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【No.1470】必要なのは守られる空間?

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私は素朴な疑問として 「こうやってゲームや好きなことだけをして過ごしていて大丈夫なのでしょうか?」 「こうやって自由な環境を作り、こちらから働きかけをしないのはどういった理由からでしょうか?」 とフリースクールのスタッフの人に訊いたことがあります。 面白いことに、複数のフリースクール、不登校支援に関わっている人たちから同じ答えが返ってきました。 「彼らは休むことでエネルギーを回復している」 「エネルギーが溜まったら、自ら動き出すので、それを待つ」 これが全国的な不登校支援の考えなのか、それは定型発達の子だけに当てはまるのか、はわかりません。 しかし児童デイや相談支援、医師、支援級を進める特別支援コーディネーターからのアドバイスで、このような「休む」「傷ついた心を癒す」という言葉が聞かれることもあります。 私達も落ち込むことがありますし、精神的な疲労から動き出せないことがあります。 ですから心地よい環境の中で回復を図るのも良いと思います。 でも、それはあくまで回復するまでの“一時的なもの”ではないでしょうか。 フリースクールや不登校支援の教室をのぞくと、年単位で通っている子たちが多いことに気がつきます。 心身を休める回復する場所が、いつしか心地よい場所に変わっている気がします。 変わらぬ環境、変わらぬスタッフ、変わらなぬ自由な時間。 予定調和な空間は疲労した脳には刺激が少なく休むには良い環境。 しかし、脳の育ち、脳への刺激を考えると問題が出てきます。 とくに発達障害の子ども達にとっては。 脳はたくさんのエネルギーを使いますので、省エネを目指します。 身体や感覚に不具合があったり、食事や睡眠で問題があったりすると、その傾向がより強くなります。 発達障害の子ども達は疲れやすい、心身のダメージを受けやすい、回復しづらい、という場合が多いので、そうなるとより刺激の少ない、脳を働かせなくて良い環境を求めます。 長期化する不登校、ひきこもりの背景には、そもそもキャパが少ないゆえに刺激が少ない環境から抜け出せない、一歩踏み出せないということがあると思います。 そういった背景のある発達障害の子ども達に必要なのは休息よりも、脳のキャパを増やすこと。 本来なら身体や感覚が受け持つ部分までも、頭、脳が働き、処理してしまうため、新しいことに挑戦ができないでいる。 だったら援助の方向性としては...

【No.1469】専門家のアセスメントのアセスメント

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アセスメントは大事。 そのアセスメントの中でも ①見たものをある基準に当てはめるアセスメント →検査、評価など ②症状を見るアセスメント →「これはこだわりですね」「ADHDの衝動性というものですね」 ③症状や行動の背景を見るアセスメント →「ひきこもりの原因は不安から」「愛着形成がうまくいかないのは触覚の問題」  「ノートがとれないのは、動きの発達がまだ同側の段階だからですね」 ④遅れの始まりのアセスメント →「ハイハイを飛ばした。呼吸やおっぱいを吸うことに問題はなかった。ただ“抱っこがしにくい子”だった。背中、背骨に課題があるかもしれない。首のあたりに過敏さがある。首の過敏さが始まりで、うつ伏せ、首すわりに影響し、結果的に運動発達全般に遅れが出て確認できたのが“ハイハイを飛ばした”だった」 というような違いがあり、私が発達相談で行っているアセスメントは④になります。 当然、発達の仕方、資質などは遺伝もしますので、また育った環境の影響を受けるのもヒトなので、親御さんの成育歴や祖父母の代の方たちからの話、今住んでいる環境、妊娠前後の生活などの様子も含めてアセスメントしていく必要があります。 同じように幼少期、テレビや動画などを観て過ごした子でも、言葉に遅れが出る子、出ない子がいます。 そこには三代を辿っていくと、ことばに関して脆弱性を持っていると考えられる人がいる、といったような遺伝的な要素も関係している場合があります。 また学校や園で人とうまく関われない子の親御さんも他人と関わるのが苦手で、よく聞けばおじいさんも地域で有名なキャラが濃い人だったという話もあります(笑) そういった場合は身体の不具合や未発達の部分は育て治したほうが良いですが、対人関係はその子の受け継いだ資質、キャラとして“伸ばす”または“活かせる場所”を作る方向が良いと思います。 「遅れているところはすべて治療対象ではない」というのがわかるのも、④のアセスメントだからです。 いろんな場所、専門機関、専門家のアセスメントをたくさん受けてきたご家族は多いと思います。 しかし、95%くらいのご家庭はアセスメントは受けたことに満足し、丁寧にファイリングし、棚の中に大切にしまい、数年間熟成させます(笑) 私がこの仕事をはじめたのも、そういった活かされないアセスメント問題に気が付いたからです。 2日間の検査、ア...

【No.1468】1.2万年前と変わらない身体機能を持つ

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基本的に縄文人と私たち現代人の身体の機能は同じです。 いまはビルの中で生きている私たちも、身体は森や草原、自然の中で生きるために作られています。 ですからヒトが運動するとき、それはすなわち生命維持に直結するものになるのです。 生命維持のための運動と言えば、「獲物を捕る」と「天敵から逃げる」の2つ。 獲物や植物、貝など食べ物を採集するために運動します。 そして自分の身に危険が生じる場面、熊やイノシシなどと出くわしたときに逃げるために運動します。 そんなとき、身体はどういった機能を発動しているのでしょうか。 まずは正しい姿勢、負担がないような安定した姿勢を維持する必要があります。 その目的に即した姿勢が取れなければ、食べ物を採集することはできませんし、自分が動物の食べ物になってしまいます。 また姿勢と同じように目の機能を維持することも大事です。 身体の動きに合わせて視点がブレるようでは目的は達成されません。 日頃、ほとんど意識していませんが、私たちの目には補正機能があり、動いているものを捉えたり、距離感を把握したり、視点を移動させたりすることができるようになっています。 そしてこれは実感しやすいと思いますが、運動時の体温調整、発汗、消化、ホルモン、呼吸等の調整が行われたり、脳を働かせ(覚醒)、集中力を高めたりもしています。 ひと言でいえば、自律神経に関連する機能です。 このように私たちの“運動”には様々な機能が発動されているのです。 自閉っ子と運動の関係でいえば、家の中でほとんど動かないおとなしい子がいたり、反対にせわしなく家の中を動き回る子がいたり。 おとなしい子は動きが少ない分、覚醒状態が低くなるため、ボーとしていることが多いと思います。 背景には運動発達のヌケなどがあり、十分に運動できるだけの身体が育っていないことが影響しているといえます。 つまり、うちの子、「いつもボーとしている」「集中力がない」「新しいことをする意欲がない。学習しようとしない」というのは運動に関連する機能が発動される機会が少なく、そのためにそれらの機能に発達の遅れが出ている状態と考えられます。 活発に動き回る子はこういった機能が発動される場面が多いと言えます。 しかし、この子たちの問題は「発動の機会がない」ではなくて、「発動する機会はあるけれども、うまく発動していない」ということが考えられます...

【No.1467】発達の遅れにははじまりがある

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「そんな“発達が遅れた原因”に目を向けようとするのは、大久保さんが愛着障害がないからだね」 以前、ある人から言われたことがあります。 たしかにそれもあるでしょうが、やっぱり「治る」と主張するからにはそこは避けては通れません。 「改善するけど、治らない」おうちの中には“症状が重い”以外に、阻害要因をそのままにしている、または阻害要因を考慮した子育てができていない場合が多いといえます。 ハイハイを抜かした子には、ハイハイを抜かす理由があるのです。 サークルの中に入っていたため、自由にハイハイができなかったかもしれません。 動画を観ている時間が長かったため、赤ちゃん用の椅子に座っていることが多かったため、ハイハイをする必要性がなかったかもしれません。 足の指が育っていなかったため、ズリバイがやりきれず、結果的にハイハイを飛ばしたのかもしれません。 触覚の過敏さがあり、うつ伏せが嫌でできなかったのかもしれません。 背骨、首の未発達があり、うつ伏せになって頭を持ち上げられなかったのかもしれません。 不安が強く、母親の愛情を受け取れる身体の状態ではなく、自ら動き出すことができなかったのかもしれません。 お母さんのおなかの中でうまく動くことができず、または動き回る練習をしないまま生まれたため、自分の身体を両手両足で支えられるだけの前庭感覚が育っていなかったのかもしれません。 へその緒が首に絡まっていたため、首にトラウマがあり、運動発達の始まりの呼吸から遅れが始まり、結果的にハイハイまでたどり着かなかったのかもしれません。 ハイハイ一つとっても、環境面、資質面、成育歴と様々な要因が考えられ、それも複数が絡み合っています。 言葉の遅れや対人面の遅れなど、より高次な能力となれば、その土台となる発達課題は多く、その遅れた背景まで考えるとかなり多様なパターンとなります。 同じ言葉の遅れがある子でも、遅れた理由は一人ひとり違います。 発達障害の発達の遅れ方は多様です。 私が発達が遅れた理由、背景にこだわるのは、そこに治るヒントがあるからです。 胎児期の栄養状態が発達の遅れにつながっているのなら、身体アプローチよりも、栄養や食事の見直し、そこから丁寧に育てていくことが優先順位が高いといえるでしょう。 右脳が優位に育つ0歳から2歳の間にデジタル刺激に偏った生活をしていた子なら、まずはそういった刺...

【No.1466】自動販売機のようなアセスメントとアプローチ

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ひと昔前は発達障害の子ども自体を変えようとすること、症状自体にアプローチすることに否定的な意見が多かったと思います。 それは脳の障害ということを信じていたからかもしれませんし、症状を改善、治療する方法を知らなかったからかもしれません。 時代は進み、身体アプローチが標準化し、発達障害自体が固定化されたものではない認識が広まりました。 それは書店に並ぶ特別支援系の本をパラパラッとめくっただけでもわかります。 この頃はめっきりTEACCHも、ABAも、棚に並ばなくなりました。 症状は改善できること、発達障害は治療の対象であること。 身体を通した神経を育てるアプローチが広まったことは嬉しく思います。 だけど、私は物足りないのです。 私にはそのほとんどが対症療法にしか見えないのです。 神経を刺激し、育てようとするアプローチを謳っているのに、発達の遅れの原因は「脳の障害」とひと言で終わっている支援者や本の数々。 「アセスメントが大事」と言っている割に、それは表面的なレベルのアセスメントで終わっているな、と思うことばかり。 たとえば、授業中に大きな声を出してしまう子のケース。 その子をアセスメントすると 「姿勢保持ができていない」 「机や子どもの声に反応する」 「掲示物が揺れるとそちらのほうに意識が向いてしまう」 「字を枠内に書くことができない」 「友達との距離感が近い」 などが確認される。 で、その理由が前庭感覚の未発達だったり、聴覚過敏だったり、ハイハイを飛ばしたなどの運動発達のヌケだったり。 これでアセスメントは終了で、じゃあ、感覚を育てましょう、運動発達をやり直しましょう、となるのが一般的な流れ。 でも、これって薄いアセスメントだと思う。 たぶん、私が発達相談、レポートでこういったレベルのものを提示したら文句を言われると思う。 もちろん、私のお客さんは良い人ばかりなので、そういったことは直接言わないと思うけど、私だったら許されないレベルだと思います。 聴覚過敏がある子に聴覚の未発達があるから、耳を育てましょう、で良いのか。 それで世の中の親御さん達は満足なのでしょうか。 感覚の問題や運動発達の問題など、ともに生活している親御さんなら聞かなくてもわかっているものです。 わざわざ支援者、専門家が偉そうにやるアセスメントなのでしょうか。 私が親だったら、聴覚の未発達もわかるし、...

【No.1465】右脳が育っていないケースが多い

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発達障害の子は「発達が凸凹している」と言われる。 この凸凹とはどういうことだろうか。 できるところとできないところの差が大きい。 同年齢の子と同じように発達している部分もあれば、大きく遅れている部分もある。 人はだれしも得意なところと不得意なところがあるものだから、みんな、多少なりとも発達が凸凹している。 全領域が直線的な発達なんてことは考えにくい。 とすれば、発達が凸凹していることが問題なのではなく、できない部分が足を引っ張って生活や自立に支障が出ていることが問題なのだろう。 発達の凸凹でいえば、圧倒的に多いのが「左脳>>>右脳」 左脳が優位に育っていて、右脳の発達が遅れている。 左脳は育っているけれども、右脳の遅れが顕著にみられている。 右脳は感情や直感。 ちなみに左脳は言語や論理。 どっちも人間社会で生きていくために必要なので、その左右差が大きくなると生きづらさに繋がっていく。 ロゴや数字、文字を覚えるのは早かったけれど、人の顔を描くことができない。 言葉は話すけど、感情のやり取りのようなコミュニケーション手段としては使えない。 計算問題は得意だけど、文章問題はさっぱり。 勉強はできるのに、社会的なルールや規範は理解できない。 0歳から2歳までは右脳が優位に育つ時期になります。 この時期はいろんなものを触り、口に入れ、全身を使って様々な刺激を浴びる時期でもあります。 この時期にそれらを十分に満たすだけの環境が得られなかったり、それよりも反対側の左脳を刺激するようなデジタルな情報で生活が埋まっていたりすると、右脳が育たないまま過ぎてしまう。 3歳から4歳になると、左脳が優位に育ち始めます。 中には0歳から4歳までずっと左脳ばかり育つ環境で過ごしたと思われる子もいます。 「スマホにこもりをさせてしまった」と後悔の念をおっしゃる親御さん達が多いのも事実です。 発達障害が遺伝的な障害だとすれば、宮古島で起きた「8年間で44倍」といったことは起きないでしょう。 やっぱり生まれつきの障害ではなく、後天的な影響が大きい“現代病”の一つだと考えられます。 生まれつきの障害が良いという人もいるようですが、私は後天的なほうがずっと良いと思っています。 後天的だったら、治る可能性、障害自体がよくなる可能性があるのだから。 このように左脳と右脳の育ちのバランスが崩れてしまった子には、...

【No.1464】模倣する力を育てよう

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ことばの発達において、「模倣」は大事です。 聞いた音を模倣することで学習していくからです。 しかし、ことばの模倣はもちろんのこと、模倣自体、ほとんどしない、できない、という子も少なくありません。 発達検査や知能検査で「模倣の項目が低く出た」というご家族も多いのではないでしょうか。 定型発達といわれる子ども達は身近にいる家族の動きを見たり、言葉を聞いたりして文化的な行動を身に付けていきます。 靴下を履くというのを目の前で見せると、同じようにやってみようとする。 最初はできなくても、繰り返していくうちに指の動き方を覚え、自分で靴下が履けるようになる。 しかし、自閉っ子は靴下を履いているママを静かに見ている、といった感じです。 そうなると、なにかを教える手段がすべて動作誘導、つまり、手をもってあげて一緒に動かしてみるということがメインになり、それだと感覚過敏や多動傾向のある子は難しくなります。 で結局、身辺自立が遅れ、それもまた“発達の遅れ”と認識されてしまう。 「模倣する力はどうやって育てたらいいんですか?」という相談はよくあります。 「簡単な模倣から始めましょう」とアドバイスをもらうそうなのですが、私は模倣の練習よりも、模倣を知ることが先なのではないかと考えています。 模倣しない子、目の前の人の行動に反応しない子は、そもそも模倣、真似という存在に気が付いていない。 私が提案するのは、「まず親御さんがお子さんの真似をしてみましょう」ということです。 子どもさんがやっている動き、遊び、声をそのまま真似をする。 もちろん、最初は見向きもされないでしょうが、突然、「自分と同じかも」と気付く瞬間がきます。 それはことばを覚えるプロセスの一つと同じように、最初は「あー」とか「ピー」とか身体のままに発声した子が、それを真似する母親の声にハッとなり、お母さんの声と自分の声を一致させていくのです。 どういった行動を真似するのが良いかと問われれば、いろんなご家庭をみていると、やっぱり子どもさん自体が好きな遊び、繰り返している動きや声などが良いと思います。 そういった熱中する行動は快の感情と結びついていることが多く、快の感情は神経に強い刺激として伝わっていくからです。 先ほどのことばを覚えるプロセスでも、人間特有の人から反応があると嬉しい(「共感の快」)という能力がありますので、声を出して...

【No.1463】「言葉の遅れ」とひと言ではいえません

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「言葉の遅れ」とひと言でいっても、その状態、発達段階によって育て方は変わってきます。 『発声の段階』は何かを伝えようと意図をもって発しているというよりも、感情が高ぶって「あー」と言ったり、手を動かすように喉を動かして遊んだりしている状態(赤ちゃんに共通してみられます)です。 動物に広く見られる“運動”に近いかもしれません。 ですから運動の段階の子には運動が必要になります。 内的な変化に対して発声を通して反応している。 発声を続けていくことで、周囲から見ればやりきらせてあげることで、運動機能としての喉や口、そして鼻も、肺も、育っていきます。 育っていく中で発声にバリエーションが増え、同時に発声をコントロールする力も身に付けていきます。 この段階の子ども達に必要なのは、内的な変化への反応の段階から自らでコントロールできる段階へ進むことなのです。 自分の意思で発声することができ、かつ複数の発声を使いこなせることが、コミュニケーションとしての言葉の土台になります。 明確な言葉はいえないけれど、意図をもって「あー」とか、「うー」とか発している段階。 そういった子ども達に必要なのは認知機能の向上になります。 自分の発した言葉に対する周囲の反応、その場面や状況といったパターンを覚えていく必要があるからです。 「あ、あ」と言ったら、お母さんが来てくれた。 お母さんを呼びたいときは「あ、あ」と言ってみよう。 最初は偶然発した言葉に対する偶然の一致の対応かもしれませんが、それを少しずつ覚えていきます。 施設で働いてきたときもそうですが、やはり知的障害の状態がこの段階でとどまるか、次の段階へ進むか明確に出ていました。 ではこの段階の子に必要な認知機能の向上とは? それは文字が読めるとか、書けるとかといったものではなく、運動機能を高めることになります。 言語中枢といわれる脳の部位は運動機能を司る部位と関連しています。 身体を大きく使う動き、それはすなわちいろんな身体の部分を連携させて動かすということ。 動きのバリエーションを増やすこと、いろんな動きをすること自体が脳を刺激し、認知機能を向上させます。 さらにコミュニケーションとしての言葉は、なにかを使える道具でもありますので、ボールを転がしたり、ティッシュをとったり、スコップでモノを叩いたりというような道具の操作が脳を育てますし、機能として...

【No.1462】支援が足りないから強度行動障害になる?

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時々、行動障害を持ったご家族のもとへ伺うことがあります。 強度行動障害の人達が住む施設で働いていた経験があるからかもしれませんし、そもそも相談にのってくれる機関が少ないからかもしれません。 訪問すると、「支援機関は相談には乗ってくれるけれども、実際に家まで来てくれるところはなかった」とおっしゃるご家族もいました。 推計ではありますが、強度行動障害を持つ人は全国に2.5万人もいて、その多くの人が家で過ごしている状況です。 グループホームも増えてはきていますが、行動障害を持つ人は断られる場合がほとんどなのが現実なのです。 強度行動障害まではいかなくとも行動障害を持っている人、また大人だけではなく子どもさんもいます。 そういったご家庭に伺ってみると、気づくこと、共通することがあります。 親御さんが言う「突然のパニック」の多くは、フラッシュバックが起きていると考えられます。 それまでご機嫌に過ごしていたのに、急にパニックになって暴れだす。 きっと嫌なことがあったんだろう。 ストレスが溜まっていたんだろう。 見通しが持てずに混乱したんだろう。 ペースやこだわりを崩されて爆発したんだろう。 言いたいことが伝わらず怒りで表現したんだろう。 もちろん、こういった背景、周囲の解釈が当てはまることもありますが、その場合は暴れ方が違います。 持続時間が短いですし、こちらの指示や言葉が伝わる接点がある。 しかし、フラッシュバックが背景にある場合、混乱状態が長く続きます。 こちらの言葉が届かなくて別の世界に行っているかのよう。 目の焦点が合わないですし、苦しみから逃れようとしている姿が映し出されます。 自傷の雰囲気、味わいが苦しいという訴えではなく、自らを滅ぼそうとする行為にみえるのです。 今の支援の中心は 混乱させないように見通しを持たせよう コミュニケーションの代替手段を使えるようにしよう 刺激を減らしてストレスを減らそう また自分や他人を気付ける行為、問題となりえる行動を事前に止めてできなくさせよう ということになります。 そうです。 これはフラッシュバックに対する支援ではありません。 強度行動障害の研修で展開されている内容は自閉症支援と同じなのです。 行動障害を持つ人が家を出て、入所施設やグループで暮らし始めると、パニックが減るということは珍しくありません。 その理由は家の中にフラッ...

【No.1461】「賢いお子さんだな」と感じるとき

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「賢いお子さんだな」と感じることは発達相談の場面でたくさんあります。 言葉は発しないけれど、知的には重度とされているけれど、周りが想像している以上にいろんなことがわかっていて、できる能力を持っている。 だけれども、そこが気づかれていない子が少なくないと思います。 親御さんと話をしていても、「本当はうちの子、もっとできると思うんです」「結構、わかっていると思うんです」という言葉はよく聞きます。 親御さんは我が子の力に気が付いているんですよね。 でも診断は自閉症だったり、知的障害だったり。 確かに同年齢の子と比べてできないことが多い。 だから、そんな素直な想いに蓋をし、モヤモヤした気持ちを抱えて子育てを続けていく。 でも、本当に専門家の言うことは正しいのでしょうか? 親御さんの見立ては素人の見立てで、常に間違っていると言えるのでしょうか? 人の知能をすべて測定することはできません。 ましてや、その子の成長する力、可能性、未来を測定することはできないのです。 検査結果に一喜一憂する親御さんは多いですが、それはあくまで現時点での限られたポイントに対する評価です。 検査結果がその子のすべてでも、将来を決めるものではありませんね。 「そういう面もあるよね」くらいか、「サービス申請のための資料作りの一つ」というくらいの認識で良いのです。 事実、専門家の見立てとは異なる将来を歩んでいる若者たちがいます。 専門家の見立て通り、たとえば「この子は生涯、支援が必要だ」「言葉は出ない」「仕事や進学なんて無理」と言われたことがそのまま事実になるケースの多くは、専門家の言葉をそのまま鵜吞みにする家庭だといえます。 いや、鵜呑みにしている風で諦めた家庭、専門家に丸投げ、自分のせいじゃないからと割り切った家庭といえるかもしれません。 幼いときから専門家の言う通りに支援し、選択し、受け入れてきた。 そういった家庭の子は、みんな、支援の世界から出ることなく生きていく。 でも冒頭で紹介した通り、周囲が気づいていないけど、検査結果に表れないけど、「賢い」と感じる子ども達がたくさんいます。 そういった子は、「首から下の未発達&未接続」と「代償による凸凹発達」の2パターンが考えられます。 「首から下の未発達&未接続」とは、頭は活発に動いているけれども、身体が育っていなくてうまく能力が発揮できていない状態。 ま...

【No.1460】親の熱量 子の熱量

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スポーツ少年団でもそうですし、ピアノなどの習い事もそうですが、「親の熱量が子どもを上回ってはダメ」というのがありますね。 時々、公園などで親御さんのほうが向きになってスポーツを教えている場面を見かけます。 最初は好きで始めたスポーツや習い事も、いつしかやるべき“作業”になったり、親御さんの機嫌をと取るための“手段”になったりする。 いろんなアスリート、一芸に秀でた子を育てた家族の調査研究では、やっぱりそのものが「好き」「楽しい」という子どもの気持ちを阻害しないような配慮と環境があったことがわかりましたね。 だからこそ、子どもの「好き」を親御さんの熱量が上回ってはならないのです。 ちなみに中学、高校年代くらいになると、指導者の熱量が移ることもあるため、一概に成長を阻害するとはいえないようです。 それでも、そのものが好きで続けている子には敵わないようですが。 これは子どもに共通する特徴であり、子どもらしい発達の仕方だといえます。 発達相談でいろんなご家庭と関わりますが、「この子を発達させてやるんだ」という熱量が高くなると、あまり良い結果がでません(笑) 時々、目やテレパシーで私に「うちの親、どうにかしてくださいよ、大久保さん」と訴えてくる子もいます(笑) 一時期話題にもなりましたが、「はい、ハイハイ、5往復!」「はい、揺れる動き、左右で50回!」「はい、トランポリン、3分連続!」というような感じ。 一方で、私がよく言っている「子どもが育てたいところ、今、育てているところを育てる」という方針のご家庭は伸び始めたら一気に伸びるといった感じです。 このポイントは「意識」だと考えています。 対象の刺激に意識が向いているとき、意識が集中しているとき、強い電気信号が神経に流れます。 子どもの様子でいうと、そのモノ以外目に入っていない状態です。 子どもの発達の仕方の特徴として「繰り返す」「没頭する」があります。 とにかく(私たちから見れば意味が分からなくても)その行動を繰り返す。 ご飯やほかの活動があったとしても、お構いなしに没頭している。 「時間を忘れて」がまさにその状態です。 子どもが繰り返し行っている動作に対して、「自閉症の特性」「常同運動」「こだわり」などと捉えられてしまう場合があります。 そうすると、それは止める対象になり、注意を別のモノへと移そうとします。 これは私が学生...

【No.1459】「自己肯定感」と「チャレンジ」

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発達障害の人は「自己肯定感が低い」と言われていますね。 だからその自己肯定感を下げないように「否定語を使わない」「無理させない」 自己肯定感が上がるように「褒める」「できることだけをやらせる」という支援が奨励されています。 確かに彼らの自己肯定感は低いといえます。 でもそういった“いい子ねよちよち”で自己肯定感は下がらないのでしょうか。 それで上がるのでしょうか。 そもそもなぜ、自己肯定感が低くなるのでしょうか。 それこそ発達障害なので、「生まれつき自己肯定感が低い」というのでしょうか。 私は自己肯定感が低い赤ちゃんなどいないと思います。 生まれたときから「俺ってダメだな」と思っている子などいないでしょう。 赤ちゃんは今だけの世界で生きている。 過去もなければ未来もない。 あるのは今だけで、そこに集中して生きているので自己がうんぬんという段階ではありませんね。 そして自分の意識がはっきりし、周囲の環境、刺激に気が付いた乳幼児の子ども達は自信にあふれたような行動をします。 気になるものに手を伸ばし、どこでもここでもまっしぐらに進んでいく。 私が思うに、人は自信をもって生まれてくる。 結果や他者の評価なんて関係なく、自分は何でもできると思って行動するのが本来の子どもの姿。 ということは、発達障害の子ども達、人たちの自己肯定感を下げるのはチャレンジの機会の喪失ではないでしょうか。 挑戦したけれども、挑戦できない、行動できない。 発達障害の子の挑戦を奪うものは何でしょうか。 第一に自分の身体に生じている不具合でしょう。 動きたいけども、運動発達のヌケがあってうまく身体を操作、連動することができない。 感覚過敏があって刺激に圧倒されているから、動こうにも動けない。 母親の愛情を身体が気づけないから安心よりも不安が大きくなって動けない。 そしてもう一つ大きいのが他者評価による機会の取り上げです。 発達に遅れがあるから〇〇は難しい。 そういってチャレンジの機会が奪われることが多いのも事実。 支援や療育を受ける結果、同年齢の子たちが得る体験に参加することができない。 喧嘩しようとしても、なにかトラブルが起きようとも、間に支援員が入って事前に止められる。 支援級の子は6年間、「同じドリルをやるだけ」という話もいまだにあります。 支援学校に至ってはほとんどの子が教科書さえ配られない。 ...

【No.1458】「無人島に行きたい」と親御さんが言ったら

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インスタでフォローしている児童デイさんの投稿を見るのが私の楽しみになっています。 とにかく子ども達がキラキラしているんです。 活動内容も、自然豊かな場所でたくさん遊んでいる様子があったり、芸術活動をしている様子があったり。 スタッフの皆さんも心から楽しんで子ども達と、子ども達の成長と関わっている様子が伝わってきます。 地域の資源、その土地全部を使って子ども達の成長を後押している感じ。 もしてらっこ塾が立ち行かなくなったら、私が就職したいくらいです。 本当に素晴らしい施設というのは「お金を払ってでも利用したい」と思うようなところで、この児童デイさんは国からの給付金なくてもやっていけるくらいなポテンシャルと質を持っているでしょう。 でも本来はそうでなくちゃ。 給付金前提のサービスしかできないところに何かを期待すること自体が無理な話ですから。 私が学生だった頃、自閉っ子のお母さん達は「無人島に住みたい」とよく言っていました。 その意味は「刺激の少ない環境だと自閉症の人は落ちつくから」といったものでした。 確かに無人島に行けば、注意を奪う目に入る刺激や不快に聴こえてしまう人工音がありません。 当時、頻繁にパニックになる子が多かったので、また支援自体も「環境調整+刺激を減らす」ばかりでしたので、私も無人島のような環境が彼らにとって幸せじゃないかと思っていました。 しかし発達援助という仕事をしていく中で、また発達障害自体が改善し、治っていく人たちを見ていく中で、無人島のような環境はむしろ刺激が多くて、積極的な意味で自閉っ子たちが育つ環境だとわかるようになりました。 施設の中で支援や療育を受けている子よりも、環境的にも、子育て的にも自然な方が刺激が多くて伸びていく子が多い。 理由はとても簡単です。 自然界に四角や直線はありません。 すべての刺激が不規則で、かつ常に作られては壊されている。 つまり、この刺激の揺らぎ、多様性、無限性が豊かな刺激となって子ども達の身体に、脳に、届いていくのです。 早期診断、早期療育に頑張ってきた家族が、その支援の枠から抜け出し、「全部やめた」とした途端、子どもさんがググっと伸びる、大きな変化がみられることは珍しくないことです。 むしろ支援をしてきたことが子どもの発達する力を妨げていたのでは、と感想を述べられる親御さんもいるくらいです。 それは支援自体が...

【No.1458】開業14年目です

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4月2日を開業日にしたのは、理解ばかり叫ぶギョーカイの青いお祭りへの当てつけでした(笑)決算報告書をみれば募金のほとんどをライトアップに支出。 いいように代理店にやられたのでしょう。 まあ結局、自分たちのお金じゃないし、ローカルメディアに取り上げられれば良いのでお構いなしといった感じ。 たった一日、建物を青くするのは打ち上げ花火と一緒で宣伝なのです。 彼らは本気で理解を求めていない。 でも親たち、当事者たちは本気で理解されれば今の生活が逆転できると信じている。 社会の理解がないから自分たちが不幸なんだと自らにも言い聞かせている。 私達がダメなんじゃなくて、社会がダメなんだということにしたい。 問題の本質は当事者たちの発達の悩みに対して答えを持ち合わせていないこと。 いや、「治らない障害」にしておくことで、公金で儲けられる仕組みを構築したギョーカイそのものなのです。 理解し、共感し、「あなたのせいじゃなくて、障害だから。社会の理解が乏しいから」とささやく。 うまくいったら(支援している)私たちのおかげで、問題が大きくなっても障害のせい。 有名支援者、教授、医師たちが講演会で「現状維持だけでも儲けもの」と主張を繰り返す。 そして「彼らに必要な支援」と言いながら、やっているのは介助であり、目的が将来、介護しやすい人に育てること。 これがギョーカイ真っ只中で働いてきた自分が見てきた世界。 身体障害など、ほかの障害を持った子ども達、親御さん達とも関わった経験があるけど、発達障害の人達、関係者ほど「理解」「理解」と言っていない。 いや、発達障害だけ突出して理解を叫んでいる。 他の障害は周囲から見てわかるから? いや、十分、発達障害の人も見てわかる。 ちょっと変わった行動をしている子、人をみれば、「あの人、発達障害かもね」と周囲は気が付く。 逆になんでもかんでも発達障害にしている感じすらある。 他の障害の人達は、もっと社会で働きたいから、勉強がしたいから、自立したいから支援とその機会を求めている。 だけど、発達障害の人達はずっと自分たちを理解してほしいと言っている。 発達障害という認知の面では社会の理解はずいぶん進んだといえます。 利用できる社会資源、支援、そして国など行政からの予算もかなり増えました。 だからあとは支援を利用して自立していってください、というメッセージが送られて...

【No.1457】「治らない」という意見と、「治る」という意見

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お母さんが仕事から帰ってきたら「お父さんが死んだ」と言おう。 そういえば今日はエイプリルフール。 今も昔も、新年度初日を愉しんでいるのは子ども達のようです。 でも息子よ、どうせならもう少しハッピーな嘘にしてくれないかな(笑) 大人の世界では「フェイクニュース」や「陰謀論」など、噓か実か瞬時に判断できない情報で溢れていますね。 ある個人や集団にとって都合の悪いものをそういった言葉で打ち消そうとしたり、逆に都合のよい方向へ誘導しようと捏造し情報戦を仕掛けたり。 人間は「最初に見た情報」と「多数派の意見」を信じてしまう傾向を持っていて、しかも日本人は「権威に弱い」ので真実かどうか確かめるよりも先にコロッといってしまう。 「最初に見た情報」「多数派の意見」「権威に弱い」 まさにハッタツの沼の正体です。 最初に「生まれつきの障害で治らない」という情報に触れ、「育て方のせいじゃない」「支援が必要」「受容が必要」という多数派の意見を信じ、非科学的な問診と行動観察のみの診断名を医師という権威がつけたということだけで受け入れる。 冷静に見れば、ハッタツのギョーカイで言われていることのほとんどが“意見”です。 新生児の脳を調べて、「この子は自閉症ですね」と診断された子も、診断した医師もいない。 育て方は関係ないというけれども、成育環境によって脳や神経発達に影響が出ることは明らかになっている。 支援や受容が必要な子や場合はあるかもしれないけど、それよりも発達の遅れを育て直すことが必要な子、育てなおすことが可能な子もいる。 同じ“意見”だったら、「発達障害が治る」も、「治らない」もその人が信じるほうを選択すればよいのです。 まあ、「治らない」と思って子育てしていると治らないので、その人にとっては「治らない」が真実になるのでしょうが。 この特に親御さんがどう捉えるか、考えるか、は子どもさんの予後に大きな影響を与えると思います。 たとえば、音に強く反応することを「聴覚過敏」と捉えるか、「耳の未発達」と捉えるかで大きな違いです。 なんでもかんでも「特性」と言っちゃうのもそうですね。 「これは自閉症の特性なんです」と言っている家庭のお子さんを見れば、それはまだ学習できていなかっただけだったり、別の課題があってうまく行動がつながっていなかっただけだったり。 多いのは同年齢の子と比べて数年遅れて出てい...

【No.1456】効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか?

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言葉が出るようになった。 おしっこがトイレでできるようになった。 文字が書けるようになった。 夜、寝られるようになった。 かんしゃくがおさまった。 服を噛むのがなくなった。 支援級から普通級へ転籍できた。 知能指数が上がった。 発達のヌケが埋まった。 いろんな“できた”と出会ってきました。 だけれども、「これをやればOK」というような共通した方法はありませんでした。 「言葉が出ない子にはこれをやったらいい」みたいな。 ある子には言葉の発達を促す方法だったとしても、別の子にはまったく効果、変化を生まないことだって多々あるのです。 それは当然ですね。 同じ発達の遅れ、課題に悩む子だったとしても、一人ひとり違いますから。 もちろん、家族だって。 私も以前は効果があった子に共通する方法が見いだせないだろうか、と考えた時期もありました。 もう四半世紀くらいこの世界で支援に携わっているので。 でも関わる家庭、子ども達が増えれば増えるほど、その目標は遠のくばかり。 知れば知るほど、育ち方、治り方には多様性があって、唯一無二の方法など存在しないと現実が見えてくる。 自分の強みは関わってきたケースの数だと思っていたのに。 しかし私はあることに気が付きました。 育ち方、治り方に共通した方法はないけれども、逆にうまくいかなかった方法、環境には共通点があることを。 こういった状態だと、子どもさんの発達はなかなか進んでいかない。 この課題がクリアされていないと、全体的な発達につながらない。 言葉が出るよりも、出ない家庭に共通する環境がある。 認知の面、とくに概念理解が進んでいかない子には共通した課題がみられる。 やっぱり「呼吸・栄養・刺激」が発達の条件で極端に欠けていると影響が大きい。 やっぱり「快食・快眠・快便」の上に育ちがあるから、ここが整っていないとうまくいかない。 睡眠の課題でも寝るのが遅いよりも、途中覚醒や起床時の不機嫌さがある子のほうが心配、など。 うまくいかないケース、なかなか課題がクリアされない、発達の遅れやヌケが育っていかない家庭には共通した状態があると思います。 ですから発達相談においても、この点を確認して、まずはそこから手を付けていきましょう、という方向でお話しています。 施設職員、学校教諭、相談員という経歴の中で、私自身、たくさん失敗したし、そういった人たちを見てきた...

【No.1455】「他人の気持ちがわからない」は特性か?

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相手の気持ちがわからない子がいます。 いや、相手の気持ちに気が付いていない子。 じゃあ、その“気が付かない”根っこは? そうです、自分の気持ちに気が付いていない。 自閉っ子に共通する特徴として、この気持ちを読む、察する力の弱さがあげられます。 場にそぐわない言動や一方的な関わり方。 これは園や学校などの集団生活の中でも問題になりますし、一緒に暮らす家族としても困るところ。 しかし、それがギョーカイ的には「特性の一つ」として定義しているので、向かう先がちぐはぐになる。 周囲が我慢するか、間に支援者が入って転ばぬ先の杖になる。 または丁寧に「〇〇ちゃん、嫌な気持ちになっているよ」と何度も説明する。 もっとアクロバティックになると、「もしあなたが同じことをされたらどう思う?」という視点の切り替えという複雑な脳機能を通して理解を促そうとしたり、無限にある場面から1つ取り出して「この場面ではこう振舞います」と暗記させたりする。 他人の気持ちに気づけない、理解できないという表面的な現象に対して、「とにかく絆創膏しなきゃ」「とにかくマスクしなきゃ」とやられてきた子たちが相談にやってくると、教え込まれたパターンで突き進む姿が確認できます。 たぶん、本人たちからすれば、意味も分からず、「指導者が一旦、落ち着くから」という想いで指示されたリアクションをしているだけ。 でそれが染みつく。 でもその場にいた指導者以外の場所に行くと、新たな問題行動して「場面に関係ない一方的な関わり方」とみなされ、重い自閉症としてレッテルの張替えが行われます。 「これだから自閉症は…」と非難の目にさらされる本当の原因は、そういった固定観念から抜け出せない指導者、支援者の貼った絆創膏だったりするのです。 こういった後天的に教え込まれ、身に付けた行動はなかなかとることができません。 だって、その行動を身に付けることは自分の身を守ること、安心へと繋がってきたから。 たとえパターン学習で応用の効かない行動だったとしても、そのときの指導から逃れるためには役に立ったのです。 「他人の気持ちに気づけない」 「一方的な関わり方をする」 そういった子の多くは自分自身の気持ちに気づいていません。 自分の内側で起こっている変化に気づけていないのです。 だから支援するのは「〇〇ちゃんが嫌な気持ちをしているよ」という他人の内側ではなく...

【No.1454】ヒトの枠組みに戻すと見えてくる

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人間、亡くなるとき、最後まで残る感覚は聴覚と言われています。 「ひとは音を聞くことから始まり、最期に音を聞いて終わる」 そんな耳は、魚が水中で音(振動)を聞くために使っていた鰓から進化したもの。 とすれば、ひとは「振動に始まり、振動に終わる」といえるのかもしれません。 水中(羊水)の振動と、空気の振動です。 お風呂につかるのではなく、もぐる自閉っ子。 プールで泳ぐのではなく、水中でじっとしている自閉っ子。 耳を手で塞いで、自ら発する音を聴く自閉っ子。 一定の動き、小刻みな動きを自ら作り出す自閉っ子。 彼らの行動は進化との向き合いと、自らの発達を育て直す退行。 自閉症を特別支援の枠で捉えると見えないものが、ヒトの枠組みに戻すと見えてくる。 同じ感覚の話でいえば、優先順がもっとも高いのが視覚で、次は聴覚。 そして触覚、嗅覚、味覚の順番になっています。 つまり、上位の感覚が強いとき、下位の感覚が乏しくなる、ということ。 スマホをいじりながら食事をしているサラリーマンは、ほとんど味がしていない。 (音がうるさい)飛行機の機内食はどんな料理も美味しく感じない。 香水が強い人と食事をしてもおいしく感じない。 とにかく味覚には邪魔が入る。 味覚以外でも、スマホ画面に集中している子どもは、言葉は耳に入らないし、ママに優しく触れられても気が付かない。 視覚に極端に偏った発達、脳の歪み。 視覚以外の感覚全般の遅れ。 色鮮やかな動画、止まることのないBGMはその他の感覚を意識に上らせない。 意識できない感覚を育てようとするのは難しい。 ヒトの育ち、原理原則から発達援助を考えると、味覚を育てたければ明るすぎない環境、静かな環境、ゆったりとした服、人工的なにおいを遠ざけることが必要なのかもしれない。 下位感覚を育てるには上位感覚のコントロール、刺激の調整が必要。 逆に言えば、上位感覚が育てば、下位感覚の異常、問題が解決する。 触覚過敏を治したければ、聴覚に解決の糸口があるかもしれない。 聴覚が育った子が「触覚過敏が治った!」と喜ぶことも少なくありませんね。 ▶発達相談の内容・お問い合わせはこちら http://terakkojyuku.com ▶Instagramのフォローはこちら https://www.instagram.com/terakkojyuku/?hl=ja

【No.1453】「問題行動」という言葉に注意

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それまでおとなしかった子が突然 「言うことを聞かなくなる」 「手や足が出るようになる」 「嫌なことがあると奇声を上げて感情を爆発させるようになる」 といった行動を示すようになることがあります。 当然、親御さんは驚き、悩み、以前のようなおとなしい姿に戻るようあれこれ原因を探って対応を考えます。 もし定型発達の子なら、その子に発達障害がないとしたら、問題と捉えることはあっても、問題“行動”と捉える人は少ないと思います。 この「問題行動」という言葉には気を付ける必要があります。 「問題行動」はすでにギョーカイ用語、ハッタツ界隈内で使われる共通言語になってしまっています。 問題行動=支援が足りていない状態、支援が必要な状態 問題行動=障害ゆえの問題 問題行動=介入すべき行動、なくすべき行動 問題行動=まさに心身の問題であり、二次障害の前段階 「問題行動」と聞くと、ギョーカイ人は パターン①おどろおどろしいものとして親御さんを脅す パターン②急にやる気を出して自分の好みの支援法、介入法を試し始める パターン③「うちは無理」と拒絶か、問答無用で投薬開始 が主な反応です。 当然、親御さんもネットや書籍、実際の支援者の言動から影響を受けて、突然現れた子どもの困った行動をネガティブなものとして捉えてしまう。 もちろん、環境の大きな変化、いじめなどの辛い体験などが影響して、おうちで「荒れる」といったことが起きる場合もあります。 しかし発達相談の場面で、詳しくお子さんの様子を確認したり、親御さんからの話を聞いたりすると、そういった明確な原因が見当たらないケースも多くあります。 不登校の子が「明確な理由がない」「自分でもなぜ、いけなくなったのかわからない」というのと似ていると思います。 つまり、原因が外(環境側)にあるわけではない。 「内側にある」ということ。 発達のヌケが埋まったり、それまで凸凹していたところ、遅れていたところが育ち、いろんなことがわかるようになった、刺激に対する感度、幅が広がった。 それゆえに(脳が受け取る刺激が)情報過多になり、脳内の処理が追い付かず、パニックになる、精神的な混乱状態になる、といったこともあります。 発達したからこその混乱であり、まさに成長痛。 赤ちゃんの「黄昏泣き」にも近いかもしれません。 認知機能が進むがゆえに、それまで気付かなかったこと、認識でき...

【No.1452】高いハードル

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「いつか…いつの日か特性を個性だと言い切れるようになりたいと思います」 ドラマ『テミスの不確かな法廷』での主人公の言葉。 同僚から「特性は個性」と言われるが、「“特性は個性”とそう言えるには高いハードルがあります」と言ったあとに続く言葉でした。 自然と涙が頬を伝うのに対して、「自分はどうして泣いているのだろう」と疑問に思う。 だけど周囲から「(長年抱えていた想いを言葉にすることができて)ほっとしたんじゃないですか」と言われると、そうか、自分はほっとして涙が出たんだと理解する。 とてもリアリティのあるシーンであり、感動する最終回のシーンでもありました。 成人した当事者の方から「職場には“発達障害”を告げた方がいいんでしょうか?」という相談を多く受けます。 これから就職面接を受ける人も、すでに働いている人も。 みなさんは、こういった相談を受けたとき、どう回答するでしょうか。 もちろん、現実の相談の場面ではなにか一つの方向を示すよりも、一緒に整理しながら本人が考えることをサポートする、になりますが。 考えるのは「本人の視点」と「職場の人の視点」 本人が発達障害だと周囲に告げることで、気持ちが楽になる、前向きになれる、もやもやが消えるのなら良いと思います。 ただ注意しなければならないのは、告げることで「ミスをまけてもらおう」「言い逃れしよう」「同情を得よう」といった気持ちがあるのなら、そこには待ったをかけます。 ミスを認められない人はどこであっても受け入れられづらい。 仕事はボランティアではありません。 仕事はサービスを受ける人、モノを買う人からお金をもらって成り立っています。 同時に会社で働く人にも家族や生活がある。 だから成果が出るか出ないかは別にしても、仕事でお客さんに、また会社のためにベストを尽くそうとすることは当然です。 ただ自分の特性を考慮すると、「別の部署、仕事の役割のほうが力が発揮できる」といった前向きな交渉は一般の社員も行うことであり、会社にとってもポジティブになることもあるのでチャレンジするのは良いと思います。 あと忘れてはならないのは、職場の人の視点です。 つまり一言でいえば、働いている人ならどう評価されているか、それとこれから面接という人はその職場はどのような職場か、です。 働いている人が毎日休まず出勤している 役割、担当に対して問題なく業務が行えて...

【No.1451】タイムリーな成長、トータルな成長

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「親の私にできることを教えてもらいたい」 発達相談の依頼のメールにはこのような言葉が綴られていることが多いです。 「発達障害は治らない」 「生涯にわたる支援が必要」 「親になったなら理解と受容が最も大事」 そういった言葉の数々には、「親にできることは限られている」というメッセージとして伝わります。 このメッセージが親御さん達を二つの方向へと背中を押していく。 「良き支援、支援者のもとへと連れていく引率者」か、「多くのことを望まない修行者」か。 必死に全国各地の支援者のもとを訪ね、平日も休日も関係なく療育、支援機関のもとへ我が子を引っ張っていく家族もいます。 子ども自身、理解が追いつかないまま、日課やタスクのようにやられるがままに療育をこなしていく。 親御さんもヘトヘトになっているが、取り憑かれたように「この道しかない」と突き進んでいく。 当然、パートナーへの負担は大きくなり、きょうだい児は年齢以上の振る舞いを身に付けていく。 発達相談の場が家族の崩壊を止める機会になることも少なくありません。 離婚や別居、施設に預ける、といった内容へと進んでいくこともしばしばです。 エピソードでいえば、まだまだハードなものはあります。 愛着障害持ちの支援者、HSPを売りにしている支援者なら、とっくに辞めているか、バーンアウトしているでしょう。 でも私は悲惨な家族の状態と直面しても、我が子に対して悲観的な想いを吐露されても、ネガティブなほうへと引っ張られることはありません。 むしろ、そういったご家族だからこそ、私は希望をお伝えできると思うのです。 元発達障害児の若者も、自閉症などの特性を持ちつつ大人になっている人も、多く知っています。 知的障害があって、一般的にイメージする自立した生活が送れていない成人の方たちも知っています。 そして彼らの多くが、その子らしく生きている姿を知っています。 確かにお金の面で、生活の面で、自由を手に入れているかと言えば、そうではない人もいます。 だけど、みんな、私達がイメージするような悲観的な人生は送っていないのです。 むしろ、楽しそうに、一般的な人よりもずっと幸せそうに生きている。 彼らは年相応なふるまいはできないかもしれない。 彼らは周囲から見れば、変人で、ヤバい人かもしれない。 だけど、一人ひとりの歩みを見れば、10年、20年遅れで、人生のイベントに...

【No.1450】どこまでいっても「N=1」

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「エビデンスのある療法をやっている」 「早期に診断を受け、早期から療育を開始している」 「著名な医師、支援者から定期的な指導を受けている」 「もちろん、私も勉強して家でも取り組みは行っている」 でも 改善しないのは 問題が解決しないのは 発達が遅れたままなのは 療育や支援、支援者から卒業できないのは 何故だろう? 私のところに相談に来てくれる親御さんも含めて、なにかが“足りないから”と思っている人が大多数なように感じます。 早期から療育を始めた人も 「ああ、もっと早くに始めていれば」 「3歳からじゃなくて、違和感を持った1歳から始めていれば」 「ABAじゃなくて、身体アプローチをやっていれば」 とよくならない理由を自分に向けてしまう。 “自分のせいにする”というのは、前提として療育、支援者側に問題がない、そっちは価値あるものとして捉えているということになります。 私もこの世界に20年以上いますので、古今東西、有名支援者、専門家という人達から直接の指導や研修などを受けてきました。 しかしギョーカイ的に著名で、凄腕と言われる支援者の多くが特定の療法に精通している人であって、目の前の人に対して優れたアプローチができるか、その人が改善し、問題を解決することができるか、といえば疑問に思う人ばかりです。 良い例が強度行動障害への支援です。 リアル強度行動障害の人達の支援に携わっていたとき、第一人者と言われるような教授、支援者の研修、講演会、コンサルも受けたことがあります。 しかし、どの専門家たちも、「それは机上の空論ですね」「頭の中で組み立てた支援ですね」という話ばかりです。 ある著名な支援者は、私が働いていた施設の寮の中には入ってきませんでした(笑) 強度行動障害の支援について有難いご講演をされている方が、強度行動障害の人達が暮らす寮には怖くて入ってこれない。 窓の外から様子を見て、すぐに帰っちゃった(笑) 同僚とみんなで「だめだこりゃ」と笑った記憶があります。 ハッタツの世界にいて、ずっと疑問に思うのが「多様性」という言葉です。 確かに発達障害の人はその症状、発達の仕方が一人ひとり異なり、まさにその実態はグラデーションです。 だから多様性というのはわかるのですが、どうして療育や支援に関しては多様性が認められないのでしょう。 学校に行っても、療育施設に行っても、だいたいどの子...

【No.1449】教育や支援の質、行政の問題ではない

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「発達障害がある子も、学んだり、成長できたりする機会を提供する」 そんな事業構想を表明したとき、一番批判してきたのが学校の先生たちでした。 「わざわざお金払ってサービスを受けたいなんて人、いないでしょ」 「どうして公的な機関があるのに民間なの」 そんな表面的な批判の裏に彼らの本音を聞くことができました。 「どうせ、この子たち、将来、施設に行くのに、そんなのやる必要があるの?」 「どうせ、やったって変わらないでしょ」 当時、それなりの役職についていた先生はちゃんと言葉で伝えてくれました。 「現状維持で丸儲けな子たちだよ、大久保くん」 「どうせ、施設」 「どうせ、変わらない」 これは学生時代から散々聞かされた言葉です。 自閉症、知的障害がついた時点で、医師も、教員も、支援者も、みんな、諦める。 どう支援しやすい、介助しやすい子に育てるか、学習させるか、が目標になる。 だって生涯にわたる“支援”が必要だから。 「支援に頼りながら幸せに生きていく」 一時期、この意味不明なワードが流行ったことがあります。 現在も、発達障害を持つ人、その家族を取り巻く環境、システムには多くの問題があるでしょう。 行政の予算の付け方、支援者の質、学校教育の専門性、診断と投薬のみの医療。 この国の特別支援教育が何を目指しているのか、どういった子を育てていきたいのか、不明確なままです。 しかし問題の根本は身体や遺伝子の障害と、発達障害を同じ「障害」に位置付けていること。 神経発達の違いは障害ではありません。 自閉症も、知的障害も、ADHDも、神経発達が“生じない”障害ではないのです。 その前提が間違っているから、いくら資格や研修を増やしても、予算を増やしても、サービスの種類を増やしても、制度設計を変えても、意味がないのです。 未だに「脳の機能障害」「生まれつきの障害」から始まっているのです。 そこから出発すれば、「できるだけ支援やサービスを増やしてあげよう」「現状維持を目指そう」「いま、楽しいことをしてあげよう」または子どもよりも、介助する家族、支援者に「負担がかからないほうへ」と進んでいくのは自然な流れです。 まじめで一生懸命な先生、支援者ほど、手を貸しすぎて、彼らの育つ機会、試行錯誤する機会を奪っている。 「“治る”、“診断が外れる”だなんて奇を衒ったことを言うのは、お客さんを増やそうとしている...

【No.1448】児童デイや療育に期待すること

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法人がやっている障害者施設であったとしても、知的に、また症状が重い子よりも軽い子のほうに利用してもらいたいと思っているのです。 それなのにどうして児童デイが重い子を好んで受け入れるでしょうか。 私が関わっている通所施設、児童デイだって、代表や中心となる支援者さんが優秀であったとしても、スタッフさんは専門的な勉強や経験がなかったりする人がほとんどなのです。 田舎は顕著に「割のいい仕事、バイト、パートの一つ」になっています。 公共事業と一緒です。 世の中、性善説というか、悪く言えば世間知らずか、はたまた「見たくないものは見ない」としているのか、福祉、とくに障害児者に関わっている人は「心がきれい」「良い人」「志のある人」と思われているふしがあります。 でも、そういった人はごくわずかで、ほとんどは愛着障害のたまり場であり、無資格、未経験者大歓迎の職場。 他の仕事と違って成果が出なくても「障害のせい」にできますし、問題を起こさなければ行政からお金がやってきます。 行政だって支援の質を評価することはできないのですから、提出書類に不備がなければそれでよし、となる。 「困難がある子や重い子の方に加算がつく」というインセンティブがあるじゃないか、という人がいるかもしれません。 そんな“重さ”なんてどうにでもなるのです。 そもそも診断自体が客観性のない主観的で曖昧なものなのですから。 どこの障害者施設だって軽い子をどうやって書類上重くするか、ニーズが高いようにするかやっています。 逆に重い子、行動障害があるような子、労力やリスクが高い子は「うちでは十分な支援が受けられません」「うちだと事故、その子が怪我をして問題になるかもしれませんよ~」「その子にとってもっと良い施設がありますよ」と、それらしく書類に書いて提出する。 「その根拠は?」と言われれば、私が見聞きした、また上司の指示だったとしてもそういった資料を作っていた張本人だから。 ネグレクトを受けている子や不登校の子を「障害児」として施設利用につなげることだって、昔から行われている常套手段。 全国各地、出張で発達相談に行きますが、児童デイの支援シートを見ると、「これってどこかで見たよな」という文言が書かれています。 年齢と障害名を打ち込めば、あとは自動で作成してくれるソフトが同じメーカーのものだったのでしょう。 こういった現実を知って...

【No.1447】発達障害、どこを治すか問題

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「あとからでも発達の遅れを取り戻せたり、 症状もアプローチによって改善できたりするのはわかった。 でもじゃあ、どこまで治って、どこまで治せばいいの?」 そういった質問、相談を受けることは少なくありません。 親御さんの中には、治るというのはぜんぶの症状、困り事がなくなり、“普通の子”みたいになることをイメージされている人もいます。 もちろん、そういった人たちを批判したいわけではありません。 どうしても「治る」と聞くと、また「元発達障害児」とか目にすると、イメージするのはそこら辺にいる普通の子になりますよね。 やはりハッタツの世界も、子育てママの入れ替わりがあるので、その都度、説明する必要があると思っています。 で、この頃は次のようなお話をしています。 発達の遅れ、発達のヌケの育て直しが終わると、「本当に診断受けたの?」というくらい同年齢の子と同じような状態に変わる子もいます。 そういった子はだいたい相談者の60~70%くらいで、その多くの場合は発達の遅れが軽微だったり、就学前の早期からアプローチの開始、子育ての方向性のチェンジが行われているといえます。 あとはその子にとって発達を強く阻害している刺激があって、それを排除することで本来の発達の流れ、状態に戻る子もいます。 一方でやっぱり発達の遅れやヌケは育ったんだけど、完全には育ち切らない、特性の部分は残ったまま、知的な遅れも続く、という子も40%くらいいるのも事実です。 でも、こういった子ども達、またご家族の話を聞けば、「治った」と言えるのも事実。 ずっと生まれつきの障害で治ることのないと言われてきた。 しかし取り組み、アプローチ、生活の見直しを行った結果、大きな変化、発達&成長が見られた。 夜寝ることが難しかったのが、多動でじっとできなかったのが、ずっと奇声を上げて不安定だったのが、見られなくなり、落ち着いた生活が送れるようになった、学習もできるようになった。 こういった子ども達も「治った」と言えるでしょう。 話が飛びますが、「共感性が乏しい」「細部にこだわる」「規則性を好む」「多動」など、今の社会から見れば、困った特性であり、障害というレッテル張りがされる特徴ですが、人類700万年の歩みの中で生き残った特性(資質)ということは、それが必要な特性であり、生存戦略には優位に働くこともある、という表れだといえますね。 も...