2019年4月22日月曜日

幼い頃の“もう一頑張り”

一つのエピソードとして聞いてください。
もちろん、個人が前面に出ないように、改変もしています。


就学前から関わっているお子さんがいました。
その子は、単語レベルの会話で、かつ、文字を書いたり、計算したりするのも難しいお子さんでした。
しかし、離席や他害行動がなかったため、一応、言っていることの意味は理解できていたため、普通級へ進学しました。
この辺りは、小さな学校、親御さんの強い希望があったことも影響したと考えられます。


普通級に進学しましたが、ノートをとるのも一苦労、テストは常に半分以下の点数。
こういった様子でしたので、学期ごとに面談があり、支援級を幾度となく勧められました。
でも、本人が「みんなと一緒に勉強がしたい」と意思表示をし、また親御さんも、その想いに応えたいと、家庭学習や身体アプローチを一生懸命頑張られていました。


3年生くらいから、表現の幅が出て、言葉のキャッチボールもできるようになりました。
学力の面も、コツコツと積み上げてきたものがつながり始め、テストでも50点を超えるようになりました。
そして、高学年になる頃には、テストで100点も取るようになり、友達と放課後遊びに行くような子に成長しました。
この春より、真新しい制服を着て、中学校に進学。
その姿を見て、親御さんは、「あのとき、我が子の声に耳を傾けて、私自身も頑張れて、本当によかった」と涙を浮かべながらおっしゃっていました。


その親御さんの涙は、同世代の子ども達と共に、普通の子として進学できた喜びだけではないのです。
実は、この親御さんには、よく知る幼馴染の子がいました。
その子は、保育園から脱走したり、すぐに手が出たりする子でした。
でも、知的障害はなく、むしろ、賢いお子さんで、普段は明るい子どもらしいお子さんだった。
少しやんちゃな子として、同じように小学校普通級へ進学しました。


進学後、勉強はできるものの、時折、トラブルを起こすことがあり、学校から一度、発達障害専門の病院で診てもらっては、という話がありました。
病院に行くと、すぐにADHDの診断がつき、「落ち着いて勉強できる薬がある」と処方を受けます。
親御さんも、精神科の薬を飲ませるのに抵抗がありましたが、「治らない」「薬でサポート」「またトラブルを起こしても?」という言葉を受け入れ、服薬を開始しました。


服薬後は、以前のようなトラブルはなくなり、落ち着いて授業を受けられるようになりました。
しかし、学力の面で遅れが見られるようになり、元気で、健康そのものだった子が、学校へも行けない日が出てきました。
学校からは、「普通級の授業が負担になっているのでは」「お薬も飲んでますし」と支援級を勧められ、親御さんも応じます。
で、今春からは中学校の支援級へ。
ずっと身体が大きかったお子さんでしたが、服薬後から成長がピタッと止まってしまい、どうみても中学生には見えない身体に。
背も小さく、やせ細ってしまったのです。


中学校の普通級に進学した子の親御さんも、幼馴染の親御さんに身体アプローチの話、発達のヌケは育て直せる話を、何度もしたそうです。
でも、その親御さんは、興味を示すものの、実際の行動までには至らなかった。
あとから聞いた話では、処方を受けている医師から、「そんなんで治るわけがない」と言われたとのこと。
ですから結局、「あなたの子が、普通級に進学したのはできる子だったから」となり、「うちの子は、そういう障害を持った子だから」となって、疎遠になってしまったそうです。


我が子の制服姿を見て流した涙には、喜びの他に、「もしかしたら、一歩間違えば、うちの子も」「幼馴染のあの子も、一緒に制服を着て中学に行けたはず」という複雑な思いもあったと感じました。
あとから振り返れば、「あのとき」「あの選択を」ということは、よくある話ではないでしょうか。


この仕事をしていると、「あのときの選択が」「あのとき、頑張ったから」、反対に「頑張れなかったから」「諦めてしまったから」というエピソードが少なくありません。
今の苦しみが、しなくてよかった苦労が、幼いときの選択と繋がっていると、切ない想いがするのです。
今から振り返れば、当時の課題、問題の芽はまだ小さく、対処も、育てることもできたはず。
でも、あのときのもう少しの頑張りができなかった。
その頑張りをしようとしていたのに、支援者がその手を掴み、「頑張らなくて良いよ、お母さん、お父さん」と、耳元で囁いた。


小さな芽は、いつしか大きな花となり、実をつけるくらいまでになった。
その実をみて、「それが障害だから」と周囲は納得した。
小さな発達のヌケは、その後の発達に影響を与え続け、大きな凸凹を生んだ。
その凸凹をみて、「それが障害だから」と周囲は納得した。
でも、その苦しみ、しなくてよかった苦労を背負い続けるのは、本人。
幼いときの選択が、まだ自分自身にその選択権を持たない時期の選択が、後々の人生に影響を与える。


親も年を取る。
若いとき、頑張れたことが頑張れなくもなる。
子どもが小さいときにはなかった親の介護、仕事での責任、健康、体力の問題、そういったものが乗りかかってくることもある。
だから、子どものことに集中できる時期、特に我が子が小さいときに頑張らなくてどうする、と思います。
そして支援者が、その若い親御さんの頑張りを後押しするのではなく、真逆の「頑張らなくて良いよ」というその無責任さに憤りを感じるのです。


上記のエピソードは、まさに親御さんの頑張りの違いが、子どもの将来の可能性に影響を与えた典型的な例だと思います。
知的障害の程度も、発達のヌケの多さ、大きさも、中学普通級に進学した子の方が大変だった。
でも、親御さんは、我が子の言葉と可能性を信じ、コツコツ積みあげていった。
その結果が、真新しい制服姿になって表れた。
一方で、元気でやんちゃだった子は、確かに問題を起こさず、落ち着いた中学生に成長した。
いろんなものと引き換えにしながら。


その子の明るく元気な資質は、どこに行ってしまったのでしょうか。
必要な子が、支援級へ行くのは悪いことではない、と思います。
ただ幼き頃の輝いていた資質が消えていくのが悲しい。
発達障害を治すというのは、資質を失うことではありません。
むしろ、資質を輝かせるために、発達障害を治すのです。
持って生まれた資質を磨き、活かしていくためにも、我が子が幼き頃の、親御さん自身が若い頃の“もう一頑張り”がとても重要になってくるといえます。

0 件のコメント:

コメントを投稿