2020年3月19日木曜日

【No.1032】3分診断

「3分診療」なんていうのは、大きな病院では、それくらいで患者さんを診ていかないと、経営が成り立たないという意味があるそうですが、これが「発達障害の診断でも行われている」と聞いたら、みなさんはどう思われるでしょうか?
私のところに来る相談が偏っている、特殊な事例ばかり、なのかもしれませんが、どうも、お子さんを見た瞬間に、「ああ、自閉症だね」「この子は、支援学校の子だね」と言われるケースが多く見受けられます。


地方の街なら、発達障害を専門にしている病院が限られていて、そこにいけば、同じ医師が3分診断しまくる、という話ならわかります。
でも、相談者の住んでいる場所は、南も、北も、西も、東も、という具合に、全国各地に散らばっていて、しかも、地方だけではなく、都市圏でも同じような話があるのです。


現在の医療では、発達障害は“治らない”ということになっています。
そうやって、ある意味、「不治の病」みたいなことを告げるつもりなのに、どうして、3分診断で済ませようとするのでしょうか。
親御さんとしては、とてもショッキングな内容なのに、なぜ、そのような診断に至ったかの説明がない。
親御さんが尋ねても、「その根拠の説明がされなかった」という話も、みなさんに共通していることです。


日頃、「エビデンス」「エビデンス」という割には、我が子が自閉症であるエビデンスが示されることがありません。
まあ、最初から、自閉症やADHDなどの診断自体に科学的な根拠がないのですから、仕方がないことのでしょう。
文章で記述されている診断項目を見て、医師が当てはまるか、当てはまらないか、をジャッジする。
そのジャッジ、判断に対する根拠としては、「私には当てはまるように見えたから」としか言えない。


そうなると、現在、どこでの診断待ちの列が長くなっている状態ですので、ある意味、早くさばくために、3分診断が全国どこでも見られるようになる。
そして、早くさばきたい医師にとっては、「どうして我が子が?」という親御さんの問いが、煩わしく感じるのかもしれません。
診断を受ける人の多くは、診断名を受けたがっている人でしょうから。
「発達障害じゃ“ない”」という言葉を聞きたくて、受診する人はそんなにいないはずです。


以前、「診断は時間がかかるのにお金にならなくて、経営ができなくなるから、少量の薬を出す」と堂々と言っていた医師がいましたが、数をこなしたい医師と診断名をもらいたい患者という関係性の中で、今のような3分診断が生じているのだと、私は推測しています。
お互いの利益が一致していますので。
そんな中で、私のところに「治したいんです」「親として子育ての中でやれることをやりたいんです」というような親御さん達は、向こう側に立てば、異質な存在。
ですから、私のところに来る相談者に同じような傾向が見られるのだと思います。
ここで、怖い想像をすれば、こうやって「おかしい!」と思わない、声を出せない親御さん、患者さんが、3分診断だけで、「はい、そうですか」となってしまう人が、どれほど、多くいるのか、ということです。


私は医師でもなんでもない、ただの支援者の一人ですので、診断ができるわけでも、するわけでもありません。
でも、お子さんとお会いした瞬間、「スペクトラムのこの辺りだな」「診断名は、ADHDとなっているけれども、本来は定型のお子さんだな」「自閉っぽいけれども、未発達の成長過程でそう見えているだけだな」というのは、わかります。
というか、これが瞬時にわからないようでは、雰囲気で掴めないようでは、支援者という仕事はできないと思っています。


で、分かったとしても、大事なことは、確認だと考えています。
「スペクトラムのこの辺り」というのなら、成育歴、発達の流れを読みながら確認していきます。
もともとは定型のお子さんなら、どうして、今、自閉っぽく、ADHDっぽく見えているのか、発達が遅れているのか、を原始反射や運動発達、感覚等、その理由を探っていきます。
支援者の仕事は、障害のあるなしを判断するのではなく、その人がより良く発達、成長するための後押しをすること。
それには、「自閉症か、否か」ではなく、「なぜ、自閉症に見えるのか」という視点が必要です。


本来、自閉症という単体があるのではなくて、総合的に、いろんな要因と行動が重なり合って、一つの自閉症という状態像になるのです。
昨日のブログとつながりますが、「長時間のメディア視聴=自閉症」というような単純な図式にはなり得ません。
持って生まれた遺伝的な要素。
そこに、胎児期も含めた環境要因が複雑に影響し合い、いろんな発達の部分での引き金となる。


たとえば、診断名がADHDのお子さん。
その多動性は、いろんな要素が重なり合い、生じているものです。
呼吸が浅くて、交感神経が優位になり続け、多動になっているのかもしれません。
自然界に存在しない目まぐるしく変わるテレビの場面展開に脳が適応してしまい、刺激を求める行動としての多動かもしれません。
筋力の弱さから、思わず動きまわっている子もいるでしょうし、自分の身体の範囲や軸がわからず、空間をさまよい続けている子もいるでしょう。
単に、親御さんから受け継いだ資質として「元気よく走り回る子」という場合もありますし、その多動さは、定型の範囲という場合もあります。
糖質過多の食生活が、多動性を生んでいる場合だってあります。
泌尿器系の発達の遅れからソワソワしたり、皮膚や聴覚の未発達→過敏→多動だって考えられます。
そして何より大事なのは、こういった要因が濃淡をつけて、その子の内側に複数存在している、ということです。


私は、「受精から現在までの発達の流れを見る」「その子の発達の物語を紡いでいく」という表現をします。
これはかっこつけて言っているわけではなく、そのような丁寧な確認、見立てをしないと、発達の課題の根っこが掴めない、つまり、根本からの育て直しができない、発達援助ができない、ということなんです。


診断基準に当てはまるかどうかは、ある程度の経験と、日本語の理解と、診断基準が書いた紙とペンがあれば、誰でもできます。
でも、そんな〇✖クイズみたいなもんで、根本から発達を後押しすることはできません。
やっぱり、「どうして“自閉症”って見られたんだろうか」「なぜ、今、発達に遅れが生じているのだろうか」「その遅れは、いつから生じているのだろうか」「その子の本来の発達の流れは、どうだろうか」という疑問の連想が大事なんだと思います。


この疑問の連想は、多くの親御さんの内側に存在しています。
その疑問に、一つ一つ丁寧に答えていくのが、私達、支援者の仕事ではないか、と思うのです。
実際、お会いして、多くの発達のヌケを抱えているな、症状が強く出ていて、将来も特性が残り続けるかもしれない、知的障害が残り続けるかもしれない、と感じる方がいます。
でも、そういったご家庭でも、支援者が一つ一つ丁寧に課題と繋がっている根っこを確認し、説明していくことによって、その中でも治しやすいところ、育てやすいところが明確になり、お子さんのより良い未来へと繋げていくことができます。
今日よりも明日が良くならないようなことは、「支援した」とはいえません。


親御さんは、診断名を聞きたくて、専門家を訪ねるわけではないと思います。
診断基準に当てはまるかどうか、この子に発達の遅れがあるかどうか、なんていうのは、専門家のドアを叩く前に、親御さんは気づき、分かっています。
親御さんが訪ねる理由はただ一つ。
どうすれば、この子の持つ課題が解決するのか、どうすれば、より良く育てていけるのか。
「やりようがある」ことを知りたくて、専門家のところに行くのだと思います。


そういった親御さんに対して、3分という時間は、どうでしょうか。
見た瞬間、家庭での様子、今までの成育歴を尋ねることなく、診断名を告げるのは、どうでしょうか。
たとえ、短い時間でも、詳しい説明がなかったとしても、訪ねたことで、より良い明日へと繋がっていくのなら、良い診断、良い支援だと言えると思うのですが…。
皆さんの周りには、より良い明日に繋がる支援に溢れているでしょうか?
ただ今日、この瞬間のための支援でしょうか?
我が子のためではなく、支援者のための支援ではないでしょうか?

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