2020年3月23日月曜日

【No.1033】入所施設の論理

福祉で働く人は、いい人が多いと感じます。
支援を充実させるか、治して自立を目指すか、という考え方の違いはありますが、接点のある支援者さんは基本的に皆さん、いい人で、一生懸命な人ばかりです。
施設で働いていたときも、先輩はいい人ばかり、そして入社していくる後輩もいい人ばかり。
労働環境は最悪でしたが、働く場としては人に恵まれた、と今でも思っています。


福祉を志すということは、根本的に人が好きな人であり、他人のために働きたいという想いを持った人達だと感じます。
また、採用する側も、そういった人物を求めますし、離職率の高い職種ですから、なおのこと、人物重視となるでしょう。
ですから、どこの施設も、大部分の人はいい人。
しかし、一方で、この「いい人ばかり」という面が、福祉の負の面でもあるといえます。


一歩福祉の世界に入ると、本人の自立は、どんどん遠のいていきます。
何故なら、相手の感情を汲みとりすぎるいい人に囲まれてしまうから。
自分のことよりも、やってあげることを優先し、そこに喜びを感じる人たちに囲まれているから。
しかも、「当事者に寄り添う」などが法人理念として掲げられていることが多く、管理職も、現場の職員も、さらに利用する子の保護者も、そういった寄り添う姿勢に価値を見出しています。


一生懸命な職員さんが、困難を抱えている利用者さんに、諦めることなく、優しく寄り添い続ける。
そういった姿を見て、親は安心して任せられると感じる。
管理職も、私達の施設は、利用者さんに愛情をもって接することができている、と胸をはる。
こういった価値観は、今も続いているように感じますし、これからも続いていくと思います。
でも、利用する本人は、これで満足なのか、これが求めていることなのか、疑問に思うのです。
福祉の価値観は、寄り添うこと、優しく接することで良いのかもしれませんが、その人個人の価値観に沿ったものがなされているといえるのでしょうか。


私が施設職員だった頃、支援の質を評価するのは本人であり、福祉も、プロセスではなく、結果が求められるのではないか、と主張していました。
当然、「福祉の考え、法人の理念にそぐわない」と却下されるのですが。
この、ある意味、「いい人どまり」の福祉がゆえに、いつまで経っても、自立していく人は育たないし、支援の質自体が上がっていかないのだ、と私は考えています。


人と接する職業ですから、悪い人では困ります。
いい人は当たり前。
でも、ただのいい人だけでは、プロとしての仕事はできないと思います。
どの職業もそうだと思いますが、商品やサービスを提供し、それを購入したお客さんが満足感を得られるかどうか、より良い方向へ変化できるかどうか、という結果で評価され、そのフィードバックから、さらなる品質、サービスの向上を目指すはずです。
それなのに、どうして、福祉だけ、障害を持った人と関わる職業人だけ、「寄り添う」とか、「いい人」とか、そういったもので良いこととなるのでしょうか。
福祉の仕事だって、お金を貰って行うプロの仕事になるのですから、それに見合う質と結果で評価されるべきだと思います。
もし、そういった考えがそぐわないというのなら、障害を持った人には、質や結果はどうでもよいのかと、差別的な認識にすら、私には見えるのです。


日本の特別支援は、ずっと福祉がリードしてきた歴史があります。
学校の先生も、黎明期には福祉の支援から学んで、教室の指導に取り入れていました。
地域の相談事業所も、通所施設も、元を辿れば、入所施設を持った福祉法人が運営していることが多くあります。
つまり、福祉の根本的な理念、「優しく寄り添う」が、現在の特別支援の源流にあり、それをいい人達が繋いでいっているのです。
驚くことに、親御さんや支援者の特別支援に関わる先生の評価が、「あの先生は良い先生」「話しづらい先生」などで表されています。
そんなことよりも、教師は専門職なのですから、しっかり学力が身についたか、自立のための成長が見られたか、が評価すべき点だと思います。


入所施設を利用している人にとっては、自立や結果よりも、今の生活が不自由なく、安心できるか、が求められても良いと思います。
でも、それは入所施設止まりにしなければならないはずです。
乳幼児の療育機関、児童デイ、相談事業所、通所施設、ある意味、特別支援教育も、本人の自立とより良い変化という結果で評価される必要があります。
そうでなければ、ただ「いい人に囲まれた時間を過ごした」という思い出作りで終わってしまいますので。


教育も、福祉も、他の仕事とは違って、評価できないもの、それがそぐわないもの、などと言われることがあります。
でも、それは体のいい言い訳だと思いますし、それを従事している人間が言ってはおしまいだと思います。
外から言われるのならまだしも、その仕事に従事している者が結果を重視しないでどうするのです。
より良い仕事、質の向上を目指して、日々、精進しなくてどうするのです。


学生時代のボランティアに始まり、施設職員、特別支援学校の教員、現職と、いろんな当事者、家族、支援者、先生を見てきました。
その中で感じるのが、いい人ほどたちが悪い、ということです。
いい人達は、全力で、一生懸命、その人の今を考え、その人が喜び、苦労を感じないように、あるときには自分を犠牲にしてまでも、尽くそうとします。
でも、そういった関係性は、1対1の限られた関係性の中でなり立ちます。
その人との関係性の中では安心して過ごせるけれども、じゃあ、別の職員では?じゃあ、社会に出たら?


新年度になり、崩れる人の多くは、この狭い1対1の関係性の中で安心感のみを得てきた人です。
新しい担任、担当との間で、もとのような尽くされる関係性はすぐには築かれない。
そうなると、一気に安定から不安定へと転落していく。
いい人はやり過ぎて、尽くし過ぎる。
そして何よりも、自分がいなくなったあとのことを考えていない。
ただ、1対1の関係性に陶酔する。
「この人のために」と尽くしたことが、次の人との関係性の足かせとなることもある。
しかも、そのことに気づかず、先生は、支援者は、新たな人の元へと旅立っていく。


「生涯に渡る支援」は、入所施設の視点から生まれたもの。
それ以外では、生涯に渡る支援はできっこない。
だからこそ、有期限であるその人との関係性の中で、何を提供し、何を残すことができるか。
それが、自立への一歩であり、より良い変化、成長への一歩だと思います。


福祉は結果を求めないから、いつまで経っても、支援の向上、利用者の満足感は得ることができないのです。
いい人どまりで、プロとしての仕事、支援、サービスをしていないから、いつまで経っても、自立していく人が育っていかないのです。
いい人は残酷です。
その人の自立の足止めの一つになっていることに気づかず、自分は良いことをしていると思い、今日も仕事をしているから。
入所施設の論理は、療育や通所、児童デイ、教育の世界に持ちこんではなりません。

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