできるものの、時折、トラブルを起こすことがあり、学校から一度、発達障害専門の病院で診てもらっては、という話がありました。 病院に行くと、すぐにADHDの診断がつき、「落ち着いて勉強できる薬がある」と処方を受けます。 親御さんも、精神科の薬を飲ませるのに抵抗がありましたが、「治らない」「薬でサポート」「またトラブルを起こしても?」という言葉

遅れが遅れのままになっているから、発達に遅れが生じてくる

その発達の遅れが、いつから始まり、どうして生じたのか、誰も確認することができない。 何故なら、生きている限り、ヒトは常に変化し続けているから。 一秒たりとも、同じ状態にはならない。 ある時点で、発達の遅れが生じたとします。 でも、次の瞬間、環境側からの刺激によって、自ら持つ発達の力によって、再び自然な発達の流れに戻る可能性も考えられます。 私は、「これだから発達障害」「あれがあったから発達障害」というような単純明快な感じで、発達障害が生じているとは思っていません。 もちろん、仕事の上では、相手にわかってもらうことが最優先なので、よりシンプルな説明にしていますが。 発達障害とは、本来の発達の流れに戻りたいけれども、戻れず、その揺らぎ、もがきが、時間の経過とともに表面化したもの、と捉えています。 もし、発達の遅れとなる一つの原因があって、それ以降の発達すべてに遅れが出るとしたら、世の中は、発達障害だらけになっているでしょう。 当然、発達の仕方は、一人ひとり異なり、全員が全員、きれいな発達過程、曲線を描くものではありません。 そういった意味では、みんな、何かしらの発達障害を持って生きている。 でも、世の中の大多数は、自分の発達障害を意識することなく、足を引っ張られることなく生き、そして人生を終える。 それが700万年続いてきた。 このように考えると、「発達の遅れが生じる要因がなかった人が、いわゆる普通の人で、要因があった人が発達障害の人である」とは言えません。 みんな、受精した瞬間から現在に至るどこかで、発達の遅れが生じる要因と出会ってきただろうし、実際、遅れも生じたはずです。 でも、多くの人達は、普通の生活の中で、学校や職場、地域、社会の中で、その遅れを育んでいった。 遅れが遅れのままだったら、その後の発達、生活、心身に大きな影響が表れるのだと思います。 ですから私は、その遅れをどうにかしたいと考えるし、本来の発達の流れに戻るような後押しがしたいと思っています。 世の中の多くの人達が、発達障害という診断を受けるまでにならないということは、それだけヒトの持つ発達の力が素晴らしいということ。 そりゃそうです、内なる発達の力が優れていなければ、700万年も人類は続いていません。 人類の歴史のほとんどは、文字も、言語も

発達は常に前に進むからこそ、凸凹が生じる

20代の頃、一時期、論文ばかり集めて読んでいる時期がありました。 そんな中で、確かアメリカの研究だったのですが、共同注視を後天的に教え、身に付けさせる、という内容の論文を読んだ覚えがあります。 自閉症の人達は、幼少期、共同注視(お母さんが空の飛行機を見たら、自分もお母さんの視線の方向に気がつき、同じ飛行機を見る、など)がみられない、発達が遅れる、と言われています。 ですから、その共同注視をトレーニングして身に付けさせれば、それ以降の発達過程である共感、社会性の発達、改善につながる、という研究報告でした。 その論文を読んだとき、世界には、こんなことを考える人がいるのか、また実践しているのか、と思ったものです。 ヒトが自然と発達させ、身に付けていくことを、あとから教えて身に付けさせようとする。 その不自然さを感じるとともに、もし、こういったトレーニングに効果があり、あとからでも身についていくのなら、当時、不可能だと言われていた自閉症の障害特性に関する改善、治療ができるかもしれない、と思いました。 それから、同じような研究がないか調べたところ、物事を一対一対応させてしまう思考に対し、同じものを使って、与えられた要素ごとに、いろんなカテゴライズの仕方を行っていき、柔軟な思考へと改善していく、という実践もありました。 多分、マイナーな研究、実践だったと思いますが、「やらなかったり、遅れてたりするんだったら、そこを後からやりなおそう」みたいな考え方に、特に若い頃、触れられたのはラッキーだったと思います。 実際、いくつかのアイディアを実践したことがありますが、確かに、その部分に関しては良い変化、発達がありました。 ですから、あとから育てられることも不思議には思いませんし、抜かしていた発達課題をクリアすれば、それ以降の発達に影響が出てくるのは当然だと思います。 「発達障害が治る」ということに関して、「それは“治った”ではなく、適応しただけ、改善しただけ」というような人がいます。 多分、それは、日頃、表面的なアプローチ、対処療法、対症療法しかやっていない人が考えることなんだと思います。 そりゃあ、目に見える症状、言動に対してのみ、いじくったり、抑え込もうとコントロールしたりしても、治るわけはありません。 治るためには、今を見ていてもできっこない

発達障害という軸、定型発達という軸

フィギアの選手を見ていると、「よくもあれだけ高速で回転して目が回らず、演技ができるな!」と思います。 ああやって回転しても目が回らないのも、練習の成果ですね。 最初から目が回らなかったわけではありません。 ちゃんと目が回るという発達を遂げたあと、長年の練習の結果として目が回らない段階になった、ということ。 目が回らない→目が回る、からの再び「目が回らない」です。 目が回らない子が、フィギアの選手になったわけじゃないのです。 お金を貰って発達障害の人達と関わるようになって、もう15年以上が経ちます。 その中で、いろんな支援者と出会ってきましたが、専門家というか、発達障害の専門的になると、どんどん腕が悪くなってくる人が多いような印象を受けます。 若手の頃は、30代くらいのイケイケのときは、「あの人はよい支援者になるな」「この人が上に立つようになれば、素晴らしい変化が起きそうだな」と感じていたのに、肩書が付き、キャリアが積み重なってくると、ただの凡人になり、腕の可もなく不可もなしになる。 治せたはずの支援者が、40代過ぎて、ただの支援者の一人になっている。 そんな期待外れな支援者の顔を思い浮かべる方も、いらっしゃるのではないでしょうか。 肩書や組織ができれば、いろんな縛りが出てきて、それで腕が悪くなる、治せなくなる、という要因も考えられるでしょう。 でも私は、「軸がずれるから下手くそになる」と考えています。 「軸がずれる」というのは、発達障害の中に軸が移動するということです。 つまり、日頃、発達障害と関われば関わるほど、そういった中での経験が増していけばいくほど、自分が見てきた、経験してきた発達障害という軸の中で、「この人は軽い」「この人は特異的だ」「この人は典型的」という具合になる、ということです。 私も、20代の頃は、キャリアとしての経験数が乏しいため、のめりこむように発達障害について勉強したものです。 しかし、あるとき、気が付いたのです。 期待されていた先輩たち、支援者達は、40代になると凡人になる、ということに。 ですから、私は、そういった人達の姿から理由を探ろうとしました。 そこで行きついたのが、軸のズレ。 そういった先輩たちと話をしても、いつも発達障害中心の話で面白味がない。 結局、終始、発達障害の内側の基

発達の逸脱に気づいた時点での「治す」

「治す」と耳にすると、苦しんでいる状況、状態があって、そこから救うための「治す」を連想します。 睡眠障害を治す。 自傷行為を治す。 激しいこだわりを治す。 偏食や他害だって、結局は、自分自身を苦しめる結果になるのですから、これもネガティブな状態からの脱却という意味での「治す」になると思います。 目の前に苦しんでいる人がいて、特にそれが我が子だったら、この苦しみから、どんなことをしてでも救ってあげたい、少しでもラクにしてあげたい、と想い、願い、行動するのが自然な親心というものでしょう。 一方で、ネガティブな状況からの脱却という意味ではない「治す」もあると思います。 その子が本来持っている力、発達の流れが妨げられている状態からの脱却。 喃語は出ているけれども、それ以降の言語発達がみられない。 立って歩くようにはなったけれども、なんだか身体の使い方がぎこちない。 一人遊びをするんだけれども、友達と遊ぶ段階に進んでいかない。 本人の視点に立てば、必ずしも苦しんでいるわけではない。 でも、本来、辿っていただろうその子の発達の流れに乗れていない状況を、どうにかしてあげたい、もっと伸びやかな発達、成長を遂げてほしい。 そんな願いから出てくる「治す」もあるのだと思います。 「発達障害を治す」と聞くと、性格や資質を矯正でもして変えさせよう、と連想する人がいます。 そういった人は、発達障害を固定されたもの、生来的なもので変化しないもの、と捉えているのだと思います。 中には、古い時代の「脳の機能障害」「生まれつきの障害」と言われていたのを、自らで考えることなく、信じてしまった結果の人もいるかもしれません。 しかし、発達障害とは、簡単に言えば、「いま、発達の遅れがある状態」と言っているだけ。 だから、その遅れた状態を治すのは、当然ですし、何よりも本人のためになるのです。 「遅れたままでいなさい。それがあなたの個性だから」 そんな残酷なメッセージを、子ども達に送ることができるのでしょうか。 子どもが苦しんでいる状態を目の前にしていて、ただ指をくわえてみているだけ。 病気で苦しんでいたら、病院に連れていくでしょう。 それがすぐにできないのなら、汗を拭き、頭を冷やし、栄養のあるもの、食べられるものを少しでも、と思うし、そっと手を握

「生まれつき」と言うけれども、うちの子が生まれたとき、あなたはそこにいたのか?

近頃、ずっと年齢の低いお子さんの相談が続いていましたが、相変わらず、「生まれつきの障害です」と言われるようですね。 そして、これまた相変わらず、2歳とか、3歳とかの子を前にして、「治らない」「この子は生涯支援が必要」と言われるのです。 “今”、発達に遅れがあるということが、どうして、これから長い人生の間ずっと発達が起きず、遅れ続け、生涯支援を受けて生きていく、と言い切れるのでしょうか。 この診断では、脳の画像を撮って、その根本的なダメージを確認したのでしょうか。 血液や遺伝子などを調べ、生物として、これ以上、発達は難しいという何かを発見したというのでしょうか。 訊けば、行動観察と家庭での状況、成育歴から告げられたとのこと。 それでは、今の状態は分かるけれども、何故、発達に遅れが出ているか、はわかりません。 だったら、なおのこと、今後の子ども達の歩み、成長、発達について分かるはずはないし、客観的な根拠のないまま、ただ親御さんを苦しめている、親御さんの子育ての力を奪っているとしか思えません。 「生まれつきの障害」というのなら、おぎゃと生まれた瞬間には、発達障害である確認が取れていないといけないことになります。 生まれつき、生まれつき、というけれども、実際、出産時に発達障害が確認された子はいないのです。 それなのになぜ、「あなたの子は、生まれつきの障害です」と言い切ることができるのでしょうか。 反対に、「先生は、うちの子が生まれたとき、発達障害があると確認したのですか?」と尋ねたらよいのです。 生まれたときに確認した人がいない、確認ができていないのなら、その子の発達の遅れは、生まれたときにあったのか、それ以降の発達過程の中で起きたのか、わかりません。 第一、これだけ同じ『発達障害』と言われる人の中でも、その状態像はバラエティに富んでいますので、発達障害の始まりが胎児期の子もいれば、出生時、出生後の子もいると考えるのが自然です。 まさに、発達期に起きるのが発達障害。 その子が、どの時点で発達障害が起きたかは、現時点で誰も確認も、証明もできないのです。 「生まれつき」と言っておきながら、10代以降に診断を受ける子ども達も少なくありません。 実際、そういった子ども達からの相談もあります。 親御さんに、成育歴を尋ねますと、乳

新たな喜びへと紡いでいく

神経発達障害ということは、神経の発達に何らかの障害が起きている状態だといえます。 ですから私は、その人の神経発達を妨げている“何か”に思いをはせます。 その何かに気づければ、本来歩んでいただろう発達の流れに解き放つお手伝いができるから。 妨げていたものは、育みの大元を教えてくれる。 「論文を書いたら」「成果をまとめて、発表したら」という話をしてくる人がいます。 しかし、私の仕事、役割、したいことは違うのです。 私は、目の前の人が自分の成長に喜ぶ姿を見て喜ぶのが仕事。 私は、目の前の人が少しでも辛さから解放され、より自由に、より自立的に、より主体的に、自分の人生を歩む出す姿を見て嬉しくなるのが仕事。 研究し、論文を執筆することが役割であり、仕事の人もいます。 その人達は、そういった成果を示すことで評価されます。 でも、私は目の前にいる人のために、自分の力、時間を注ぎたいと思うのです。 それに私に対する評価は、利用する人がいるか、いないか、その一点につきます。 昨日で7年目に突入しましたが、その歩みの一日一日が私に対する評価の日々だったといえます。 神経の発達に何らかの障害があり、今、発達に遅れが出ている状態である。 しかし、その何らかの妨げ、原因も、発達に遅れが出ている程度、どのあたりに発達の遅れがあるのかは、一人ひとり違うはずです。 呼び方、括り方は一緒でも、その状態像は一人として同じ人はいない。 だからこそ、私は、目の前の人と真摯に、真剣に向かい合ってきました。 状態像が一人ひとり異なるのですから、その育み方も、一人ひとり異なるはずです。 この人でうまくいったことが、あの人ではうまくいかない。 そんなことは多々あります。 でも、その一方で、この人でうまくいったことが、あの人でもうまくいくこともあります。 私が向き合うのは、目の前の一人です。 だけれども、向き合う前には、大勢の人達との出会いと気づきと教えが存在します。 多くの方達から頂いた知見と、目の前にいる人の育みは繋がっているのです。 7年目を迎えた今、私の仕事は、役割は、したいことは、この成長した喜び、辛さから解放された喜びを、新たな人へと繋いでいく、新たな喜びへと紡いでいくことのような気がしています。 全国には、我が子を、目の前の人を