2020年3月12日木曜日

【No.1028】手が汚れるのを嫌がる子の発達段階

今日は、もう少し触覚、触れるということについて書こうと思います。
最近書いたブログの【No.1015】【No.1022】がそういった内容で、それを見た方から質問や相談が続きました。
答えているうちに、「ここも書いておいた方が良いな」と思うところがありましたので、これから記していきます。


幼児さんの中には、まあ、小学生くらいのお子さんでも、「土が触れない」「手が汚れるのを嫌がる」なんてことがあります。
そういった様子を見たり、相談があったりすると、支援者はすぐに「触覚過敏」という言葉を使いたがるものです。
「それは触覚過敏ですね」
「ASDの子に多く見られる特性です」
「無理して慣れさせようとすると、却って過敏が強くなりますよ」
とお決まりのパターンがあり、最後には「トラウマが」「二次障害が」と続き、結局、全面的に受け入れるしかないよね~という話で終わります。


確かに、触覚過敏というお子さんもいると思いますよ。
でも、土に触れないだけ、触れたがらないだけで、触覚過敏は乱暴すぎですよね。
というか、たぶん、その人は、ヒトの発達をご存じない。
どうやって、子どもが発達していくか。
この場合で言えば、どういった発達過程を辿り、触覚を育てていくかが分かっていないのでしょう。


触覚が胎児期前期に、そして最初に働き始める感覚だという話は、前回の内容。
今回は、生まれたあとの触覚の育ちです。
触覚というのは、何のために、存在するのでしょうか。
そこが、「すべて触覚過敏では乱暴ですね」という話とつながります。


結論から言えば、触覚とは、危険を察知するための感覚です。
原始的な動物は、危険から身を守るために、触覚、触れるという活動を獲得し、発達させたのだと思います。
ということは、やはりヒトにおいても、最初の発達過程は、危険の察知の段階だといえますね。


土に触れるのを嫌がるのも、手が汚れるのを嫌がるのも、触れること自体に怖さがあるというのも、実は正常な発達なんですね。
「これって何だろう?」「危険かな、大丈夫かな」というのを探索しているのです。
この発達過程をやり切ると、触れるという行為に不安や怖がるといった感情を伴わなくなります。
つまり、次の発達過程に進んだという表れ。


動物は、危険を察知するために触覚を働かせます。
その次は、安心を得るための触覚ですね。
危険の察知が爬虫類の脳だとすれば、安心を得るのは哺乳類の脳。
安心、もっといえば、快の触覚を得るのが危険の次の発達段階です。
ですから、母子の触れ合い、親子のスキンシップが愛着を育てる理由がわかりますね。


危険の発達段階で止まっていれば、母子間で正常な愛着関係を築けません。
これが往々にして、発達障害の子に見られる愛着障害へと繋がってるんですね。
触覚が危険を認知するためにしか働いていないのなら、母親の愛情を持った触れ合いも、快とは受け取ることができません。
中には、それを危険と認知している子もいるでしょう。
親御さんがいくら愛情をもって関わっていたとしても、受け手の準備、触覚の準備ができていなければ、同じようには受け取れないのです。


じゃあ、触れることを怖がる子に、どのような発達援助が必要なのか。
土が苦手だから、とにかく土に触れさせるのは、下の下。
危険の発達段階の子に、危険と感じる機会を増やすのは逆効果です。
ただ不安を増やすだけ。
また、「この子は触覚に過敏さがあるのだから、手袋を、触れる機会を減らそう」というのも逆効果。
発達の機会、発達刺激の制限は、未発達の解決にはつながらないのですから。
よって、基本は「発達刺激+発達を後押し」です。


触れることが怖い子は、温かいや気持ちいい、面白いなどの快の触覚刺激に触れていくことです。
「お母さんの身体は温かくて気持ちいいな」
「この毛布の毛触りは心地良いな」
「ごはんを手で握ると、グチャッとなっておもしろーい」
そんな風に、本人が安心できる、快だと感じられるものに、触れた楽しいなと思える行動から、主体的に味わっていくのです。


探索するために手を使っている子は、土や泥遊び、粘土遊び、手が汚れることに強く反応します。
それは障害特性でもなんでもなくて、そういった発達段階だから。
危険を察するために始まった触覚なのですから、刺激に対し、過剰に反応するのは自然なこと。
もし、問題があるとすれば、その発達段階から次の発達段階である快感を得るための触覚まで発達していかないことだといえます。
ですから、触れることを通して快感の触覚を育てる。
快感が十分に感じられるようになれば、子どもは自然と土遊び、砂遊びを始めます。
それも、手や顔についた泥を気にすることなく。


この触覚の発達という話からもわかるように、発達障害って、その行動の異常さとか、特性の重い軽いとかではなくて、根本はやっぱり発達していかないこと、同じ発達段階で留まっているということなんですね。
今までは、多くの支援者は、未だにそれが固定された特性だと考え、定型発達の人達と続いているスペクトラムとは捉えきれていない。
だからこそ、育てるという視点ではなく、支援するという視点で見てしまう。
で、どんどんその発達段階でいる時間が長くなってしまい、脳みそもそれに合わせて形成されちゃう。
単に、支援者が定型発達、ヒトの発達を知らないだけ、未発達の育て方を知らないだけ。


ヒトの発達から見れば、現在、「発達障害だから」と言われている言動のほとんどは、未発達なだけであり、育てば治るところばかり。
「触覚過敏」など、専門用語(?)を使いたがる支援者は、コトバに踊らされているんです。
その子が触覚過敏なのか、未発達なのか、危険を察知する発達段階か、は雰囲気が全然違いますよ。
感覚は言葉で表せませんので、やっぱり雰囲気で視る必要がありますね。
それを磨くためのベースが、ヒトの発達という視点であり、自らの感覚、身体を日頃から整えておくことです。

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