2020年3月5日木曜日

【No.1023】私達は不必要なものに囲まれ生きている

連日、うちは学童保育所か、保育園か、という具合に、家の中で息子たちが騒いでいます。
通学できず、通園できず、それでいて友達と遊ぶこともできない。
少しでも、外で遊ぶ機会を、家の中で楽しいことを、とは思っているのですが、親としてできることには限度があります。
でも、こうやって兄弟がずっと一緒にいることは今まで少なかったので、やいのやいのと喧嘩しつつも、二人にとっては貴重な時間なのかもしれない、と思っています。


いろんなお子さんの発達と関わっていますので、我が家でもゲームは買い与えていません。
ふと、こういったときに、「ゲームがあれば…」なんて考えることもありますが、長い人生、脳が柔らかい時期への影響を思えば、これで良かったのだと思います。
やりたければ、もう少し成長してから、大人になって、腐るほどやればいい。
他の家庭の話を聞けば、「一日、ゲーム」というところもあるようですが、本来、子どもというものはたくましく、創造性豊かですから、うちの子も、いろんな絵を描いたり、工作したりして、この時間を楽しんでいるようです。


大人の私も、週末外出禁止、ジムにも行けず(涙)という状況ではありますが、案外、家の中でどうにかなるものです。
平時は、当たり前だと思っていたものも、案外なくても大丈夫。
むしろ、いらなかったのでは、余分に持っていたのでは、と思うことばかりです。
30年前の子どもも、制限のある今だからこそ、気が付くこと、創造性が刺激されることが多々あるように思う今日この頃です。


ある親御さんとお話ししていて、「療育も全部、中止になった」ということがありました。
そこで私は、その親御さんに訊いたわけです。
「療育に通わない状況で、お子さん、どうですか?」と。
すると、「何も変わらない」という返事がきたのです。


活動が制限され、家の中で過ごす時間が長くなると、「家でできる発達につながることを」と考えられるご家庭が多いと思います。
子どもにとっての1ヶ月は、とても長く、とても貴重な時間だといえます。
ですから、何か1つでも発達につながるようなことを考え、実行することは大事です。
しかし、それだけではなく、こういった機会だからこそ、今まで受けてきた支援、療育、教育を振り返ってもらいたい、と思うのです。


今、目の前にいる我が子に、支援、療育、教育は、何をしてくれたのか?与えてくれたのか?
半強制的ではありますが、一旦、ゼロになったとき、改めて見えてくることがあるのだと思います。
療育に通うことが当たり前だと思い、通ってきたけれども、そこでどんな発達、成長があったのか、学びがあったか。
通っていない今、お子さんは、家の中で発達、成長はしていないでしょうか。
それとも、今までと変わりなく、少しずつできることが増え、発達、成長が見られているでしょうか。


日常のルーティンが崩れたとき、家の中で大変な状況、不安定な心身の状態が続いてるというお子さんもいると聞きました。
こういった不測の事態だからこそ、日頃の支援、療育、教育の成果が表れるのだと思います。
もし、このような状況や変更において、心身が大きく乱れるとしたら、自立への道はまだまだ道半ば、先は長いといえるでしょう。
自立とは、自分の足でしっかり立つということです。
つまり、自分の内側にしっかりとした軸を持つ、育てるということです。
自分軸がしっかり確立されていない人は、自身の選択でなく、周囲からの刺激によって心身が連れされられていく。


支援者は往々にして、「こういう事態だから、変化に苦手な子ども達だから、仕方がないですね」みたいなことを言います。
でも、子ども達のこの先の人生を、ずっと変化のないようになんかすることはできません。
だからこそ、療育があり、教育があるのだと思います。
もし「障害だからね」みたいな言い方をする支援者がいたとすれば、「だったら、あなたのところで育つことはないですね」と切り返しましょう。
最初から特性でどうにもならないのなら、支援も、療育も、教育も、受ける必要はないのですから。


この状況は、私達支援者の質、腕が試されるときでもあります。
日頃、偉そうなことを言っていたとしても、関わりが無い今、その子に何も残っていなければ、それまで。
親御さんは、通うことが目的となっていなかったか、または、もうその人から教わることはなくなっていたのか、を改めて感じるときでもあります。
私もそうですし、他の心ある実践家の人達も同じだと思います。
私達は、その瞬間、発達という側面から関わり、本人の自立を一番に目指している。
ですから、「もうお願いすることはないな」「もう必要な援助は受けた」と感じられるのでしたら、卒業してもらって構わないのです。


この前、出張訪問した親御さんから、「私たち家族は大丈夫だと、この子はちゃんと治っていくと、改めて思うことができました」とメッセージを頂きました。
このご家族に限りませんが、私が実際に訪問し、お伝えしたいことは、まさにこれです。
支援者のできることなんて、ごく僅かです。
どう頑張っても、家族の育み合いには敵いませんし、やっぱりお子さんの発達障害を治していくのは親御さんであり、家族です。
治しているご家庭は、「良い人と出会えた」というようなことをおっしゃいますが、実際はそのご家庭が素晴らしい努力をされているだけ。
私達支援者なんて、数多あるきっかけの一つ、刺激の一つでしかないのですから。


皆さま、療育を休んでも、おうちで成長しているでしょ、お子さんは。
数か月に1度の診察に通っても、何かが特別に変わるわけじゃないでしょ。
ある親御さんは、「この前、風邪で一回診察飛ばしたら、親子で気持ちが穏やかで~」なんてことを言っていました(爆)
診断を受けた人は、定期的に診察を受けなきゃいけないなんて決まりはないのですよ。
同じように、発達障害の子は療育に通わなければならないという義務もありません。
義務教育ならず、義務療育になっていませんかね。


こういったときだからこそ、今まで受けてきた過去の支援、療育、指導を振り返る。
そして、きちんと評価する。
どんな仕事も、結果がすべて。
プロセスが評価されるのは、高校の部活動まで。


同じように、今、受けている支援、療育、指導も評価する。
休んでいる今も、なんら影響がなければ、意味がないか、卒業の合図。
また、今、心身が乱れているのなら、日頃の支援、療育、指導の方向性の見直しが必要だということです。


案外といいますか、結構、療育、支援、教育なんて受けなくても、子どもは自ら動き、考え、学び、育っていくものです。
非常事態に、支援者ってあまり役に立たないでしょ。
相談しても、決まった返事しか戻ってこないでしょ。
教科書通り、「見通しを」「楽しいことを」「刺激を減らして」くらいなもの。
役に立っているとしたら、それは発達に対する支援ではなく、物理的な援助について。
つまり、預かってくれること、見てくれていること、発達援助ではなく、介護&レスパイトという面で。


あることが当たり前のときには、見えづらかった必要、不必要。
本当に必要なものは、案外、少ないものです。
休みが長くなれば、「子どもが通ってこない分を補償して」という声が上がってくるでしょう。
それもまた、支援者の本質を見る良いきっかけとなります。
発達に関しては、家族で十分です。
一方で、支援者にとっては、発達障害の人が必要ということですね。
そりゃあ、治ってほしくないわけです、治った人を全力で否定するわけです。

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